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第三十七章 書類の上には、いる

水曜の夜、インターホンが鳴った。


***


「お邪魔しまーす」

由紀は、いつも通り勝手に上がってきた。

いつも通りではなかったのは、手ぶらだったことだ。


***


「かみさまへのお土産は」

「今日はない」

ソファのメレオスが、あからさまに肩を落とした。


***


「用があるときの顔じゃな、それは」

「分かる?」

「分かるわい」


***


由紀は、コートも脱がずにテーブルの前に座った。

それで、俺も麦茶を出すのをやめた。


***


「お兄ちゃんさ、仕事って、警察関係だよね」

「……まあ」

「変な話、聞いてくれる?」


***


こういう入り方をするとき、由紀の話は、たいてい変ではない。

変なのは、聞いた側のほうだ。


***


「うちの店、最近、変なお客さんが来るの」


***


十月に入ってから、五人。

全員、新規契約。全員、一人で来店。

そこまでは、珍しくもないらしい。


***


「免許証がね、みんな新しいの」

「新しい?」

「交付の日付。ぜんぶ、この半年以内」


***


「そういう人もいるだろ」

「五人続けては、ないよ」

由紀は、指を折った。


***


「あと、プランを選ばない」

「選ばない」

「どれがいいですかって聞いても、どれでもいいですって言うの。安いのでも高いのでもなく、どれでも」


***


「値段も聞かない。機種も、これでいいです、で終わり。全部、一括で現金」

「……」

「お兄ちゃん、分かる?うちの店、値段の話しない人、来ないんだよ」


***


それは、分かる気がした。

携帯を買いに来て、値段を聞かない人間を、俺も見たことがない。


***


「住所もね、四人が同じ町内」

「アパートとか」

「ばらばら。でも歩いて十分の中」


***


店長には、言ったらしい。

名義貸しでしょ、よくあるやつ、で終わったそうだ。


***


「よくあるの?」

「あるみたい。でも」

由紀は、そこで初めて言い淀んだ。


***


「あのね。四人目の人、手の甲に、なんか、あった」

「……なんか」

「タトゥーっていうか、焼き印みたいな。線が何本か」


***


麦茶のグラスを持っていなくて、よかったと思った。


***


「リストバンドで隠してたんだけど、書類書くときに、ちょっと見えて」

「どんな形だった」

「え」


***


由紀が、顔を上げた。

俺の声が、たぶん、変わっていた。


***


「覚えてない。丸っぽい中に、線が」

「思い出せるか」

「……お兄ちゃん、それ、何」


***


言えなかった。

言えば、由紀はもっと知りたがる。


***


「仕事で、似たやつを見たかもしれない」

「かもしれない、の顔じゃないんだけど」

「かもしれない、だ」


***


由紀は、しばらく俺を見ていた。

それから、諦めたように息を吐いた。


***


「まあ、いいけど。役に立つ?」

「立つ」

即答すると、由紀は、ちょっと得意そうな顔をした。


***


「あたし、手伝うって言ったでしょ」

「……ああ」

「留守番役だけじゃないんだからね」


***


帰っていく背中を見送って、ドアを閉めた。

ソファのほうから、静かな声がした。


***


「お主、今の顔、あの娘に見せたな」

「見せた」

「隠しごとの下手さだけは、伊左衛門に似んかったのぉ」


***


翌朝、0課。

課長の机の前で、俺は昨日の話をそのまま並べた。


***


「うん、うん」

相槌は、途中で止まった。

「手の甲、と言ったかい」


***


「はい」

「うん」

課長が、受話器を取った。


***


『ギーク』は、ちょうど出社日だった。

デスクに肉まんの袋が置いてある。数えなくても分かる。十個だ。


***


「契約情報の照会って、令状いりますよね」

「いるね」

「じゃあ、取ってください。今日中に」

『ギーク』が、椅子を回した。


***


「『オザケン』さん、妹さん、お店どこですか」

「駅前の」

「店名。番地まで」


***


早口が、いつもの倍になっていた。


***


「『ギーク』、なんか掴んだのか」

『レスラー』が、腕を組んだまま聞いた。

「まだです。でも、掴めるやつです、これ」


***


昼を過ぎて、『ギーク』が声を上げた。

「出ました」


***


会議室のモニターに、番号の一覧が並んだ。

数えきれない。


***


「妹さんの店で契約された五件から、辿りました。同じ手口の契約が、都内と近県で、今んとこ二百十四件」

「二百」

「たぶん、もっとあります」


***


「全部、名義が違う。免許証も違う。でも、契約から解約までの日数が、きれいに揃ってます」

「揃ってる?」

「十八日から二十二日。ぜんぶ、三週間以内に捨てられてる」


***


「使い捨ての電話を、まとめて作る工場ってことか」

『ジョン』が、モニターに近づいた。

「うちでも見た形だ。組織が、身元を持たずに動くときの足回りだよ」


***


「それだけじゃないです」

『ギーク』が、キーを叩いた。

画面が切り替わる。


***


「解約後の履歴が、消されてます」

「回線の記録が?」

「はい。しかも」


***


『ギーク』が、一拍だけ黙った。


***


「消し方が、同じ手つきです」

会議室の空気が、止まった。


***


「『常世会』の逃走車のときと、防衛省の資料のときと、同じですか」

俺が聞くと、『ギーク』は、珍しくゆっくり頷いた。

「同じです。癖まで一緒」


***


「うん、うん」

課長が、初めて頷いた。

「繋がったね」


***


「携帯ショップのカウンターは、誰も見ていなかったな」

『ジョン』が、感心したような、呆れたような声を出した。

「サーバーばっかり見てた。俺たちがだ」


***


「妹さん、優秀ですね」

『ギーク』が言った。

「うちに来ませんか」

「来ない」

即答した。自分でも、驚くくらい早かった。


***


夕方、『ギーク』がもう一度、手を挙げた。

「二百十四件のうち、一本だけ、生きてます」


***


「解約されてない?」

「されてません。契約は八月。もう二か月、動いてます」

「位置は」


***


地図が、開いた。

赤い点が、ぱらぱらと落ちていく。

点は、一か所に寄っていった。


***


駅前の、四階建ての建物。

一階に、携帯ショップが入っている。


***


「……ここ、妹さんのお店ですよね」

『ギーク』の声が、小さくなった。


***


点は、九月の頭から、ほぼ毎日、そこに落ちていた。

店が開く前と、閉まったあと。

買い物に来る人間の落とし方ではなかった。


***


「小沢」

『ジョン』が、俺の名前を呼んだ。

呼んだだけで、あとは何も言わなかった。


***


その夜、俺は由紀に電話をかけた。

用件は、何でもない話にした。


***


「変な客が来たら、自分で相手しないで、店長呼べ」

「なにそれ。急に」

「いいから」


***


「……お兄ちゃん」

「なんだ」

「あたしが持ってったやつ、当たりだったんだ」


***


嘘がつけなかった。

黙っていたら、由紀は、それで分かったようだった。


***


「気をつけるよ。お兄ちゃんも」

電話が切れた。


***


リビングに戻ると、メレオスが窓の外を見ていた。

カーテンは、閉めたままだった。


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