第三十七章 書類の上には、いる
水曜の夜、インターホンが鳴った。
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「お邪魔しまーす」
由紀は、いつも通り勝手に上がってきた。
いつも通りではなかったのは、手ぶらだったことだ。
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「かみさまへのお土産は」
「今日はない」
ソファのメレオスが、あからさまに肩を落とした。
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「用があるときの顔じゃな、それは」
「分かる?」
「分かるわい」
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由紀は、コートも脱がずにテーブルの前に座った。
それで、俺も麦茶を出すのをやめた。
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「お兄ちゃんさ、仕事って、警察関係だよね」
「……まあ」
「変な話、聞いてくれる?」
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こういう入り方をするとき、由紀の話は、たいてい変ではない。
変なのは、聞いた側のほうだ。
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「うちの店、最近、変なお客さんが来るの」
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十月に入ってから、五人。
全員、新規契約。全員、一人で来店。
そこまでは、珍しくもないらしい。
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「免許証がね、みんな新しいの」
「新しい?」
「交付の日付。ぜんぶ、この半年以内」
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「そういう人もいるだろ」
「五人続けては、ないよ」
由紀は、指を折った。
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「あと、プランを選ばない」
「選ばない」
「どれがいいですかって聞いても、どれでもいいですって言うの。安いのでも高いのでもなく、どれでも」
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「値段も聞かない。機種も、これでいいです、で終わり。全部、一括で現金」
「……」
「お兄ちゃん、分かる?うちの店、値段の話しない人、来ないんだよ」
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それは、分かる気がした。
携帯を買いに来て、値段を聞かない人間を、俺も見たことがない。
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「住所もね、四人が同じ町内」
「アパートとか」
「ばらばら。でも歩いて十分の中」
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店長には、言ったらしい。
名義貸しでしょ、よくあるやつ、で終わったそうだ。
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「よくあるの?」
「あるみたい。でも」
由紀は、そこで初めて言い淀んだ。
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「あのね。四人目の人、手の甲に、なんか、あった」
「……なんか」
「タトゥーっていうか、焼き印みたいな。線が何本か」
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麦茶のグラスを持っていなくて、よかったと思った。
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「リストバンドで隠してたんだけど、書類書くときに、ちょっと見えて」
「どんな形だった」
「え」
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由紀が、顔を上げた。
俺の声が、たぶん、変わっていた。
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「覚えてない。丸っぽい中に、線が」
「思い出せるか」
「……お兄ちゃん、それ、何」
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言えなかった。
言えば、由紀はもっと知りたがる。
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「仕事で、似たやつを見たかもしれない」
「かもしれない、の顔じゃないんだけど」
「かもしれない、だ」
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由紀は、しばらく俺を見ていた。
それから、諦めたように息を吐いた。
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「まあ、いいけど。役に立つ?」
「立つ」
即答すると、由紀は、ちょっと得意そうな顔をした。
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「あたし、手伝うって言ったでしょ」
「……ああ」
「留守番役だけじゃないんだからね」
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帰っていく背中を見送って、ドアを閉めた。
ソファのほうから、静かな声がした。
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「お主、今の顔、あの娘に見せたな」
「見せた」
「隠しごとの下手さだけは、伊左衛門に似んかったのぉ」
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翌朝、0課。
課長の机の前で、俺は昨日の話をそのまま並べた。
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「うん、うん」
相槌は、途中で止まった。
「手の甲、と言ったかい」
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「はい」
「うん」
課長が、受話器を取った。
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『ギーク』は、ちょうど出社日だった。
デスクに肉まんの袋が置いてある。数えなくても分かる。十個だ。
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「契約情報の照会って、令状いりますよね」
「いるね」
「じゃあ、取ってください。今日中に」
『ギーク』が、椅子を回した。
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「『オザケン』さん、妹さん、お店どこですか」
「駅前の」
「店名。番地まで」
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早口が、いつもの倍になっていた。
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「『ギーク』、なんか掴んだのか」
『レスラー』が、腕を組んだまま聞いた。
「まだです。でも、掴めるやつです、これ」
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昼を過ぎて、『ギーク』が声を上げた。
「出ました」
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会議室のモニターに、番号の一覧が並んだ。
数えきれない。
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「妹さんの店で契約された五件から、辿りました。同じ手口の契約が、都内と近県で、今んとこ二百十四件」
「二百」
「たぶん、もっとあります」
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「全部、名義が違う。免許証も違う。でも、契約から解約までの日数が、きれいに揃ってます」
「揃ってる?」
「十八日から二十二日。ぜんぶ、三週間以内に捨てられてる」
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「使い捨ての電話を、まとめて作る工場ってことか」
『ジョン』が、モニターに近づいた。
「うちでも見た形だ。組織が、身元を持たずに動くときの足回りだよ」
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「それだけじゃないです」
『ギーク』が、キーを叩いた。
画面が切り替わる。
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「解約後の履歴が、消されてます」
「回線の記録が?」
「はい。しかも」
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『ギーク』が、一拍だけ黙った。
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「消し方が、同じ手つきです」
会議室の空気が、止まった。
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「『常世会』の逃走車のときと、防衛省の資料のときと、同じですか」
俺が聞くと、『ギーク』は、珍しくゆっくり頷いた。
「同じです。癖まで一緒」
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「うん、うん」
課長が、初めて頷いた。
「繋がったね」
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「携帯ショップのカウンターは、誰も見ていなかったな」
『ジョン』が、感心したような、呆れたような声を出した。
「サーバーばっかり見てた。俺たちがだ」
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「妹さん、優秀ですね」
『ギーク』が言った。
「うちに来ませんか」
「来ない」
即答した。自分でも、驚くくらい早かった。
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夕方、『ギーク』がもう一度、手を挙げた。
「二百十四件のうち、一本だけ、生きてます」
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「解約されてない?」
「されてません。契約は八月。もう二か月、動いてます」
「位置は」
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地図が、開いた。
赤い点が、ぱらぱらと落ちていく。
点は、一か所に寄っていった。
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駅前の、四階建ての建物。
一階に、携帯ショップが入っている。
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「……ここ、妹さんのお店ですよね」
『ギーク』の声が、小さくなった。
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点は、九月の頭から、ほぼ毎日、そこに落ちていた。
店が開く前と、閉まったあと。
買い物に来る人間の落とし方ではなかった。
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「小沢」
『ジョン』が、俺の名前を呼んだ。
呼んだだけで、あとは何も言わなかった。
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その夜、俺は由紀に電話をかけた。
用件は、何でもない話にした。
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「変な客が来たら、自分で相手しないで、店長呼べ」
「なにそれ。急に」
「いいから」
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「……お兄ちゃん」
「なんだ」
「あたしが持ってったやつ、当たりだったんだ」
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嘘がつけなかった。
黙っていたら、由紀は、それで分かったようだった。
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「気をつけるよ。お兄ちゃんも」
電話が切れた。
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リビングに戻ると、メレオスが窓の外を見ていた。
カーテンは、閉めたままだった。




