逃亡狼
現場に到着した。
二階建てのアパートだった。一階に六部屋、二階に六部屋あり、階段から一番遠い、二階の角部屋が現場だった。
アパートの周りには野次馬が群がっており、野次馬をかき分けながらアパートへ近づいた。
奥田聖一、秋晴父子は父子家庭だった。母親は秋晴を残して家を出たらしい。
「よくあることだ」と平尾に言う。
「そうですか? 母親が子供を残して家を出るなんて・・・」
「WCPの子供を持つ家庭では、そういったケースがある」
WCPだと認定されれば、当人は勿論、その家族までもが、周囲から白い目で見られるようになる。まるで犯罪者扱いだ。それに耐えきれなくなって、離婚して家を出てしまう父親や母親の話を嫌というほど聞かされて来た。
「母親は長女だけを連れて家を出たようですね」と平尾が言う。
女性は遺伝子疾患を持っていても狼男に変身するものが少ないし、何も症状も出ないものが多い。
「それも珍しくない」と俺が答えた時、「何をしに来た!」と背後から怒鳴られた。
振り返ると明日香がいた。
「応援だ」
「必要ない」
「じゃあ、監視だ」
「誰を監視するんだ?」
「お前だ」
「何故、私を監視するんだ?」
「お前が傷つくのを防ぐ為だよ」と言うと、明日香は一瞬、驚いた顔をしてから、「余計なお世話だ」と吐き捨てた。
「状況を教えてくれ」と頼む。
「被害者は奥田聖一、五十一歳。近所にある堀之内電機という会社で働いている。電気工事を請け負う会社らしい。無断欠勤を不審に思った会社の人間が確認に来て遺体を発見した。死亡したのは一昨日の夜八時から九時の間と見られている。奥さんとは五年前に離婚している。奥さんは娘の沙耶ちゃんを連れて家を出ている。離婚の原因は父親によるDVだということになっている」
「ということになっている?」
「口うるさい親父だったそうだ。手を出すこともあっただろう。だが、DVというほどのレベルだったかどうかは、傍目には分からない。とにかく警察に被害届や相談が出されていない。決めつける訳には行かないだろう」
「思ったより冷静だな」
「人を何だと思っている?」
「猪突猛進、猪刑事」
「それはお前だ」
大丈夫だ。明日香は冷静だ。
「それで、容疑者は?」
「奥田秋晴。息子だ。二十二歳。大学を卒業したばかりだが、就職先が決まっていなかったらしい」
「この時期にか? そうか・・・」
この時期に就職が決まっていないとなると就職浪人だ。十中八九、WCPであることが原因で就職先が決まらなかったのだろう。
俺が暗い顔をしていると、それに気がついたのか、「応援に来たのなら働け!」と明日香に怒鳴られてしまった。
「遺体の様子を見ろ」と明日香が言う。
奥田聖一の遺体があったのは、リビングの隣の部屋だった。部屋の様子から見て、秋晴の部屋だったようだ。窓際にベッドがあり、その反対側の壁際に聖一は倒れていた。カラーボックスの上に載せてあったテレビが遺体の上に落下していた。カラーボックスの中に並べてあったのだろう、漫画の単行本が床に散らばっていた。
「どう見る?」と明日香が聞く。
「う~ん。何だか投げ飛ばされて壁にぶち当たったみたいだな」
「そうだ。首を見ろ」
聖一の首は九十度近く傾いていた。
「首の骨が折れているようだ」
「ベッドに寝ているところを襲われて、反撃した――そういう風に見えないか?」
「見える。だが・・・」
「そうだ」
圧倒的な力を感じる。襲って来た人間の首をねじ切り、壁に投げ飛ばしたように見える。これは、まるで狼男の仕業にしか見えない。
「昨日は満月ではなかった」
そう。WCPが狼男に変身する夜ではなかった。
「奥田秋晴はフリーマンだったのかもしれないぞ」
「ああ、そうか」
フリーマンは月の満ち欠けに関係なく、狼男に変身することができる。狼班の班長、武藤がそうだ。しかし、フリーマンは希少だ。WCPの僅か0.001%しか存在しない。
「可能性はなくはないだろう」と明日香が言う。
「確かに、可能性はある。とにかく奥田秋晴を確保しなければならないな」
「大学を卒業してから、引き籠りのような生活をしていたようだ。交友関係も多くない。逃げるところは無いはずだ」と明日香が言った時、「先輩! 大変です」といつの間に部屋に来て、窓から外を見ていた平尾が叫んだ。
「どうした?」
「ちょっと確認してもらえませんか?」
「確認? 何をだ」
「野次馬の中に忽滑谷弘文に似た男がいるのです。僕は会ったことがありません。顔写真を見たことがあるだけです。でも、似ていると思います」
こいつ、記憶力は抜群だ。顔写真を見ただけで、忽滑谷の顔を覚えてしまっている。
「何⁉」窓に駆け寄って、外を見る。
遠巻きに野次馬が群がってこちらを見ていた。
「どこだ?」
「ほら、あそこ」と平尾が指さす。
男がいた。間違いない。忽滑谷だ。
「野郎~!」
俺は部屋を飛び出した。
アパートに群がる野次馬が目に入った。忽滑谷は――いた。玄関から飛び出して来た俺の姿を見て、やつは久しぶりに旧知の友人と会ったかのように軽く手を上げた。
――ふざけるな!
二階の廊下を走る。
角部屋だ。階段に一番、遠い。野次馬の整理をしている警官に、「おいっ! おいっ! そいつを捕まえてくれ。君だ。君。野次馬の中にいる、そいつを捕まえておいてくれ~!」と叫びながら走った。
だが、やつは、そんな俺を楽しそうに見ながら背を向けると、走り出した。
ようやく、俺が野次馬のもとにたどり着いた時には、やつの姿は無かった。




