第七十章 茶色い、チーズ
目が覚めた。
***
窓の外は、真っ暗だった。
***
スマホを見た。
三時だった。
***
朝の三時だった。
***
体は、朝だと言っていた。
窓の外は、夜だと言っていた。
時計は、どっちの味方でもなかった。
***
もう一回、寝た。
***
次に目が覚めたら、六時だった。
真っ暗だった。
***
もう一回、寝た。
***
九時だった。
真っ暗だった。
***
「……健司」
ベッドの足元で、メレオスが言った。
「いつになったら、朝が来るんじゃ」
「来ない」
「来んのか」
「来ない季節らしい」
***
メレオスは、しばらく窓の外を見ていた。
それから、言った。
***
「……朝飯は、来るか」
***
朝飯は、来た。
***
一階の食堂に、長いテーブルがあった。
その上に、料理が、ずらりと並んでいた。
***
黒いパン。白いパン。茶色いパン。
茹でた卵。
酢漬けの、魚。
薄く切った、ハム。
それから、チューブが一本。
***
メレオスが、チューブを手に取った。
見えないまま。
チューブだけが、宙に浮いていた。
***
食堂には、ほかに客がいなかった。
よかった。
***
「健司。これは、何じゃ」
「……歯磨き粉?」
「朝飯の机に、歯磨き粉を置くか」
***
『レディー』が、コーヒーを注ぎながら、言った。
「魚の卵のペーストよ。パンに塗るの」
「魚の、卵」
「甘いわよ」
***
メレオスは、チューブを、パンの上で絞った。
ピンク色のものが、にゅるりと出た。
山盛りに、出た。
***
一口、食べた。
***
「……しょっぱ甘い」
***
それから、もう一口、食べた。
気に入ったらしかった。
***
テーブルの端に、四角い塊が、あった。
***
茶色かった。
キャラメル色だった。
艶があって、角が、少しだけ丸かった。
***
その横に、見たことのない道具が置いてあった。
小さなシャベルに、切れ目が入ったような形だった。
***
「……健司」
メレオスの目が、光っていた。
「キャラメルか?」
***
「……たぶん」
***
メレオスは、道具を掴んだ。
塊に、突き刺した。
刺さらなかった。
横から、殴った。
削れなかった。
***
『レディー』が、黙って道具を取り上げた。
塊の上を、すっと滑らせた。
薄い、茶色いリボンが、くるりと一枚、はがれた。
***
「チーズよ」
「……ちーず」
「ブルーノスト。茶色い、チーズ」
***
メレオスは、リボンを、口に入れた。
***
止まった。
***
「……チーズじゃ」
***
キャラメルを期待していた顔だった。
裏切られた顔だった。
***
それから、もう一枚、自分で削った。
さらに、もう一枚。
皿の上が、茶色いリボンで、山盛りになった。
***
「……気に入ってるじゃないか」
「裏切られたから、取り返しとるんじゃ」
***
伊左衛門さんは、稽古以外は、何でも山盛りでした。
共さんの声が、頭の中で聞こえた。
***
俺も、一枚、食べてみた。
***
甘かった。
チーズなのに、甘かった。
甘いのに、チーズだった。
***
「……脳が、混乱する」
「慣れるわよ」
『レディー』は、パンに茶色いチーズを載せて、平然と食べていた。
***
「あら」
***
食堂の奥から、声がした。
***
ホテルの女主人だった。
***
六十歳くらいの、ふっくらした女の人だった。
丸い眼鏡をかけて、赤いカーディガンを着ていた。
銀色の髪を、後ろで一つにまとめていた。
***
ゆうべ、鍵を渡してくれた人だった。
名前は、ソルヴェイ、と言っていた。
***
ソルヴェイさんは、コーヒーのポットを持って、テーブルに来た。
英語で、何か言った。
にこにこしていた。
***
「……健司」
『ジョン』が、横から言った。
「よく眠れたか、と聞いてる」
***
俺は、背筋を伸ばした。
***
英語は、中学で習った。
高校でも、習った。
大学でも、たぶん、習った。
