第五十八章 家族を
「……お兄ちゃん?」
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由紀が、湯呑みを置いた。
柚子の輪切りが、湯の中で、ゆっくり回っていた。
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「一個、話してないことがある」
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言ってから、自分でも驚いた。
もう少し、考えるつもりだった。
でも、口のほうが先に動いた。
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あたしは、全部言ったよ。
その声が、まだ耳の奥に残っていた。
この前、全部話したつもりだった。
全部じゃなかった。
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メレオスが、ソファの上で、膝を抱え直した。
止めなかった。
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「湾岸の倉庫の夜のこと、覚えてるか。共さんを、檻に閉じ込めた夜」
「うん。腕がぷるぷるして、芋が縦に回った夜の、前の日」
「……そう」
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「あの夜、一瞬だけ、共さん本人が、表に出てきた」
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由紀の目が、少しだけ大きくなった。
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「俺を、じいちゃんと間違えてた。伊左衛門さん、って呼んだ」
「……うん」
「構わず、撃ってください、って言った」
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由紀は、黙っていた。
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「それから、もう一つ」
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一度、息を吸った。
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「伊左衛門さんの、家族を……」
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「そこで、切れた。続きは、聞こえなかった」
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部屋が、静かになった。
冷蔵庫の音だけが、していた。
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「それで、そのあと、共さんの中のやつが、戻ってきた。最後に、こう言った」
俺は、湯呑みの中の柚子を見ていた。
「今度は、邪魔が入らないように、するから」
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「……邪魔」
「じいちゃんは、あいつを山から追い出した。五十五年、戸を閉め続けた。あいつから見たら、それが邪魔だ」
「うん」
「じいちゃんは、もういない」
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その先を、言えなかった。
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由紀が、自分で言った。
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「今、戸を閉められるのは、お兄ちゃんと、あたし」
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「……うん」
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由紀は、自分の手のひらを見ていた。
さっき、手帳のページを閉じた手だった。
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「だから、答えられなかったんだ」
由紀が、言った。
「ちゃんと手伝えるね、って言ったとき」
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「ごめん」
「なんで謝るの」
「巻き込んだ」
「巻き込まれてないよ。最初から、家族だもん」
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由紀は、湯呑みを両手で持ち直した。
しばらく、柚子を見ていた。
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「ねえ。その続き」
「うん」
「守ってください、かな。遠ざけてください、かな」
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「分からない」
「あたしも、分かんない」
由紀は、少しだけ笑った。
「でも、どっちでも、同じだよね」
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「同じ?」
「どっちにしても、あの人、あたしたちのこと、心配してたんでしょ。撃ってくださいって言った、その次に」
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自分が撃たれるかもしれない、その瞬間に。
会ったこともない、伊左衛門の家族のことを。
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「だったら、あたし、あの人のこと、助けたい」
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由紀は、そう言った。
怖がっている声じゃなかった。
あの男、と呼んでいた頃の声でもなかった。
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メレオスが、小さく、息を吐いた。
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「……伊左衛門に、似とる」
「さっきも、聞いた」
「二回言いたくなるほど、似とるんじゃ」
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三日後。
0課の会議室に、由紀が座っていた。
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首から、臨時の入館証を下げていた。
加藤さんが、朝のうちに作ってくれたものだった。
『見学者』と書いてあった。
