第22話:禁忌の守護者、目覚める
王都中央広場に、歓喜の嵐が巻き起こったはずだった。
檻は破壊され、五百名の兵士たちは解放され、古狸枢機卿は膝を突いて項垂れている。民衆は聖女セレスティーナの勇姿に涙し、将軍レオニードの力強さに喝采を贈っていた。誰もが、これで腐敗した教会の支配は終わり、平和が戻るのだと信じて疑わなかった。
だが、その勝利の余韻を、地底から響く不気味な胎動が引き裂いた。
ズズ、ズズズ……。
石畳が脈打つように波打ち、大聖堂の地下深くから、セレスが放った強大すぎる浄化の魔力に反発するような、どす黒い瘴気が噴き出した。
「……は、はは。間に合わなかったな……。聖女の光が強すぎたのだ。……光が強ければ、影もまた深くなる。目覚めよ、教会の守護獣……『罪を喰らう者(罪喰い)』よ!」
泡を吹きながら、枢機卿が狂ったように笑った。彼の手には、砕かれた古の封印石が握られている。
刹那、大聖堂の尖塔が内側から爆発した。瓦礫が降り注ぐ中、姿を現したのは、全長三十メートルを超える、全身が錆びついた鎖と呪符で覆われた異形の巨像だった。
それはかつて、神に叛く者を処刑するために教会が禁忌の術で作ったとされる、泥と死体と呪いの結晶体であった。
「な、なにあれ……!? デカすぎるわよ! 前世の特撮映画だって、あんな不衛生なデカブツは出てこなかったわよ!」
セレスは腰に手を当てて叫んだが、その足は僅かに震えていた。
巨像が咆哮を上げると、広場を埋め尽くしていた民衆はパニックに陥り、逃げ惑う。解放されたばかりの兵士たちも、その圧倒的な死の気配に圧倒され、立ち竦んでいた。
「……セレス様。下がってください」
レオニードが、静かに一歩前へ出た。
彼の背中からは、先ほどまでの「家族」としての温かさは消え、敵を屠るためだけの鋭利な殺気が立ち上っている。
「あれは、人の手に負えるものではない。……ですが、俺が、俺の全存在を懸けてあいつを食い止めます。……貴女は、兵士たちを連れて今すぐ逃げてください。……約束したでしょう。貴女を、一人で死なせたりはしないと」
レオニードが魔剣を抜き放ち、その切っ先を巨像に向ける。
その言葉は、まるで永遠の別れを告げる騎士のような、悲壮な美しさに満ちていた。
だが。
「ちょっとレオニード!! 何格好つけてるのよ!!」
セレスがレオニードの後ろ髪を力任せに引っ張った。
「あだっ!? せ、セレス様!? 今はシリアスな場面です、危ないですから……!」
「何がシリアスよ! 命を懸ける!? 逃げろ!? そんなことして、あなたが一人でボロボロになって、誰もいない広場で倒れて孤独死でもしたらどうするのよ! 私の『よしよし』なしで逝かせるなんて、聖女として、そしてあなたの飼い主(?)として絶対に許さないわ!」
セレスはレオニードの肩を掴んで、力一杯に揺さぶった。
「見てなさい、あんな不衛生な粗大ゴミ! 私が今すぐ洗浄して、ゴミ収集車に載せてあげるんだから! でも、私一人じゃ出力が足りないわ。レオ、私を支えなさい! あなたのその無駄に逞しい筋肉を、私の魔力を安定させるためだけに使いなさい!」
「……。……くっ、はは。……分かりました。……貴女という人は、本当に……」
レオニードは苦笑し、セレスの背後に回ると、その細い腰を力強く、そして情熱的に抱きしめた。
二人の体温が重なり、レオニードの鋭い闘気とセレスの広大な浄化の魔力が、一つの回路となって繋がり合う。
「レオ、いくわよ! 私のイメージに合わせなさい! 不浄なものを、一気に削ぎ落とす……特大の『包丁』よ!」
「……包丁? ……まあ、いいでしょう。……俺の闘気で、貴女の光を刃の形に成形します。……放ってください、セレス様!」
二人の頭上に、純白に輝く、巨大な「光の刃」が出現した。
それはもはや聖剣などという高尚なものではない。家庭の平和を守る主婦の怒りが形を成したような、圧倒的な質量の断罪の刃。
「不衛生な粗大ゴミは、粗大ゴミ置き場へ帰りなさーーーーい!!!」
セレスとレオニードが、同時に腕を振り下ろした。
光の刃が夜の闇を白銀に染め上げ、巨像の脳天から股下までを、抵抗を許さず一刀両断する。
ドォォォォォォォォンッ!!!
爆発的な浄化の衝撃波が、王都中に吹き荒れた。
不浄な瘴気は一瞬で洗い流され、錆びついた鎖はキラキラとした光の粒子となって空へ舞い上がる。
巨像は咆哮を上げる暇もなく、清浄な風となって消滅した。
広場に、再び静寂が戻る。
降り注ぐ光の粒の中で、セレスはレオニードの腕の中で力尽きたように寄りかかった。
「……はぁ、はぁ……。やったわ……レオ。……孤独死回避……成功よ……」
「……ええ。……お見事でした、セレス様。……貴女は、やはり俺の神様だ」
レオニードは愛おしそうにセレスを抱き寄せ、その頬に深く、熱い口づけを落とした。
勝利の熱狂が広場を包み込み、兵士たちが歓喜の声を上げる。
だが、崩壊した大聖堂の瓦礫の中から、副官がある一つの「奇妙な小箱」を見つけ出し、顔を青くした。
「……将軍。これ……貴殿の、母親の紋章ではありませんか?」
レオニードの体が、僅かに強張った。
スラムで孤独だった彼の過去、そしてこの国の根幹に隠された真実が、新たな嵐となって二人を待ち受けていた。
セレスはレオニードの頬にある僅かな擦り傷を見つけると、「レオ! 傷口にバイ菌が! 早く、早く『よしよし』と浄化をぉぉ!」とおろおろして魔法をかけ始めた。
彼らの異常な溺愛の旅は、まだ終わる気配を見せない。