***
「……アイ、アム」
***
止まった。
続きが、出てこなかった。
***
「アイ、アム、ア……」
「おい」
「……ガクジュツ」
***
ソルヴェイさんが、にこにこしたまま、首を傾げた。
普通の、首の傾げ方だった。
たぶん。
***
『ジョン』が、額を押さえていた。
***
そのとき、『レディー』が、口を開いた。
***
知らない言葉だった。
英語じゃなかった。
なめらかで、少しだけ、歌うような音だった。
***
ソルヴェイさんの目が、丸くなった。
それから、嬉しそうに、同じ言葉で、返した。
***
二人は、しばらく、その言葉で話していた。
『レディー』が、少しだけ笑った。
ソルヴェイさんが、もっと笑った。
***
「……『レディー』」
『ジョン』が、コーヒーカップを置いた。
「今の、ノルウェー語か」
「そうよ」
「どこで、覚えた」
***
『レディー』は、茶色いチーズを、もう一枚、パンに載せた。
***
「仕事で」
***
それ以上は、言わなかった。
『ジョン』も、それ以上は、聞かなかった。
プロペラ機の中で、同じ言葉を聞いていた。
***
ソルヴェイさんが、何か言いながら、俺たちのカップに、コーヒーを注ぎ足した。
『レディー』が、日本語に直してくれた。
***
「日本から、この時期に、オーロラの観測なんて、珍しいって」
「……ですよね」
「オーロラは、よく見えるでしょうって。でも、夜は、外を歩かないほうがいい、って」
***
「寒いから、ですか」
***
『レディー』が、ソルヴェイさんに聞いた。
ソルヴェイさんは、少しだけ、顔を曇らせた。
それから、窓の外の、暗い山のほうを見た。
***
「冬至の夜に、町の人が、二人、山で遭難したんだって」
『レディー』が、言った。
声の温度が、少しだけ、下がっていた。
「若い、二人。まだ、見つかってない」
***
冬至の夜。
***
隠り山で、二十六人が、窪みに向かって歩いていった夜だった。
自分で決めて。
差し出されるために。
***
こっちでは、二人。
***
止められる人間が、いなかった。
***
ソルヴェイさんは、もう一度、にこにこして、何か言った。
***
「……それで」
『レディー』が、訳した。
「あなたたちも、オーロラの、穴のことで来たの? って」
***
コーヒーを、飲みかけていた。
***
「……穴、ですか」
「町で、噂になってるらしいわ」
『レディー』は、ソルヴェイさんの顔を見ずに、言った。
「山の上だけ、オーロラが、出ないって」
***
ソルヴェイさんは、にこにこしていた。
コーヒーのポットを持って、カップが空くのを、待っていた。
***
「……オーロラ、きれいでした」
俺は、日本語で言った。
「写真、撮りました」
***
『レディー』が、それを訳した。
ソルヴェイさんは、嬉しそうに、手を叩いた。
それから、食堂の奥に戻っていった。
***
帰りぎわに、テーブルに、毛糸の帽子を三つ、置いていった。
手編みの、赤い帽子だった。
***
「……いい人ですね」
俺が言った。
***
『レディー』は、何も言わなかった。
コーヒーカップの縁を、指でなぞっていた。
***
観測所は、町の外れの、丘の上にあった。
***
『ジョン』が、借りた車を運転した。
道は、全部、雪だった。
『ジョン』は、平気な顔で、雪の上を走らせた。
慣れているらしかった。
どこで慣れたのかは、聞かなかった。
***
昼の、十一時だった。
空が、群青色だった。
今日一番、明るい時間だった。
***
観測所は、四角い、白い建物だった。
屋根の上に、丸いドームが、一つ載っていた。
空全体を写すカメラが、あの中に入っているらしかった。
***
玄関で、男が一人、腕を組んで待っていた。
***
五十代くらいだった。
灰色の髭が、顎を覆っていた。
眉が、太かった。
その眉の間に、皺が、三本、刻まれていた。
***
所長の、ベルグさんだった。
***
ベルグさんは、英語で、短く言った。
