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第四十九章 気功の檻

「戸締まり、って言ったよな」

一斉摘発から三日後の夜、俺はソファのメレオスに言った。


***


「言うたかのぉ」

「山から帰った日だ。気功の下地がない体には、戸締まりがないって」

「……言うたな」


***


「あれは、じいちゃんには入れなかった。気で、弾かれたから」

「そうじゃ」

「じゃあ、逆もできるんじゃないか」


***


メレオスが、羊羹を食べる手を止めた。


***


「中に入れない、んじゃなくて」

俺は、両手で輪を作ってみせた。

「外から囲んで、中から出られなくする。戸締まりを、外からかける」


***


「……共さんの体ごと、閉じ込めるのか」

「閉じ込めて、逃がさない。そのあいだに、中のやつだけ引きはがす方法を考える」

「考えるのは、あとか」

「あとだ。まず、逃がさない」


***


メレオスは、しばらく黙っていた。

それから、ぽつりと言った。


***


「伊左衛門は、追い出すことしか、できなんだ」

「うん」

「お主は、逃がさん、と言うのか」

「うん」


***


「……阿呆じゃな」

メレオスは、羊羹の最後の一切れを口に入れた。

「伊左衛門も、同じくらい、阿呆じゃった」


***


翌日から、地下の訓練場で、檻を作る練習を始めた。


***


土で、檻の形を作るのは、簡単だった。

床のコンクリートの下から土を呼んで、格子に固める。

先祖の山で、壁を作る練習は散々やった。


***


難しいのは、そこに気を通すことだった。


***


じいちゃんに習った気功は、自分の体の中で巡らせるものだった。

外に出すものじゃない。

まして、土の格子に流し込むものでは、まったくない。


***


「流してみい」

メレオスが、腕を組んで言った。

右手には、ハリセンを持っていた。


***


「……それ、どこから出した」

「神の嗜みじゃ」

火の出し方を教わったときと、同じハリセンだった。


***


格子に、手を当てた。

体の中の気を、指先から、ゆっくり押し出す。


***


格子が、ぶるぶる震えた。


***


爆発した。


***


訓練場の天井から、土がぱらぱら降ってきた。

俺は、頭から土をかぶって、床に座り込んでいた。


***


すぱん、と、ハリセンが頭に落ちた。

「押し込みすぎじゃ」

「痛い」

「流す、と言うたろう。押すな。流せ」


***


二回目も、爆発した。

三回目は、格子がぐにゃりと溶けて、ただの土の山になった。


***


すぱん。

「今度は、弱すぎじゃ」

「加減が分からない」

「分からんから、練習しとるんじゃろうが」


***


正論だった。

ハリセンの音が、訓練場に何度も響いた。


***


様子を見に来た『レディー』が、扉の隙間から言った。

「……神様に、叩かれてる」

「修行です」

「そういう趣味?」

「修行です」


***


十一回目で、格子が、爆発もせず、溶けもせず、立った。


***


土の格子の表面を、うっすらと、何かが流れていた。

目には、ほとんど見えない。

でも、手をかざすと、じいちゃんの手のひらの温度に、少し似ていた。


***


「……ほう」

メレオスが、ハリセンを下ろした。


***


「立ったけど、効くかどうかが分からない」

「試せばよかろう」

「何で」

「人と、神とでじゃ」


***


一人目の実験台は、『レスラー』だった。


***


「なんで俺なんだ」

「一番、頑丈だからです」

「理由が雑だ」


***


文句を言いながら、『レスラー』は檻の中に入った。

格子を両手で掴んで、全力で引いた。


***


びくともしなかった。


***


肩で押した。

蹴った。

最後は、体当たりをした。


***


檻は、揺れもしなかった。

『レスラー』のほうが、跳ね返されて、尻もちをついた。


***


「……なんだこれ」

『レスラー』が、自分の手を見た。

「掴んでると、力が、抜けていく」


***


「気が、流れてるからだと思います」

「それ、俺に使うなよ。二度と」

「実験台、ありがとうございました」

「礼を言うな。腹が立つ」


***


二人目の実験台は、メレオスだった。


***


「わしは、消えられるぞ」

「知ってる」

「好きなときに、好きなところへ出られる。この程度の檻、わけもない」

「だから、試すんだ」


***


メレオスが、檻の中に入った。

俺は、格子に気を流して、戸締まりをかけた。


***


「では、ゆくぞ」

メレオスが、ふっと、消えた。


***


一秒後、檻の中に、また現れた。


***


「……む?」

もう一度、消えた。

また、檻の中に現れた。


***


「む、む、む」

三回目、四回目。

消えては、檻の中に戻ってくる。


