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第百三十二章 閉まっとる、戸

「山へ、参ります」


共さんが言った。

ホワイトボードの前だった。


***


六月十八日。金曜日。

0課の朝だった。


夏至まで、三日だった。


***


課長が、布陣を書いていた。


『山 小沢くん・神様・『ホラー』さん・赤城さん・『ジョン』くん』

『 (零度・『ブル』さん)』

『庭 由紀さん・『レディー』さん・『レスラー』くん・共さん』

『下 課長・『ギーク』さん・加藤さん』


***


共さんの名前は、『庭』の欄にあった。


共さんは、それを見て、言った。


「山へ、参ります」


***


「あの方は。私に、聞きたいことが、ございます」

「五十年、聞きたかったことが」


***


「共さん」


赤城さんが、言いかけた。


それから、口を閉じた。

共さんには、三回目が、言えない人だった。


***


俺も、何も言えなかった。


共さんの胸のポケットに、手帳があった。

白い一本が、挟まっていた。


***


課長のスマホが、鳴った。


「……うん。由紀さん」

「うん、うん。ちょっと、待ってね」


課長は、スマホを共さんに渡した。


***


由紀の声が、小さく聞こえた。


「共さん」


「はい」


***


「庭に、いてください」


「あたしの、横に」


***


冬至の夜だった。


由紀は、庭から、山の戸を閉めた。

共さんの形の、隙間だけ、残して閉めた。


閉めきらなかった人だった。


***


共さんは、長いこと、スマホを耳に当てていた。


「……はい」


***


それだけだった。


スマホを、課長に返した。

両手で、返した。


***


「庭で、ございます」


共さんは言った。


「由紀さんの、横で、ございます」


***


課長は、ホワイトボードを見て、何も書き直さなかった。


最初から、合っていた。


***


「『ジョン』くんは」


課長が言った。


「山で、いいんだね」


***


「いい」


『ジョン』は、腕を組んでいた。


「紙で、消された、者同士だ」


***


「消したほうと、消されたほう、だろ」


『レスラー』が言った。


「同じだ」

「最後は。どっちも、紙の外に、いる」


***


六月十九日。土曜日。

実家の、夕飯だった。


***


「冬至は、かぼちゃと、ゆず湯でしょう」


母が言った。


「夏至は。何を、するの」


***


誰も、知らなかった。


父を見た。

父も、知らなかった。


三十年、証券会社にいた人だった。

夏至は、相場に関係なかったらしかった。


***


「……じゃあ。羊羹ね」


***


母は、決めるのが早かった。


冷蔵庫に、もう入っていた。

決める前から、入っていた。


***


「じいちゃんは、夏至には、何をしてた」


俺は、メレオスに聞いた。


***


メレオスは、羊羹を持ったまま、少し考えた。


「何も、せんかった」


***


「夏至の、戸は。閉めんでも、閉まっとる」


「冬至は、五十五回、閉めに出た」

「夏至は。一回も、出んかった」


***


「閉まっとる、戸を」

「開けに来る、者は。おらんかったからのぉ」


***


羊羹を、一口食べた。


「……今年は、おる」


***


由紀が、箸を置いた。


「あたし、庭にいればいいんだよね」


「うん」


「閉めればいいんだよね。開きそうになったら」


「うん」


***


「……共さんの、隙間は」


由紀が、小さく言った。


「今度は。残さなくて、いいんだよね」


***


「残さなくて、いい」


俺は言った。


「共さんは、庭にいる」


***


由紀は、うなずいた。


それから、羊羹を、一切れ多く取った。


***


六月二十日。日曜日。

昼の、空港だった。


***


『ブル』の後ろから、零度が降りてきた。


杖を、ついていた。

四月より、少し、細くなっていた。


***


赤城さんが、出口に立っていた。


背広だった。

登山靴は、まだ履いていなかった。


***


二人は、初めて顔を合わせた。


伊左衛門の、弟子だった人と。

伊左衛門の家に、詫びに来た人と。


***


赤城さんは、長いこと、黙っていた。


零度も、黙っていた。


『ブル』が、何か訳そうとして、やめた。


***


「……先生が」


赤城さんが言った。


「茶を、出した、方なら」


***


赤城さんは、頭を下げた。


大臣の、頭の下げ方ではなかった。

道場の、頭の下げ方だった。


***


零度も、下げた。


杖を、『ブル』に預けて、下げた。


***


その夜。

課長の、スマホが鳴った。


営林署の、番号だった。


***


「……はい。0課の」


課長は、黙って聞いていた。


うん、とも、言わなかった。


***


電話を、切った。


「あの、外国の人がね」

「きょう。山に、入っていった、そうだよ」


***


「一人で。杖を、ついて」


「……出てきて、ない、そうだ」


***


窓の外は、まだ明るかった。


夜の八時だった。

一年で、一番、日が長い季節だった。


***


夏至は、あしただった。


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