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第五十四章 引きはがす練習

こけしの首が、回っていた。


***


一回転。

二回転。

三回転目の途中で、止まった。

こっちを向いて。


***


「……今、こっち見ましたよね」

「見ましたね」

『ホラー』が、頷いた。


***


地下の訓練場の、真ん中だった。

床に置いたパイプ椅子の上に、こけしが一体、立っていた。

高さは、三十センチくらい。

赤い着物の柄が、だいぶ色あせていた。


***


「『ホラー』くんの案件でね」

課長が、段ボール箱を畳みながら言った。

「持ち主のおばあさんから、夜中に首が回るって、相談が来てたんだ」


***


「中に、います」

『ホラー』が、髪の隙間からこけしを見た。

「小さいのが、一つ」

「悪いやつですか」

「悪い子じゃないです。退屈してるだけ」


***


こけしの首が、また、半回転した。

退屈しているらしかった。


***


「引きはがす練習に、ちょうどいいんじゃないかと思ってね」

課長が言った。

「中の子だけ、出してあげられたら、おばあさんも喜ぶ」


***


それから、少しだけ付け足した。


***


「こけしは、持ち主に返すから。壊さないでね」


***


壊さないで。

一番、苦手な注文だった。


***


「では、やってみい」

メレオスが、腕を組んで言った。

右手には、ハリセンを持っていた。


***


右手には、手袋をはめてきた。

黒い革の、男物だった。

『レディー』に、冷やすなと言われたからだ。


***


床の下から、土を呼んだ。

こけしの周りに、格子を立てる。

鳥かごくらいの、小さな檻だった。


***


そこまでは、よかった。


***


気を、流した。


***


こけしの首が、猛烈な勢いで回り始めた。


***


一回転、二回転、十回転。

止まらない。

扇風機みたいな音がした。


***


「怖がってます」

『ホラー』が言った。

「狭いところに、急に閉じ込められて」


***


すぱん。

ハリセンが、頭に落ちた。


***


「流しすぎじゃ。こけし相手に、倉庫の檻をかけてどうする」

「小さくしたつもりだった」

「形だけ小さくしても、中身が倉庫のままじゃ」


***


二回目。

気を、絞った。

絞ったつもりだった。


***


格子が、赤くなった。

こけしの着物の裾から、焦げた匂いがした。


***


すぱん。

「焼くでない」

「焼いてない」

「焦げとる」


***


三回目。


***


こけしの首が、取れた。


***


ころん、と、首だけが床に転がった。

胴体は、椅子の上に立ったままだった。


***


訓練場が、静かになった。


***


「……『ホラー』さん」

「はい」

「中の子は」

「胴体のほうに、残ってます」

『ホラー』は、首を拾い上げた。

「びっくりしてますけど」


***


課長が、ポケットから、瞬間接着剤を出した。

なぜ持っているのかは、聞かなかった。


***


首が、元の場所に戻った。

少しだけ、右に傾いていた。


***


「持ち主に、返すからね」

課長が、もう一度言った。

笑顔だった。

怖かった。


***


四回目。五回目。

首は回り、格子は崩れ、ハリセンは鳴った。


***


様子を見に来た加藤さんが、扉の前で、黙って湿布を置いて、帰っていった。

湿布は、三枚あった。


***


「加減が、分からない」

床に座り込んで、言った。

右腕が、じんじんしていた。


***


「倉庫の檻は、全力でよかった。今度は、どこまで弱くすればいいのか、見当もつかない」


***


「うん、うん」

課長が、近づいてきた。

背広の内ポケットから、手帳を一冊、取り出した。


***


分厚い手帳だった。

表紙の角が、すり切れていた。


***


「これ、使えるかな」


***


開いたページに、数字が並んでいた。

日付と、時刻と、長さ。

『火、壁まで四メートル二十、焦げ跡直径一メートル十』

『竜巻、持続二十二秒』

『壁、厚さ三十センチ、立ち上がりまで一秒半』


***


一番古い日付は、俺がここに来た最初の週だった。


***


思い出した。

最初の組手のとき、課長は、壁にもたれて、腕時計を見ていた。

瓦礫の片付けのときも、焦げ跡を、メジャーで測っていた。

何を測っているのかは、聞かなかった。


***


これだった。


