↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
172/176

第百三十五章 共

「席を、返す、だ」


『ジョン』が言った。

飛行機の中だった。


***


七月一日。木曜日。

ロンドンへ向かう、夜の便だった。


***


『ジョン』は、膝の上の鞄を開けた。


白い面が、一つ入っていた。

額に、線の紋様があった。


***


「きのう。病院で、渡された」


『ジョン』は、面に触らなかった。


「あいつが、そう言った。英語で、一言だけ」


***


紙で消した男が、紙で消された男に、自分の席を預けていた。


***


「……重いか」


肩の上で、メレオスが聞いた。


「軽い」


『ジョン』は、鞄を閉じた。


「紙と、同じだ」


***


七月二日。金曜日。

グリニッジは、曇っていた。


***


緑の戸の前に、庭師が立っていた。


共さんの顔を見た。

何も言わずに、戸を大きく開けた。


三月と、同じだった。


***


赤城さんは、背広だった。


「顔が、割れている」と言っていた人だった。

今日は、隠していなかった。


***


四十二段、下りた。


円い卓。明かりが一つ。

椅子が、七つ。


白い面が、五つ。


***


空いた椅子の前に、『ジョン』が立った。


鞄から、面を出した。

卓の上に、置いた。


***


席が、返された。


***


座る前に、床を見た。


椅子は、まっすぐだった。


***


共さんが、ポットを持った。


目を、閉じた。

三分、数えた。


***


『ホラー』が、皿を配った。


羊羹だった。

駅前の、和菓子屋のだった。


***


母が、持たせた。


「次のぶんよ」

冷蔵庫の、一本だった。


***


零度が、一切れ、食べた。


それから、茶を飲んだ。

少し、笑った。


***


「決を、採ります」


零度が言った。

耳の中で、です、ますになった。


「この卓を。畳むか、どうか」


***


その前に。


共さんが、一歩、前に出た。


***


「一つ。申し上げても、よろしゅう、ございますか」


『ブル』が、英語で訳した。


零度が、うなずいた。


***


共さんは、胸のポケットから、手帳を出した。


開いた。


***


写真が、一枚。

首が、十一度、傾いていた。


その隣に、白い一本。


***


共さんは、手帳を、卓の上に置いた。


五つの面が、それを見た。


***


「年を、取りました」


***


「五十六年、ぶりに」


***


卓が、静かになった。


南の席の面が、少しだけ、前に出た。


***


「取らなかったのでは、ございません」


共さんは言った。

いつもと、同じ声だった。


「取らせて、もらえなかったので、ございます」


***


「あれが、私の中に、おりました」

「あれが、出ていって。私の時計は、動きはじめました」


***


「皆さまが、百四十年。探して、おられたものは」


共さんは、少しだけ、首を傾げた。


十一度より、ずっと、浅かった。


「檻で、ございました」


***


『ブル』が、訳した。


訳し終えて、黙った。


***


共さんは、返された面のほうを、向いた。


卓の上の、西経七十五度の面だった。


***


「あの方に。お伝え、くださいませ」


「答えは。これで、ございます、と」


***


『ジョン』が、うなずいた。


一回だった。


***


「では」


零度が言った。


「決を、採ります」

「畳むことに、賛成の、方は」


***


零度の手が、上がった。


一拍も、遅れなかった。


***


俺の、手も、上がった。


「……うん」


一回だった。

面の機械が、英語にしなかった。


『ギーク』が、そのまま、通した。


***


新しい西経百二十度が、上げた。


五月に、小さくうなずいた面が、上げた。

黙っていた面も、上げた。


***


南の席だけが、上がらなかった。


***


一拍。


***


南の席の面が、共さんの手帳を、見ていた。


白い一本を、見ていた。


***


手が、上がった。


一拍、遅れて。


***


昔、同じ卓で、一拍遅れて手を上げた人がいた。


扉を開ける、決のときだった。

その人は、今、北の席で、黙ってそれを見ていた。


***


「……畳みます」


零度が言った。


***


最初に面を外したのは、零度だった。


小さい、年寄りの顔だった。

坂の上の寺で、見た顔だった。


***


一つずつ、面が外れた。


普通の顔だった。

みんな、年を取っていた。


***


南の席は、女の人だった。


白い髪を、後ろでまとめていた。

共さんの手帳を、まだ、見ていた。


***


新しい西経百二十度は、面を外して、『ジョン』を見た。


『ジョン』も、見た。


二人とも、何も、言わなかった。


***


俺も、面を外した。


鷲尾さんの、面だった。

返しに、行かなければならなかった。


***


共さんが、卓の上に、かがんだ。


手帳の、すぐ横だった。

木目に、何か、刻んであった。


***


二画だった。


几帳面な、二画だけの、何か。


***


五十六年の、どこかで。

あれの奥から、共さんが一度だけ、出てきて残した字だった。


書き始めの、二画だった。


***


共さんは、指で、その二画をなぞった。


それから。


続きを、書いた。


***


指だった。

木には、何も、残らなかった。


でも、全員が、見ていた。


***


『共』


***


「……書き終えました」


共さんは言った。


「長う、かかりました」


***


肩の上で、メレオスが、何も言わなかった。


ただ、羊羹の皿を、共さんのほうへ、少し押した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。