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第百三十一章 後始末

「零度から。文で、ござる」


『ブル』が言った。

封筒を、一つ持っていた。


***


五月十七日。月曜日。

0課の朝だった。


三十日の、期限の日だった。

席は、埋まらなかった。


***


封筒の中は、便箋が三枚だった。


細い字だった。

英語だった。


***


「読み申す」


『ブル』は、便箋を広げた。

訳しながら、読んだ。


***


「昭和、四十六年。一月」

「伊左衛門殿の、家を、出た、夜で、ござる」


***


黒い茶を、全部飲んだ日だった。

雪の日だった。


***


「宿に、戻ると。若い、男が。待って、おった」


「米国の、者で、ござる」

「二十五か、六か。背広が、まだ、新しかった」


***


「男は、申した」


「後始末は。済みました、と」


***


部屋が、静かになった。


『ジョン』が、椅子の背から、体を起こした。


***


「冬至の、山の、件を。調べて、おった、者が。米国に、おった」

「その者の、名を。紙から、消しました、と」


***


「……五十年前の、担当者だ」


『ジョン』が言った。


「俺の、前の」


***


「山には。一度も、行って、おらぬ、そうで、ござる」

「山の、ことは。紙で、知った」


「紙を、消す、ついでに。紙を、全部、読んだ」


***


「場所も。日も。戸の、ことも」


『ブル』の声が、低くなった。


「全部。その夜、読み終えて、おった、と」


***


山には行かずに、後始末だけをした男だった。


紙を消して、紙の中身だけを、持って帰った男だった。


***


「それで、そこまで、調べてたのか」


『レスラー』が言った。


「調べたんじゃない」


『ジョン』が言った。


「五十年、持ってたんだ」


***


「二枚目で、ござる」


『ブル』は、便箋をめくった。


***


「男は。帰りぎわに。一つ、聞いた」


***


「あの、日本人は」

「年を、取りますか、と」


***


共さんの手が、止まった。


書類の角を、そろえていた手だった。


***


「零度は。答えなかった、そうで、ござる」

「答えを、知らなかった、ゆえ」


***


「男は。それから、五十年」

「その、答えを。探して、おった」


***


二十五か六の、若い男が、雪の夜に一つ聞いた。


その答えを、五十年、探していた。

その間に、上から三番目の席まで、上った。


そして、病気になった。


***


「……かわいそうな、ひとじゃ」


メレオスが、小さく言った。


誰も、何も言わなかった。


***


「三枚目で、ござる」


三枚目は、短かった。


***


「あの男を。卓に、上げたのは。私で、ござる」


***


『ブル』は、そこで、少し黙った。


便箋を、持ち直した。


***


「後始末の、できる、者は。重宝で、ござった」

「それが、五十年の。私の、二つ目の、過ちで、ござる」


***


「一つ目は」


課長が、聞いた。


「……呼んだ、ことで、ござろう」


『ブル』が言った。

便箋には、書いていなかった。


***


最後の行を、『ブル』は、訳さなかった。


便箋を、畳んだ。

封筒に、戻した。


***


「最後は」


「拙者、宛てで、ござる」


それだけだった。


***


「夏至は」


メレオスが言った。

肩の上で、腕を組んでいた。


「戸が。一年で、一番、固い」


***


「冬至の、反対じゃ」

「夜が、一番、短い。戸は、一番、閉まっとる」


***


「そこを。こじ開ける、気じゃ」


「……できるのか」


「普通は、できん」


メレオスは、首を傾げた。


「何かを。うんと、差し出せば。分からん」


***


冬至の山では、二十六人が、自分から窪みに入ろうとした。


差し出したもの、と呼ばれていた。


***


課長の机の、電話が鳴った。


内線ではなかった。

外からだった。


***


「……はい。0課の」


課長は、少し黙った。


「ああ。営林署の」


***


冬至の夜に、軽トラで待っていた人だった。


三回、山を案内してくれた人だった。


***


課長は、受話器を耳に当てたまま、俺を見た。


「うん、うん」


二回だった。


***


「……外国の、年寄りが」


課長は、受話器を少し離して、言った。


「山を、見に来た、そうだよ。きのう」

「杖を、ついて。一人で」


***


「ゲートの、前で。長いこと、山を、見ていた、と」


「山には、入らなかった」

「入れなかった、のかな」


***


課長は、受話器に戻った。


「うん。……うん」

「ありがとうございます。また、お茶を、持って、伺います」


***


電話を、切った。


***


「来てるのか。日本に」


『ジョン』が言った。


「来てる、ね」


課長は、ホワイトボードの『夏至』の横に、書いた。


『隠り山 下見 済』


***


五十年前、紙で山を知った男だった。


五十年たって、初めて、山を見に来ていた。


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