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第百二十二章 茶は、うまかった

「茶は、うまかった、って」


靴を脱ぐ前に、言った。

玄関だった。


***


三月二十五日。木曜日。

夜の八時だった。


成田から、まっすぐ実家に来た。

スーツケースは、門の外に置いたままだった。


***


母は、廊下の向こうで手を拭いていた。


「誰が」


「零度、っていう人」

「円卓の、一番、偉い人」


***


「いくつの人」


「分からない。声は、おじいさんだった」


「じゃあ、ちゃんとした人ね」


母の基準は、年だった。


***


「伝えてくれ、って。言われた」

「その家の方に、って」


***


母の手が、止まった。


「その家、って。うちのこと?」


「伊左衛門の、家族です、って。言ったから」


***


「……そう」


母は、手拭いを畳んだ。

四つに、畳んだ。


いつもは、二つにしか畳まない人だった。


***


「お茶菓子は」


「え」


「お茶菓子は、出したの」


「……出してない」


***


「お茶だけ?」


「お茶だけ」


「おじいさんに」


***


母は、長いため息をついた。

円卓より、こっちのほうが重かった。


***


「次は、羊羹ね」


***


「次、あるのかな」


「あるわよ。うまかった、って言う人には」

「次が、あるの」


***


居間で、父が新聞を読んでいた。


聞こえていたらしかった。

ページが、めくられなかった。


***


「……羊羹なら」


父が言った。


「駅前の、和菓子屋だ」

「あそこのは、切っても、崩れない」


***


父も、次があると思っているらしかった。


***


肩の上で、メレオスが黙っていた。

いつもなら、羊羹の一言目は、この神様だった。


***


「どうした」


「……年寄り、じゃと」


「うん」


***


「伊左衛門のところに。外国の、客が」

「来たことが、あった、ような」


***


「いつ」


「……思い出せそうで、出てこん」


メレオスは、首を傾げた。

本当に、出てこない顔だった。


***


「羊羹を、食えば。出てくるかも、しれん」


「そういう、仕組みじゃないだろ」


「そういう、仕組みじゃ」


***


台所の時計が、九時を指した。


玄関で、鍵の音がした。


***


「ただいま!」


エミリーだった。

日本語だった。


後ろに、ケイトさんがいた。


***


ケイトさんは、手に、紙の袋を提げていた。

中身は、書類だった。


父の会社の、封筒だった。


***


「……父さん」


「来週から、うちの部だ」


新聞が、一枚めくられた。


***


円卓のことを全部話すより先に、それを聞くことになった。


うちの決まりは、先に言うことだった。

父も、ちゃんと守っていた。


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