第百十五章 いない、男
「通りませんでした」
加藤さんが言った。
『ジョン』のカードの話だった。
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三月十日。水曜日。
0課の朝だった。
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ゆうべ、居酒屋へ行った。
店は、『ジョン』が選んだ。
一円まで割る、と言った男のカードが、会計で止まった。
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三枚、出した。
三枚とも、止まった。
「おごりで、ござる」
『ブル』が払った。
野暮では、なかった。
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「調べました」
壁の画面で、『ギーク』が言った。
「いません」
「誰が」
「『ジョン』さんが。どこにも」
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「名簿に、いません。旅券の、番号も、ありません」
「給料の、口座も。ゆうべの、九時から、ありません」
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「消し方が、きれいです。プロですね」
ほめていた。
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『ジョン』は、長いこと黙っていた。
「……五十年前と、同じだ」
「殴れない、相手は。紙で、消す」
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あの方が、ついている。
向こうは、そう思っている。
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「帰る」
『ジョン』は、立った。
「旅券が、ありません」
加藤さんが言った。
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帰れと言われて、帰らなかった男だった。
帰れなくなっていた。
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「家族が、いる」
初めて、聞いた。
「妻と、娘だ。七つだ」
「俺が、消えれば。あっちだけ、残る」
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「紙から、消えたか」
肩の上で、メレオスが言った。
「わしは、もとから、おらん」
「おらんでも。飯は、食える」
慰めていた。たぶん。
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「私も。先月まで、おりませんでした」
隅の机で、共さんが言った。
「判子、十七か所で。戻りました」
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「二人目ですね」
加藤さんが、引き出しを開けた。
「様式は、あります」
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0課は、いない人をいることにするのに、慣れていた。
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扉が開いた。
赤城さんだった。
もう、知っていた。
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「政治は、俺が、やる」
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「この、男は。日本政府の、証人だ」
「在留は、俺の、判子で、足りる」
一か所で、足りるらしかった。
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「向こうには。説明を、求める」
赤城さんは、紙を一枚出した。
照会の写しだった。
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「いない、男の、連れを。調べて、いる、国が、ある」
「紙が、残って、いる」
役所の紙は、消えない。
止めていた照会が、証拠になった。
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「ただ」
赤城さんは、『ジョン』を見た。
「家族は。国では、迎えられん」
「迎えれば。向こうに、口実を、やる」
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うちの決まりは、先に言うことだった。
廊下で、家に電話した。
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「何人」
母が言った。
「二人。奥さんと、娘さん」
「いくつ」
「七つ」
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「布団は、あるわ」
「うちに、来てもらいなさい」
三十秒だった。
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「赤城さんに、代わって」
代わった。
赤城さんの背筋が、伸びた。
「……はい」
「はい」
「承知、しました」
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政治は、大臣が主導していた。
大臣は、母が主導していた。
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電話が、戻ってきた。
父に、代わっていた。
「ニューヨークの、支店に。貸しのある、男が、いる」
「取引先の、ご家族の、来日だ。うちの、会社の、仕事にする」
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「……父さん」
「飛行機は、あした、取る」
仕事の声だった。
父のその声を、初めて聞いた。
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『ジョン』は、廊下に立っていた。
聞こえていた。
「飛行機代は」
「父が」
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「……割り勘に、してくれ」
「一円まで、ですか」
「一円までだ」
払えない男が、そう言った。




