第二十六章 名前は、メリディアン
朝、地下の会議室に、うめき声が転がっていた。
課長が、机に突っ伏したまま、動かない。
「課長、まだ寝てます?」
俺が声をかけると、「うん、うん」と、返事だけは律儀に返ってきた。
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『レスラー』が、水のペットボトルを配って回っている。
「二日酔いの薬、置いときますね」
「ありがとうございます……」
『レディー』が、こめかみを押さえながら受け取った。いつもの涼しい顔が、今日は半分死んでいる。
『ホラー』だけが、平然としていた。あの量の徳利を空けて、平気な顔らしい。
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「私は一滴も飲んでいないので、通常運転です」
加藤さんが、いつも通りお冷やを配りながら言う。
「それ、地味に自慢に聞こえます」
俺が言うと、加藤さんは、にっこり笑っただけだった。
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『ジョン』は、デスクで缶コーヒーを片手に、涼しい顔をしていた。
「意外と平気そうですね」
「昨日のあれくらい、こっちじゃ前夜祭みたいなもんだ」
さらりと言ってのける。国が違うと、基準も違うらしい。
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そこへ、『ギーク』が出社してきた。パーカーのフードを、目深にかぶっている。
「……頭、割れそう」
「未成年じゃなかったんだな」
『レスラー』がからかうと、『ギーク』はフードの下から睨むだけの元気しかなかった。
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みんなの二日酔いが落ち着いた頃、『ジョン』が、缶コーヒーを机に置いた。
「なあ、小沢」
軽い声だったが、俺の背筋が、少しだけ強張った。
「昨日の話、覚えてます?」
「一言一句とは言わないけど、だいたいはな」
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会議室の空気が、わずかに変わった。
『レディー』が、二日酔いの顔のまま、目だけこちらに向ける。
『ホラー』も、湯呑みを持つ手を止めた。
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「安心しろ」
『ジョン』が、先に言った。
「今日、問い詰めるつもりはない」
「……じゃあ、何のつもりで」
「順番の話をしにきた」
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俺が黙っていると、『ジョン』は続けた。
「俺は、知りたいことがあると、真っ先に突っ込むタイプだ。でもな」
一拍、置く。
「昨日、飲みながら思ったんだ。ここの連中は、俺よりずっと長く、お前の隣にいる」
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「だから、順番を守ることにした」
『ジョン』が、俺をまっすぐ見た。
「聞きたいことは、山ほどある。でも、お前がここのみんなに話してないことを、俺が先に暴くのは、フェアじゃない」
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課長が、机から顔を上げた。
「うん、うん。いいこと言うね」
「褒めてる場合ですか、課長」
『レディー』が、小声で突っ込む。
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「その代わり」
『ジョン』が続けた。
「いつか話す気になったら、俺にも聞かせてくれ。順番は、守る。だが、待つのをやめる気もない」
短い沈黙のあと、俺は、小さくうなずいた。
「……分かった」
それだけしか、言えなかった。
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昼過ぎ、『ギーク』が、ノートパソコンを抱えて、会議室に駆け込んできた。
二日酔いの気配は、もう消えていた。
「見つけました。組織の名前」
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全員の目が、画面に集まる。
「例の紋章、線が一本多いやつ。あれ単体で検索しても、何も出なかったんですけど」
「うん、うん」
「『ジョン』さんの持ってた五十年前のファイル、あの黒塗りの隙間から、一単語だけ、拾えました」
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画面に、アルファベットの羅列が表示される。
読み上げるように、『ギーク』が言った。
「――『メリディアン』」
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『ジョン』の顔から、軽さが消えた。
「その単語、知ってるんですか」
俺が聞くと、『ジョン』は、ゆっくりと首を振った。
「いや。だが」
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「五十年、黒塗りにされ続けてきた単語だ」
『ジョン』が、低い声で続けた。
「うちの国が、それだけ隠したがってたってことになる」
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会議室が、静かになった。
課長だけが、湯呑みを片手に、いつもの調子で言った。
「うん、うん。じゃあ、次はそこを、調べようか」
軽い声だったが、誰も、笑わなかった。
***
アパートに帰ると、メレオスが、ソファでこっちを見ていた。
「おかえりじゃ。今日は、また、忙しない顔をしとるな」
「『メリディアン』って、知ってるか」
メレオスの動きが、止まった。
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「……その名前、どこで聞いた」
いつもの軽い声が、消えていた。
「『ジョン』が持ってた、五十年前の記録の中に、あった」
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メレオスは、しばらく、黙っていた。
「伊左衛門が、一度だけ、寝言でその名を呟いたことがある」
「本当か」
「本当じゃ。じゃが、あやつは、覚えとらんかった。次の朝、聞いても、首をかしげるだけじゃった」
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「じゃあ、それが」
「分からん。わしにも、分からん」
メレオスの声が、珍しく、小さかった。
「じゃが、名前一つで、こうも胸がざわつくとは、思わなんだ」
***
半分消えたはずの心残りが、また一つ、名前を持った。
『メリディアン』。
その名前が、何なのか。
まだ、誰も知らない。




