第十八章 お願い、という名の命令
朝、地下に降りる。
六、三、一、六。閉じるボタン、長押し。
会議室に入ると、課長が一人で立っていた。
資料も、いつもの面子もいない。
「小沢くん、今日はね」
「はい」
「赤城さんが、来る」
***
一瞬、頭が真っ白になった。
拉致された日以来だ。
あのときは、黒服に囲まれて、選択肢なしで会わされた。
今日は、アポイントメントというやつだった。
それはそれで、緊張の種類が違う。
「何、話すんですか」
「魔法の話、だと思うよ」
課長が、他人事のように言った。
他人事ではないと思う。
***
十時ちょうどに、エレベーターが降りてきた。
扉が開くと、スーツ姿の男が一人、立っていた。
「久しぶりだね、健司くん」
物腰は、あの日のまま丁寧だった。
丁寧なまま、怖い。
***
「お忙しいところ、ありがとうございます」
我ながら、よくできた敬語だと思う。
「忙しいのはお互い様だ。今日は、無理を言って時間をもらった」
「無理を言って」というより、「言ってきた」に近い響きだった。
断れる空気は、最初からなかった。
***
会議室の椅子に、向かい合って座る。
課長は、部屋の隅で、置物のように立っていた。
逃げ道ではなく、証人という位置取りに見えた。
「単刀直入に聞くが」
赤城が、姿勢を崩さずに言った。
「あの炎は、気功ではないそうだね」
***
来た。
「……はい」
「魔法、だと聞いている」
「そう、認めました」
短く答えるので精一杯だった。
赤城の目は、責めているようには見えなかった。
ただ、じっと、こっちを測っていた。
***
「祖父様、いや師匠から、そんな話は聞いたことがない」
「俺も、聞いてないです」
「ほう」
「じいちゃんの修行の延長だとは、思うんですけど。うまく、説明できないんです」
課長にも、同じ台詞を使った。
二度目は、少しだけ、口が滑らかだった。
***
赤城は、しばらく黙っていた。
沈黙が、いつもの静かな圧になる。
「隠していたことを、責めるつもりはない」
「……ありがとうございます」
「隠しきれなくなったことを、むしろ喜ぶべきかもしれないな」
意味が、すぐには分からなかった。
***
「単刀直入に、もう一つ」
赤城が、話を進めた。
「『常世会』の本体が、動いている」
空気が、変わった。
***
「先日、お前たちが潰した倉庫は、残党のものだった。だが、本体は、それを見逃さなかった」
「見逃さなかった、というのは」
「幹部の一人が、飼っていた組織を潰されたことに、腹を立てている。表向きは静かだが、裏では、報復の準備をしている」
課長の顔から、いつもの緩さが消えていた。
***
「規模は、これまでとは違う。人数も、装備も」
赤城が、淡々と続けた。
「近いうちに、0課に、正式な作戦要請が来る」
「正式な、というのは」
「これまでのような、後始末じゃない。最初から、正面でぶつかる仕事だ」
***
「その前に」
赤城が、初めて、少しだけ表情を動かした。
「お前の力を、この目で確かめておきたかった」
「……見せろってことですか」
「できれば」
丁寧な言い方だったが、選択肢は感じなかった。
***
地下の訓練場に、場所を移した。
『レスラー』も『レディー』も、何も聞かずに、壁際に下がった。
課長が、的をいくつか並べる。
「小沢くん、この前の、あれで」
「本気の、あれですか」
「うん」
***
指先に、火を灯す。
野球ボール、メロン、コンロより大きく――今日は、そこで止めなかった。
「むん――ッ」
砂袋よりも大きな火球が、的を跡形もなく吹き飛ばした。
熱が、離れた場所まで届く。
***
赤城は、動かなかった。
腕を組んだまま、燃え尽きた的の跡を見ている。
「風も、いけます」
腕を、大きく振った。
ゴウ、という風の刃が、残った的を両断し、奥の壁に薄い線を残した。
***
しばらく、誰も、何も言わなかった。
「……師匠は」
赤城が、ようやく口を開いた。
「気功しか、教えていないはずだ」
「はい」
「これは、その先にある何かか」
答えられなかった。
メレオスの名前は、まだ出せない。
***
「うまく、説明できないです」
三度目の同じ台詞。
赤城は、それ以上、追及しなかった。
「いい。今は、それでいい」
意外な言葉だった。
***
「師匠が、何も語らずにお前へ渡したものなら、俺が横から詮索するものでもないんだろう」
兄弟子らしい言い方だった。
「ただし」
声の温度が、少しだけ下がった。
***
「『常世会』との一戦では、隠さず、全部使ってもらう」
「……はい」
「加減はいらない。むしろ、加減するな」
『ホラー』にも、『レスラー』にも、同じ言葉を言われたことがある。
三人目だった。
***
「日取りは、また連絡する」
赤城が、立ち上がった。
「頼りにしている、健司くん」
その一言だけ、丁寧さの奥に、兄弟子としての響きがあった気がした。
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エレベーターの扉が閉まる。
課長が、ふう、と息を吐いた。
「うん、うん。大きいのが来るね」
他人事のような言い方だが、目は真剣だった。
***
「小沢くん」
「はい」
「今のうちに、休めるときに休んでおきなさい」
珍しく、はっきりした指示だった。
***
アパートに帰った。
「おかえりじゃ。今日は、また違う顔をしとるな」
メレオスが、ソファでこっちを見ていた。
「赤城さんに、会った」
「ほう。あの弟子か」
「魔法のこと、聞かれた。うまく説明できない、で通した」
「よう、しのいだのぉ」
***
「あと、『常世会』の本体が動いてるって」
その言葉に、メレオスの目つきが、少しだけ変わった。
「本体、か」
「知ってるのか」
「名前だけはな。伊左衛門が、生前、気にしておった相手じゃ」
初めて聞く話だった。
***
「じいちゃんが?」
「多くは語らんかったがのぉ。あの男、面倒事は自分の代で片付けたがる質じゃった」
メレオスが、珍しく、茶化さずに言った。
「片付かんかった分が、お主に回ってきた、ということかもしれんのぉ」
***
「他人事みたいに言うなよ」
「他人事ではないぞ。わしは、お主の守護神じゃからな」
いつもの調子に、少しだけ、戻っていた。
「今度は、隠れて見ておるだけでは、済まんかもしれん」
***
指先に、まだ、風と火の余韻がある。
赤城の前で、初めて、加減なしの力を見せた。
隠す仕事は、もう、ほとんど残っていない。
代わりに、次に待っているのは、これまでで一番大きな仕事だった。
これからは、加減している場合ではなくなる。
だが今夜だけは、少し眠っておきたかった。




