第七章 撮られた!
アパートに着いた。
荷物を下ろす。
一か月ぶりの部屋は、少し埃くさい。
スマホが鳴った。
妹の由紀だ。
「お兄ちゃん!」
耳が痛い。
「何度もかけたんだけど!何で出ないの!」
「山にいた」
「山?」
「電波が来てなかった」
説明が面倒だ。
魔法の特訓とは、言えない。
「一か月も何してたの」
「キャンプ」
「一か月キャンプする社会人がいる?」
いる。ここにいるぞ妹よ。
「悪いけど、今日は疲れてる。明日にしてくれ」
「明日、夜に行くから」
「明日は残業だ」
一か月休んだ俺の机は、書類の山になっている。見なくても分かる。
「明後日、休みだから。それでいいか」
「……分かった」
まだ怒っている声で、電話が切れた。
布団を敷いた。
明日から、会社だ。
***
休みの日の、朝七時。
ピンポン。
ピンポンピンポンピンポン。
「早すぎるだろ……」
ドアを開けると、由紀が立っていた。
息が上がっている。
リビングを見る。
メレオスは、いない。
都合が悪いときは消える。
もう分かっている。
「まあ、座れ」
コーヒーを出した。
料理は好きだが、腕はごく普通だ。コーヒーは、お湯を注ぐだけである。
由紀が、一口飲んだ。
少し、落ち着いたようだ。
「お兄ちゃん、大変なことになってる!!大変!大変!」
……落ち着いていなかった。
「何が?」
スマホを、目の前に突き出される。
動画だ。
見覚えのある、繁華街の路地。
「これ」
再生数が、四桁を通り過ぎて、上の桁になっている。携帯ショップで働いている妹が言うには、バズってる、というらしい。
夜の路地。
男が二人。
女の人が、後ろへ下がっている。
そして、スーツの男が入ってくる。
顔には、モザイクがかかっている。
殴りかかってきた男を、いなして投げる。
もう一人も、投げる。
「うわ、すご」
由紀が、俺の顔を見る。
俺は、コーヒーを飲んだ。
画面の中で、男がナイフを抜いた。
モザイクの男が、手を出す。
火の玉が、弾けた。
「……」
「ここ、ここ!何なのこれ!」
しっかり撮られている。
コメントも三桁行ってる。
―手品だろ。
―爆発物だ。ヤバいんじゃね。
―合成が下手。
―CGにしては動きが自然。
などなど。
俺は、コーヒーを飲んだ。
味は、しなかった。
「これ、お兄ちゃんでしょ」
「違う」
「絶対そう」
「違う」
「だって、おじいちゃんの技だもん」
心臓が、鳴った。
由紀は、画面を指で止めた。
「あの投げ方、道場で何百回も見た」
見ていたのか。
そういえば、こいつは道場の隅で、よく漫画を読んでいた。
「世の中に、合気道をやってる人間は何万人といる」
「顔の形も同じ」
「モザイクだろ」
「モザイクでも分かる。兄妹だもん」
理屈になっていない。
だが、当たっている。
「俺じゃない」
「お兄ちゃん」
「俺じゃない」
「俺じゃないったら俺じゃない」
三回言った。
不器用な人間が嘘をつくときは、回数で押すしかない。
「じゃあ、火は」
「知らん」
「知らんって、本当に?」
「知らんもんは知らん」
由紀は、しばらく俺を見ていた。
それから、鼻から息を出した。
「……分かった。いい」
「分かってくれたか」
カップを置いて、由紀は立ち上がった。
「分かってない。今日はいいって言っただけ」
怖い。
「コーヒー、まずい」
「帰れ」
由紀は、帰った。
玄関のドアを閉めて、鍵をかける。
***
「見られておったのぉ」
いつの間にか、リビングにメレオスがいる。
木の上で歌っていた顔と、同じ顔だ。おもしろがってる顔だ。
「知ってたのか」
「知っておる」
「なんで言わない」
「聞かれなかったからのぉ」
「聞くわけないだろ!気が付いてなかったんだから!」
メレオスは、指を一本立てた。
「電柱のかげに、女がおったじゃろう」
俺はマジに気がつかなかった。
「あれが、その板を構えておった」