『ジョン』が、短く答えた。
ベルグさんが、もっと短く言った。
***
「……なんて?」
***
「カメラの、故障だ」
『ジョン』が、訳した。
「揺れは、ただの地震だ。学術視察は、昼の二時間だけ。それが済んだら、帰ってくれ」
***
「……歓迎、されてないですね」
「全然、されてないな」
***
ベルグさんは、それだけ言って、廊下の奥に歩いていった。
一度だけ、振り返った。
俺たちを、じろりと見た。
それから、自分の部屋に入って、ドアを、ばたんと閉めた。
***
怪しかった。
どこからどう見ても、怪しかった。
***
「……怪しいですね」
「怪しすぎる」
『ジョン』が、言った。
「怪しすぎるのは、だいたい、外れだ」
***
CIAの人間の、経験則らしかった。
***
「あのっ」
***
後ろから、声がした。
日本語だった。
***
振り返った。
***
女の人が、立っていた。
背が高かった。
俺より、高かった。
金色の髪を、一本の太い三つ編みにして、肩から前に垂らしていた。
眼鏡をかけて、毛糸の帽子をかぶって、分厚いセーターの上に、白衣を着ていた。
***
両手に、ノートパソコンを抱えていた。
***
「ようこそ!」
***
大きな声だった。
***
「日本の……」
***
少しだけ、考えた。
***
「……学術の、方々!」
***
日本語だった。
間違いなく、日本語だった。
少しだけ、発音が、アニメの声優さんみたいだった。
***
「……日本語、話せるんですか」
「はい! 少しだけ!」
女の人は、嬉しそうに、頷いた。
「アニメで、覚えました!」
***
アニメで。
***
「イングリッド、です! 観測所の、研究員です! 地震計と、空のカメラの、担当です!」
***
一息で、言い切った。
***
「……小沢です。小沢、健司」
「ケンジ、さん!」
***
イングリッドさんは、俺の顔を、じっと見た。
眼鏡の奥の目が、きらきらしていた。
***
「ケンジさん」
「はい」
「異世界転生、好きですか」
***
「……好きです」
***
即答だった。
嘘をつく理由が、なかった。
***
イングリッドさんの顔が、ぱっと明るくなった。
ノートパソコンを片手に持ち替えて、右手を、差し出してきた。
***
握った。
強く、握り返された。
***
「どれが、好きですか」
「……トラックに轢かれるやつ、全般」
「分かります!」
「最近だと、転生先がスライムの」
「分かります!!」
「悪役令嬢は」
「読みます! ざまぁ、最高です!」
***
分かり合っていた。
北極圏の、観測所の玄関で。
初めて会った人と。
***
「……おい」
『ジョン』が、後ろで言った。
「俺が、通訳する意味は」
***
「ないわね」
『レディー』が、言った。
額を、押さえていた。
さっきの、『ジョン』と、同じ押さえ方だった。
***
イングリッドさんの部屋は、観測所の二階の、奥だった。
***
狭かった。
机の上に、画面が四つ並んでいた。
壁には、地図と、グラフと、それから、アニメのポスターが、一枚、貼ってあった。
剣を持った少年のポスターだった。
***
俺の足元で、メレオスが、ポスターを見上げていた。
***
「……『ギーク』の部屋と、同じ匂いがするのぉ」
***
同じだった。
国が違っても、同じだった。
***
「所長は、故障だと、言います」
***
イングリッドさんが、画面を指さした。
あのオーロラの、黒い穴の写真だった。
『ギーク』が見せてくれたのと、同じ写真だった。
***
「でも、私は、故障じゃないと、思います。カメラは、三回、調べました。どこも、壊れてないです」
***
「……だから、データを、大学のサーバーに、上げました」
イングリッドさんは、少しだけ、声を落とした。
「誰かに、見てほしかったので。所長には、ないしょです」
***
『ギーク』の言っていた、半分だった。
公開されてます。……半分は。
