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第23話:小箱の中身と、レオの隠された血筋

 巨像『罪喰い』が浄化の光の中に霧散し、王都中央広場には、雪のように白い光の粒子が降り注いでいた。

 民衆の歓声と、解放された兵士たちのむせび泣く声。その喧騒から少し離れた、崩落した大聖堂の瓦礫の山で、レオニードの副官は立ち尽くしていた。

 彼の目の前には、砕け散った祭壇の奥底から姿を現した、一見して不釣り合いなほど古びた、しかし重厚な漆黒の小箱が転がっている。


「……将軍。これを見てください」


 副官の声は、勝利の喜びではなく、底知れない恐怖に震えていた。

 セレスティーナに頬の傷を「よしよし」と浄化されていたレオニードは、僅かに眉を潜めて顔を上げた。彼はセレスの細い腰を抱き寄せたまま、副官が差し出した小箱へと視線を落とす。

 その瞬間、レオニードの全身に電流が走ったような衝撃が突き抜けた。


 漆黒の木材に、沈金で施された『双頭の鷲と茨の冠』の紋章。

 それは、現王家ルミナリスの直系、それも王位継承順位が極めて高い者のみが使用を許される、秘匿された紋章だった。


「……その箱。俺は、これを知っている」


 レオニードの脳裏に、封印されていた泥沼のような記憶が溢れ出した。

 スラムの冷たい雨。自分を抱きしめ、汚れた指先で何度も頬を撫でてくれた、気品溢れる女性。彼女が死の間際まで、ボロ布の下に隠し持っていたのが、この小箱だった。


「レオ、開けて。……そして、確認しなさい。あなたが何者であるかを」


 セレスが不安そうにレオの腕を握る。その温もりに促されるように、レオニードは震える指先で箱の錠前を外した。

 カチリ、と硬質な音が響き、蓋が開かれる。

 中に入っていたのは、数枚の古びた羊皮紙と、太陽の光を吸い込むような黄金の指輪――ルミナリス王家の正統なる後継者を示す証。

 羊皮紙には、先代国王の直筆と、王室魔導師の血判による署名が刻まれていた。


『――我が真なる息子、レオニードへ。お前こそが、この国の正統なる次代の王である。その身に流れる血を呪うな、光を掴め』


 静寂が、広場を支配した。

 内容を覗き込んだ副官が、膝から崩れ落ちる。周囲の兵士たちも、絶句して言葉を失った。

 これまで「スラム出身の成り上がり」と蔑まれ、あるいは畏怖されてきた狂犬将軍こそが、現国王の異母弟であり、正統な王位継承権を持つ王子だったのだ。


「……は、ははは! 見ろ! これこそが神の差配だ!」


 拘束されていた古狸枢機卿が、狂ったような高笑いを上げた。


「レオニードよ、お前が王になれ! そうすれば、お前を疎んでいた貴族どもは平伏し、聖女セレスティーナを法的に、そして公的に、誰にも邪魔されぬ『王妃』として後宮に閉じ込めることができるぞ! さあ、その指輪を嵌め、玉座へ座れ!」


 レオニードの瞳に、不穏な光が宿った。

 王。

 その権力があれば。

 セレスをこの広大な王宮の奥深く、自分の腕の中だけに永遠に閉じ込め、二十四時間、一生死ぬまで、誰の目にも触れさせずに愛で続けることができるのではないか。

 セレスを独占したいという狂気的な独占欲が、レオニードの理性を黒く塗りつぶそうとした、その時である。


「ちょっと待ちなさーーーーーーーい!!!」


 セレスティーナの、鼓膜を震わせる咆哮が炸裂した。

 彼女はレオニードが握りしめていた羊皮紙をひったくると、それをゴミを眺めるような目で見下ろした。


「王様!? レオが王様!? 冗談じゃないわよ! 枢機卿、あなた、王様という仕事がどれほど過酷か分かっているの!? 朝は未明から書類の山を片付け、昼は狸みたいな貴族たちと化かし合い、夜は夜で暗殺の危機に怯えながら眠る……。休みもなければ、残業代も出ない! 前世の私が勤めていたブラック企業よりも、一万倍ブラックな職業じゃないの!」


「な、何を言うか! 王とは国の頂点……」


「頂点っていうのはね、一番風当たりが強くて、一番孤独で、一番『過労死』に近い場所なのよ! そんな激務、レオにさせられるわけないでしょう! 孤独に玉座の上で冷たくなっているレオなんて、私は絶対に見たくないわ! 孤独死の入り口は玉座にあり、よ!」


 セレスはレオニードの頬を両手でむぎゅっと掴み、至近距離で睨みつけた。


「レオ、聞きなさい! あなたは王様になって私を『飼いたい』のかもしれないけど、私の目は誤魔化せないわよ! あなたはね、王宮のベッドより、私の隣で、私の作った野菜スープを飲んで、『よしよし』されている方が、顔色が良くなるの! あなたは一生、私の『管理下(溺愛)』に置かれるべきなのよ!」


「……。……。……セレス、様……」


 レオニードは、セレスのアメジスト色の瞳に宿る、圧倒的なまでの「自分への執着(という名の過保護)」を正面から浴びた。

 王の権力など、彼女の指先の温もりに比べれば、砂粒のようなものだ。

 彼女が自分の健康と、自分との時間をそれほどまでに守ろうとしてくれている。その事実が、彼の歪んだ心を極上の悦びで満たした。


「……分かりました。……王などという激務で、貴女との時間を一分一秒でも削るくらいなら……。俺は一生、貴女に飼われるだけの狂犬でいい」


 レオニードはそう言うと、王位継承の証である黄金の指輪を、無造作に瓦礫の山へと投げ捨てた。


「あ、あああ……っ! 王位を! 王の証を、ゴミのように捨てたぁぁぁ!」


 枢機卿が、絶叫と共に今度こそ本気で泡を吹いて卒倒した。

 王座よりも、聖女の膝枕。

 最強の将軍が選んだのは、国家の支配ではなく、一人の女性による徹底的な「健康管理」と、終わりのない「溺愛」の日常だった。


「よし、いい子ねレオ! さあ、王都の掃除が終わったら、さっさと屋敷に帰りましょう! 今日はニンニク三倍のスタミナ炒めよ!」


「……はい、セレス様。……一生、貴女に付いていきます」


 二人は、呆気にとられる民衆を置き去りにし、固く手を繋いで歩き出した。

 だが、投げ捨てられた指輪を、影の中から見つめる鋭い視線があった。

 現国王派。そして、レオニードという「正統なる血筋」を亡き者にしようとする、新たなる刺客が、既に牙を剥き始めていた。


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