第二十二章 消し忘れた足跡
数日後。
地下の会議室に、見慣れない顔があった。
「……本当に来た」
『レスラー』が、目を丸くした。
***
「肉まん六個の約束、守ってもらったので」
『ギーク』が、ノートパソコンを抱えて、席についた。
ジャージではなく、パーカーだった。
一応、外行きの格好らしい。
***
「今日は、赤城さんも」
課長が言った。
いつもの緩さが、少しだけ薄い。
赤城が、部屋の隅に立っていた。
「『ギーク』くん、だったね。噂は聞いている」
「初めまして。噂ってなんですか」
『ギーク』が、悪びれずに聞き返す。
赤城が、わずかに笑った。
***
「見せて」
課長が促す。
『ギーク』が、画面をみんなに向けた。
「例の、逃走車です」
「ナンバーの先が消されてた、ってやつだったよな」
『レスラー』が確認する。
「はい。あの日は、そう報告しました」
「あの日は?」
俺は、聞き返した。
***
「消した奴、腕は良かったです。でも、完璧じゃなかった」
『ギーク』が、画面をスクロールする。
ログの羅列の中に、一つだけ、色が違う行があった。
「これ、通信の中継地点の記録です。普通は、痕跡ごと消えてる。でも、ここだけ、消し方が雑でした」
「雑、っていうのは」
『レディー』が、身を乗り出す。
「急いでた、ってことです。誰かに、途中で邪魔された可能性もあります」
***
画面に、小さな図案が表示された。
輪の中に、いくつもの線が交差している。
「これ」
『ホラー』の声が、急に硬くなった。
「『常世会』の紋章と、似てるけど、違いますね」
「違う?」
課長が、眉を寄せる。
「『常世会』のは、もっと単純です。これは……線が、一本多い」
『ホラー』が、髪の隙間から、じっと画面を見ていた。
部屋の空気が、変わった。
***
赤城が、初めて、画面に近づいた。
長い沈黙のあと、赤城が言った。
「この紋章を、どこで」
「消えかけの中継ログの、隅にです。データの持ち主を示す、識別マークみたいなものだと思います」
『ギーク』が答える。
「持ち主」
赤城の声が、低くなった。
「『常世会』は、道具だ、と言ったな」
赤城が、俺の方を見ずに、言った。
「使っていた手が、まだある、と」
俺は、何も言えなかった。
その言葉は、メレオスが言っていたことと、同じだった。
***
「赤城さん、知ってるんですか、これ」
俺は、思い切って聞いた。
赤城が、一瞬、迷うような顔をした。
丁寧な彼にしては、珍しい間だった。
「……いや」
「知らない。だが」
「見覚えは、ある気がする」
それだけ言うと、赤城は、それ以上を口にしなかった。
***
「『ギーク』くん」
課長が、いつもより静かな声で言った。
「この件、引き続き、追ってもらえるかな」
「はい。……あ、次は肉まん八個で」
『ギーク』が、あっさり値上げした。
場の空気が、少しだけ緩んだ。
***
会議が終わり、地上に出る。
夕方の風が、冷たかった。
アパートに帰ると、メレオスが、ソファでテレビを見ていた。
「おかえり」
「ただいま」
俺は、スマホに保存しておいた紋章の画像を見せた。
課長からこっそり許可をもらっていた。
「これ、見覚えある?」
***
メレオスが、画面を覗き込んだ。
一瞬、時が止まったように見えた。
「……どこで、これを」
いつもの、おどけた声ではなかった。
「『常世会』の逃走車の記録に、残ってたって」
メレオスは、しばらく、黙っていた。
「伊左衛門が、若い頃に見た紋章と、似ておる」
「先にいる何か、ってやつの?」
「……そうじゃ」
***
メレオスが、膝を抱えた。
いつもより、小さく見えた。
「半分消えたと思うた心残りが、また、顔を出したかもしれん」
窓の外は、もう、すっかり暗くなっていた。
指先に残っていた、あの日の炎の熱は、とうに冷めている。
だが、胸の奥だけは、まだ、少しだけ、熱いままだった。