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「見学者……」
由紀が、自分の胸元を見て言った。
「一番、近い欄が、それだったの」
加藤さんが、お茶を置きながら、にこにこ言った。
「『家族』って欄は、ないのよね。うち」
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会議室の空気は、いつもと違った。
『レスラー』が、椅子に浅く座っていた。
『ジョン』は、ネクタイを締め直していた。
『ホラー』は、髪の隙間から、由紀のほうを見ないようにして、ちらちら見ていた。
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『レディー』だけが、いつも通り、爪を見ていた。
それから、一度だけ顔を上げて、由紀を見た。
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「ふーん」
「……はじめまして」
「似てないわね。お兄さんと」
「よく言われます」
「いい意味よ」
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壁の画面の中で、『ギーク』が手を振った。
「妹さん! お久しぶりです。って、会うのは初めてですけど」
「携帯の件で、お世話になりました」
「こちらこそ。……やっぱり、うちに来ませんか」
「兄が、嫌がるので」
「知ってます」
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ドアが開いた。
***
赤城だった。
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由紀が、立ち上がった。
背筋が、びしっと伸びた。
携帯ショップの、接客のときの背筋だった。
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赤城は、由紀の前で、足を止めた。
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「葬儀の日に、受付の隣にいた」
赤城が、言った。
「伊左衛門さんの、お孫さんだね」
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「……覚えてらっしゃるんですか」
「目が、赤かった」
赤城は、それだけ言って、軽く頭を下げた。
「赤城です。お兄さんには、世話になっている」
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「小沢由紀です。兄が、お世話になっています」
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丁寧なのに、怖い人。
由紀は、葬式の日に、そう言っていた。
今の由紀の顔は、怖がっているようには見えなかった。
緊張はしていた。
それ以上に、何かを確かめるみたいに、赤城を見ていた。
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赤城が、いつもの椅子に座った。
隣の椅子に、メレオスが座った。
由紀にも、赤城にも、0課の全員にも、見える形で。
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加藤さんが、メレオスの前に、羊羹を二切れ置いた。
赤城の前にも、二切れ。
それから、由紀の前にも、二切れ。
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由紀が、羊羹を見た。
赤城の羊羹を見た。
メレオスの羊羹を見た。
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何か言いたそうだった。
何を言いたいのかは、分かった。
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「……今は、やめとけ」
俺は、小声で言った。
「まだ、何も言ってない」
「顔に書いてある」
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会議が、始まった。
***
俺が話した。
由紀の下地のこと。
縁側の、朝晩の呼吸。
手帳のページが、由紀にも応えたこと。
由紀が、ページを閉じたこと。
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それから、メレオスの考えを話した。
じいちゃんの五十五年分の異状なしは、見張りじゃなかった。
庭から、あの山の戸を、閉めていた。
今年は、閉める人がいない。
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最後に、共さんの言葉と、あいつの言葉を並べた。
伊左衛門さんの、家族を。
今度は、邪魔が入らないように。
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会議室が、静かになった。
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最初に口を開いたのは、課長だった。
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「うん、うん」
いつもの相槌だった。
でも、その次の声は、いつもより低かった。
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「由紀さんは、民間の方だね」
「……はい」
「0課は、民間の方を、作戦には組み込まない。加藤さんが、現場に出ないのと、同じルールだよ」
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加藤さんが、黙って、頷いた。
***
「狙われる理由が、はっきりしてるなら、なおさらだ」
課長は、由紀を見た。
優しい目だった。
逃げ道のない目でもあった。
「冬至の夜は、うちで保護する。どこか、安全なところで」
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「嫌です」
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由紀が、言った。
一秒も、迷わなかった。
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「あたしが行かなかったら、戸を閉める人が、いません」
「小沢くんが、いる」
「兄は、山にいます。檻と、引きはがすのと、両方やるんですよね。十分しか、もたないのに」
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課長が、黙った。
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十分のことを、由紀に話したのは、俺だった。
あの電話で。
全部、話すと決めたから。
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「あたしは、山には行きません」
