第百三十章 埋めません
「御免」
『ブル』が、0課の扉を開けた。
手に、封筒を一つ持っていた。
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五月七日。金曜日。
連休明けの、0課だった。
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封筒の表に、字はなかった。
線が一本、引いてあった。
まっすぐな、一本だった。
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もう、鷲尾さんの病室は通っていなかった。
零度は、こっちの窓口を知っていた。
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中に、紙が一枚。
『14・V・15:00』
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「五月の、十四日」
加藤さんが、手帳を開いた。
「西経七十五度が、抜けたのが。四月の、十七日」
「三十日目は。五月の、十七日です」
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「ぎりぎり、ですね」
「ぎりぎりで、ござる」
『ブル』が言った。
「零度は。決まりの、内側で。決まりを、破り申す」
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行くのは、俺とメレオスと、『ブル』だった。
共さんは、残った。
昼は『レスラー』と、夜は『ホラー』と、お茶を飲んでいる人だった。
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「お茶は、どうする」
『ジョン』が聞いた。
「拙者が、淹れ申す」
『ブル』は、帽子のつばを触った。
「英国の、茶で、ござる。英国の、卓ゆえ」
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五月十四日。金曜日。
グリニッジは、晴れていた。
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飛行機は、なれていた。
三分の二くらい、なれていた。
『レスラー』の腕は、なかった。
肘掛けを、握った。
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緑の戸の前で、庭師が待っていた。
『ブル』の手の盆を見た。
何も言わずに、戸を開けた。
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四十二段、下りた。
円い卓。明かりが一つ。
椅子が、七つ。
白い面が、五つ。
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北の席から、一つ右へ。
椅子が一つ、空いていた。
茶を飲まなかった席だった。
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座る前に、床を見た。
椅子は、まっすぐだった。
三月の、紙半分のままだった。
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北の席の面が、こっちを見ていた。
床を見たのを、見ていたらしかった。
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『ブル』が、盆を卓に置いた。
ポットは、白かった。
カップは、六つだった。
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『ブル』は、目を閉じなかった。
時計を、見ていた。
四分だった。
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「英国は。四分で、ござる」
小声で、俺に言った。
「共殿には、内緒で、ござる」
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注いだ。
牛乳を、少し入れた。
北の席から。順番に。
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零度が、飲んだ。
新しい西経百二十度が、飲んだ。
三月には、飲まなかった人だった。
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残りの三つの面も、飲んだ。
俺のカップは、少しずつ減った。
頭の上で、「……甘いのぉ」と聞こえた。
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「始めます」
零度が言った。
耳の中で、です、ますになった。
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「欠けた、席が、あります」
「西経、七十五度」
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「四月の、十七日に。卓を、離れました」
「三十日の、うちに。埋める、決まりです」
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卓が、静かだった。
次の言葉を、全員が待っていた。
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「埋めません」
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一拍も、遅れなかった。
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卓が、ざわついた。
南の席の面が、身を乗り出した。
「百四十年、一度も」
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「百四十年、一度も。破られなかった、決まりです」
零度は言った。
「では。今日が、初めてです」
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誰も、続けなかった。
明かりが、少しだけ揺れた。
風は、なかった。
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「……賛成です」
低くて、ゆっくりした声だった。
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新しい西経百二十度だった。
三月の卓では、一言も喋らなかった人だった。
『ジョン』の、昔の上司だった。
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「椅子は。空けておくと、誰かが、座ります」
西経百二十度は言った。
「ですから。空けておかない、ことが。一番、です」
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「……今の」
『ギーク』が、耳の中で言った。
「椅子を、なくせ、って。意味ですか」
返事は、できなかった。
俺の口は、面の機械とつながっていた。
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残りの三つの面は、黙っていた。
一つが、小さく、うなずいた。
一つは、動かなかった。
一つは、空いた椅子を、見ていた。
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「次の、席で」
零度が言った。
「決を、採ります」
「この卓を。畳むか、どうかの」
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卓が、もう一度、ざわついた。
今度は、長かった。
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「いつ」
南の席の面が、聞いた。
「夏至の、あとに」
零度は、空いた椅子を見ていた。
「その前に。一つ、片づける、ことが、あります」
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それきりだった。
零度は、立った。
立ってから、こっちを見た。
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「東経、百三十五度」
「……茶は。少し、甘かった」
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『ブル』の肩が、少し下がった。
牛乳のせいだった。
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四十二段、上った。
外は、晴れていた。
庭師が、戸を閉めた。
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丘の上で、面を外した。
子午線の線の前で、観光客が写真を撮っていた。
『レスラー』は、いなかった。
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『ブル』のスマホが、鳴った。
一回だけだった。
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『ブル』は、画面を見た。
長いこと、見ていた。
それから、俺に見せた。
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差出人は、なかった。
一行だけだった。
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『夏至』
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「……聞いて、おったか」
メレオスが言った。
「卓の、外から」
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戻る椅子は、もうなかった。
あの男には、夏至しか、残っていなかった。