「板じゃない。スマートフォン、スマホだ」
「同じようなものじゃ」
「同じじゃない!」
神様は、道具に弱い。
「あの女、皆の顔を塗りつぶしておったな」
「モザイクだよ。このご時世、プライバシーとかうるさいんだ」
「ややこしいのぉ。人間の考えることは」
助けた女の人ではない。
別の誰かが、俺を撮って、俺の顔を隠して、ネットに流した。
えらく迷惑なことだ。由紀に疑われるわ、散々だ。
「軽率じゃと、言ったじゃろう」
ハリセンは、出てこなかった。
出てこないほうが、痛い。
「言った」
「人助けは合格じゃ。撮られてたのは大失敗じゃな」
何も言い返せない。
「由紀は、あきらめてないぞ」
「妹御は、鼻がきくのぉ」
「気功は、やってないんだよな」
「わしは知らん。伊左衛門は、何も言わんかった」
そこは、知らないのか。
「どうすればいい」
「わしに聞くな」
「守護神だろ!」
メレオスは、腕を組んで胸を張った。
「守護神は、火の出し方は教える。言い訳は教えん」
役に立たない。
「まあ、次からは気をつけろ」
「次があるのか」
「人助けを、やめられる男か?」
やめられない。
じいちゃんの声が、また頭の奥で再生される。
「消えるんなら、先に妹を止めてくれ」
「無理じゃ。あれは、伊左衛門より怖い」
同意する。
冷めたコーヒーを、飲み干した。
やっぱり、まずい。
動画の再生数は、たぶん、まだ増えるだろう。
***
冷蔵庫を開けた。
何もない。
一か月、山にいた男の冷蔵庫である。当然だ。
財布とスマホだけ持って、外に出た。商店街まで、歩いて十分。
日曜の昼前で、そこそこ人が出ている。
肉屋の前で、コロッケが揚がる音がしていた。
今日の夕飯は、コロッケにするか。ここのは旨い。
「見つけた!」
正面から、声が飛んできた。
二十代くらいの女が、こっちを指さして走ってくる。
考えるより先に、足が動いた。
踵を返して、走る。
「ちょっと!なんで逃げるのよ!」
「お前が追いかけてくるからだ!」
魚屋の前を抜ける。
八百屋のおばちゃんが、こっちを見て笑っている。
平和な商店街だ。
俺は、平和ではない。
一か月の特訓で、足腰だけは仕上がっている。
だが、女も速い。
角を曲がったところで、腕をつかまれた。
「はあ、はあ……つかまえた」
「離せ」
「説明してもらうわよ!」
息を切らしながら、手は離さない。
「何のことだ。お前は誰だ!」
「あなた、あの夜、チンピラに炎を放ったでしょう」
心臓が、止まりかけた。
「……お前か。あの動画を撮ったのは」
顔が割れている。
モザイクをかけた本人なら、俺の顔を知っていて当然だ。
女は、背筋を伸ばした。
そして、頭を下げた。
「ありがとう」
「は?」
顔を上げた女は、満面の笑みだった。
「あの動画、バズってウハウハよ!」
「どういたしまして。じゃねえよ!」
悪びれる、という言葉を知らないらしい。
「ねえ、あの炎、どうしたの?やっぱり、手品?」
「手品だ」
「嘘。あれ、熱かったもん」
近い。
顔が近い。
「仕掛けあるんでしょ?ねえ!ねえ!」
グイグイくる。
メレオスを、心の中で呼んだ。
返事はない。
都合が悪いときは、消える。
面倒くさい。
コロッケを買って、帰りたい。
そのとき、商店街に、黒塗りの車が横付けされた。
似合わない。
魚屋の前に、黒塗りである。
ドアが開いて、黒服の男たちが降りてきた。
「え、何」
女の声が、途中で消えた。
腕を取られた。
きれいな取り方だ。
じいちゃんの道場でも、ここまで手際のいいのは見たことがない。
体が浮いて、車に押し込まれる。
女も、隣に放り込まれた。
手錠。
アイマスク。
ご丁寧に、猿ぐつわ。
早い。
抵抗する暇もなかった。
魔法を出す暇も、なかった。
視界が、真っ暗になる。
車が、走り出した。
隣で、女がもがいている音がする。
こうして俺は、コロッケを買いそびれ、黒服の男たちに拉致された。




