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第三十八章 張り込みは、柄じゃない

金曜の朝、課長の机の前で聞いた。

「張り込み、どうするんですか」

「うん、うん」


***


「総出ってわけには、いかないよね」

「はい」

「妹さんの店だ。目立たない人が、いる」


***


会議室に、0課の面々が集まった。

議題は一つ。「誰が、店を見張るか」。


***


「俺で決まりだろ」

『レスラー』が、腕を組んで言った。

「お前、その体で?」

「……体格は、直せない」


***


即決で除外された。

腕の太さだけで、通報される未来が見えた。


***


「私服なら、いけますよ」

『ホラー』が、髪の隙間から言った。

「逆に、目立つと思います」

「……ですよね」


***


普段の暗さは、スーツで中和されていたらしい。

私服の『ホラー』は、もっと暗かった。


***


「私、変装得意よ」

『レディー』が、化粧ポーチを開いた。

出てきたのは、付け睫毛が三段のかつらだった。


***


「見なきゃよかった」

「本気出せば、地味になれるんだから」

「今のは、本気じゃないのか」

「見せ場がないと、やる気出ないだけ」


***


「私、地味なのは得意なんだけど」

加藤さんが、控えめに手を挙げた。

「現場に出ないのが、ルールだから」


***


自分で自分のルールを言う加藤さんに、部屋が少しだけ和んだ。

「それは、守ろうね」

課長が、珍しくきっぱり言った。


***


「『ジョン』は」

「俺? この面で、張り込みなんて無理だろ」

正論だった。


***


結局、俺がやることになった。

「妹の店ですから」

それで、通った。


***


「一人じゃ危ないでしょ」

『レディー』が、意外にもそう言った。

「交代くらいは、してあげる」


***


『ギーク』が、モニターから顔を上げずに言う。

「回線の位置情報、リアルタイムで拾えるようにしておきます」

「頼む」

「開店前と、閉店後だけ、光ります」


***


張り込みが始まって三日目、由紀が来た。

「お邪魔しまーす」


***


いつも通りの声のはずだったが、俺の顔を見るなり止まった。

「……なにその隈」

「寝てないだけだ」

「仕事?」

「まあ」


***


由紀は、それ以上聞かなかった。

代わりに、ソファのメレオスに目をやった。


***


「かみさま、元気ない?」

「元気しかないぞよ」

「声、小さいけど」


***


メレオスは、ワンテンポ遅れて、声を張り直した。

「元気じゃ!これでどうじゃ!」

「うるさ」


***


由紀は笑ったが、目は笑っていなかった。

それでも、今日は突っ込まなかった。


***


「お兄ちゃん、ちゃんと寝なよ」

「……ああ」

「かみさまも」

「わしは寝んのじゃ」

「じゃあ休みなよ」


***


軽口のまま、由紀は帰っていった。

残ったのは、いつもより少しだけ重い静けさだった。


***


その夜も、俺の番だった。

妹の店から少し離れた、コインパーキングの車の中。


***


シャッターが下りて、店の灯りが消える。

灯りが消えたあとの窓のほうが、なぜか目が離せなかった。


***


一時間、何も起きなかった。

携帯を見る。『ギーク』からの位置情報は、動いていない。


***


帰ろうとした、そのときだった。

建物の脇、街灯の切れ目に、人影があった。


***


四十代くらいの男だった。

リストバンドをしている。


***


見上げていた。

建物の二階を、じっと。

笑ってはいなかった。

怖がっているようにも見えなかった。


***


何かを、見つけた子供のような目だった。

どこかで、この目を見た気がした。

どこでだったかは、思い出せなかった。


***


車を降りようとした。

ドアに手をかけた瞬間、男はもう、そこにいなかった。


***


走った様子も、逃げた様子もない。

ただ、いなくなっていた。


***


その夜、リビングでメレオスに話した。

「四十代くらいの、男」


***


「リストバンドをしてた」

「……」

「見上げてただけだ。何もしなかった」


***


メレオスは、しばらく黙っていた。

いつもなら、何か茶化す間だった。


***


「……その目は、笑うておったか」

「いや。子供が、何か見つけたときの目、みたいな」


***


メレオスの手が、膝の上で、かすかに強張った。

「そうか」

それだけだった。


***


「メレオス」

「今日は、もう寝ろ」


***


いつもの、都合が悪いときの逃げ方だった。

だが今日は、笑いも、消える気配もなかった。


***


窓の外を、もう一度だけ見てから、電気を消した。


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