第百二十一章 待っていた、顔
「お茶、ですか」
庭師が言った。
耳の中で、です、ますになった。
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三月二十三日。火曜日。
グリニッジは、薄く晴れていた。
午後の、三時だった。
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『ホラー』が、盆を持っていた。
白いポットと、カップが七つ。
共さんは、何も持っていなかった。
いつもどおり、黙って立っていた。
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庭師は、盆を見た。
共さんの顔を見た。
戸を、大きく開けた。
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『レスラー』は、線の前で写真を撮られていた。
『ブル』は、丘の下にいた。
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四十二段、下りた。
円い卓。明かりが一つ。
白い面が、六つ。
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座る前に、膝をついた。
右の、後ろの脚。
紙、半分。
椅子は、まっすぐになった。
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北の席の面が、こっちを向いた。
何か、言いかけた。
言わなかった。
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共さんが、卓の端に立った。
『ホラー』が、その後ろに立った。
前髪は、ピンで上げてあった。
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『ホラー』が、カップを置きはじめた。
一つ置くたびに、その席の後ろを見た。
人と会うとき、まず後ろを見る人だった。
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六つの面が、カップを見ていた。
誰も、何も言わなかった。
百四十年、ここに茶が出たことはなかった。
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共さんが、ポットを持った。
目を、閉じた。
三分、数えていた。
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尖った声が、立った。
「何の、つもりですか」
「毒かも、しれません」
耳では、ていねいだった。
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共さんは、目を開けなかった。
注ぎはじめた。
北の席から。順番に。
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零度の手が、カップに伸びた。
面の下の口元へ、カップを入れた。
飲んだ。
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「……百四十年で。初めてです」
年を取った声だった。
「この卓で、茶を、いただくのは」
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ほかの面も、一つずつ飲んだ。
尖った声は、最後まで飲まなかった。
カップを、遠ざけた。
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俺のカップは、少しずつ減っていた。
俺は、飲んでいなかった。
「……ぬるいのぉ」
頭の上だった。
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「では」
零度が、カップを置いた。
「東経百三十五度。結果を、伺います」
「誰が、北の戸を、閉めましたか」
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持ち帰っては、だめだった。
お茶は、出した。
順番は、守った。
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「伊左衛門の、家族です」
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面が、英語で言った。
卓が、ざわついた。
誰だ、という声が、二つ三つ上がった。
名前を、知らない席だった。
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零度だけが、黙っていた。
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後ろで、息がした。
耳のすぐ横だった。
「……待ってた、顔です」
『ホラー』の、小さい声だった。
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「今の、切りました」
『ギーク』が言った。
面の口は、何も喋らなかった。
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「ずっと、待ってた、顔です」
「五十年、くらい」
『ホラー』は、それだけ言って、黙った。
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零度は、長いこと、俺を見ていた。
面の穴の奥は、見えなかった。
見えなくても、よかった。
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「……そうですか」
零度は言った。
「北の戸の件は。これで、終わりにします」
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尖った声が、立った。
「決を、採ってください」
「採りません」
一拍も、遅れなかった。
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「きょうは、ここまでにします」
零度は、立った。
立ってから、もう一度、こっちを見た。
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「東経百三十五度」
「その家の方に、伝えてください」
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「茶は。うまかった、と」
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四十二段、上った。
外は、まだ薄く晴れていた。
庭師が、戸を閉めた。
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面を外した。
『ホラー』は、ピンを外していた。
前髪が、下りていた。
「……疲れました」
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「待ってた、って」
「はい」
「誰を、ですか」
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『ホラー』は、少し考えた。
「伊左衛門さんの、家族を」
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盆の上に、カップが七つ、戻ってきていた。
六つは、空だった。
一つだけ、手つかずだった。
尖った声の席の、だった。
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「伝えて、くれと。言われたのぉ」
肩の上で、メレオスが言った。
「母御に、言わんとな」
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うちの決まりは、先に言うことだった。
帰ったら、一番に言うことが、できた。




