第百十六章 説明、だ
「遅い、だ」
『ジョン』が訳した。
自分が言われた話だった。
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三月十二日。金曜日。
空港の、到着の出口だった。
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奥さんは、背が高かった。
髪を、後ろで一つに結んでいた。
スーツケースは、一つだけだった。
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「半年、だ」
「説明は、あとで、聞く、だ」
『ジョン』は、自分が叱られるのを、自分で訳していた。
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奥さんは、『ジョン』を、別の名前で呼んだ。
短い名前だった。
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聞かなかったことにした。
聞かないほうがいいやつだ、と『レスラー』が言っていた。
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「ケイトだ。妻だ」
「エミリー。娘だ」
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エミリーは、リュックを背負っていた。
俺を、見ていなかった。
俺の肩を、見ていた。
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指を、さした。
何か言った。
「……その子は、誰、だ」
『ジョン』の声が、小さくなった。
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「見えとるのか」
メレオスが言った。
「見せとらんぞ。わしは」
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エミリーは、手を振った。
メレオスは、少し考えて、振り返した。
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ケイトさんは、娘の指の先を見た。
何もなかった。
『ジョン』を見た。
「説明、だ」
「あとで、する、と、言った」
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背広の男が、二人の後ろにいた。
くたびれていた。
「部長。お連れ、しました」
「貸しは、これで」
「半分だ」
父が言った。
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父は、一歩前に出た。
英語だった。
長かった。つかえなかった。
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ケイトさんが、答えた。
二人で、少し笑った。
一言も、分からなかった。
父の言うことが分からないのは、生まれて初めてだった。
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「何の、話」
「為替だ」
「……為替」
「会計士、だそうだ。数字に、強い」
父がほめるときの、言い方だった。
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実家の玄関に、母が立っていた。
ケイトさんとエミリーは、何も言われる前に靴を脱いだ。
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『ジョン』は、脱がなかった。
「あんたは。もう、半年、いるでしょう」
母に、叱られていた。
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「遠い、ところを。よく、来たわね」
母は、日本語だった。
ケイトさんは、英語で答えた。
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『ジョン』が、訳そうとした。
「分かるわよ」
母が言った。
「分かる、だ」
ケイトさんも、言ったらしかった。
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母は、ケイトさんの手からスーツケースを取った。
「もう、持たなくて、いいのよ」
ケイトさんの肩が、下がった。
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言葉は、一つも通じていなかった。
全部、通じていた。
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夕飯は、カレーだった。
「子供は、カレーよ」
母は、迷わなかった。
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エミリーは、三杯食べた。
隣の座布団に、スプーンを一つ置いた。
誰もいない座布団だった。
カレーが、少しずつ減った。
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ケイトさんは、それを見ていた。
「説明、だ」
二回目だった。
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ケイトさんが、手帳を出した。
数字を、書きはじめた。
「飛行機の、代金。食事の、代金」
「一セントまで、払う、だ」
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一円まで、の出どころが、分かった。
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「会社の、仕事だ。請求は、しない」
父が言った。
「ごはんに、値段は、ないのよ」
母が、二杯目をよそった。
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手帳は、閉じた。
負けたらしかった。
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ケイトさんが、ゆっくり何か言った。
『ジョン』は、すぐには訳さなかった。
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「……空港に。俺の、昔の、上司が、いた、だ」
「止めなかった、だ」
「エミリーに。手を、振った、だ」
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椅子は、空けておくと誰かが座る。
そう言った人だった。
『ジョン』は、長いこと黙っていた。
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エミリーは、寝ていた。
斜めに、寝ていた。
何もないところに、もたれていた。
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「動けん」
メレオスが言った。
「起こすなよ」
「起こさん。……母御に、挨拶も、せんのは。礼に、反する」
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見えるように、なった。
金色の髪と、金色のボタンだった。
娘が、その肩で寝ていた。
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「オッス。おら、メレオス」
「……神で、あるぞよ」
小さい声だった。
起こさないように、言っていた。
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ケイトさんは、長いこと見ていた。
それから、『ジョン』を見た。
「説明、だ」
三回目だった。
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「……長い、話に、なる。酒が、いる」
「あるわよ」
母が、一升瓶を出した。




