第百三十三章 紙の、輪
「四度目じゃ」
営林署の老人が言った。
ゲートの前の、軽トラの横だった。
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六月二十一日。月曜日。
夏至の、午後三時だった。
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「三度も来るやつは、初めてじゃった」
「四度は。もう、知らん」
老人は、水筒の蓋に、お茶を注いだ。
一杯目を赤城さんに。
二杯目を俺に。
三杯目を、俺の足元に置いた。
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「……ほう」
メレオスが言った。
しゃがんで、飲んだ。
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「きのうの、外人さんは」
老人は、山を見ていた。
「まだ、出て、こん」
「杖、ついとった。あの足で、よう、登った」
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山は、緑だった。
冬至のときは、枯れた木と、雪の残りだった。
今は、葉が重なって、空が細かった。
蛙が、うるさかった。
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『ホラー』が、前髪を上げた。
山道の両側を、見た。
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冬至の日には、影が、並んで見送っていた。
「今日は。誰も、並んでません」
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それから、山の上のほうを見た。
「……上に。一人だけ」
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六人で、登った。
俺と、メレオスと、『ホラー』。
赤城さんと、『ジョン』。
零度と、『ブル』。
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赤城さんは、登山靴だった。
冬至と、同じ靴だった。
紐の結び方まで、同じだった。
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一時間で、零度の足が止まった。
杖が、土に刺さったまま、動かなかった。
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『ブル』が、零度の前にしゃがんだ。
背中を、向けた。
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零度は、少し黙った。
それから、『ブル』の背に乗った。
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「拙者の、背は」
『ブル』は、立ち上がった。
「二十年ぶりで、ござる」
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逆だったのかもしれない、と思った。
二十年前は、『ブル』が背負われる側だったのかもしれない。
誰も、聞かなかった。
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日が、傾かなかった。
いつまでも、明るかった。
一年で、一番、長い昼だった。
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窪地に着いたのは、六時すぎだった。
祠の跡だった。
冬至の夜に、二十六人を縛った場所だった。
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男が、一人、座っていた。
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窪みの縁に、折りたたみの椅子を置いていた。
小さい老人だった。
杖を、横に置いていた。
背広を、着ていた。
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窪みのまわりに、紙が並んでいた。
黄ばんだ紙だった。
一枚ずつ、石で押さえてあった。
輪に、なっていた。
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「……五十年前の、紙だ」
『ジョン』が、低く言った。
「俺の、前の、担当者の」
「消された、紙だ」
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紙で、山を知った男だった。
その紙で、山に、輪を作っていた。
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男が、顔を上げた。
一番に、『ジョン』を見た。
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英語だった。
短かった。
「……君か、だ」
『ジョン』が、自分で訳した。
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『ジョン』は、紙の輪の外で止まった。
何も、言わなかった。
言うことは、紙の上で、全部、済んでいた。
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男の目が、『ブル』の背中に移った。
零度が、『ブル』の背から下りた。
杖を、ついた。
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「連れ戻しに、来た」
零度が言った。
『ブル』が、訳した。
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男は、少し笑った。
「卓は。もう、ない、だ」
『ジョン』が訳した。
「あなたが、畳んだ、だ」
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「まだ、畳んで、おらぬ」
零度が言った。
「畳む、前に。そなたを、連れ戻す」
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男は、答えなかった。
紙の輪を、見ていた。
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それから、一つだけ、聞いた。
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「あの、日本人は」
「年を、取りましたか、だ」
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誰も、答えなかった。
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答えは、ここになかった。
実家の庭に、あった。
共さんの胸の、手帳の中に。
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同じころ。
小沢家の、庭だった。
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夕方の七時だった。
空は、まだ白かった。
由紀が、庭の真ん中に立っていた。
北を、向いていた。
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その横に、共さんがいた。
手帳を、胸に当てていた。
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縁側に、母が湯呑みを二つ置いた。
「冷めないうちに、ね」
それだけ言って、台所に戻った。
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『レディー』は、門の横で、爪を見ていた。
『レスラー』は、塀の外に立っていた。
塀より、頭が、少し高かった。
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山の、夜だった。
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日が、やっと沈んだ。
八時だった。
夏の夜は、すぐには暗くならなかった。
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男は、ずっと、椅子に座っていた。
誰も、紙の輪の内側に、入らなかった。
入れなかった。
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「……入れんのじゃ」
メレオスが、小さく言った。
「あの輪は。戸の、手前の、輪じゃ」
「入ったら。あの男と、同じ側に、立つ」
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時間が、遅かった。
零度は、杖に両手を重ねて、立っていた。
一度も、座らなかった。
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十一時を、過ぎた。
星が、出ていた。
冬至の夜より、ずっと、少なかった。
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十一時半。
一年で、一番、短い夜の。
一番、暗い時間だった。
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男が、立った。
杖を、使わなかった。
椅子に手をついて、自分で立った。
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紙の輪の、内側に。
窪みの、縁に。
一歩、下りた。
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音が、した。
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戸の、音だった。
閉まっている戸が。
外から、押されている音だった。
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庭で、由紀が顔を上げた。




