第十四章 『レディー』の秘密
朝、地下に降りる。
六、三、一、六。閉じるボタン、長押し。
会議室に、いつもの面子が揃っていた。
課長が、資料を配る。
今日は写真も地図もない。文字ばかりの紙だった。
「国内の新興宗教団体、『常世会』」
聞いたことのない名前だった。
「信者は非公開だが、数百人規模。公安の別班が、内偵を続けていた」
『レディー』は、爪を見ていない。
いつもの「ふーん」も、まだ出ない。
「昨夜、内偵先から緊急の連絡が入った。教団施設内で、テロの準備が進んでいる」
会議室の空気が、少し変わった。
「都内のショッピングモールを狙った、爆弾テロだ」
***
「証拠が要る」
課長が続けた。
「教団は、都下の旧工場をそのまま本部にしている。地下に、外部に見せない部屋がある」
「計画書と、実行に使う物資が、そこにあるはずだ」
『レディー』が、初めて口を開いた。
「入るのは、私」
決まっていることのように、迷いがなかった。
「施設の裏、排気ダクトが外に露出している。人一人なら通れる」
「一人で、ですか」
「音を立てないのは、私の仕事」
短く、それだけ言った。
「私が証拠を押さえたら、合図する。そこで、正面から入って」
課長が、頼りなさげにうなずいた。
「うん、うん。小沢くんたちは、外で待機。合図があったら、突入」
「今回は、人間ですよね」
『ホラー』が言う。
「そうだ」
「なら、後ろに回ります」
いつもの流れだった。
***
移動中の車内。
『レディー』は、いつも通り爪を見ていた。
だが、マニキュアの瓶は開いていない。
「爆弾テロって、マジですか」
聞いてみた。
「マジよ。休日のモールで爆発したら、シャレにならない」
さらっと言われて、背筋が冷えた。
「大丈夫なんですか、一人で」
「あんたに心配される筋合い、ないんだけど」
いつもの調子だ。だが、少しだけ、声が硬い気がした。
***
旧工場の裏手。
夜の闇に、建物の輪郭だけが、黒く沈んでいる。
『レディー』が、排気ダクトの蓋を、音もなく外した。
化粧の濃い顔が、暗がりの中で一瞬だけ、真剣になる。
「行ってくる」
それだけ言って、細い体が、ダクトの中へ消えた。
***
無線だけが、頼りだった。
『レスラー』が、ヘッドセットを耳に当てている。
「……中、静かだな」
しばらく、雑音しか聞こえない。
心臓が、うるさい。
「見つけた」
『レディー』の声。息が、少し弾んでいる。
「計画書。あと、爆弾が五個」
「量、ヤバいわね。これ、モール一個分は軽くある」
淡々とした声だが、中身は重い。
「写真、撮った。今から――」
声が、途切れた。
***
「『レディー』?」
返事がない。
雑音の向こうで、何かがぶつかる音。
「くっ……人数、聞いてないんだけど」
息が、荒くなっている。
「何人だ」
『レスラー』が聞く。
「五、いや七。多い」
「時間稼ぎ、できるか」
「できるけど、長くは無理」
声に、初めて焦りが混じった。
「来て」
***
「行くぞ」
『レスラー』の一言で、体が動いた。
正面の扉を、蹴破る。
中は、想像より広い。
信者と思しき男たちが、バールや鉄パイプを手に、こちらへ向かってくる。
数えている暇はない。十人はいる。
「『オザケン』、下がってろとは言わねぇ。やれ」
短い許可だった。
***
風だ。
イメージは、竜巻。
地下訓練で、何度も失敗した形だった。小さくまとめる。狭く、強く。
「むん――ッ!」
足元から、渦が立ち上がる。
ゴウッ、と音がして、目の前の男たちが、まとめて宙に浮いた。
鉄パイプが、からんからんと床に落ちる。
体が、風に巻かれて、壁際まで転がっていった。
***
「うおっ、すげぇ」
『レスラー』が、目を丸くした。
宙に浮いていた男たちが、次々と落ちてくる。
受け身も取れず、床に転がったまま呻いていた。
「拘束、頼みます」
「おう」
倒れた男たちを、『レスラー』が次々と押さえていく。
縄を打つ手際が、やけに早い。
『ホラー』も、後方から一人を組み伏せていた。
口数は、少ない。
***
奥の部屋。
