第六十六章 神様の、初詣
ごーん。
***
坂の上の寺から、鐘の音が降ってきた。
***
大晦日の夜だった。
実家の居間で、こたつに入っていた。
***
父さんは、台所で、年越しそばを茹でていた。
ゆず湯の係になった年から、年越しそばの係にもなったらしい。
本人が、そう決めたらしかった。
***
母さんは、こたつで、みかんを剥いていた。
由紀は、その向かいで、スマホを見ていた。
俺の隣には、メレオスがいた。
両親には、見えていなかった。
***
ごーん。
***
「健司」
メレオスが、俺の袖を引いた。
「あの鐘は、何回、鳴るんじゃ」
***
小声で答えた。
「百八回」
「なぜ、百八じゃ」
「煩悩の数だ。一回ずつ、払っていく」
***
メレオスは、しばらく、黙っていた。
指を、折っていた。
***
「……わしの煩悩は、千円じゃ」
***
一回で、払える気がしなかった。
***
「健司、何か言った?」
母さんが、みかんから顔を上げた。
***
「……いや。鐘、よく聞こえるなって」
「毎年、聞こえるわよ」
***
母さんは、また、みかんに戻った。
戻る前に、一瞬だけ、俺の隣の、誰もいない座布団を見た。
***
気のせいだと思うことにした。
***
「そば、できたぞ」
***
父さんが、お盆に、どんぶりを四つ載せて持ってきた。
四つ、こたつの上に並べた。
***
「あ、ネギ忘れた」
父さんは、台所に戻っていった。
***
メレオスが、父さんのどんぶりを見た。
***
「……おい」
「神は、年を越さねばならん」
「越さなくていい」
「伊左衛門の家の、年越しじゃぞ」
***
止める前に、メレオスは、どこからか出した自分の箸で、父さんのそばをすすっていた。
速かった。
加藤さんのオレンジジュースより、速かった。
***
父さんが、ネギの小皿を持って戻ってきた。
自分のどんぶりを、見た。
***
汁しか、なかった。
***
「……俺、もう、食べたか?」
***
「食べてたわよ」
母さんが、みかんを剥きながら言った。
***
見ていないはずだった。
母さんは、ずっと、みかんを剥いていた。
***
「そうか」
父さんは、首を傾げながら、ネギを汁に入れた。
「……年だな」
***
由紀が、スマホで顔を隠して、肩を震わせていた。
メレオスは、満足そうに、腹をさすっていた。
母さんは、みかんの白い筋を、一本ずつ、丁寧に取っていた。
***
「あんたたち」
母さんが、筋を取りながら言った。
「最近、よく、目配せするわね」
***
俺と由紀は、目配せした。
***
「それ」
母さんは、みかんを一房、口に入れた。
***
零時が近づいた。
***
テレビの中で、誰かがカウントダウンを始めた。
十。九。八。
***
俺のスマホが、震えた。
***
まだ、零時になっていなかった。
***
零時、ちょうどだった。
画面の時計が、〇時〇〇分に変わった、その瞬間だった。
***
『0課(九名)+1』に、一件目が入っていた。
***
『明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年も何卒宜しくお願い申し上げます。 久我共』
***
一番乗りだった。
句読点まで、きっちりついていた。
署名まで、あった。
***
考えずに打ったんだろうな、と思った。
考えずに打って、零時ちょうどだった。
あの人の体は、時計まで、几帳面だった。
***
それから、一気に来た。
***
加藤さん。
『あけましておめでとうございます。羊羹は、四日から、給湯室の右の棚です』
***
『レスラー』。
力こぶのスタンプ。
それから、もう一つ、力こぶのスタンプ。
年が変わっても、力こぶだった。
***
『ギーク』。
『あけおめです。初日の出は、ライブカメラで見ます』
***
外には、出ないらしかった。
***
『ジョン』。
『Happy New Year. 日本は、早いな』
***
『レディー』。
『おめでと』
『ふーん』じゃなかった。
