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幕間 とりあえず、生

「討ち入りの、前で、ござる」


『ブル』が言った。

飲み会の話だった。


***


三月三日。水曜日。

ロンドンは、めずらしく晴れていた。


夜の七時だった。


***


「討ち入りの、前は。そば屋の、二階で、ござる」


「……パブですよね、ここ」


「一階で、ござるな」


時代劇で覚えた段取りだった。


***


「前の、晩じゃ、ないんですか。ああいうのは」


「前の、晩に、飲めば。当日、使えぬ」

「ゆえに。二日、前で、ござる」


そこだけ、現実的だった。


***


「つけられたら、どうする」


『ジョン』が言った。

きのうの今日だった。


***


「この、店は。亭主が、昔の、同僚で、ござる」

「知らぬ、顔が、入れば。鐘を、鳴らし申す」


カウンターの上に、小さい鐘が下がっていた。

亭主は、黙ってグラスを拭いていた。


***


木の卓に、六人で座った。

見えるのは、五人だった。


『レスラー』は、二日ぶりに起きていた。

座ると、椅子が鳴った。


***


『ジョン』は、座って待っていた。


五分、待った。


***


「……来ないな」


「誰が、で、ござる」


「店の、人間だ。注文を、取りに」


***


「参らぬ」

「あそこへ、自分で、参る」


『ブル』は、カウンターを指した。


***


「……ボタンは」


「ボタン」


「押すと、来る、やつだ」


「ござらぬ」


***


『ジョン』は、卓の上を探した。

裏も見た。


なかった。


***


「おしぼりは」


「ござらぬ」


「お通しは」


「ござらぬ」


「……座ったら、出るだろう。黙ってても」


***


「アメリカでも、出ないですよね」


俺が言うと、『ジョン』はこっちを見た。


「出ない」

「だから、言ってる」


***


日本から来た三人は、黙って座っていた。

怒っているのは、アメリカ人だった。


***


『ブル』が、カウンターから戻ってきた。

盆に、グラスを五つのせていた。


茶色かった。

泡が、なかった。


***


「とりあえず、生、だろう」


「これが、生で、ござる」

「樽の、中で。まだ、生きて、おる」


本当のことらしかった。


***


『ブル』は、もう飲んでいた。


「待て」

「乾杯が、まだだ」


「飲めば、よかろう」


***


「音頭は、誰だ。幹事は」


「主は、拙者。幹事は、おらぬ」


***


『ジョン』は、立った。


「えー」

「本日は。お忙しい、ところ」


誰も、頼んでいなかった。


***


大臣の乾杯より、長かった。


「乾杯」


言ったのは、『ジョン』と、日本から来た三人だった。


『ブル』は、二口目だった。


***


『ジョン』は、一口飲んだ。


止まった。


「……ぬるい」


「冷やせば。味が、死に申す」


「冷やせ。殺せ」


***


「熱燗は、ほめてましたよね。発明だ、って」


「あれは、温めて、ある」

「これは、冷やして、ない」

「違うだろう」


違うらしかった。


***


共さんは、両手でグラスを持っていた。

一口、飲んだ。


首から、赤くなった。


***


「……効きます」

「ぬるいと。なお、効きます」


背筋は、さっきより伸びていた。


***


メレオスは、俺のグラスを一口なめた。

顔を、しかめた。


「苦い」

「徳利は、ないのか」


「ない」


「……神の、飲みものでは、ないな」


***


食べものが来た。


揚げた魚と、揚げた芋だった。

それだけだった。


***


「枝豆は」


「ござらぬ」


「冷ややっこは。たこわさは」


***


「……東京が、恋しゅう、ござるか」


「恋しい」


即答だった。


***


グラスが、空いた。


「次は、ヤンキーの、番で、ござる」


「何の」


「おごる、番で、ござる」

「順に、一人ずつ。皆に、おごる」


***


「主催、だろう。あんたが」


「一杯目は、持ち申した」


***


「会費は」


「取らぬ」


「割り勘は」


「野暮で、ござる」


***


「五人、いるんだぞ」

「全員が、おごったら。五杯、飲むことに、なる」


「左様」


***


「……一円まで、割ったほうが、早い」


加藤さんが聞いたら、うなずく台詞だった。


***


『ジョン』は、財布を持ってカウンターへ行った。


文句を言いながら、行った。

英語でも、言っていた。


***


『レスラー』の番だった。


「三つ、くれ」


自分の前に、三つ並べた。


「皆の、ぶんは」


「……順番、だろう」


順番の意味が、違っていた。


***


共さんの番だった。

グラスは、まだ一杯目だった。番は、番だった。


***


カウンターの前で、頭を下げていた。

四十五度だった。


***


亭主が、初めて手を止めた。


同じだけ、下げ返した。


***


「……あれは、通じるのか」


「通じて、おり申すな」


『ブル』も、知らなかったらしい。


***


俺の番だった。


「ハイボール」


通じなかった。


「ウイスキー。ソーダ」


***


亭主は、ウイスキーを出した。

ソーダを、別に出した。


混ぜるのは、自分だった。

何でも、自分でやる国だった。


***


十時五十分だった。


鐘が、鳴った。


***


『レスラー』が、立った。

『ジョン』の手が、上着の中に入った。

俺は、戸を見た。


誰も、入ってきていなかった。


***


「ラスト、オーダーで、ござる」


「……同じ、鐘なんですか」


「鐘は、一つで、ござる」


***


「まだ、十一時前だぞ」


「十一時で、閉め申す」


「二次会は」


「ござらぬ」


***


「締めは。ラーメンは」


「宿で、寝るのが。締めで、ござる」


***


『ジョン』は、ぬるいグラスを置いた。


「この国は」

「よく、戦争に、勝ったな」


「早う、寝るゆえで、ござる」


***


店を出た。

十一時、ちょうどだった。


通りは、もう暗かった。


***


「郷に、入っては。郷に、従え、で、ござる」


「それは、日本の、ことわざだ」


「左様」


***


『ブル』は、少し黙った。


「……おしぼりは。よい、もので、ござった」


二十年、東京にいた人だった。


***


「帰ったら、居酒屋だ」

「店は、俺が、選ぶ」


「割り勘で、ござるか」


「一円までだ」


***


三月五日まで、あと二日だった。


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