第五十六章 忘れんように
眠れなかった。
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布団の中で、何度も寝返りを打った。
目を閉じると、じいちゃんの背中が浮かんだ。
冬の庭で、北を向いて、手を合わせている背中。
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四時過ぎに、起き上がった。
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リビングの棚の端に、手帳があった。
由紀が蔵から見つけてきた、じいちゃんの手帳。
隠り山の地名と、「四十五年」と、共さんの一文字。
読めるところは、全部、読んだはずだった。
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手に取って、ソファに座った。
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めくっていくと、途中で、指が止まった。
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一枚だけ、厚いページがあった。
二枚が、ぴったり重なって、剥がれなくなっていた。
古い紙だから、湿気でくっついたんだと、ずっと思っていた。
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そのページが、揺れた。
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風は、なかった。
窓も、閉まっていた。
それでも、ページの端が、かすかに持ち上がって、また落ちた。
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前にも、揺れていたのかもしれない。
メレオスが解読していた夜に。
気づかなかっただけで。
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「……健司」
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ソファの反対の端で、メレオスが、目を開けていた。
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「寝てたのか」
「神は、寝ん」
「目、閉じてただろ」
「考え事じゃ」
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メレオスは、身を起こした。
俺の手元の手帳を、見た。
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「昨日の夜の、続きか」
「うん」
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少し迷ってから、言った。
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「じいちゃん、冬至の夜に、北に手を合わせてたって。由紀が言ってただろ」
「……言うとったな」
「北は、隠り山の方角だ」
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メレオスは、何も言わなかった。
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「アメリカの三件は、全部、冬至の夜だった。五十年前も、十二月だった」
俺は、手帳を膝の上で押さえた。
「じいちゃんは、毎年、何を拝んでたんだ」
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長い沈黙だった。
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「……毎年、見ておった」
メレオスが、言った。
「背中におったからのぉ。庭に出るのも、北を向くのも。毎年じゃ」
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「何を拝んどるのかは、聞かなんだ」
メレオスは、膝を抱えた。
「聞けば、あやつは、ゆず湯が冷めると言うたじゃろう。由紀に言うたのと、同じようにのぉ」
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「昨日、言いかけたのは、それか」
「うむ」
「なんで、やめた」
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「五十年、隣におって、気づかなんだ。それを、お主に言うのが、ちいとばかし、恥ずかしかった」
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神様が、恥ずかしいと言った。
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俺は、手帳に目を戻した。
厚いページは、まだ、かすかに揺れていた。
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剥がそうとした。
爪を、紙の隙間に入れた。
入らなかった。
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破れそうで、破れない。
糊でくっついているのとは、手応えが違った。
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メレオスが、横から覗き込んだ。
それから、ページに、指先を近づけた。
触れる前に、止まった。
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「……糊ではない」
「じゃあ、何だ」
「気じゃ」
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「伊左衛門の、戸締まりじゃ」
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息が、止まった。
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「わしが読めたのは、戸締まりのないページだけじゃ。ここは、最初から開かなんだ。紙が古いからじゃと、わしも思うとった」
メレオスは、指を引っ込めた。
「気で閉じたもんは、気でしか開かん」
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「揺れてたのは」
「お主が、近くにおったからじゃろう。同じ気に、戸が、返事をしとったんじゃ」
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じいちゃんと、同じ気。
一子相伝の、ただ一人の孫。
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こけしの日のことを、思い出した。
百の、二。
蛇口を、ほんの少しだけ開けるみたいに。
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ページに、指を当てた。
気を、流した。
細く。
一筋だけ。
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紙が、ほどけた。
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音もなく、二枚のページが、左右に分かれた。
何十年も閉じていた紙の間から、古い墨の匂いがした。
それから、ほんの少しだけ、柚子の匂いがした気がした。
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左のページに、じいちゃんの字があった。
いつもの悪筆より、少しだけ丁寧だった。
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『昭和四十五年 冬至 隠り山』
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その下に、二行。
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『共を、撃てなんだ』
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『あれは、共と一緒に、山を下りた』
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メレオスが、小さく声を漏らした。
それきり、何も言わなかった。
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右のページには、行がびっしり並んでいた。
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『四十六年 冬至 北 異状なし』
『四十七年 冬至 北 異状なし』
『四十八年 冬至 北 異状なし』
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一年に、一行。
同じ言葉が、ずっと続いていた。
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昭和が終わっても、続いていた。
平成になっても、続いていた。
字が、少しずつ、震えていった。
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ところどころに、短い書き足しがあった。
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『健司、生まる』
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『柚子、浮かべすぎ。孫ども、湯が見えんと笑う』
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『健司、受け身、また鼻血』
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最後の行は、去年の冬至だった。
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『令和七年 冬至 北 異状なし』
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その下に、一番震えた字で、二行。
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『冬至の夜、あの山の戸は、一番ゆるむ。忘れんように』
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『来年は、健司を、庭に呼ぶか』
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来年は、なかった。
じいちゃんは、今年、死んだ。
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手帳を持つ手が、少しだけ、震えた。
檻の反動じゃないのは、分かっていた。
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五十五年。