正月だった。
***
『ホラー』。
『今年も、よろしくお願いします。後ろの子にも』
***
課長。
『うん、うん』
***
三分遅れだった。
たぶん、寝ていた。
***
俺の隣で、メレオスが、金色のスマホを両手で持っていた。
人差し指一本で、ゆっくり、打っていた。
***
『あけ』
***
一分後。
***
『おめ』
***
「……分けるな」
「一度に打つと、指がつるんじゃ」
***
神様の指が、つるのかどうかは、知らなかった。
***
ごーん。
***
坂の上の寺の鐘が、まだ鳴っていた。
百八回まで、あと、どのくらいなのかは、分からなかった。
***
メレオスの千円は、まだ、払われていない気がした。
***
元日の朝。
***
神社は、駅の反対側の、少し大きなところだった。
子供のころ、毎年、じいちゃんに連れてこられた神社だった。
***
鳥居の前に、人が、もう並んでいた。
***
その列の、一番前のあたりに、見覚えのある背中があった。
***
黒いコートの、猫背の背中だった。
髪が、目の半分を隠していた。
***
「……『ホラー』さん?」
***
『ホラー』が、振り返った。
***
「あ、小沢さん」
「なんで、ここに」
「毎年、ここなので」
***
慰安旅行のときも、行くとは言わなかったのに、集合場所に一番乗りしていた人だった。
***
「……偶然です」
***
『ホラー』は、そう言ってから、境内のほうを、髪の隙間から見た。
***
「今日は、多いですね」
***
「人が、ですか」
***
『ホラー』は、答えなかった。
何が多いのかは、言わなかった。
言わないほうがいい類の多さらしかった。
***
「お兄ちゃーん」
***
後ろから、由紀の声がした。
***
振り返った。
***
知らない人が、立っていた。
***
赤い振袖だった。
髪を上げて、白いふわふわしたものを、首に巻いていた。
***
一秒、誰だか分からなかった。
***
「……由紀か」
「何、その間」
「いや」
「お母さんが、着せてくれたの。成人式の、もう一回着ないと、もったいないって」
***
二十年以上、毎日見てきた顔だった。
それが、一秒、分からなかった。
兄として、少しだけ、負けた気がした。
***
由紀の頭の上に、メレオスが乗っていた。
髪飾りの、隣に。
***
「馬子にも、衣装じゃのぉ」
「かみさま、それ、悪口だからね」
「褒めとる」
「悪口だからね」
***
由紀の後ろから、もう一人、歩いてきた。
***
紺色のコートだった。
仕立てのいい、細身のやつだった。
共さんに、ぴったりだった。
***
「明けまして、おめでとうございます」
共さんは、四十五度で、頭を下げた。
***
零時ちょうどに、同じ言葉を、句読点つきで送ってきた人だった。
***
「共さん、そのコート」
「『レディー』さんが、昨日、選んでくださいました」
共さんは、袖を、少しだけ持ち上げた。
「一秒で」
***
「……お代は」
「お兄さんに、つけておくと」
***
知っていた。
聞かなくても、知っていた。
***
減らない貸しは、年を越していた。
***
列に並んだ。
***
手水舎の前で、共さんが、柄杓を取った。
***
右手で水を汲んで、左手を清めた。
持ち替えて、右手を。
もう一度持ち替えて、左の手のひらに水を受けて、口をすすいだ。
最後に、柄杓を立てて、柄に水を流した。
***
流れるみたいだった。
昭和の人の、手水だった。
***
その横で、メレオスが、柄杓に直接、口をつけていた。
***
ごくごく、飲んでいた。
***
「神様」
共さんが、そっと言った。
「それは、口を、直接つけては」
***
「わしは、神じゃぞ」
***
共さんは、少しだけ考えた。
それから、丁寧に言った。
***
「……神様でも、です」
***
三回目だった。
由紀の店と、居酒屋と、手水舎。
この国は、どこへ行っても、神様に厳しかった。
***
メレオスは、柄杓を置いた。
それから、共さんの手順を、最初から、全部、真似した。
