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第三十一章 覚えていたほうがいい山

会議室に、課長が地図を広げた。


道が途中で切れている。そこから先は、ただの緑色だった。


***


「隠り山、確認できたよ。正確には、旧防衛省の管理地」

「防衛省」

「もう使ってない。でも、地図から消すくらいには、使ってた」


***


課長の後ろで、電話がスピーカーになっていた。


赤城の声だった。


***


「立ち入りの手筈は、俺のほうでつけておいた。地元の営林署の人間が一人、案内に立つ。それ以上は、聞かないでくれ」

「赤城さんは、来ないんですか」

「行っても、俺には見えないものが多いだろう。そっちの三人のほうが向いている」


***


三人。


俺、『ホラー』、そして『ジョン』。


「三人で、秘境ダンジョンですか」


思わず、口から出た。


***


『ジョン』が笑った。


「ダンジョン、いいね。でも多分、モンスターはいない。骨は、あるかもしれないが」

「骨って言うな」


***


『ホラー』は、何も言わなかった。


髪の隙間から、地図をじっと見ているだけだった。


その沈黙のほうが、よほど怖い。


***


電話越しに、赤城が付け足した。


「一つだけ言っておく。伊左衛門さんは、あの山を『覚えていたほうがいい』と言った。忘れろ、とは言わなかった」

「それって」

「意味は、俺にも分からん。だから、確かめに行くんだろう」


通話が切れた。


***


車は、舗装が途切れたところで停まった。


出迎えたのは、作業服の老人が一人だけだった。


「営林署の、田……いや、名乗らんでいいと言われとる」


***


老人は、錆びたゲートの鍵を開けながら、独り言のように言った。


「この山、うちの親の代から、誰も入らん。入ったやつぁ、たいてい、二度と山菜採りに来んくなる」


***


「熊ですか」

「熊なら、まだ分かりやすい」


老人は、それ以上を言わずに、車に戻っていった。


***


道なき道を、三十分ほど登った。


木々の間隔が、不自然に均等だった。


昔、人の手が入っていた名残だ。


***


「演習場、だったらしいな」

『ジョン』が、崩れたコンクリートの土台を足で小突いた。

「うちの国にも、似たようなとこがある。忘れられて、ちょうどいい場所ってやつだ」


***


『ホラー』が、急に足を止めた。


「……この先です」

「何が」

「分かりません。でも、この先です」


***


いつもより、声が硬い。


俺は、隣の空気に、そっと聞いた。


(おい、いるんだろ)


***


返事の代わりに、肩のあたりの気配が、少しだけ重くなった。


メレオスは、車を降りたときから、ずっと黙っていた。


普段のおしゃべりが、一言もない。


***


木立が開けた先に、崩れた祠のようなものがあった。


屋根はとうに落ち、コンクリートの基礎だけが、四角く残っている。


その中央に、焦げ跡があった。


***


「五十年前のにしちゃ、ずいぶん、はっきり残ってるな」

『ジョン』の声から、軽さが消えていた。

「こういう跡は、普通、もっと薄れる」


***


『ホラー』が、基礎の縁にしゃがみこんだ。


指で、焦げ跡の輪郭をなぞる。


「……線が、あります」


***


紋章だった。


『常世会』のものより線が多く、通信ログで見た「もう一種類」とも、微妙に違う。


三つ目の、違う紋様。


***


『ジョン』が、息を止めた。


「これ、写真、いいか」

「駄目とは言えないだろ、これ以上隠す意味も」


***


そのとき、初めてメレオスが、口を開いた。


「……ここじゃ」


小さな、震えた声だった。


***


「ここで、伊左衛門は、あれと渡り合った」

「あれって」

「まだ、名は言えん。じゃが、確かに、ここじゃ」


***


基礎の隅、崩れた石の裏側に、彫り込まれた文字があった。


風化して、半分しか読めない。


読める部分だけで、俺の指先が、冷たくなった。


***


「共……」


手帳の脇に書かれていたのと、同じ一文字。


同じ、几帳面な筆跡だった。


***


『ホラー』が、ゆっくりと立ち上がった。


髪の隙間から覗く目が、初めて、まっすぐこっちを向いた。


「『オザケン』」

「な、何だよ」


***


「まだ、いますね。この山」


短い一言だった。


風が、木立の奥から、一度だけ、強く吹いた。


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