第十五章 隠しきれないもの
朝、地下に降りる。
六、三、一、六。閉じるボタン、長押し。
会議室に、いつもの面子が揃っていた。
課長が、資料を配る。
「『常世会』の残党だ。押収を免れた倉庫が、もう一つあった」
『常世会』の名前に、体が少し強張った。
「幹部の何人かが、そこに潜伏している。名簿と、まだ残っている物資を、燃やして逃げるつもりらしい」
「証拠隠滅、ですか」
「そうだ。今日中に押さえたい」
『レディー』は、爪を見ていない。
『ホラー』は、資料の隅を見たあと、こっちを見なかった。人間の案件だ。
「小沢くんも、行ってもらう」
いつもの流れだった。
***
現場は、都下の外れにある古い倉庫だった。
木造と鉄骨が、中途半端に混ざっている。
壁のあちこちが、錆びて傷んでいる。
「古い建物だな」
『レスラー』が、倉庫を見上げて言った。
「崩れそうですね」
「崩れなきゃいいけどな」
軽い言い方だったが、目は建物の骨組みを見ていた。
***
正面と裏口、両方から入る。
『レスラー』と俺が正面。『レディー』が裏口。『ホラー』は外で待機。
「行くぞ」
扉を蹴破ると、中は薄暗かった。
木箱が、山になって積まれている。
「動くな!」
奥から、複数の足音。
銃声が、一発鳴った。
木箱の陰に、身を隠す。
「証拠隠滅、まだ間に合ってなかったみたいだな」
『レスラー』が、拳銃を構えながら言った。
***
奥の男が、何かを投げた。
発煙筒ではない。
もっと重い音が、床で跳ねた。
「伏せろ!」
『レスラー』が叫んだ瞬間、爆発が起きた。
ドン、と空気が震える。
木箱が、吹き飛ぶ。
耳が、また鳴った。
***
煙の向こうで、天井の梁が、軋んでいる。
「まずい、崩れる」
『レスラー』の声。
老朽化した建物に、爆発の衝撃だ。持つはずがない。
「外に出ろ!」
言われて、足が動いた。
だが、動いた瞬間、頭の上で、何かが折れる音がした。
***
体が、突き飛ばされた。
視界が、横に流れる。
「ぐっ――」
低い呻き声。俺のじゃない。
尻もちをついたまま、振り返る。
『レスラー』が、崩れてきた鉄骨と木材の下に、半分埋まっていた。
俺を突き飛ばして、代わりに入ったのだ。
「『レスラー』!」
***
「無事か……お前は」
くぐもった声。
「無事です。なんで庇ったんですか」
「体が、勝手に動いた」
軽い口調に、聞こえない。
木材の隙間から、火が見えはじめた。爆発の熱が、乾いた木に燃え移っている。
***
『レディー』が、裏口から駆け込んできた。
「どうなってるの、これ」
「『レスラー』が下敷きだ」
見た瞬間、表情が変わった。
「動かせる?」
「無理だ、重すぎる」
鉄骨と木箱と、崩れた梁が、山になっている。
人力でどけられる量じゃない。
火は、もう、その山を舐めはじめていた。
***
『ホラー』も、外から駆けつけていた。
「人間の案件だから、って言ってましたけど」
「今は、そんなこと言ってる場合じゃない」
珍しく、声が尖っていた。
三人がかりで、瓦礫を押す。
ビクともしない。
火が、大きくなる。
『レスラー』の呻き声が、少し、弱くなった気がした。
***
頭が、真っ白になりかけた。
――加減するな。
いつか言われた言葉が、耳の奥で鳴った。
誰の声だったか、今は思い出す暇もない。
じいちゃんの声も、重なる。
『困ってる人を助けるのが男ぞ!』
困ってる人は、今、目の前にいる。仲間だ。
迷っている時間は、もう、ない。
***
抑えを、外した。
これまでずっと、加減して、小さくまとめてきた。
倉庫を焦がすな。人前で目立つな。気功で通せ。
そんなことを、考えている場合ではない。
「むん――――ッ!!」
***
風が、渦を巻いた。
火を、根こそぎ吹き飛ばすイメージ。酸素ごと、その場から奪う。
炎が、一瞬で萎んで、消えた。
続けて、瓦礫だ。
土のイメージを、鉄骨の下に差し込む。
持ち上げるんじゃない。
地面ごと、押し上げる。
「上がれ――!」
***
ズズッ、と鈍い音がして、瓦礫の山が、一気に傾いた。
鉄骨がずれる。
木材が、外側へ転がり落ちる。
『レスラー』の体が、隙間から見えた。
「『レディー』、腕を!」