左手。右手。口。柄。
***
柄に水を流すところで、自分の頭に水をかけた。
***
「……冷たい」
「そこは、柄です」
***
拝殿の前まで、三十分かかった。
***
賽銭箱の前で、メレオスが、止まった。
由紀の頭から降りて、自分のがま口を、両手で握っていた。
***
加藤さんに、もらったがま口だった。
中身は、内職で稼いだ、お駄賃だった。
***
「……健司」
「なんだ」
「由紀の板に、新春ガチャ、というのが来とる」
***
「来てるね」
由紀が、スマホを見せた。
『新春限定 元日から三日間』
きらきら、光っていた。
***
メレオスは、がま口を見た。
賽銭箱を見た。
由紀のスマホを見た。
がま口を見た。
***
後ろの列が、少しずつ、詰まってきた。
***
「……健司」
「なんだ」
「わしは、去年、運を、ちいとばかし、借りた」
***
星四の夜だった。
稼いだ二百三十五円で、一回だけ引いて、当てた夜。
神の運は、世界のために取ってある、と言っていたくせに。
***
「利子をつけて、返すと、言うた」
***
メレオスは、がま口を、逆さにした。
***
じゃらじゃらと、小銭が、賽銭箱に落ちていった。
十円玉。五円玉。百円玉。
全部だった。
***
「……全部か」
「利子じゃ」
***
メレオスは、空になったがま口を、口を開けたまま、しばらく見ていた。
***
「どこに返せば、ええのか、分からんかったからのぉ」
小さく言った。
「ここなら、どこかには、届くじゃろう」
***
由紀が、スマホを、そっと袖にしまった。
***
それから、メレオスは、賽銭箱の横に、立った。
***
こっちを、向いて。
腕を組んで。
***
「……何してる」
「わしは、拝まれる側じゃ」
***
後ろの人たちが、次々に、手を合わせた。
拝殿に向かって。
つまり、拝殿の前に立っている、金髪の子供に向かって。
***
もちろん、誰にも、見えていなかった。
***
メレオスは、目を閉じて、頷いていた。
一人一人に、頷いていた。
***
「……拝まれとる」
「お前にじゃない」
「わしの前で、手を合わせとる」
「後ろの神社にだ」
***
由紀が、振袖の袖で、メレオスを、ひょいとすくい上げた。
こっちの列に、戻した。
***
「かみさまも、お参り、するの」
「……神が、神に、か」
「郷に入っては、郷に従え」
***
メレオスは、少しだけ、不満そうな顔をした。
それから、拝殿の前に、立った。
***
二回、頭を下げた。
深かった。
ゆっくりだった。
***
手を、二回、打った。
***
ぱん。
ぱん。
***
乾いた、いい音だった。
周りの人が、何人か、振り返った。
音だけが、聞こえたらしかった。
***
最後に、もう一回、頭を下げた。
***
誰よりも、きれいな、二礼二拍手一礼だった。
***
「……かみさま」
由紀が、小さい声で言った。
「今の、おじいちゃんと、同じ音だった」
***
「毎年、背中から、見とったからのぉ」
メレオスは、前を向いたまま言った。
「この神社で。この場所で。……伊左衛門の、後ろで」
***
じいちゃんの、拍手の音。
言われてみれば、俺も、覚えていた。
子供のころ、隣で聞いて、びっくりした音だった。
***
「何を、お願いしたの」
「神の願いは、言わん」
***
俺も、手を合わせた。
***
今年は、加減が、できますように。
露天風呂の弁償が、早く終わりますように。
減らない貸しが、せめて、増えませんように。
***
それから、もう一つ。
これは、誰にも言わなかった。
***
隣で、共さんが、手を合わせていた。
***
長かった。
俺が顔を上げても。
由紀が顔を上げても。
メレオスが、後ろの人に三回ぶつかっても。
***
共さんは、まだ、手を合わせていた。
***
後ろのおばあさんが、「長いわねえ」と言いかけて、共さんの横顔を見て、やめた。
***
顔を上げてから、共さんは、少しだけ、恥ずかしそうに言った。
***
「……報告を、していました」
