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第百二十八章 お茶の、相手

「要りません」


共さんが言った。

護衛の話だった。


***


四月二十日。火曜日。

0課の朝だった。


ホワイトボードの『二 身辺』の横に、まだ何も書いてなかった。


***


「うん、うん」


課長が言った。


「でもね、共さん。向こうは、本気だからね」


「存じて、おります」


***


「私は。伊左衛門さんの、道場に。通って、おりました」


共さんは、書類の角をそろえていた。


「受け身は。一度も、褒められませんでしたが」


***


受け身以外は、褒められた人だった。


俺より、半歩少ない人だった。


***


「試して、みますか」


『レスラー』が、立った。


「手首を、軽く」

「軽く、で、ございますね」


***


『レスラー』が、共さんの手首を取った。


軽く、だった。


***


天井が、見えたらしかった。


『レスラー』は、床に寝ていた。

音は、ほとんどしなかった。


***


「……床、だった」


***


共さんは、もう書類の前に戻っていた。


角は、そろったままだった。


***


「九十三、だよな」


『ジョン』が、小声で言った。


「戸籍の、上ではな」


***


「では」


加藤さんが言った。


「護衛では、なく」


***


「お茶の、相手、では」


***


共さんの手が、初めて止まった。


「……お茶の、お相手で、ございましたら」


少し、考えた。


「お断りする、理由が。ございません」


***


課長が、『二 身辺』の横に書いた。


『昼 『レスラー』くん』

『夜 『ホラー』さん』

『名目 お茶』


***


「お茶代は」


「私物です」


加藤さんは、聞かれる前に言った。


***


その夜。

共さんの、官舎だった。


庁舎から歩いて十分。

六畳一間と、台所。


***


母に、羊羹を持たされていた。


「共さんに。夜は、甘いものよ」


メレオスが、包みの上に座って運んできた。

重さで、包みが少し潰れていた。


***


部屋の真ん中に、卓袱台があった。


『ホラー』が、正座していた。

湯呑みが、三つ並んでいた。


全部、空だった。


***


「何杯目ですか」


「四杯目、です」


『ホラー』は、前髪を下ろしていた。


「仕事じゃ、ないので」


***


護衛の、はずだった。


***


「昼は、どうでした」


「『レスラー』さんの、膝が」


共さんが言った。

台所で、急須に湯を注いでいた。


「卓袱台に。三回、当たりました」


***


六畳は、『レスラー』には狭かった。


一番大きい湯呑みで、出したらしかった。

それでも、手の中では、小さかったらしかった。


***


共さんは、目を閉じて、三分数えた。


それから、注いだ。


***


羊羹を、切った。


定規は、使わなかった。

全部、同じ厚さだった。


***


『ホラー』は、ときどき、共さんの後ろを見た。


それから、窓の外を見た。


「……誰も、いません」


「ありがとう、存じます」


***


話は、ほとんどなかった。


お茶を飲む音と、時計の音だけだった。

誰も、困っていなかった。


***


「この二人、ずっと、これか」


俺は、小声で言った。


「ずっと、これじゃ」


メレオスが、羊羹を食べながら言った。


「ええ、相手じゃ」


***


十時を、過ぎた。


共さんが、立った。

台所の横の、小さい鏡の前に行った。


寝る前に、髪をとかす人らしかった。


***


櫛が、止まった。


***


共さんは、鏡を見ていた。


長いこと、見ていた。


それから、指で、一本つまんだ。


***


抜いた。


***


白かった。


***


部屋が、静かになった。


時計の音だけになった。


***


共さんは、その一本を、明かりにかざした。


「……五十六年、ぶりで、ございます」


声は、いつもと同じだった。


***


「……出たのぉ」


メレオスが言った。

羊羹を、置いていた。


***


あれが、いたあいだ。

共さんは、年を取らなかった。


取らせて、もらえなかった。


***


あれが、抜けて。

二か月と少し、だった。


止まっていた時計が、動き出していた。


***


共さんは、手帳を出した。


一枚目の写真が、挟まっていた。

首が、十一度、傾いた写真だった。


***


その隣に、白い一本を挟んだ。


手帳を、閉じた。


***


「小沢さん」


「はい」


「皆さまには。まだ」


共さんは、手帳を胸のポケットにしまった。


「次の、卓まで」


***


円卓の、解散の決の、ことだった。


百四十年、探してきたものの答えが、手帳の中にあった。


***


「……うん」


一回だった。


***


『ホラー』が、共さんの後ろを見ていた。


いつもより、長かった。


「……誰も、いません」


それから、少しだけ付け足した。


「共さん、だけです」


***


帰り道、スマホが震えた。


『ギーク』だった。


『今夜も、来てます』


***


向こうは、まだ知らなかった。


探しているものが、もう、ないことを。


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