***


五回目で、メレオスは、格子を掴んで叫んだ。

「出られん! 出られんぞ、これは!」


***


「効いてるな」

「喜ぶでない! 出せ!」

「もうちょっと、様子を」

「出さんか、この阿呆!」


***


気を止めると、メレオスは、檻の外に転がり出てきた。

しばらく、床に座り込んで、息を整えていた。


***


「……五十年前を、思い出したわ」

小さな声だった。

笑っていなかった。


***


「悪い」

「謝るな」

メレオスは、顔を上げた。

「効く、ということじゃ。わしを閉じ込められるなら、あれも閉じ込められる」


***


「ただしな」

「ただし?」

「わしは、閉じ込められるのに慣れとる。あれは、慣れとらん」

メレオスは、格子をこんと叩いた。

「暴れるぞ。わしの比ではない」


***


その日の夕方、課長が、会議室に全員を集めた。


***


「首謀者の、取り調べの続きが上がってきたよ」

課長が、書類をめくった。

「あの方に会ったのは、三度とも、同じ場所だったそうだ」


***


「湾岸の、倉庫街」

『ジョン』が、顔を上げた。

「俺が狙われた、あの倉庫の辺りか」


***


「それと」

スピーカーから、『ギーク』の声がした。

「例の生きてる回線、一斉摘発のあとから、ずっと電源が落ちてたんですけど」


***


「昨日の夜から、毎晩一回だけ、同じ場所で、電源が入ります。十分だけ」

「場所は」

「湾岸の、倉庫街です」


***


会議室が、静かになった。


***


「……呼んでるわね」

『レディー』が言った。

「来い、って」


***


誰も、否定しなかった。


***


翌日、赤城が0課に来た。


***


会議室に入ってきた赤城は、いつもの椅子に座った。

その隣の椅子には、メレオスが座っていた。

赤城には、見えていなかった。


***


0課の全員が、そっちを見ないように、必死に前を向いていた。

『ギーク』だけが、画面越しに、あからさまに目を泳がせていた。


***


加藤さんが、赤城の前にお茶を置いた。

それから、隣の空いた椅子の前にも、お茶と羊羹を置いた。


***


赤城が、その羊羹を見た。


***


一秒。

二秒。


***


赤城は、何も言わずに、自分のお茶を一口飲んだ。


***


「作戦を、聞こう」


***


俺は、立ち上がって、話した。

湾岸の倉庫街。

毎晩十分だけ入る、電源。

それから、檻のこと。


***


「土の格子に、気を流して、中から出られなくします」

「中から」

「あの男の体は、そのまま。中にいるものだけを、逃がさないようにする」


***


赤城は、しばらく黙っていた。


***


「……捕まえる、か」

低い声だった。

「殺すでもなく。追い返すでもなく」


***


「はい」

「師匠が、できなかったことだ」

「知ってます」


***


赤城が、俺を見た。

丁寧さの奥の、硬いものが、少しだけ揺れていた。


***


「俺も行く」

「大臣が、ですか」

「前にも言っただろう」

赤城は、少しだけ口の端を上げた。

「兄弟子が、だ」


***


会議が終わって、赤城が立ち上がった。

扉のところで、一度だけ振り返った。


***


隣の椅子の前の、羊羹の皿が、空になっていた。


***


赤城は、空の皿を見て、それから、誰もいない椅子を見た。

「……羊羹は、うまかったか」


***


誰も、答えなかった。

椅子の上で、メレオスが、固まっていた。


***


「そうか」

赤城は、それだけ言って、エレベーターに乗った。


***


扉が閉まるまで、0課の誰も、息をしなかった。


***


その夜。

湾岸の倉庫街は、風が強かった。


***


『ギーク』の声が、通信機から聞こえた。

「電源、入りました。……あの倉庫です。『ジョン』さんが狙われた」

「覚えてるさ」

『ジョン』が、低く言った。


***


赤城は、俺の隣に立っていた。

今日も、完璧な装備だった。

メレオスは、俺の反対側にいた。赤城には、見えないまま。


***


倉庫の扉は、開いていた。

天窓から、月の光が、一本だけ落ちていた。


***


その光の下に、男が一人、立っていた。

四十くらいの。

子供みたいな目をした。


***


男は、俺たちを見た。

それから、赤城を見た。

赤城のところで、目が止まった。


***


ゆっくりと、首を傾げた。


***


「……来たね」

男が言った。

「伊左衛門の、孫と。伊左衛門の、弟子と」


***


赤城の手が、俺の隣で、固く握られるのが分かった。


***


男の目が、最後に、俺の反対側で止まった。

赤城には見えない、金色の頭のところで。


***


「それから」

男は、嬉しそうに笑った。

「逃がした、かみさまも」


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