第百十四章 紙、一枚
「どちらの、脚で、ございますか」
鷲尾が言った。
椅子の話だった。
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三月九日。火曜日。
警察病院の、個室だった。
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鷲尾は、きょうも窓を見ていた。
布団に、しわがなかった。
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赤城さんが、一言だけ言った。
「椅子は、直った。後任が、直した」
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鷲尾の目が、窓から離れた。
俺に、来た。
それで、脚の話になった。
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「右の、後ろです」
「何で」
「床を。紙、一枚ぶん、盛りました」
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鷲尾の眉が、少し動いた。
「……一枚」
「私の、見立てでは。一枚と、半分で、ございました」
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半分、足りなかった。
百四十年傾いていた椅子は、まだ紙半分、傾いているらしかった。
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「細かいのぉ」
肩の上で、メレオスが言った。
「大臣と、同じじゃ」
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赤城さんには、聞こえている。
何も、言わなかった。
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「次の、席で。お願い、いたします」
「半分」
「……うん」
一回だった。
宿題が、二件になった。
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「零度は。何と」
「よろしい、と」
「持ち帰って、検討します、と。言ったら」
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鷲尾は、長いこと俺を見ていた。
「……通りましたか」
「通りました」
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「一度は、通ります」
「二度は、通りません」
「零度は。同じ、返事を。二度、お聞きに、なりません」
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「なぜ、教える」
赤城さんが言った。
「椅子を。直して、いただき、ましたので」
「ほかに、理由は、ございません」
羊羹のときと、同じ答えだった。
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「次は。紅茶を、持って、いきます」
鷲尾の眉が、また動いた。
「円卓に。茶は、出ません」
「知ってます」
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「百四十年、で、ございます」
「……私も。気に、なって、おりました」
母と、同じ意見だった。
円卓の中にも、一人いた。
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「カップは。七つ、お持ち、ください」
「揃いで」
うちのは、六つだった。
一つ、足りなかった。
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鷲尾は、窓に戻った。
「大臣」
「私は、変わりません」
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少し、間があった。
「……椅子は。変わり、ましたが」
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廊下に出た。
「紙、半分だ」
赤城さんが言った。
「忘れるな」
大臣も、気になるほうの人だった。
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長椅子に、『レスラー』がいた。
丸いものを、持っていた。
「あんを、入れた」
「……あんパンですか」
「あんパンに、なった」
満足そうだった。
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同じころ。
東海岸の、窓のない部屋だった。
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男が、紙を三枚読んでいた。
面は、つけていなかった。
円卓では、西経七十五度と呼ばれていた。
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一枚目は、ロンドンから帰った四人の報告だった。
追い返された。けがはない。
なぜ帰ったのか、本人たちにも分からない。
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二枚目は、一行だった。
西経百二十度からだった。
あの方が、ついている。
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三枚目は、東京からの返事だった。
照会の件は、所管の部署で確認中。
回答の目安は、三か月。
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男は、その行を二度読んだ。
「……役所は、遅い」
自分で言った言葉だった。
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受話器を取った。
「役所を通らない道が、一つある」
「宿帳だ。あの町に、ホテルは一軒しかない」
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「……人を、やるのか」
低くて、ゆっくりした声だった。
「もう、やった」
電話は、そこで切れた。
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西海岸の部屋で、受話器を置いた男がいた。
もう一度、取った。
番号を、途中まで押した。
置いた。
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モルクヴィークは、まだ雪の中だった。
赤い屋根のホテルに、宿帳が一冊あった。




