↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
162/176

第百二十五章 黒い、茶

「次のぶんの、練習よ」


母が言った。

羊羹の話だった。


***


四月十一日。日曜日。

実家の、夕飯のあとだった。


***


居間が、狭かった。


父と母と、由紀と俺。

『ジョン』とケイトさんと、エミリー。

共さんと、メレオス。


五分の距離は、夕飯どきにはゼロになった。


***


駅前の、和菓子屋の包みだった。


母が、包丁を持った。

父が、横から見ていた。


***


「もう少し、薄く」


「崩れないって、言ったのは誰」


「……崩れないかを、見てる」


父は、見ているだけの人だった。


***


切れた。

崩れなかった。


父は、少し満足そうだった。


***


一切れ目に、手が二つ伸びた。


エミリーと、メレオスだった。


***


「わしが、先じゃ」


「かみちゃん、きのうも、さき」


日本語が、増えていた。


***


母が、一切れ目を半分に切った。


それで、終わった。

二人とも、文句を言わなかった。


***


メレオスが、羊羹をかじった。


止まった。


***


「……かみちゃん?」


エミリーが、顔をのぞきこんだ。


メレオスは、羊羹を持ったまま、天井を見ていた。


***


「……思い出した」


***


「雪じゃった」


メレオスは言った。


「昭和の、四十六年。一月の、はじめじゃ」


***


冬至の山の、ひと月あとだった。

共さんが、いなくなったひと月あとだった。


***


「門の、前に。男が、立っとった」


「外国の、男じゃ。四十くらいの」

「背広の、肩に。雪が、積もっとった」


***


「ずっと、立っとった」

「呼び鈴も、押さんで」


***


「伊左衛門が、気づいた」


「何も、聞かんかった」

「戸を、開けて。上げた」


***


「それから。茶を、淹れた」


***


「……いつもの」


共さんが言った。


「いつもので、ございますか」


「いつものじゃ。茶葉、山盛りの」


***


「伊左衛門さんの、お茶は」


共さんは、湯呑みを見ていた。


「黒う、ございました」


***


母が、小さくうなずいた。


母も、飲んだことがあるらしかった。


***


「男は。黙って、飲んだ」

「全部、飲んだ」


***


「それから。長いこと、喋った」


「何て」


「分からん」


***


「英語じゃった。わしは、まだ、こっちの言葉も、ろくに知らんころじゃ」


時代劇を見はじめる前の、神様だった。


「伊左衛門も、分からん。顔で、分かった」


***


「でも。伊左衛門は、最後まで、聞いとった」


「分からんのに」


「分からんのに、じゃ」


***


「男は、畳に。手を、ついた」


メレオスは、自分の両手を、膝の前に置いてみせた。


「こう、じゃ。長いこと」


***


「伊左衛門は、何も、言わんかった」


「最後に、一言だけ」


***


「……茶が、冷める」


***


居間が、静かになった。


エミリーだけが、羊羹の半分を食べていた。


***


「それで」


「帰った。雪の中を」


「名前は」


「名乗らんかった。伊左衛門も、聞かんかった」


***


「わしは。襖の、陰に、おった」


メレオスは、少し首を傾げた。


「男が、一度。こっちを、見た」

「……気が、する」


***


「詫びに、来たのか」


『ジョン』が言った。


***


「黙って、全部、飲むのは」

「詫びる、ほうの、飲み方だ」


アメリカの、飲み方の話らしかった。


***


ケイトさんが、『ジョン』を見た。


「説明を」


『ジョン』が、英語で訳した。

ケイトさんは、うなずいた。


それ以上、何も聞かなかった。


***


「その人」


母が言った。


「お茶、全部、飲んだのね」


「全部じゃ。黒いのを」


***


「じゃあ。同じ人ね」


***


「……母さん、それ、理屈が」


「黒いのを、全部飲む外国の人なんて。そう、何人もいないわよ」


***


理屈では、なかった。

でも、誰も言い返さなかった。


円卓で、お茶を最初に飲んだのは、零度だった。


***


「百四十年で、初めて、って」


由紀が言った。


「あの卓で、ってことでしょ」


「……うん」


「じゃあ、一回目は。うちだったんだ」


***


スマホが、鳴った。


『ブル』だった。


***


「御免」


「零度が。日本へ、参り申す」


***


「……いつ」


「来週で、ござる」


『ブル』の声が、少しだけ低かった。


「墓に。参りたい、そうで、ござる」


***


電話を、切った。


全員が、こっちを見ていた。


***


母は、何も言わずに立った。


羊羹を、もう一本、冷蔵庫にしまった。


***


「次のぶんよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。