「報告」
「五十年分、ですので」
***
それなら、仕方がなかった。
むしろ、短いくらいだった。
***
おみくじの箱の前で、由紀が、振袖の袖をまくった。
***
「引こ引こ」
***
『ホラー』は、箱の前で、首を振った。
***
「俺は、いいです」
「引かないんですか」
「……中身が、分かるので」
***
どういう意味なのかは、聞かなかった。
去年から、『ホラー』に聞かないほうがいいことが、少しずつ増えていた。
***
俺は、末吉だった。
***
『待ち人 遅れて来る』
『争い事 勝つが、加減せよ』
***
おみくじにまで、加減しろと言われた。
***
由紀は、中吉だった。
『縁談 焦るな』
***
「焦らなくていい」
「え」
「一生、焦らなくていい」
「お兄ちゃん、うるさい」
***
共さんが、横で、小さく吹き出した。
***
「伊左衛門さんも、きっと、同じことを言いました」
「……じいちゃんが」
「由紀さんの、おみくじを見たら。三回くらい」
***
言いそうだった。
仏頂面で、三回。
***
共さんは、それ以上言わずに、自分のおみくじを開いた。
***
しばらく、黙って、読んでいた。
***
「……共さん?」
***
共さんは、おみくじの一行を、指でなぞっていた。
***
『失せ物 出づ』
***
それから、上着の内ポケットから、紺色の手帳を出した。
一ページ目を、開いた。
***
『久我 共』
***
几帳面な字を、指で、撫でた。
***
「……出ました」
***
共さんは、おみくじを、手帳の一ページ目に、きっちり挟んだ。
結ばずに。
***
「昭和四十五年の元日も」
共さんは、手帳を閉じながら、言った。
「伊左衛門さんと、ここに来ました」
***
由紀が、顔を上げた。
***
「伊左衛門さんは、大吉が出るまで、三回、引き直していました」
「三回」
「稽古以外は、何でも、山盛りでしたので」
***
「……共さんは」
「私は、一回で、凶でした」
***
少し、間があった。
***
その年の冬至に、何があったのかは、ここにいる全員が知っていた。
***
「当たりましたね」
共さんは、真顔で言った。
***
笑っていいのか、分からなかった。
***
共さんが、先に、笑った。
それで、由紀が、笑った。
俺も、笑った。
『ホラー』まで、口元を、少しだけ緩めていた。
***
「今年は、出ましたので」
共さんは、手帳を、ぽんと叩いた。
「五十七年ぶりの、当たりです」
***
最後に、メレオスが、箱に手を入れた。
***
長いこと、ごそごそやっていた。
がま口は、空だった。
おみくじ代は、由紀が出した。
***
一枚、引いた。
開いた。
***
『大吉』
***
メレオスが、固まった。
***
それから、震えた。
***
「……健司」
「おう」
「大吉じゃ」
「見れば分かる」
「利子が、効いた」
***
メレオスは、おみくじを、頭の上に掲げた。
周りの人には、白い紙が一枚、宙に浮いて見えたはずだった。
何人かが、二度見していた。
***
「由紀!」
「はい」
「板を、貸せ!」
***
「……新春ガチャ?」
「大吉じゃぞ! 今、引かんで、いつ引く!」
***
「かみさま、お金、ないでしょ」
「……」
***
全部、賽銭箱の中だった。
***
メレオスは、空のがま口を開けて、覗いた。
振った。
何も、出てこなかった。
***
「……大吉なのに」
***
由紀が、自分のスマホを、ひょいと差し出した。
***
「元日は、無料で一回、引けるよ」
***
メレオスの目が、光った。
***
由紀のスマホを両手で受け取り、画面の前で、正座した。
参道の、石畳の上だった。
二礼した。
二拍手した。
一礼した。
***
ぱん、ぱん。
さっきと同じ、いい音だった。
周りの人が、また、振り返った。
***
指一本で、画面を押した。
***
画面が、光った。
金色の光が、渦を巻いた。
虹色になった。
***
……ならなかった。