扉を開けると、『レディー』が壁を背に立っていた。
足元に、三人。伸びている。
「遅い」
いつもの声。だが、頬に、切り傷があった。
「大丈夫ですか」
「かすっただけ」
計画書と、起爆装置を外した爆弾を、こちらに突き出す。
「証拠、確保。あとは、任せる」
***
正規の警察と、公安の別班に、証拠を引き渡す。
うちの課の名前は、どこにも残らない。
いつも通りだった。
車の中で、『レディー』が、窓の外を見ていた。
頬の傷に、まだ血がにじんでいる。
***
「動き、『レスラー』と似てましたね」
言ってから、しまったと思った。
だが、『レディー』は、意外にも、答えた。
「似てるでしょうね。似た育ち方、してるもの」
「え」
「あんたも、うすうす気づいてたんじゃない。私の動き、素人じゃないって」
ビル立てこもり事件、あの日のことだ。
図星だった。
***
「子供のころから、殺しの技術を叩き込まれてた」
さらっと言われて、言葉が出なかった。
「組織、っていうのがあってね。物心つく前から、そこの子供だった」
『レディー』は、窓の外を見たまま続けた。
「人を殺すのが、仕事。それしか、教わってない」
***
「化粧も、そのころの名残」
「え」
「素顔のままじゃ、標的に近づけない。別人になる。それが、私の仕事道具」
化粧が濃いのは、ケバケバしいからじゃない。
顔そのものを、消すためだった。
「レディーには、とても見えない」と自分でも思っていた顔が、初めて意味を持った。
***
「なんで、抜けたんですか」
聞いていいのか、分からなかった。
『レディー』は、少し黙ってから、口を開いた。
「ある任務で、標的が子供だった。育てられ方が、私と同じだった」
『レディー』は、窓ガラスに映る自分の顔を見ていた。
「その子を見て、初めて、自分のことが分かった」
短い言葉だった。だが、重かった。
***
「任務、放棄した。組織にとって、それは死刑と同じ」
「追われた。国内、国外、あちこち逃げた」
「あの男に、拾われるまで」
「あの男?」
「大臣。赤城」
***
「殺されるか、生き残るか。選ばせてやる、って言われた」
「生き残るって言ったら、腕を買われた」
「0課に来ないかって。人生で初めて、選ばせてもらえた」
淡々とした声の奥に、何か、硬いものがあった。
「だから、ここにいる」
***
「なんで、俺に話したんですか」
聞いてみた。
「あんたが、しつこく心配するから」
「それだけですか」
「それだけよ」
いつもの「ふーん」が、久しぶりに出た。
だが、今日の「ふーん」は、少しだけ、柔らかかった。
***
地下に戻ると、課長が待っていた。
「うん、うん。証拠確保、ご苦労さん」
「『レディー』の傷は」
「かすり傷です」
加藤さんが、救急箱を持ったまま、困った顔をしていた。
「治療させてくれないの」
「いつものことよ」
***
アパートに帰った。
「おかえりじゃ。今日も、でかいのだったな」
メレオスが、ソファでくつろいでいる。
「風の竜巻、初めて実戦で使った」
「ほう。あの訓練が、そのまま出たか」
「知っておったのぉ、と言うかと思った」
「言わんよ、今日は」
珍しい返事だった。
***
「『レディー』の過去、聞いた」
「殺し屋、じゃったか」
「知ってたのか」
「薄々な。あの女子、気配の消し方が、素人のそれじゃなかった」
「なんで教えない」
「聞かれなかったからのぉ」
いつもの返事だ。だが、今日は、腹が立たなかった。
***
「選ばせてもらえたのが、初めてだった、って言ってた」
「ほう」
「重い話だった」
メレオスが、珍しく、笑わなかった。
「小僧」
「なんだよ」
「お主も、選ばれる側から、選ぶ側になったんじゃぞ」
意味が、すぐには分からなかった。
***
「魔法の話か」
「さあの。神様は、そこまで気の利いたことは言わん」
いつもの調子に、すぐ戻った。
『レディー』の秘密。竜巻の初お披露目。
課の謎は、また一つ、形を変えて増えた。
だが、少しだけ、近づけた気がした。
明日も、何か資料が配られるのだろう。
憂鬱だ。
だが、悪くない憂鬱だった。




