第百三十一章 後始末
「零度から。文で、ござる」
『ブル』が言った。
封筒を、一つ持っていた。
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五月十七日。月曜日。
0課の朝だった。
三十日の、期限の日だった。
席は、埋まらなかった。
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封筒の中は、便箋が三枚だった。
細い字だった。
英語だった。
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「読み申す」
『ブル』は、便箋を広げた。
訳しながら、読んだ。
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「昭和、四十六年。一月」
「伊左衛門殿の、家を、出た、夜で、ござる」
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黒い茶を、全部飲んだ日だった。
雪の日だった。
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「宿に、戻ると。若い、男が。待って、おった」
「米国の、者で、ござる」
「二十五か、六か。背広が、まだ、新しかった」
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「男は、申した」
「後始末は。済みました、と」
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部屋が、静かになった。
『ジョン』が、椅子の背から、体を起こした。
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「冬至の、山の、件を。調べて、おった、者が。米国に、おった」
「その者の、名を。紙から、消しました、と」
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「……五十年前の、担当者だ」
『ジョン』が言った。
「俺の、前の」
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「山には。一度も、行って、おらぬ、そうで、ござる」
「山の、ことは。紙で、知った」
「紙を、消す、ついでに。紙を、全部、読んだ」
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「場所も。日も。戸の、ことも」
『ブル』の声が、低くなった。
「全部。その夜、読み終えて、おった、と」
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山には行かずに、後始末だけをした男だった。
紙を消して、紙の中身だけを、持って帰った男だった。
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「それで、そこまで、調べてたのか」
『レスラー』が言った。
「調べたんじゃない」
『ジョン』が言った。
「五十年、持ってたんだ」
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「二枚目で、ござる」
『ブル』は、便箋をめくった。
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「男は。帰りぎわに。一つ、聞いた」
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「あの、日本人は」
「年を、取りますか、と」
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共さんの手が、止まった。
書類の角を、そろえていた手だった。
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「零度は。答えなかった、そうで、ござる」
「答えを、知らなかった、ゆえ」
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「男は。それから、五十年」
「その、答えを。探して、おった」
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二十五か六の、若い男が、雪の夜に一つ聞いた。
その答えを、五十年、探していた。
その間に、上から三番目の席まで、上った。
そして、病気になった。
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「……かわいそうな、ひとじゃ」
メレオスが、小さく言った。
誰も、何も言わなかった。
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「三枚目で、ござる」
三枚目は、短かった。
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「あの男を。卓に、上げたのは。私で、ござる」
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『ブル』は、そこで、少し黙った。
便箋を、持ち直した。
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「後始末の、できる、者は。重宝で、ござった」
「それが、五十年の。私の、二つ目の、過ちで、ござる」
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「一つ目は」
課長が、聞いた。
「……呼んだ、ことで、ござろう」
『ブル』が言った。
便箋には、書いていなかった。
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最後の行を、『ブル』は、訳さなかった。
便箋を、畳んだ。
封筒に、戻した。
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「最後は」
「拙者、宛てで、ござる」
それだけだった。
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「夏至は」
メレオスが言った。
肩の上で、腕を組んでいた。
「戸が。一年で、一番、固い」
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「冬至の、反対じゃ」
「夜が、一番、短い。戸は、一番、閉まっとる」
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「そこを。こじ開ける、気じゃ」
「……できるのか」
「普通は、できん」
メレオスは、首を傾げた。
「何かを。うんと、差し出せば。分からん」
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冬至の山では、二十六人が、自分から窪みに入ろうとした。
差し出したもの、と呼ばれていた。
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課長の机の、電話が鳴った。
内線ではなかった。
外からだった。
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「……はい。0課の」
課長は、少し黙った。
「ああ。営林署の」
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冬至の夜に、軽トラで待っていた人だった。
三回、山を案内してくれた人だった。
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課長は、受話器を耳に当てたまま、俺を見た。
「うん、うん」
二回だった。
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「……外国の、年寄りが」
課長は、受話器を少し離して、言った。
「山を、見に来た、そうだよ。きのう」
「杖を、ついて。一人で」
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「ゲートの、前で。長いこと、山を、見ていた、と」
「山には、入らなかった」
「入れなかった、のかな」
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課長は、受話器に戻った。
「うん。……うん」
「ありがとうございます。また、お茶を、持って、伺います」
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電話を、切った。
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「来てるのか。日本に」
『ジョン』が言った。
「来てる、ね」
課長は、ホワイトボードの『夏至』の横に、書いた。
『隠り山 下見 済』
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五十年前、紙で山を知った男だった。
五十年たって、初めて、山を見に来ていた。