***


「……ずっと、測ってたんですか」

「うん」

「赤城さんへの、報告用ですか」

「それも、あったけどね」


***


課長は、ページをめくった。


***


「君が、どこまでやったら、壊れるか」

いつもの、柔らかい声だった。

「それを、知っておきたかったんだよ。上司だからね」


***


何も、言えなかった。


***


メレオスが、手帳を覗き込んだ。

「……ほう。ようできとる」

「神様に、褒められたね」

「伊左衛門も、ここまでは、測っとらなんだ」


***


一番新しいページには、湾岸の倉庫の夜のことが書いてあった。

『檻、立ち上がりまで四秒。格子三十二本』

『一本目のひび、開始から三分五十秒』

『三本同時破断、開始から四分十秒』


***


「それは、『ギーク』くんの通信の録音から、起こしたんだ」

課長が言った。

「で、ここからは、僕の計算なんだけど」


***


課長は、電卓を出した。

これも、なぜ持っているのかは、聞かなかった。


***


「倉庫の檻に流した気を、百とする」

「はい」

「格子の本数と、太さと、中身の大きさで割ると」

課長は、電卓を叩いた。

「こけしなら、二、くらいでいいね」


***


「……二」

「うん。百の、二」


***


一回目の俺は、たぶん、八十くらい流していた。

こけしが、怖がるわけだった。


***


「それとね」

課長は、電卓をしまいながら、ついでのように言った。


***


「この数字だと、今の君ひとりで、あの檻を立てていられるのは、十分くらいが限度だね」


***


十分。


***


倉庫の夜は、四分で破られた。

十分あっても、足りるのかどうかは、分からなかった。


***


「……覚えておきます」

「うん。覚えておいて」


***


六回目。


***


二、と、頭の中で唱えた。

百の、二。

倉庫の夜の、五十分の一。


***


格子に、気を流した。

細く。

水道の蛇口を、ほんの少しだけ開けるみたいに。


***


こけしの首が、止まった。


***


「……落ち着きました」

『ホラー』が言った。

「狭いけど、嫌じゃないみたいです」


***


檻は、立った。

ここまでは、倉庫の夜と同じだった。


***


問題は、ここからだった。


***


「引きはがすって、どうやるんだ」

「わしに、聞くな」

「師匠だろ」

「わしも、やったことがない」


***


メレオスは、ハリセンで、自分の肩を叩いた。

それから、少し考えて、言った。


***


「伊左衛門は、戸締まりがあったから、入られなんだ」

「うん」

「共には、戸締まりがなかったから、入られた」

「うん」


***


「なら、今から、戸締まりをかけてやればよい」


***


「……今から?」

「檻は、外からかける戸締まりじゃ。それを、もう一枚、中にかける」

メレオスは、こけしを指差した。

「器の中に、気を一筋だけ、通すんじゃ。中の者の居場所が、なくなるようにのぉ」


***


「追い出すのと、何が違う」

「追い出すのは、器ごとじゃ。伊左衛門がやったのは、それじゃ」

メレオスは、格子をこんと叩いた。

「檻で、器を逃がさん。中にだけ、気を通す。出ていくのは、中の者だけじゃ」


***


理屈は、分かった。

できるかどうかは、別だった。


***


檻に流している気から、一筋だけ、分けた。

二の、さらに半分。

一、くらい。


***


格子の隙間から、こけしの胴体に、そっと触れさせた。


***


こけしが、かたかたと震えた。


***


「嫌がってます」

「止めるか」

「いえ」

『ホラー』が、身を乗り出した。

「……押されてます。中の子が。上に」


***


気を、ゆっくり、下から上へ流した。

こけしの足元から、胴体を通って、首のほうへ。


***


こけしの首が、ぽん、と、小さく跳ねた。


***


「出ました」


***


『ホラー』が言った。


***


俺には、何も見えなかった。

こけしは、椅子の上に立っていた。

首は、少し右に傾いたまま、動かなかった。


***


「……出たのか」

「出ました」

「どこに」


***


『ホラー』の顔が、ゆっくり、上を向いた。


***


「上です」


***


『ホラー』の顔が、右を向いた。


***


「右。……速いな。左。課長の、頭の上です」


***


課長が、動かないまま、目だけで上を見た。

「うん、うん。……僕の上に、いるのかい」

