第百三十七章 経費で、落とします
「経費で、落とします」
加藤さんが言った。
0課が、静かになった。
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七月二十三日。金曜日。
0課の朝だった。
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「……今、何て」
課長が聞いた。
判子を、持ったままだった。
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「今夜の、会です」
加藤さんは、手帳を開いていた。
にこにこしていた。
いつもより、少し、にこにこしていた。
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「円卓の、件。完了、です」
「完了の、打ち上げは。様式が、あります」
「経費で、落ちます」
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「……落ちるのか」
『レスラー』が言った。
「落ちます」
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二年近く、一度も聞いたことのない言葉だった。
慰労会も、歓迎会も、忘年会も。
全部、落ちなかった。
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「待て」
『ジョン』が、立った。
「今夜は、俺が、払う」
「給料が、出た」
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二十五日が、日曜だった。
給料は、きょう出ていた。
紙の上にいなかった男の、最初の給料だった。
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「経費です」
「割り勘は」
「経費です」
「……大臣の、ぶんは。俺が、持つと」
「経費です」
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『ジョン』は、座った。
三回で、負けていた。
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夜の七時。
駅前の、古い居酒屋の二階だった。
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長い座卓に、お膳が並んでいた。
十七人分だった。
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共さんを入れて、0課の九人。
赤城さん。『ブル』。
父と、母と、由紀。
ケイトさんと、エミリー。
それから、メレオス。
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店員さんが、座敷を見回した。
十六人だった。
「あの……お一人、遅れて」
「もう、来てます」
加藤さんが言った。
にこにこしていた。
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店員さんは、何も言わずに、下がった。
エミリーだけが、空いた座布団に、手を振っていた。
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「乾杯は」
課長が、言いかけた。
赤城さんが、少し、背筋を伸ばした。
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その前に、加藤さんが立った。
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「とりあえず、生、で、いいですか」
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全員が、加藤さんを見た。
いつも、お冷やを配って回る人だった。
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「……加藤さん、飲むんですか」
「飲みます」
加藤さんは、ジョッキを持っていた。
もう、持っていた。
「経費ですので」
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「……うん」
課長が言った。
一回だった。
「加藤さんが、言うなら」
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「乾杯」
加藤さんが言った。
十七個のジョッキと、グラスと、湯呑みが、鳴った。
エミリーのは、オレンジジュースだった。
メレオスのは、湯呑みの羊羹だった。
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赤城さんが、内ポケットに手を入れた。
財布だった。
革の、重たそうな財布だった。
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「大臣」
加藤さんが言った。
「経費です」
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赤城さんは、財布をしまった。
ごり押しした人は、押し返されると、弱かった。
二回目だった。
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『ブル』が、帽子のつばを触った。
「拙者は、客人で、ござる。せめて、拙者の、ぶんは」
「経費です」
「……郷に、入っては、で、ござるな」
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「とりあえず、生、だ」
『ジョン』が、『ブル』のジョッキに、自分のを当てた。
ロンドンのパブで、憤慨していた男だった。
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座敷が、うるさくなった。
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エミリーは、メレオスの隣に座っていた。
「かみちゃん、からあげ」
「わしのじゃ」
半分に、なっていた。
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由紀は、共さんの隣に座っていた。
二人とも、あまり喋らなかった。
由紀が、共さんの湯呑みに、お茶を注いだ。
共さんが、由紀の湯呑みに、注ぎ返した。
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父は、『レスラー』と、相撲の話をしていた。
「……俺は、レスラーです」
「分かってる」
父は、分かっていなかった。
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母は、ケイトさんと、並んでいた。
日本語と、英語だった。
一つも、通じていなかった。
全部、通じていた。
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『ホラー』は、前髪を上げていた。
一人ずつ、後ろを見ていた。
座敷を、一周した。
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「……みんな」
『ホラー』が言った。
「後ろに、誰も、いません」
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それから、少し考えて、付け足した。
「いい、宴会です」
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『ギーク』は、画面の向こうではなかった。
座敷の端で、カクテルの三杯目を飲んでいた。
顔が、赤かった。
「録って、ません。今日は」
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『レディー』は、赤ワインを持っていた。
爪を、見ていなかった。
座敷を、見ていた。
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課長は、窓際で、もう寝ていた。
前の、歓迎会と、同じだった。
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十時を、過ぎた。
加藤さんは、四杯目だった。
にこにこが、止まらなくなっていた。
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「小沢さん」
「はい」
「成果の、欄」
加藤さんは、手帳を見せた。
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『成果 卓を、一つ、畳んだ』
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「備品では、ありませんが」
加藤さんは言った。
「通します」
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ケイトさんが、手帳を出していた。
最後のページだった。
小沢の名字の横に、『TBD』があった。
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母は、見ないで言った。
「ごはんに、値段は、ないのよ」
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「……知ってる、だ」
『ジョン』が、訳した。
ケイトさんが言ったらしかった。
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ケイトさんは、『TBD』に、線を一本、引いた。
定規は、使わなかった。
それから、横に、一つだけ書いた。
英語だった。
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『Family』
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俺にも、読めた。
数字では、なかった。
会計士が、帳簿に書く言葉では、なかった。
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ケイトさんは、手帳を閉じた。
肩が、下がっていた。
実家の玄関で、母にスーツケースを取られたときと、同じ下がり方だった。
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「……ええ、宴じゃのぉ」
肩の上で、メレオスが言った。
羊羹の湯呑みを、両手で持っていた。
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会計は、加藤さんが払った。
領収書を、もらっていた。
宛名は、『0課』だった。
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『ジョン』は、店の外で、領収書を見ていた。
「……一円まで、か」
「一円まで、です」
加藤さんが言った。
それから、少しだけ、ふらついた。




