第17話:窓越しの恋(?)と、聖女の家出計画
「……ああ、ダメよ。これはもう限界。私の精神が、前世の孤独死ルートを逆走し始めているわ」
神殿の最上階。石造りの冷たい壁に囲まれた謹慎用の塔の一室で、セレスティーナは三日目にして早くも魂を口から吐き出していた。
三十路の元アラサー転生者にとって、外界から遮断され、たった一人で過ごす時間は毒でしかない。
前世。誰とも口を利かず、ただスマートフォンの画面を眺めるだけで終わった連休の虚しさを、セレスはこの神聖な沈黙の中に思い出していた。
(静かすぎる。静かすぎて、自分の心臓の音がカウントダウンに聞こえるわ。このままここで、誰にも看取られず、カピカピに乾燥した聖女のミイラとして発見されるのね……! 嫌よ! そんなの、転生した意味がマイナス一万ポイントだわ!)
セレスはガバッと起き上がると、唯一の外界との接点である、はめ殺しに近い小さな窓へと駆け寄った。
鉄格子の隙間から地上を見下ろせば、そこにはこの三日間、片時も変わらぬ異様な光景が広がっている。
神殿の正門前。
本来ならば厳かな巡礼者が行き交うはずの場所に、漆黒の巨大なテントが設営され、その前にはこれまた漆黒の椅子に座って、微動だにせず塔を見上げ続けている男がいた。
レオニード将軍である。
「レオーーーー! レオぉぉぉぉぉ! 生きてるーーー!?」
セレスが窓から身を乗り出し、喉が裂けんばかりの声で叫ぶ。
地上でじっとしていた男が、弾かれたように立ち上がった。視力検査の限界に挑むような距離だが、レオニードの金色の瞳が歓喜に輝いたのが、セレスには見えた気がした。
「……セレス様ぁぁぁぁ! 今日も、貴女の尊いお声が聞けて、俺の心臓は辛うじて動いています! 今すぐ、その塔を物理的に解体して、貴女をこの腕に収めたい!」
「ダメよ! 解体したら私の居住スペースがなくなっちゃうじゃない! それよりレオ、今日の血圧はどう!? ちゃんと私のスープ、飲み干したーー!?」
セレスは用意していた特製野菜スープを入れた水筒を、シーツを繋ぎ合わせた急造のロープで窓から吊り下げた。
地上でレオニードがそれを恭しく受け取り、一滴も零さぬよう一気に飲み干す。その姿は、神への供物を捧げる信徒か、あるいは飢えた獣のようであった。
「……美味い……。貴女の慈悲が、全身の細胞を焼き尽くすようです……。……だが、やはり足りない。……窓越しでは、貴女の温もりが……香りが、足りない……っ!」
レオニードが悶え、窓に向かって手を伸ばす。
その必死な、そして狂気に満ちた姿を見て、セレスの「おかん脳」が暴走を開始した。
(……ああ。レオの顔、なんだか少しシュッとした気がするわ。さては、私がいない寂しさで食欲不振(※完食してます)に陥っているのね! 不眠(※テントで見張ってます)も続いているはずだわ。このままじゃ、レオが過労死と孤独死のハイブリッドで死んじゃう!)
「待ってなさいレオ! 今すぐ、私があなたを助けに行くわよ!」
セレスは窓から顔を引っ込めると、狂ったように部屋中のシーツとカーテンを引き剥がし始めた。
前世の映画で見た脱獄囚の知恵が、今、聖女の爆発的な腕力と結びつく。
結び目は、不器用だが「絶対に離さない」というレオ譲りの執着を込めて固く締めた。
「孤独死なんてさせてたまるもんですか! レオの血管は、私が守るんだからぁぁ!」
セレスはシーツのロープを窓枠に結びつけると、地上三十メートルの高さから、躊躇なく外へと身を投げ出した。
聖女の法衣を翻し、シーツにしがみつきながらズルズルと下降する。高所恐怖症? そんなものは、レオの「栄養失調(妄想)」への恐怖に比べれば、そよ風のようなものだった。
だが、案の定というか、運命の悪戯というか。
あと五メートルというところで、繋ぎ合わせたカーテンの一枚が、ミシリと嫌な音を立てて裂けた。
「あ、孤独死の前に、転落死ぃぃぃぃぃ!!」
叫びながら自由落下するセレス。
神殿の見張り役の聖騎士たちが「うわあああ、聖女様が降ってきたぁぁ!」とパニックになる中、地上でじっと見上げていた「狂犬」が動いた。
レオニードは、地面を爆発させるような踏み込みで跳躍した。
風を切り、重力に逆らうような動き。
彼は空中でセレスの体を捉えると、そのまま自分の逞しい胸板へと完璧に収めた。
ドサッ、という重厚な着地音。
レオニードはセレスを「お姫様抱っこ」の状態でガッチリとホールドし、その顔を彼女の首筋に埋めて、深く、深く安堵の息を漏らした。
「……捕まえた。……空から、俺の生きる意味が降ってきた。……これは神が、『彼女を連れ去れ』と命じているに違いない」
「レオぉぉぉ! 生きてたわ、私! そしてレオ、あなた、やっぱり少し熱いわ! 動悸も激しい! これは今すぐ屋敷に戻って、全身のバイタルチェックが必要よ!」
セレスはレオの首に腕を回し、鼻を赤くして大騒ぎを始めた。
「さあレオ、行きましょう! 謹慎なんてやってられないわ! 今すぐ市場に行って、一番新鮮な小松菜を買うのよ! 今夜はビタミンと鉄分の集中豪雨よ!」
「……ああ。……どこへでも、貴女の望む場所へ。……俺の命は、貴女の腕の中にありますから」
レオニードはそのままセレスを離さず、待機させていた愛馬に飛び乗った。
神殿の窓から、古狸枢機卿が身を乗り出し、「戻ってこぉぉぉぉい! 神罰が下るぞ! っていうか、そのシーツ、教会の備品だぞぉぉぉ!」と絶叫するが、二人の耳には届かない。
夜の王都を、馬の蹄の音が激しく打つ。
聖女の脱走と、将軍の強奪。
それは、中目標である「教会との対決」を力技で踏み越え、二人の共依存をさらなる深淵へと導く、真の『駆け落ち』の始まりであった。
「レオ、しっかり捕まってて! 振り落とされて怪我でもしたら、私、泣いちゃうんだから!」
「……死んでも、離しません。……俺が貴女を、一生抱えて走ります」
月の光に照らされた二人の影は、追っ手を置き去りにして、愛という名の檻(屋敷)へと消えていった。




