第百二十九章 牛は、元気だった
「牛は、元気だった」
『ジョン』が言った。
0課の扉を、開けるなりだった。
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四月二十六日。月曜日。
0課の朝だった。
『ジョン』は、五日、いなかった。
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「……それだけ、ですか」
「それから、話す」
『ジョン』は、自分の机に鞄を置いた。
名札が、まだ二重のかぎかっこだった。
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五日前の、ことだった。
『ジョン』は、旅券がなかった。
三月に、紙から消された男だった。
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赤城さんが、一日で、紙を一枚取ってきた。
自分の国の旅券がない人に、日本が出す紙だった。
判子は、四か所だった。
「二度目ですね」
加藤さんが言った。
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家では、ケイトさんが「説明を」と言った。
「牛を、見に行く」
ケイトさんは、少し考えて、「オーケー」と言った。
それから、領収書は全部取っておけ、と言った。
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エミリーは、牛の写真を頼んだ。
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「入れたのか。向こうに」
『レスラー』が聞いた。
「入れた」
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「審査官が。俺の、顔を見た」
「紙を、見た。画面を、見た」
「それから。通した」
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「画面に、何て、出てたんですか」
『ギーク』が、画面の向こうから聞いた。
「知らない。見せては、くれない」
『ジョン』は、少し黙った。
「ただ。審査官は、驚いて、いなかった」
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「誰かが、先に。電話を、していた」
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誰が、とは、言わなかった。
ニューヨークの空港で、エミリーに手を振った人がいた。
『ジョン』も、それを、知っていた。
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「ワイオミングは。遠かった」
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「空港から、車で、四時間だ」
「途中から。道が、なくなる」
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「牧場の、柵に。あいつが、もたれていた」
「三年ぶりだ」
「……何て」
「遅い、と」
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ケイトさんと、同じだった。
『ジョン』は、会う人みんなに、遅いと言われる人らしかった。
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「牛を、見せられた」
「三十頭、いた」
「一頭ずつ、名前を、言われた」
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「覚えたんですか」
「茶色いのが、ジョージだ」
それだけ、覚えていた。
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「それから。ポーチで、コーヒーを、飲んだ」
『ジョン』は、自分の机の上で、指を組んだ。
「そこで、聞いた」
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部屋が、静かになった。
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「三年前。あいつを、止めた、男がいる」
「あいつの、娘の、学校の、写真を。封筒で、送ってきた、男だ」
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「その男が。西経、七十五度だ」
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「何者だ」
課長が、聞いた。
うん、とは、言わなかった。
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「CIAの、作戦本部」
「上から、三番目くらいの、席だ」
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「若いころは。東京に、いた」
『ジョン』が言った。
「七十年代の、はじめだ」
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七十年代の、はじめ。
昭和四十五年の冬至と、同じころだった。
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「五十年前の、件の。担当者が、いた、だろう」
「紙ごと、消された、人」
俺が言った。
『ジョン』が、三月に、自分と同じだと言った人だった。
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「消したのは。その男だ」
「若いころの、最初の、仕事だった、そうだ」
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「……紙で、消す」
『ジョン』は言った。
「五十年前に、それを、覚えた男だ」
「俺も。それで、消された」
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加藤さんが、手帳を開いた。
何も、書かなかった。
ペンを、持ったままだった。
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「名前は」
課長が、もう一度聞いた。
「あいつは、言わなかった」
「俺も。聞かなかった」
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「聞けば。あいつの、家族が。また、写真を、もらう」
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それ以上、誰も、聞かなかった。
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「もう一つ、ある」
『ジョン』は、指をほどいた。
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「去年の、秋から。病院に、通っている」
「昔の、仲間から。あいつが、聞いた」
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「何の、病気だ」
「そこまでは、知らない」
「ただ」
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「次の、冬は。越せない、そうだ」
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冬至までは、待てない。
だから、夏至だった。
一番短い夜に、無理をする理由だった。
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「……それで、共さんか」
『レディー』が言った。
爪を、見ていなかった。
「年を、取らなかった、人」
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共さんは、自分の机にいた。
書類の角を、そろえていた。
胸のポケットに、手帳があった。
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俺は、黙っていた。
メレオスも、黙っていた。
『ホラー』も、黙っていた。
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あの手帳の中に、白い一本が挟まっていた。
探しているものは、もう、なかった。
病気の男は、それを知らなかった。
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課長が、立った。
ホワイトボードの『三 正体』の横に、書いた。
『CIA 作戦本部』
『七十年代 東京』
『病気 冬は越せない』
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一番下に、もう一行、書いた。
『夏至』
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「うん」
一回だった。
「赤城さんに、上げるね。全部」
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昼休みに、『ジョン』はスマホを出した。
牛の写真だった。
茶色い、大きいのが、こっちを見ていた。
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「ジョージですか」
「ジョージだ」
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「エミリーに、送る」
『ジョン』は、写真を送った。
一分後に、返事が来た。
ひらがなだった。
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『もー』
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『ジョン』は、目元を、指で押さえた。
相棒から、初めて牛の写真が来た朝と、同じ押さえ方だった。




