第十六章 解禁したら、これでした
朝、地下に降りる。
いつもの暗証番号を押す。
今日は、指が震えなかった。
会議室に入ると、課長がホワイトボードの前に立っていた。
資料は、配られなかった。
「小沢くん、おはよう」
「……おはようございます」
「早速なんだけどね」
課長が、ホワイトボードに、簡単な絵を描いた。
倉庫と、瓦礫の山。
「昨日の倉庫、片付けがまだでね。魔法で、なんとかならないかな」
***
一瞬、聞き間違いかと思った。
昨日までは、隠せ、だった。
今日は、開けっぴろげに「魔法で」だった。
「……いいんですか、堂々と使って」
「うん、うん。もう、隠さなくていいって言ったろう」
課長が、頼りなさげな顔のまま、うなずいた。
「それに、瓦礫、重機を入れるほどでもない。人力じゃ、日が暮れる」
要するに、便利だから使ってくれ、という話だった。
***
『レディー』が、机の端で、爪の手入れをしていた。
「へえ。じゃあ、今日はもう、隠さなくていいんだ」
「そうみたいです」
「ふーん」
いつもの音だったが、続きがあった。
「じゃあ、見ものね」
含みのある言い方に、なぜか、少し背筋が伸びた。
***
倉庫は、昨日のままだった。
焦げた木箱と、崩れた鉄骨が、山になっている。
土埃の匂いが、まだ残っていた。
「じゃ、やってくれ」
『レスラー』が、包帯を巻いた腕で、指を差した。
「利き腕、無事なんですね」
「これくらいで済んで、儲けもんだ」
軽口だったが、目の奥は、まだ少し疲れて見えた。
***
土のイメージを、瓦礫の下に差し込む。
昨日みたいに、力任せじゃない。
今日は、加減してもいい。
「ゆっくり、上げます」
「昨日は『上がれ』の一言だったのにな」
『レスラー』が、笑った。
「昨日は、それどころじゃなかったんです」
ズズッ、と瓦礫が、静かに持ち上がった。
鉄骨が、横へずれる。木材が、端へ寄る。
音も、埃も、昨日よりずっと小さかった。
***
「……できるんじゃない」
『レディー』が、少し驚いた声を出した。
「加減の練習、してるんで」
「ふーん」
だが、その「ふーん」には、笑いが混ざっていた。
***
加藤さんが、書類の束を抱えて、倉庫に入ってきた。
「あら」
瓦礫が、きれいに寄せられているのを見て、目を丸くする。
「すごいのね、小沢さん」
「あ、いや、これは」
「重機、呼ばなくて済んだって、課長が喜んでたわ」
にこにこと、そう言った。
怖がる様子は、まるでなかった。
***
「これも、お願いできる?」
加藤さんが、押収品の入った段ボールを指差した。
「二階まで運ぶの、大変で」
「あ……はい」
魔法で運ぶような箱ではなかった。
ただの重い段ボールだった。
風のイメージで、そっと持ち上げる。
段ボールが、ふわりと浮いた。
「わあ」
加藤さんが、手を叩いた。
「魔法って、便利ね」
素朴な感想だった。
だが、その一言に、なぜか肩の力が抜けた。
***
『ホラー』は、少し離れた場所で、瓦礫の跡を見ていた。
焦げた木箱。土で押し上げた床の跡。
それから、こっちを見た。
いつもの、あの目だった。
物を見て、俺を見る。
だが、今日は、それだけで、目をそらさなかった。
「……何か」
「いえ」
短く、それだけ言って、また、床の方へ視線が落ちた。
***
昼を過ぎるころには、倉庫は、ただの空き家みたいになっていた。
「一日で終わるとはな」
『レスラー』が、額の汗を拭いながら言った。
「重機なら、三日かかってたところだよ」
課長が、満足そうに、メジャーで何かを測っていた。
何を測っているのかは、聞かなかった。
***
「小沢くん」
「はい」
「ついでと言っちゃなんだけど」
課長の「ついでと言っちゃなんだけど」は、あまりいい流れを持ってこない。
経験で分かる。
「地下の訓練場、ちょっと付き合ってくれるかな」
***
隠す仕事が、また一つ減った。
代わりに、便利屋の仕事が、一つ増えた気がする。
悪い交換ではない、と思うことにした。




