↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
52/176

第四十四章 わしが見たもの

炎が、渦にぶつかった。


***


影が、悲鳴のような音を立てた。

燃えた端から、また次の影が輪をふさぐ。


***


もう一度、撃った。

今度は、輪の一か所だけに絞った。


***


加減の練習は、嫌というほどやってきた。

小さくする方は、得意だ。


***


輪に、人ひとり分の穴が空いた。

考える前に、そこへ腕を突っ込んでいた。


***


冷たかった。

水でも風でもない、何もないところの冷たさだった。


***


指先に、布が触れた。

変な服の、変な手触りだった。


***


掴んで、引いた。

思ったより、ずっと軽かった。


***


腕の中に、金色の頭が転がり込んできた。

尻もちをついた俺の胸の上で、メレオスが目を開けた。


***


「阿呆!」

第一声が、それだった。

「お主まで入ってどうする!」


***


「入ってない。腕だけだ」

「腕でも同じじゃ! 持っていかれたら、どうするつもりじゃった!」

「そっちこそ、どうするつもりだった!」


***


怒鳴り返してから、気づいた。

すぐ後ろに、赤城が立っていた。


***


赤城から見えるのは、何もない空間を抱えて、地面に座りこんで怒鳴っている俺だった。


***


赤城は、何も言わなかった。

言わないでいてくれるのが、かえって、つらかった。


***


背後で、影が一斉に動いた。

輪をほどいて、祠の奥の暗がりへ、吸いこまれるように引いていく。


***


最後の一筋が消えると、木立に、鳥の声が戻ってきた。


***


「……閉じました」

『ホラー』が、祠の奥を見たまま言った。

「抜け殻が、閉じました。もう、ここには、何もいません」


***


「何も、か」

赤城が、低く繰り返した。

「前は、あれほどいたと聞いたが」


***


「最初から、ここにいたのは、残りかすだけだったんだと思います」

『ホラー』は、そこで言葉を切った。

「本体は、とっくに、よそにいます」


***


メレオスは、自分で立とうとして、膝から崩れた。

輪郭は戻っていたが、足に力が入っていなかった。


***


黙って、背中を向けた。

「乗れ」

「神を、おんぶするでない」

「じゃあ、置いていく」


***


背中に、ちいさな重みが乗った。

軽いくせに、首に回った腕だけは、しっかりしていた。


***


帰りの山道で、俺は、ずっと少し前かがみだった。


***


「腰でも、痛めたか」

赤城が聞いた。

「……少し」


***


『ホラー』が、俺の背中を見て、ぽつりと言った。

「重そうですね」

「何がだ」

赤城が聞き返した。

「いえ」


***


背中で、メレオスが、くつくつと笑った。

笑うな。揺れる。


***


ゲートの前で、営林署の老人が待っていた。

下りてきた俺たちを見て、少しだけ眉を上げた。


***


「背中、重そうじゃな」

それだけ言って、また黙って鍵を閉めた。


***


背中のメレオスが、小さく身じろぎした。

老人のほうを、見ているようだった。


***


車の前で、赤城が振り返った。


***


「健司くん」

「はい」

「身内、と言ったな」


***


「……はい」

「君には、見えている何かがいる。君はそれを、身内と呼ぶ」

赤城は、俺の少し上を見た。何もないはずの、背中のあたりを。


***


「今日は、聞かない」

「……すみません」

「いつか、話せ。そのときは、俺も全部話す」


***


「全部、ですか」

「俺が知っている分は、な」

赤城は、少しだけ口の端を上げた。

「半分にも満たないが」


***


車に乗る前に、赤城は、もう一度だけ、背中のあたりに頭を下げた。

理由は、言わなかった。


***


アパートの鍵は、開いていた。


***


ドアを開けるより先に、中から足音がした。

由紀だった。合鍵を、握りしめたままだった。


***


「……かみさま」

由紀の目が、俺の背中に止まった。


***


背中から、メレオスが降りた。

よろけながら、なんとか立った。


***


「由紀。ただいま、じゃ」


***


由紀は、何も言わなかった。

しゃがんで、黙ってメレオスを抱きしめた。


***


「……くるしい」

「ぬいぐるみは、黙ってて」