その半分を公開したのが、この人だった。
***
「……見てました」
俺は、言った。
「日本で。うちの、同僚が」
***
イングリッドさんの目が、丸くなった。
それから、両手で、口を押さえた。
***
「……届いたんですか」
「届きました」
「……マジですか」
***
アニメで覚えた、「マジですか」だった。
でも、声は、少しだけ、震えていた。
***
イングリッドさんは、画面を、切り替えた。
地図だった。
***
赤い点が、並んでいた。
『ギーク』が見せてくれたときは、四つだった。
今は、九つだった。
***
山のほうから、町のほうへ。
一列に。
***
「毎晩、です」
イングリッドさんは、言った。
「毎晩、同じ時刻。夜中の、零時十二分」
***
「零時、十二分」
「一分も、ずれません。毎晩、零時十二分に、揺れて。そのたびに、四百メートル、町に、近づきます」
***
イングリッドさんは、一番新しい赤い点と、町の端とのあいだに、定規を当てた。
***
「あと、二・四キロ、です」
***
俺は、指を折った。
***
二・四キロ。
一晩、四百メートル。
六晩。
***
今夜が、七日。
七、八、九、十、十一、十二。
***
「……十三日の、零時十二分」
***
イングリッドさんが、頷いた。
***
「日が、昇るのは」
「二十一日、です。この町は」
***
一週間、早かった。
***
震源が町に着くのと、日が昇るのと、どっちが先か。
『ジョン』が、0課の会議室で、そう言っていた。
***
答えが、出てしまった。
***
「……ほかに、変わったことは」
『ジョン』が、英語で聞いた。
イングリッドさんは、日本語で、答えた。
たぶん、俺に聞かせたかったんだと思う。
***
「犬が、吠えます」
「犬」
「夜になると、町の犬が、みんな。山のほうを向いて。零時十二分の、少し前から」
***
「それから、トナカイが、いなくなりました」
「いなくなった」
「山の、トナカイの群れが。冬至のあと、みんな、反対側の谷に、移りました。持ち主のおじいさんが、こんなこと、初めてだって」
***
犬が吠えて。
トナカイが逃げて。
人間だけが、地震だと、言っていた。
***
「私は、オカルトは、信じません」
イングリッドさんは、眼鏡を押し上げた。
「でも、データは、信じます」
***
それから、少しだけ、俺を見た。
***
「……日本の、学術の方々は。何を、信じて、来たんですか」
***
答えられなかった。
神様です、とは言えなかった。
俺の足元で、その神様が、イングリッドさんの机の上の、サンドイッチを見ていた。
***
茶色いチーズの、サンドイッチだった。
***
止める前に、サンドイッチが、一口分、消えた。
***
イングリッドさんが、サンドイッチを見た。
それから、俺を見た。
***
「……私の、ブルーノスト」
***
「俺じゃないです」
「ケンジさんが、一番、近くに、います」
「俺じゃないです」
「口に、茶色いのが」
***
ついていなかった。
ついていたのは、机の下の、神様の口だった。
***
「……すみません」
謝った。
なぜか、謝っていた。
***
イングリッドさんは、少し考えて、それから、にっこり笑った。
***
「日本の方も、ブルーノスト、好きになるんですね!」
***
違う方向に、嬉しそうだった。
***
その夜。
***
十一時半に、ホテルを出た。
***
裏口から、そっと。
ソルヴェイさんに、夜は外を歩くなと、言われていたからだ。
フロントの明かりは、消えていた。
ソルヴェイさんの部屋の窓にだけ、明かりが、ついていた。
***
外は、マイナス十八度だった。
ソルヴェイさんの赤い帽子を、三人とも、かぶっていた。
かぶらないと、耳が、取れそうだった。
***
観測所の前で、イングリッドさんが、待っていた。
ヘッドライトをつけて、スノーモービルに、またがっていた。
***
「来ちゃいました」
「……来ちゃったんですか」
