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第百三十七章 経費で、落とします

「経費で、落とします」


加藤さんが言った。


0課が、静かになった。


***


七月二十三日。金曜日。

0課の朝だった。


***


「……今、何て」


課長が聞いた。

判子を、持ったままだった。


***


「今夜の、会です」


加藤さんは、手帳を開いていた。

にこにこしていた。


いつもより、少し、にこにこしていた。


***


「円卓の、件。完了、です」

「完了の、打ち上げは。様式が、あります」


「経費で、落ちます」


***


「……落ちるのか」


『レスラー』が言った。


「落ちます」


***


二年近く、一度も聞いたことのない言葉だった。


慰労会も、歓迎会も、忘年会も。

全部、落ちなかった。


***


「待て」


『ジョン』が、立った。


「今夜は、俺が、払う」

「給料が、出た」


***


二十五日が、日曜だった。

給料は、きょう出ていた。


紙の上にいなかった男の、最初の給料だった。


***


「経費です」


「割り勘は」


「経費です」


「……大臣の、ぶんは。俺が、持つと」


「経費です」


***


『ジョン』は、座った。


三回で、負けていた。


***


夜の七時。

駅前の、古い居酒屋の二階だった。


***


長い座卓に、お膳が並んでいた。


十七人分だった。


***


共さんを入れて、0課の九人。

赤城さん。『ブル』。


父と、母と、由紀。

ケイトさんと、エミリー。


それから、メレオス。


***


店員さんが、座敷を見回した。


十六人だった。


「あの……お一人、遅れて」


「もう、来てます」


加藤さんが言った。

にこにこしていた。


***


店員さんは、何も言わずに、下がった。


エミリーだけが、空いた座布団に、手を振っていた。


***


「乾杯は」


課長が、言いかけた。


赤城さんが、少し、背筋を伸ばした。


***


その前に、加藤さんが立った。


***


「とりあえず、生、で、いいですか」


***


全員が、加藤さんを見た。


いつも、お冷やを配って回る人だった。


***


「……加藤さん、飲むんですか」


「飲みます」


加藤さんは、ジョッキを持っていた。

もう、持っていた。


「経費ですので」


***


「……うん」


課長が言った。

一回だった。


「加藤さんが、言うなら」


***


「乾杯」


加藤さんが言った。


十七個のジョッキと、グラスと、湯呑みが、鳴った。

エミリーのは、オレンジジュースだった。


メレオスのは、湯呑みの羊羹だった。


***


赤城さんが、内ポケットに手を入れた。


財布だった。

革の、重たそうな財布だった。


***


「大臣」


加藤さんが言った。


「経費です」


***


赤城さんは、財布をしまった。


ごり押しした人は、押し返されると、弱かった。

二回目だった。


***


『ブル』が、帽子のつばを触った。


「拙者は、客人で、ござる。せめて、拙者の、ぶんは」


「経費です」


「……郷に、入っては、で、ござるな」


***


「とりあえず、生、だ」


『ジョン』が、『ブル』のジョッキに、自分のを当てた。


ロンドンのパブで、憤慨していた男だった。


***


座敷が、うるさくなった。


***


エミリーは、メレオスの隣に座っていた。


「かみちゃん、からあげ」

「わしのじゃ」


半分に、なっていた。


***


由紀は、共さんの隣に座っていた。


二人とも、あまり喋らなかった。

由紀が、共さんの湯呑みに、お茶を注いだ。


共さんが、由紀の湯呑みに、注ぎ返した。


***


父は、『レスラー』と、相撲の話をしていた。


「……俺は、レスラーです」

「分かってる」


父は、分かっていなかった。


***


母は、ケイトさんと、並んでいた。


日本語と、英語だった。

一つも、通じていなかった。


全部、通じていた。


***


『ホラー』は、前髪を上げていた。


一人ずつ、後ろを見ていた。

座敷を、一周した。


***


「……みんな」


『ホラー』が言った。


「後ろに、誰も、いません」


***


それから、少し考えて、付け足した。


「いい、宴会です」


***


『ギーク』は、画面の向こうではなかった。


座敷の端で、カクテルの三杯目を飲んでいた。

顔が、赤かった。


「録って、ません。今日は」


***


『レディー』は、赤ワインを持っていた。


爪を、見ていなかった。

座敷を、見ていた。


***


課長は、窓際で、もう寝ていた。


前の、歓迎会と、同じだった。


***


十時を、過ぎた。


加藤さんは、四杯目だった。

にこにこが、止まらなくなっていた。


***


「小沢さん」


「はい」


「成果の、欄」


加藤さんは、手帳を見せた。


***


『成果 卓を、一つ、畳んだ』


***


「備品では、ありませんが」


加藤さんは言った。


「通します」


***


ケイトさんが、手帳を出していた。


最後のページだった。

小沢の名字の横に、『TBD』があった。


***


母は、見ないで言った。


「ごはんに、値段は、ないのよ」


***


「……知ってる、だ」


『ジョン』が、訳した。

ケイトさんが言ったらしかった。


***


ケイトさんは、『TBD』に、線を一本、引いた。


定規は、使わなかった。


それから、横に、一つだけ書いた。

英語だった。


***


『Family』


***


俺にも、読めた。


数字では、なかった。

会計士が、帳簿に書く言葉では、なかった。


***


ケイトさんは、手帳を閉じた。


肩が、下がっていた。

実家の玄関で、母にスーツケースを取られたときと、同じ下がり方だった。


***


「……ええ、宴じゃのぉ」


肩の上で、メレオスが言った。

羊羹の湯呑みを、両手で持っていた。


***


会計は、加藤さんが払った。


領収書を、もらっていた。

宛名は、『0課』だった。


***


『ジョン』は、店の外で、領収書を見ていた。


「……一円まで、か」


「一円まで、です」


加藤さんが言った。


それから、少しだけ、ふらついた。


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