『レディー』が、飛び込むように腕を引く。
『ホラー』も、反対側から支える。
三人がかりで、『レスラー』を引きずり出した。
***
「意識、あるか」
「……あるに、決まってんだろ」
痛みに顔をしかめながら、憎まれ口だけは出た。
生きている。
体から、力が抜けた。
***
静かになった倉庫に、消えた火の匂いと、土埃だけが残っている。
『レディー』が、俺を見ていた。
『ホラー』も、見ていた。
誰も、何も言わない。
言い訳の言葉が、もう、見つからなかった。
「……気功、です」
出た言葉は、それだけだった。
だが、自分でも、力のない声だと分かった。
***
『レディー』が、小さく息を吐いた。
「それ、もう、言わなくていいから」
いつもの「ふーん」ではなかった。
『ホラー』は、何も言わず、ただ、うなずいた。
***
正規の救急隊に、『レスラー』を引き渡した。
打撲と、軽い骨折。命に別状はない。
うちの課の名前は、どこにも残らない。
いつも通りだった。
***
地下に戻ると、課長が待っていた。
『レスラー』は、医務室に運ばれていった。
「うん、うん。無事で、何よりだ」
課長が、いつになく、静かな声で言った。
「小沢くん」
「……はい」
「今日の話は、あとでゆっくり聞く。今日は、もう休みなさい」
逃げ道を、くれたのかもしれない。
だが、逃げる気には、もうなれなかった。
***
「課長」
呼び止めた。
「あれ、気功じゃないです」
言ってしまった。
会議室にいた全員が、こっちを見た。
***
「魔法、です」
短く、それだけ言った。
誰も、笑わなかった。
『レディー』が、爪を見ずに、こっちを見ていた。
「ふーん」
いつもの音だが、続きがなかった。それだけで、十分だった。
***
「なんで、隠してたんだよ」
医務室から、『レスラー』の声がした。ドアが、少し開いている。
包帯を巻かれながら、こっちを睨んでいた。
「言えば、面倒なことになると思って」
「面倒だったのは、隠されてたほうだ」
図星だった。
***
「昔の部隊にも、お前みたいなのがいたら、って言ったろ」
『レスラー』が、包帯だらけの手で、頭をかいた。
「あれ、本気で言ったんだぞ」
「はい」
「守ってもらう側になるとはな。……悪くない」
不器用な笑い方だった。
***
「どこで、そんな力を」
課長が、聞いてきた。
一番、聞かれたくない質問だった。
「じいちゃんの修行の、延長です」
「気功じゃなくて、か」
「うまく、説明できないです」
嘘ではなかった。説明できないのは、本当だった。
***
「無理に聞かない。だが、これからは、隠さなくていい」
課長が、頼りなさげな顔のまま、少しだけ、しっかりした声で言った。
「うん、うん。うちは、そういう部署だ」
存在しない部署に、そう言われても、実感が薄い。
だが、肩の力が、少し抜けた。
***
『ホラー』が、帰り際、初めて自分から声をかけてきた。
「小沢さん」
「はい」
「やっと、話せましたね」
それだけ言って、また、いつもの床を見る目に戻った。
短い言葉だったが、久しぶりに、背中が冷たくならなかった。
***
アパートに帰った。
「おかえりじゃ。今日も、でかいのだったな」
メレオスが、ソファでくつろいでいる。
「今日、みんなに認めた」
「ほう」
「気功じゃない、魔法だって」
メレオスが、珍しく、すぐには茶化さなかった。
***
「隠すのも、疲れたじゃろ」
「疲れた」
「よう、頑張ったのぉ」
素直に褒められると、調子が狂う。
「お前のことは、言ってない」
「そりゃそうじゃろう。わしは、まだ、秘密じゃ」
いつもの、面白がる顔に戻った。
***
「『レスラー』を、庇って助けた。仲間を守れなかった、って言ってた奴だ」
「知っておる」
「今度は、俺が守った」
「よい流れじゃな」
メレオスが、目を細めた。
***
指先が、まだ少し熱い気がする。
今日は、体より、頭が疲れた。
だが、久しぶりに、憂鬱の質が違った。
隠す仕事が、一つ減った。
代わりに、守るべきものが、少し増えた気がする。
明日も、何か資料が配られるのだろう。
憂鬱だ。
だが、悪くない憂鬱だった。




