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第二十六章 名前は、メリディアン

朝、地下の会議室に、うめき声が転がっていた。


課長が、机に突っ伏したまま、動かない。


「課長、まだ寝てます?」


俺が声をかけると、「うん、うん」と、返事だけは律儀に返ってきた。


***


『レスラー』が、水のペットボトルを配って回っている。


「二日酔いの薬、置いときますね」


「ありがとうございます……」


『レディー』が、こめかみを押さえながら受け取った。いつもの涼しい顔が、今日は半分死んでいる。


『ホラー』だけが、平然としていた。あの量の徳利を空けて、平気な顔らしい。


***


「私は一滴も飲んでいないので、通常運転です」


加藤さんが、いつも通りお冷やを配りながら言う。


「それ、地味に自慢に聞こえます」


俺が言うと、加藤さんは、にっこり笑っただけだった。


***


『ジョン』は、デスクで缶コーヒーを片手に、涼しい顔をしていた。


「意外と平気そうですね」


「昨日のあれくらい、こっちじゃ前夜祭みたいなもんだ」


さらりと言ってのける。国が違うと、基準も違うらしい。


***


そこへ、『ギーク』が出社してきた。パーカーのフードを、目深にかぶっている。


「……頭、割れそう」


「未成年じゃなかったんだな」


『レスラー』がからかうと、『ギーク』はフードの下から睨むだけの元気しかなかった。


***


みんなの二日酔いが落ち着いた頃、『ジョン』が、缶コーヒーを机に置いた。


「なあ、小沢」


軽い声だったが、俺の背筋が、少しだけ強張った。


「昨日の話、覚えてます?」


「一言一句とは言わないけど、だいたいはな」


***


会議室の空気が、わずかに変わった。


『レディー』が、二日酔いの顔のまま、目だけこちらに向ける。


『ホラー』も、湯呑みを持つ手を止めた。


***


「安心しろ」


『ジョン』が、先に言った。


「今日、問い詰めるつもりはない」


「……じゃあ、何のつもりで」


「順番の話をしにきた」


***


俺が黙っていると、『ジョン』は続けた。


「俺は、知りたいことがあると、真っ先に突っ込むタイプだ。でもな」


一拍、置く。


「昨日、飲みながら思ったんだ。ここの連中は、俺よりずっと長く、お前の隣にいる」


***


「だから、順番を守ることにした」


『ジョン』が、俺をまっすぐ見た。


「聞きたいことは、山ほどある。でも、お前がここのみんなに話してないことを、俺が先に暴くのは、フェアじゃない」


***


課長が、机から顔を上げた。


「うん、うん。いいこと言うね」


「褒めてる場合ですか、課長」


『レディー』が、小声で突っ込む。


***


「その代わり」


『ジョン』が続けた。


「いつか話す気になったら、俺にも聞かせてくれ。順番は、守る。だが、待つのをやめる気もない」


短い沈黙のあと、俺は、小さくうなずいた。


「……分かった」


それだけしか、言えなかった。


***


昼過ぎ、『ギーク』が、ノートパソコンを抱えて、会議室に駆け込んできた。


二日酔いの気配は、もう消えていた。


「見つけました。組織の名前」


***


全員の目が、画面に集まる。


「例の紋章、線が一本多いやつ。あれ単体で検索しても、何も出なかったんですけど」


「うん、うん」


「『ジョン』さんの持ってた五十年前のファイル、あの黒塗りの隙間から、一単語だけ、拾えました」


***


画面に、アルファベットの羅列が表示される。


読み上げるように、『ギーク』が言った。


「――『メリディアン』」


***


『ジョン』の顔から、軽さが消えた。


「その単語、知ってるんですか」


俺が聞くと、『ジョン』は、ゆっくりと首を振った。


「いや。だが」


***


「五十年、黒塗りにされ続けてきた単語だ」


『ジョン』が、低い声で続けた。


「うちの国が、それだけ隠したがってたってことになる」


***


会議室が、静かになった。


課長だけが、湯呑みを片手に、いつもの調子で言った。


「うん、うん。じゃあ、次はそこを、調べようか」


軽い声だったが、誰も、笑わなかった。


***


アパートに帰ると、メレオスが、ソファでこっちを見ていた。


「おかえりじゃ。今日は、また、忙しない顔をしとるな」


「『メリディアン』って、知ってるか」


メレオスの動きが、止まった。


***


「……その名前、どこで聞いた」


いつもの軽い声が、消えていた。


「『ジョン』が持ってた、五十年前の記録の中に、あった」


***


メレオスは、しばらく、黙っていた。


「伊左衛門が、一度だけ、寝言でその名を呟いたことがある」


「本当か」


「本当じゃ。じゃが、あやつは、覚えとらんかった。次の朝、聞いても、首をかしげるだけじゃった」


***


「じゃあ、それが」


「分からん。わしにも、分からん」


メレオスの声が、珍しく、小さかった。


「じゃが、名前一つで、こうも胸がざわつくとは、思わなんだ」


***


半分消えたはずの心残りが、また一つ、名前を持った。


『メリディアン』。


その名前が、何なのか。


まだ、誰も知らない。


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