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第百十五章 いない、男

「通りませんでした」


加藤さんが言った。

『ジョン』のカードの話だった。


***


三月十日。水曜日。

0課の朝だった。


***


ゆうべ、居酒屋へ行った。

店は、『ジョン』が選んだ。


一円まで割る、と言った男のカードが、会計で止まった。


***


三枚、出した。

三枚とも、止まった。


「おごりで、ござる」


『ブル』が払った。

野暮では、なかった。


***


「調べました」


壁の画面で、『ギーク』が言った。


「いません」


「誰が」


「『ジョン』さんが。どこにも」


***


「名簿に、いません。旅券の、番号も、ありません」

「給料の、口座も。ゆうべの、九時から、ありません」


***


「消し方が、きれいです。プロですね」


ほめていた。


***


『ジョン』は、長いこと黙っていた。


「……五十年前と、同じだ」

「殴れない、相手は。紙で、消す」


***


あの方が、ついている。

向こうは、そう思っている。


***


「帰る」


『ジョン』は、立った。


「旅券が、ありません」


加藤さんが言った。


***


帰れと言われて、帰らなかった男だった。


帰れなくなっていた。


***


「家族が、いる」


初めて、聞いた。


「妻と、娘だ。七つだ」

「俺が、消えれば。あっちだけ、残る」


***


「紙から、消えたか」


肩の上で、メレオスが言った。


「わしは、もとから、おらん」

「おらんでも。飯は、食える」


慰めていた。たぶん。


***


「私も。先月まで、おりませんでした」


隅の机で、共さんが言った。


「判子、十七か所で。戻りました」


***


「二人目ですね」


加藤さんが、引き出しを開けた。


「様式は、あります」


***


0課は、いない人をいることにするのに、慣れていた。


***


扉が開いた。

赤城さんだった。


もう、知っていた。


***


「政治は、俺が、やる」


***


「この、男は。日本政府の、証人だ」

「在留は、俺の、判子で、足りる」


一か所で、足りるらしかった。


***


「向こうには。説明を、求める」


赤城さんは、紙を一枚出した。

照会の写しだった。


***


「いない、男の、連れを。調べて、いる、国が、ある」

「紙が、残って、いる」


役所の紙は、消えない。

止めていた照会が、証拠になった。


***


「ただ」


赤城さんは、『ジョン』を見た。


「家族は。国では、迎えられん」

「迎えれば。向こうに、口実を、やる」


***


うちの決まりは、先に言うことだった。


廊下で、家に電話した。


***


「何人」


母が言った。


「二人。奥さんと、娘さん」


「いくつ」


「七つ」


***


「布団は、あるわ」

「うちに、来てもらいなさい」


三十秒だった。


***


「赤城さんに、代わって」


代わった。

赤城さんの背筋が、伸びた。


「……はい」

「はい」

「承知、しました」


***


政治は、大臣が主導していた。

大臣は、母が主導していた。


***


電話が、戻ってきた。

父に、代わっていた。


「ニューヨークの、支店に。貸しのある、男が、いる」

「取引先の、ご家族の、来日だ。うちの、会社の、仕事にする」


***


「……父さん」


「飛行機は、あした、取る」


仕事の声だった。

父のその声を、初めて聞いた。


***


『ジョン』は、廊下に立っていた。

聞こえていた。


「飛行機代は」


「父が」


***


「……割り勘に、してくれ」


「一円まで、ですか」


「一円までだ」


払えない男が、そう言った。


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