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第百十六章 説明、だ

「遅い、だ」


『ジョン』が訳した。

自分が言われた話だった。


***


三月十二日。金曜日。

空港の、到着の出口だった。


***


奥さんは、背が高かった。

髪を、後ろで一つに結んでいた。


スーツケースは、一つだけだった。


***


「半年、だ」

「説明は、あとで、聞く、だ」


『ジョン』は、自分が叱られるのを、自分で訳していた。


***


奥さんは、『ジョン』を、別の名前で呼んだ。

短い名前だった。


***


聞かなかったことにした。

聞かないほうがいいやつだ、と『レスラー』が言っていた。


***


「ケイトだ。妻だ」

「エミリー。娘だ」


***


エミリーは、リュックを背負っていた。

俺を、見ていなかった。


俺の肩を、見ていた。


***


指を、さした。

何か言った。


「……その子は、誰、だ」


『ジョン』の声が、小さくなった。


***


「見えとるのか」


メレオスが言った。


「見せとらんぞ。わしは」


***


エミリーは、手を振った。

メレオスは、少し考えて、振り返した。


***


ケイトさんは、娘の指の先を見た。

何もなかった。


『ジョン』を見た。


「説明、だ」


「あとで、する、と、言った」


***


背広の男が、二人の後ろにいた。

くたびれていた。


「部長。お連れ、しました」

「貸しは、これで」


「半分だ」


父が言った。


***


父は、一歩前に出た。


英語だった。

長かった。つかえなかった。


***


ケイトさんが、答えた。

二人で、少し笑った。


一言も、分からなかった。

父の言うことが分からないのは、生まれて初めてだった。


***


「何の、話」


「為替だ」


「……為替」


「会計士、だそうだ。数字に、強い」


父がほめるときの、言い方だった。


***


実家の玄関に、母が立っていた。


ケイトさんとエミリーは、何も言われる前に靴を脱いだ。


***


『ジョン』は、脱がなかった。


「あんたは。もう、半年、いるでしょう」


母に、叱られていた。


***


「遠い、ところを。よく、来たわね」


母は、日本語だった。

ケイトさんは、英語で答えた。


***


『ジョン』が、訳そうとした。


「分かるわよ」


母が言った。


「分かる、だ」


ケイトさんも、言ったらしかった。


***


母は、ケイトさんの手からスーツケースを取った。


「もう、持たなくて、いいのよ」


ケイトさんの肩が、下がった。


***


言葉は、一つも通じていなかった。

全部、通じていた。


***


夕飯は、カレーだった。


「子供は、カレーよ」


母は、迷わなかった。


***


エミリーは、三杯食べた。


隣の座布団に、スプーンを一つ置いた。

誰もいない座布団だった。


カレーが、少しずつ減った。


***


ケイトさんは、それを見ていた。


「説明、だ」


二回目だった。


***


ケイトさんが、手帳を出した。

数字を、書きはじめた。


「飛行機の、代金。食事の、代金」

「一セントまで、払う、だ」


***


一円まで、の出どころが、分かった。


***


「会社の、仕事だ。請求は、しない」


父が言った。


「ごはんに、値段は、ないのよ」


母が、二杯目をよそった。


***


手帳は、閉じた。

負けたらしかった。


***


ケイトさんが、ゆっくり何か言った。


『ジョン』は、すぐには訳さなかった。


***


「……空港に。俺の、昔の、上司が、いた、だ」

「止めなかった、だ」


「エミリーに。手を、振った、だ」


***


椅子は、空けておくと誰かが座る。

そう言った人だった。


『ジョン』は、長いこと黙っていた。


***


エミリーは、寝ていた。

斜めに、寝ていた。


何もないところに、もたれていた。


***


「動けん」


メレオスが言った。


「起こすなよ」


「起こさん。……母御に、挨拶も、せんのは。礼に、反する」


***


見えるように、なった。


金色の髪と、金色のボタンだった。

娘が、その肩で寝ていた。


***


「オッス。おら、メレオス」

「……神で、あるぞよ」


小さい声だった。

起こさないように、言っていた。


***


ケイトさんは、長いこと見ていた。


それから、『ジョン』を見た。


「説明、だ」


三回目だった。


***


「……長い、話に、なる。酒が、いる」


「あるわよ」


母が、一升瓶を出した。


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