「今、いなくなりました」


***


俺には、やっぱり、何も見えなかった。

メレオスには見えているらしく、訓練場の天井を、首を振って追っていた。


***


「む。いかん」

メレオスが言った。

「そっちは、いかん。そっちは――」


***


ぴろりろりん、と、派手な音楽が鳴った。


***


メレオスの、金色のスマホからだった。


***


床に置いてあったスマホの画面が、勝手に光っていた。

ガチャのアプリが、勝手に立ち上がっていた。

勝手に、回ろうとしていた。


***


「わしの板に、入るでない!」


***


メレオスが、スマホに飛びついた。

画面の中で、ガチャのボタンが、押されかけて、止まった。


***


『今月の上限に達しました』


***


一秒。

二秒。


***


「……出ていきました」

『ホラー』が言った。

「つまらなかったみたいです」


***


少し間があって、椅子の上のこけしの首が、半回転した。


***


「戻りました」

『ホラー』は、こけしを見て、少しだけ口元を緩めた。

「居心地、いいみたいです。ここ」


***


誰も、しばらく、何も言わなかった。


***


メレオスが、スマホを胸に抱えたまま、床に座り込んでいた。


***


「……出すだけでは、足らん」

小さな声だった。

「出たものは、戻るか、よそへ入る。今のは、こけしじゃったから、笑い話で済んだ」


***


笑い話ではなかった。

俺も、分かっていた。


***


共さんの中から、出したとして。

出たものは、どこへ行く。


***


近くにいる誰かに、入る。

戸締まりのない、誰かに。

倉庫の夜なら、赤城がいた。『ジョン』がいた。

0課の全員に、戸締まりはない。


***


「入れる先が、いるね」

課長が、静かに言った。

「共さんから出したものを、閉じ込めておく先が」


***


メレオスが、顔を上げた。


***


「……一つだけ、知っとる」


***


「閉じ込めておける場所なら、一つだけ、知っとる」

メレオスは、金色のスマホを、膝の上に置いた。

「わしが、五十年、入っとった場所じゃ」


***


隠り山の、祠の跡。

影が輪になって回っていた、あの窪み。

メレオスが、自分から座り直した場所。


***


「あそこに、また、あれを戻すことになる」

「戻すって」

「元は、あそこから出てきたもんじゃ」

メレオスは、ハリセンをしまった。

どこにしまったのかは、見えなかった。

「戻す先としては、あれ以上の場所はない。……入っとったわしが、言うんじゃ」


***


課長が、手帳を閉じた。


***


「うん、うん」

いつもの相槌だった。

「赤城さんに、上げようか」


***


帰り際、課長は、こけしを箱に戻しながら言った。


***


「おばあさんには、中の子、出てこなかったって言っておくよ」

「出ましたけど」

「戻っただろう」

課長は、箱の蓋を閉じた。

「居心地がいいなら、そのほうがいい」


***


その夜。


***


風呂から上がると、メレオスが、ソファの上で金色のスマホを見ていた。

昼間のことは、もう言わなかった。

言わないようにしているのが、分かった。


***


ぴろん。


***


「由紀からじゃ」

メレオスが、画面を読み上げた。


***


『かみさま、ゆず湯ガチャの日、決まったよ』


***


続けて、画像が一枚、届いた。

ゆず湯に浸かったキャラクターの絵と、でかでかとした文字。


***


『冬至限定 ゆず湯ガチャ 冬至の一日限り』


***


「一日限りじゃと」

メレオスが、身を乗り出した。

「その日を逃したら、二度と引けんのか」

「来年まで、だろ」

「来年まで、待てるか」


***


メレオスは、人差し指一本で、返事を打った。


***


『とうじ とは いつじゃ』


***


すぐに、返事が来た。


***


『一年で、一番、夜が長い日』


***


メレオスは、それを読んで、スマホのカレンダーを開いた。

その日に、印をつけた。

ひらがなで、一言だけ書き込んでいた。


***


『かきんのひ』


***


「上限、上げてくれるじゃろうな」

「内職しろ」

「その日までに、千円は稼ぐ」


***


カレンダーを、横から覗いた。

印のついた日まで、指で数えた。


***


あと、一か月くらいだった。


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