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第百三十章 埋めません

「御免」


『ブル』が、0課の扉を開けた。

手に、封筒を一つ持っていた。


***


五月七日。金曜日。

連休明けの、0課だった。


***


封筒の表に、字はなかった。

線が一本、引いてあった。


まっすぐな、一本だった。


***


もう、鷲尾さんの病室は通っていなかった。

零度は、こっちの窓口を知っていた。


***


中に、紙が一枚。


『14・V・15:00』


***


「五月の、十四日」


加藤さんが、手帳を開いた。


「西経七十五度が、抜けたのが。四月の、十七日」

「三十日目は。五月の、十七日です」


***


「ぎりぎり、ですね」


「ぎりぎりで、ござる」


『ブル』が言った。


「零度は。決まりの、内側で。決まりを、破り申す」


***


行くのは、俺とメレオスと、『ブル』だった。


共さんは、残った。

昼は『レスラー』と、夜は『ホラー』と、お茶を飲んでいる人だった。


***


「お茶は、どうする」


『ジョン』が聞いた。


「拙者が、淹れ申す」


『ブル』は、帽子のつばを触った。


「英国の、茶で、ござる。英国の、卓ゆえ」


***


五月十四日。金曜日。

グリニッジは、晴れていた。


***


飛行機は、なれていた。

三分の二くらい、なれていた。


『レスラー』の腕は、なかった。

肘掛けを、握った。


***


緑の戸の前で、庭師が待っていた。


『ブル』の手の盆を見た。

何も言わずに、戸を開けた。


***


四十二段、下りた。


円い卓。明かりが一つ。

椅子が、七つ。


白い面が、五つ。


***


北の席から、一つ右へ。

椅子が一つ、空いていた。


茶を飲まなかった席だった。


***


座る前に、床を見た。


椅子は、まっすぐだった。

三月の、紙半分のままだった。


***


北の席の面が、こっちを見ていた。


床を見たのを、見ていたらしかった。


***


『ブル』が、盆を卓に置いた。


ポットは、白かった。

カップは、六つだった。


***


『ブル』は、目を閉じなかった。

時計を、見ていた。


四分だった。


***


「英国は。四分で、ござる」


小声で、俺に言った。


「共殿には、内緒で、ござる」


***


注いだ。

牛乳を、少し入れた。


北の席から。順番に。


***


零度が、飲んだ。


新しい西経百二十度が、飲んだ。

三月には、飲まなかった人だった。


***


残りの三つの面も、飲んだ。


俺のカップは、少しずつ減った。

頭の上で、「……甘いのぉ」と聞こえた。


***


「始めます」


零度が言った。

耳の中で、です、ますになった。


***


「欠けた、席が、あります」

「西経、七十五度」


***


「四月の、十七日に。卓を、離れました」

「三十日の、うちに。埋める、決まりです」


***


卓が、静かだった。


次の言葉を、全員が待っていた。


***


「埋めません」


***


一拍も、遅れなかった。


***


卓が、ざわついた。


南の席の面が、身を乗り出した。


「百四十年、一度も」


***


「百四十年、一度も。破られなかった、決まりです」


零度は言った。


「では。今日が、初めてです」


***


誰も、続けなかった。


明かりが、少しだけ揺れた。

風は、なかった。


***


「……賛成です」


低くて、ゆっくりした声だった。


***


新しい西経百二十度だった。


三月の卓では、一言も喋らなかった人だった。

『ジョン』の、昔の上司だった。


***


「椅子は。空けておくと、誰かが、座ります」


西経百二十度は言った。


「ですから。空けておかない、ことが。一番、です」


***


「……今の」


『ギーク』が、耳の中で言った。


「椅子を、なくせ、って。意味ですか」


返事は、できなかった。

俺の口は、面の機械とつながっていた。


***


残りの三つの面は、黙っていた。


一つが、小さく、うなずいた。

一つは、動かなかった。


一つは、空いた椅子を、見ていた。


***


「次の、席で」


零度が言った。


「決を、採ります」

「この卓を。畳むか、どうかの」


***


卓が、もう一度、ざわついた。


今度は、長かった。


***


「いつ」


南の席の面が、聞いた。


「夏至の、あとに」


零度は、空いた椅子を見ていた。


「その前に。一つ、片づける、ことが、あります」


***


それきりだった。


零度は、立った。

立ってから、こっちを見た。


***


「東経、百三十五度」


「……茶は。少し、甘かった」


***


『ブル』の肩が、少し下がった。


牛乳のせいだった。


***


四十二段、上った。


外は、晴れていた。

庭師が、戸を閉めた。


***


丘の上で、面を外した。


子午線の線の前で、観光客が写真を撮っていた。

『レスラー』は、いなかった。


***


『ブル』のスマホが、鳴った。


一回だけだった。


***


『ブル』は、画面を見た。


長いこと、見ていた。


それから、俺に見せた。


***


差出人は、なかった。


一行だけだった。


***


『夏至』


***


「……聞いて、おったか」


メレオスが言った。


「卓の、外から」


***


戻る椅子は、もうなかった。


あの男には、夏至しか、残っていなかった。


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