「ぬいぐるみでは、ないと、何度」


***


文句を言いながら、メレオスは、逃げなかった。

俺は、玄関に突っ立ったまま、しばらく靴を脱げずにいた。


***


ソファに座らせると、メレオスは、しばらく目を閉じていた。

寝ているのかと思った。

神は寝ん、と言い張っていたくせに。


***


由紀が、台所で湯を沸かしはじめた。

俺は、その背中に声をかけた。


***


「由紀」

「なに」

「帰らないで、聞いていってくれ」


***


由紀が、振り返った。

「……いいの」

「この前、お前は全部言った。今度は、俺の番だ」


***


店に来た男が、じいちゃんの弟弟子の、共さんだということ。

五十年前、じいちゃんと二人で、あの山に入って、戻らなかった人だということ。

そして、あの男が、五十年前から、一つも年を取っていないということ。


***


由紀は、湯が沸いても、火を止めに行かなかった。

俺が代わりに止めた。


***


「……それで、かみさまは、何を見たの」

由紀が、ソファのほうを見た。


***


メレオスが、目を開けた。

「見たとも。全部な」


***


「五十年前。わしは、あの窪みの中におった。自分の姿も、よう見えた。小さな光じゃった」


***


「そこへ、男が二人、来た」

「おじいちゃんと」

「伊左衛門と、もう一人。伊左衛門より、いくつか若い男じゃ」


***


「几帳面な男での。山に入る前、手帳に何か書きつけておった。伊左衛門の手帳の端に、一字だけ」

「……共」

「そうじゃ。あの字は、あの男が、自分で書いたもんじゃった」


***


「顔は」

「お主が言うておった写真の顔じゃ。そのままじゃ」


***


メレオスは、膝の上で、手を組んだ。

震えてはいなかった。


***


「あれは、伊左衛門には、手が出せなんだ」

「気功か」

「そうじゃ。伊左衛門の中には、入れん。弾かれる」


***


「じゃから、あれは、もう一人のほうへ、入った」


***


由紀が、息をのんだ。


***


「気功の下地がない体には、戸締まりがない。するりと、入りおった」

「……共さんに」

「そうじゃ」


***


「入られた男は、伊左衛門のほうを向いた。首を、こう傾げてな」

メレオスが、ほんの少しだけ、首を傾げてみせた。

倉庫で見た仕草と、同じだった。


***


「伊左衛門は、手を上げた。ありったけの気を、込めておった」

「……撃ったの」

「撃てなんだ」


***


「撃てば、あれは消える。じゃが、あれが入っておるのは、共の体じゃ」

メレオスの声が、少しだけ細くなった。

「あれごと、共も死ぬ」


***


「伊左衛門は、手を下ろした。代わりに、あれを、山から追い出した。共の体ごとな」

「殺さずに、追い返した……」

「そういうことじゃったんじゃ」


***


「わしが外に出られたのは、あれが共のほうへ移ったからじゃ。檻の鍵が、空いたんじゃな」

メレオスは、窓の外を見た。

「伊左衛門は、わしを窪みから拾い上げて、そのまま、長いこと、そこを動かなんだ」


***


「泣いてたの、おじいちゃん」

由紀が聞いた。

「……わしは、言わん」


***


それが、答えだった。


***


「あの男、入られる前に、何か言うておった」

メレオスが、ぽつりと付け足した。

「口が動いておった。じゃが、あの窪みの中までは、音が届かなんだ」


***


「なんて言ったか、分からないのか」

「分からん。分かっておったら、とうに言うておる」


***


しばらく、三人とも黙っていた。

冷めかけた湯のポットから、湯気が細く上っていた。


***


「だから、伊左衛門は、誰にも共のことを言わなんだんじゃろう」

メレオスが言った。

「助けられなんだ、とも、殺さなんだ、とも、言えん」


***


俺は、倉庫のことを思い出していた。

外側は人間だった、と思って、火を撃てなかった自分のことを。


***


じいちゃんも、同じところで、手を下ろしたのだ。


***


「じゃあ」

由紀が、ゆっくり言った。

「あの人、悪い人じゃないの」


***


「あの男は、な」

メレオスは、首を振らなかった。

「悪いのは、中におる方じゃ」


***


「あれは、もう、あの山にはおらん」

小さな手が、膝の上で、ぎゅっと握られた。

「全部、あの男の中じゃ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。