第百三十二章 閉まっとる、戸
「山へ、参ります」
共さんが言った。
ホワイトボードの前だった。
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六月十八日。金曜日。
0課の朝だった。
夏至まで、三日だった。
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課長が、布陣を書いていた。
『山 小沢くん・神様・『ホラー』さん・赤城さん・『ジョン』くん』
『 (零度・『ブル』さん)』
『庭 由紀さん・『レディー』さん・『レスラー』くん・共さん』
『下 課長・『ギーク』さん・加藤さん』
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共さんの名前は、『庭』の欄にあった。
共さんは、それを見て、言った。
「山へ、参ります」
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「あの方は。私に、聞きたいことが、ございます」
「五十年、聞きたかったことが」
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「共さん」
赤城さんが、言いかけた。
それから、口を閉じた。
共さんには、三回目が、言えない人だった。
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俺も、何も言えなかった。
共さんの胸のポケットに、手帳があった。
白い一本が、挟まっていた。
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課長のスマホが、鳴った。
「……うん。由紀さん」
「うん、うん。ちょっと、待ってね」
課長は、スマホを共さんに渡した。
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由紀の声が、小さく聞こえた。
「共さん」
「はい」
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「庭に、いてください」
「あたしの、横に」
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冬至の夜だった。
由紀は、庭から、山の戸を閉めた。
共さんの形の、隙間だけ、残して閉めた。
閉めきらなかった人だった。
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共さんは、長いこと、スマホを耳に当てていた。
「……はい」
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それだけだった。
スマホを、課長に返した。
両手で、返した。
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「庭で、ございます」
共さんは言った。
「由紀さんの、横で、ございます」
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課長は、ホワイトボードを見て、何も書き直さなかった。
最初から、合っていた。
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「『ジョン』くんは」
課長が言った。
「山で、いいんだね」
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「いい」
『ジョン』は、腕を組んでいた。
「紙で、消された、者同士だ」
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「消したほうと、消されたほう、だろ」
『レスラー』が言った。
「同じだ」
「最後は。どっちも、紙の外に、いる」
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六月十九日。土曜日。
実家の、夕飯だった。
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「冬至は、かぼちゃと、ゆず湯でしょう」
母が言った。
「夏至は。何を、するの」
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誰も、知らなかった。
父を見た。
父も、知らなかった。
三十年、証券会社にいた人だった。
夏至は、相場に関係なかったらしかった。
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「……じゃあ。羊羹ね」
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母は、決めるのが早かった。
冷蔵庫に、もう入っていた。
決める前から、入っていた。
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「じいちゃんは、夏至には、何をしてた」
俺は、メレオスに聞いた。
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メレオスは、羊羹を持ったまま、少し考えた。
「何も、せんかった」
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「夏至の、戸は。閉めんでも、閉まっとる」
「冬至は、五十五回、閉めに出た」
「夏至は。一回も、出んかった」
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「閉まっとる、戸を」
「開けに来る、者は。おらんかったからのぉ」
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羊羹を、一口食べた。
「……今年は、おる」
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由紀が、箸を置いた。
「あたし、庭にいればいいんだよね」
「うん」
「閉めればいいんだよね。開きそうになったら」
「うん」
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「……共さんの、隙間は」
由紀が、小さく言った。
「今度は。残さなくて、いいんだよね」
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「残さなくて、いい」
俺は言った。
「共さんは、庭にいる」
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由紀は、うなずいた。
それから、羊羹を、一切れ多く取った。
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六月二十日。日曜日。
昼の、空港だった。
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『ブル』の後ろから、零度が降りてきた。
杖を、ついていた。
四月より、少し、細くなっていた。
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赤城さんが、出口に立っていた。
背広だった。
登山靴は、まだ履いていなかった。
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二人は、初めて顔を合わせた。
伊左衛門の、弟子だった人と。
伊左衛門の家に、詫びに来た人と。
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赤城さんは、長いこと、黙っていた。
零度も、黙っていた。
『ブル』が、何か訳そうとして、やめた。
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「……先生が」
赤城さんが言った。
「茶を、出した、方なら」
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赤城さんは、頭を下げた。
大臣の、頭の下げ方ではなかった。
道場の、頭の下げ方だった。
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零度も、下げた。
杖を、『ブル』に預けて、下げた。
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その夜。
課長の、スマホが鳴った。
営林署の、番号だった。
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「……はい。0課の」
課長は、黙って聞いていた。
うん、とも、言わなかった。
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電話を、切った。
「あの、外国の人がね」
「きょう。山に、入っていった、そうだよ」
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「一人で。杖を、ついて」
「……出てきて、ない、そうだ」
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窓の外は、まだ明るかった。
夜の八時だった。
一年で、一番、日が長い季節だった。
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夏至は、あしただった。