一年も欠かさずに。
一人で、庭に出て、北を向いて、あの山の戸が開いていないかを、確かめていた。
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忘れんように、じゃ。
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「……阿呆じゃ」
メレオスが、言った。
声が、かすれていた。
「言えば、よかったんじゃ。わしにでも。孫にでも」
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窓の外が、少しずつ、白くなっていった。
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九時。
0課の会議室に、全員がそろっていた。
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赤城も、いた。
昨日の課長の報告を受けて、朝一番で来ていた。
隣の椅子には、メレオスが座っていた。
今日は、羊羹に手をつけていなかった。
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手帳を、テーブルの真ん中に置いた。
開いたページのまま。
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赤城が、身を乗り出した。
左のページを、読んだ。
右のページを、上から下まで、ゆっくり読んだ。
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最後の二行で、目が止まった。
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長い沈黙だった。
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「……師匠の、字だ」
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赤城の指が、左のページの二行目に、触れかけて、止まった。
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『共を、撃てなんだ』
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「一度も、名を口にしなかった、と言っていたな」
赤城が、メレオスのほうを見ずに言った。
「言えなかったのか。言わなかったのか。……あのとき、あなたも、分からないと言った」
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「書いとった」
メレオスが言った。
「書いて、閉じとった。わしにも、読めんようにのぉ」
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赤城は、目を閉じた。
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「……言えなかったんだな」
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それだけだった。
赤城は、目を開けて、背筋を伸ばした。
国務大臣の顔に、戻っていた。
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「冬至の夜、あの山の戸は、一番ゆるむ」
赤城が、声に出して読んだ。
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「アメリカの三件と、同じ夜です」
画面の中から、『ギーク』が言った。
「全部、冬至。全部、一番暗い時間」
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「扉が、ゆるむ夜か」
『ジョン』が、腕を組んだ。
「うちの国のは、三回とも、開きかけて閉じた。……こっちのは、一回、開いてる」
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五十年前の、冬至の夜に。
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「一つ、いいかしら」
『レディー』が、爪から目を上げた。
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「アメリカは、一か所ずつ開けようとして、一か所ずつ失敗してる。こっちは、この間、一晩で六か所、潰された」
『レディー』は、テーブルの上の手帳を見た。
「私があっち側なら、次は、まとめてやるわ。同じ夜に。全部」
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誰も、否定しなかった。
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「……根拠は、ないけどね」
「勘か」
『レスラー』が言った。
「勘よ。昔の仕事の」
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赤城が、課長を見た。
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「昨日の報告にあった、閉じ込める先の件」
「うん、うん」
課長が、頷いた。
「引きはがしたものを、入れておける場所は、神様の知る限り、一つだけだそうです」
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「あの山の、窪みじゃ」
メレオスが言った。
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「戸がゆるむ夜は、閉じる夜にもなる」
メレオスは、手帳の最後の二行を見ていた。
「開くなら、閉じられる。……入っとったわしが、言うんじゃ」
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赤城は、しばらく、手帳を見ていた。
***
「冬至の夜、隠り山に入る」
***
赤城が、言った。
静かな声だった。
***
「向こうは、邪魔が入らないようにする、と言った。なら、邪魔をしに行く」
赤城は、俺を見た。
「共さんを確保し、中のものを引きはがして、あの山に閉じる。一人も死なせない。共さんも、含めてだ」
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「……はい」
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「健司くん」
「はい」
「課長の報告では、君ひとりで檻を保てるのは、十分だそうだな」
「……はい」
「冬至の夜は、長いぞ」
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答えられなかった。
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「一か月もない」
赤城は、立ち上がった。
「それまでに、方法を探せ。俺も、探す」
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帰り際、赤城は、手帳の前で、少しだけ足を止めた。
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右のページの、真ん中あたりを見ていた。
『健司、受け身、また鼻血』
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赤城の口元が、ほんの少しだけ、緩んだ。
初めて見る顔だった。
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その夜。
由紀に、電話をかけた。
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「……お兄ちゃんから電話って、珍しいね」
「話がある」
「うん」
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「じいちゃんが、冬至に、北に手を合わせてた理由。分かった」
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電話の向こうが、静かになった。
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「……教えてくれるの」
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あたしは、全部言ったよ。
メレオスがいなくなった夜、由紀は、そう言った。
あのとき、俺は、答えられなかった。
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「うん」
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全部、話した。
手帳のこと。閉じていたページのこと。
五十五年分の、異状なし。
最後の二行。
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冬至の夜に、山へ行くことも。
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由紀は、途中で一度も、口を挟まなかった。
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話し終えても、しばらく、何も言わなかった。
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「……来年は、健司を、庭に呼ぶか、って」
由紀の声が、少しだけ、揺れていた。
「おじいちゃん、そう書いてたの」
「うん」
「……そっか」
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鼻をすする音が、一回だけ聞こえた。
それから、いつもの声に戻った。
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「じゃあさ」
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「その日は、あたしが、庭に出る」
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「実家の庭で、北に、手を合わせる。おじいちゃんの代わりに」
由紀は、言った。
「お兄ちゃんが、山から帰ってくるまで。ずっと」
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「……寒いぞ」
「知ってる」
「一番、長い夜だぞ」
「知ってるってば」
***
「帰ってきたら、ゆず湯、入ってね」
由紀は、少しだけ笑った。
「柚子、浮かべすぎて、湯が見えないやつ」
***
電話を切ったあと、ソファの上で、メレオスがこっちを見ていた。
***
「……あの娘は、伊左衛門に、似とるのぉ」
「どこが」
「決めたら、聞かんところじゃ」
***
俺は、手帳を棚に戻さなかった。
テーブルの上に、開いたまま、置いておいた。
***
冬至まで、あと、一か月もなかった。