由紀は、続けた。
「それは、分かってます。足手まといになるし、兄が、困るから」
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「実家の、庭にいます。おじいちゃんが、毎年いた場所です」
由紀の声が、少しだけ震えた。
それから、震えなくなった。
「そこで、北を向いて、戸を閉めます。おじいちゃんの、代わりに」
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誰も、何も言わなかった。
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赤城が、湯呑みを置いた。
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「課長」
「はい」
「0課のルールは、正しい。民間人を、作戦に組み込んではならない」
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由紀の肩が、少しだけ下がった。
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「だから、組み込まない」
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赤城は、由紀を見た。
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「祖父様の家の庭で、祖父様の代わりに、冬至の夜に手を合わせる。それは、作戦じゃない。家の行事だ」
赤城の声は、丁寧だった。
いつもの、断らせない丁寧さだった。
「家の行事を止める権限は、国務大臣にも、ない」
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課長が、赤城を見た。
しばらく見てから、小さく、息を吐いた。
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「……うん、うん」
それから、もう一度。
「そういうことに、しましょうか」
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「ただし」
赤城は、指を一本立てた。
「家の行事の、警備はする。それは、0課の仕事だ」
***
『レディー』が、爪から目を上げた。
「私、行くわ」
即答だった。
「庭の外は、私が見る。……貸しが、一つ残ってるのよ。この家には」
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貸しがあるのは、俺にだった。
黙っておいた。
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「俺も行く」
『レスラー』が言った。
「山は、人数がいる。……だが、あっちに一人だけじゃ、足りん」
***
「山は、『オザケン』と、『ホラー』と、『ジョン』か」
『レスラー』が、指を折った。
「……一人、足りなくなるな」
「足りる」
赤城が言った。
「兄弟子が、いる」
***
「それと」
加藤さんが、手帳を開いた。
「ご両親は、冬至の夜、ご在宅ですか」
***
由紀と、俺は、顔を見合わせた。
***
考えていなかった。
実家には、父さんと、母さんがいる。
二人とも、何も知らない。
魔法のことも。メレオスのことも。共さんのことも。
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「……います。たぶん」
由紀が、言った。
「今年から、お父さんが係なんです」
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「うん、うん」
課長が言った。
「温泉にでも、行ってもらえたら、いいんだけどね」
***
「商店街の福引で、当たったことにしましょうか」
加藤さんが、さらっと言った。
「一泊二日。冬至の日の」
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「経費は」
課長が聞いた。
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「経費では、落ちませんので」
***
即答だった。
課長が、少しだけ肩を落とした。
***
「俺が持つ」
赤城が、言った。
表情は、変わらなかった。
***
由紀が、赤城を見た。
それから、小さく、吹き出した。
***
「……お父さん、福引で当たったって言ったら、信じますよ。そういう人なので」
「そうか」
「お母さんは、たぶん、疑います。でも、温泉なら、疑ったまま行きます」
「そうか」
***
赤城の口元が、ほんの少しだけ、緩んだ。
手帳の鼻血の行を見たときと、同じ顔だった。
***
会議が終わった。
***
帰り際、由紀が、赤城の前で立ち止まった。
羊羹の皿を、両手で持っていた。
二切れのうち、一切れが残っていた。
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「……あの」
「何かな」
「羊羹、おいしかったですか」
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俺は、額を押さえた。
***
赤城は、少しだけ、由紀を見た。
それから、空になった自分の皿を見た。
***
「うまかった」
「あたしも、です」
「そうか」
***
「……二回目は、冬至が終わったら、聞きます」
***
赤城は、答えなかった。
代わりに、軽く、頭を下げた。
葬式の日と、同じ下げ方だった。
それから、会議室を出ていった。
***
由紀は、赤城の背中を見送ってから、振り返った。
満足そうだった。
***
「これで、かみさまと、同点」
「何の勝負だ」
「大臣と羊羹の話、した回数」
「かみさまは、二回じゃろ」
メレオスが言った。
「冬至が終わったら、あたしも二回目」
***
エレベーターの前で、『ホラー』に呼び止められた。
***
由紀は、加藤さんに入館証を返しに行っていた。
廊下には、俺と、『ホラー』だけだった。
***
「小沢さん」
「はい」
「妹さんのことなんですけど」
***
『ホラー』は、廊下の向こうの、由紀の背中を見ていた。
髪の隙間から。
いつもより、長く。
***
「少しだけ、光って見えます」
***
「……光って」
「小沢さんと、同じ色です。前は、見えませんでした」
『ホラー』は、自分の目元に、指で触れた。
「たぶん、この間、気を使ったからだと思います。ページを閉じたときに」
***
戸締まりをした、あの日。
由紀が、初めて、自分の気を外に流した日。
***
「前に、言いましたよね。慰安旅行の、帰りのバスで」
『ホラー』の声は、いつも通り、小さかった。
「見える、ってことは」
***
「向こうからも、見える、ってことですからね」
***
エレベーターの扉が、開いた。
中には、誰もいなかった。
***
廊下の向こうで、由紀が、加藤さんに手を振っていた。
笑っていた。
***
冬至まで、あと、三週間を切っていた。