***
白い光が、ぽん、と一回光って、消えた。
***
『☆1』
***
一番、下だった。
***
メレオスは、画面を見たまま、動かなかった。
***
「……健司」
「おう」
「大吉は、板には、効かんのか」
***
「効かないみたいだな」
***
「利子を、払いすぎたかもしれんのぉ……」
***
由紀が、また、振袖の袖で顔を隠して、肩を震わせていた。
共さんが、手帳を出して、何か書いていた。
覗き込んだ。
***
『大吉 ガチャには効かない(神様談)』
***
帰りに、甘酒を飲んだ。
***
境内の隅の、テントの下だった。
紙コップを、四つ。
メレオスの分は、由紀が、自分のコップから、ちょっとずつ分けていた。
***
『ホラー』は、いつの間にか、いなくなっていた。
挨拶もなかった。
たぶん、今日の「多い」ほうに、用があった。
***
甘酒は、甘かった。
しょうがが、効いていた。
***
共さんは、紙コップを両手で持って、境内を見ていた。
晴れ着の子供と、その手を引く親と、破魔矢を担いだ老人と、スマホで写真を撮る若い人たちを。
***
「……変わりましたね」
共さんが、言った。
「全部」
***
それから、少し考えて、付け足した。
***
「甘酒の味だけは、同じです」
***
その夜。
実家の居間で、お節の残りをつついていた。
***
母さんが、由紀の振袖を、衣紋掛けに吊るしていた。
父さんは、こたつで、酒を飲みながら、テレビを見ていた。
メレオスは、父さんの隣で、父さんの黒豆を、一粒ずつ食べていた。
父さんは、気づいていなかった。
***
「そういえば、由紀」
母さんが、振袖の袖を整えながら言った。
「今日、誰と行ったの。初詣」
***
「お兄ちゃんと」
由紀は、一拍置いた。
「……お兄ちゃんの、職場の人と」
***
「職場の人と、初詣?」
***
母さんが、こっちを見た。
***
「……じいちゃんの、道場の人」
俺は、言った。
嘘ではなかった。
道場の、一番古い人の一人だった。
***
「ああ」
父さんが、テレビを見たまま、言った。
「お祖父ちゃんの、知り合いだからな」
***
それで、話は、終わった。
父さんの中では、じいちゃんの知り合いは、全部、それで終わる。
赤城のときも、そうだった。
***
母さんだけが、まだ、こっちを見ていた。
それから、黒豆の皿を見た。
さっきより、明らかに、減っていた。
***
「……お父さん、黒豆、食べすぎ」
「俺は、まだ、一粒も」
「減ってるわよ」
***
父さんは、黒豆の皿を見た。
首を傾げた。
***
「……年だな」
***
二回目だった。
***
ぴろん。
***
俺のスマホが、鳴った。
グループだった。
***
『ジョン』からだった。
***
『元日に、悪い』
***
ぴろん。
***
『観測所の揺れが、また来た』
***
ぴろん。
***
『三晩、続けてだ。毎晩、同じ時刻に』
***
こたつの中で、スマホを握り直した。
隣で、メレオスが、黒豆を食べる手を止めていた。
***
ぴろん。
***
『ギーク』だった。
***
『忘年会で言った、見ちゃったやつの、続きです』
***
それだけだった。
続きの続きは、書いていなかった。
***
一分、何も来なかった。
***
ぴろん。
***
課長だった。
***
『うん、うん』
***
ぴろん。
***
『仕事始め、一日、早めようか』
***
ぴろん。
***
加藤さんだった。
***
『羊羹は、三日から、給湯室の右の棚に出します』
***
ぴろん。
***
最後に、一件。
***
『承知しました。 久我共』
***
零時ちょうどの、あの人だった。
0課じゃないのに、一番早く、承知していた。
***
「……健司」
メレオスが、小さく言った。
「北か」
「北だ」
***
居間の窓の向こうは、もう、真っ暗だった。
冬至から、十日が経っていた。
この国の夜は、毎日、少しずつ、短くなっていた。
***
北の、ずっと北のほうでは、今日も、日が昇らなかったらしい。