「データを、この目で、見たいので」
***
止めても、無駄な顔だった。
由紀が、あたしも手伝うと言ったときの顔と、同じだった。
***
イングリッドさんは、俺たちの頭を見て、笑った。
***
「その帽子、ソルヴェイさんの、ですね」
「……分かるんですか」
「私のも、です」
イングリッドさんは、自分の頭の、赤い帽子を指さした。
「ソルヴェイさんは、町の人に、みんな、編んでくれるんです。やさしい人です」
***
スノーモービルと、車で、雪原を走った。
町の明かりが、背中のほうに、遠くなった。
***
一番新しい赤い点の、少し手前で、止まった。
***
降りた。
雪を踏んだ。
きゅっ、と、音がした。
***
空を見上げた。
***
緑色の帯が、流れていた。
流れてきて、ちょうど、俺たちの真上で、ぐるりとよけていた。
***
真上に、黒い穴が、空いていた。
***
穴の下に、立っていた。
***
町のほうから、音が、聞こえてきた。
***
犬だった。
***
一匹が、吠えた。
二匹目が、続いた。
三匹、四匹。
町中の犬が、吠えていた。
こっちに向かって。
***
時計を見た。
零時、五分だった。
***
「……ケンジさん」
イングリッドさんが、ヘッドライトで、雪の上を照らした。
「これ」
***
雪の上に、窪みがあった。
***
足跡じゃなかった。
靴の形でも、獣の形でも、なかった。
何かが、そこに、ぽすんと、重さを置いたような。
形のはっきりしない、浅い、窪みだった。
***
それが、並んでいた。
山のほうから、点々と。
町のほうへ。
***
最後の窪みで、止まっていた。
***
最後の窪みの先は、きれいな雪だった。
誰も、踏んでいなかった。
***
「……健司」
***
メレオスが、俺のコートの裾を、掴んでいた。
強く。
冬至の山で、袖を掴んでいたのと、同じ強さだった。
***
「……ここに、おる」
***
最後の窪みの、上だった。
***
何も、見えなかった。
雪と、ヘッドライトの光と、白い息しか、なかった。
『ホラー』がいれば、たぶん、見えた。
『ホラー』は、日本にいた。
***
ここで見えるのは、神様だけだった。
同じ匂いのする、神様だけだった。
***
零時、十二分。
***
足の下で、地面が、揺れた。
***
ほんの、少しだけ。
雪の表面が、さらさらと、崩れる程度に。
***
それから。
***
最後の窪みの先の、きれいな雪に。
***
ぽすん。
***
新しい窪みが、一つ、できた。
***
ぽすん。
ぽすん。
***
一つずつ。
町のほうへ。
ゆっくり。
誰もいない雪の上に。
***
イングリッドさんのヘッドライトが、震えていた。
光の輪が、窪みを追いかけて、雪の上を、揺れながら、進んでいった。
***
「……データじゃ、ない」
***
イングリッドさんが、ノルウェー語で、何か呟いた。
それから、日本語で、言い直した。
***
「……マジ、ですか」
***
今度のは、アニメの「マジですか」じゃなかった。
***
『ジョン』は、腰に手をやりかけて、やめた。
撃つものは、持ってきていなかった。
撃つ相手も、見えなかった。
『レディー』は、イングリッドさんの肩に、手を置いていた。
いつの間にか、隣に立っていた。
***
窪みは、四百メートル先で、止まった。
ヘッドライトの光が、もう、届かないところだった。
***
犬の声が、止んだ。
***
静かになった。
***
「……健司」
メレオスが、言った。
まだ、裾を掴んでいた。
***
「あれは、こっちを、見とる」
***
「俺たちを、か」
***
メレオスは、首を振った。
***
「お主では、ない。お主には、入れん。あれも、分かっとる」
***
メレオスの目が、俺の隣に、動いた。
***
ヘッドライトをつけて、震えている、背の高い人に。
三つ編みの、金色の髪に。
ソルヴェイさんの編んだ、赤い帽子に。
***
「……あの娘を、見とる」




