第十章 初仕事
二日目の朝も、ネクタイは一度で決まらない。
地下に降りた。
六、三、一、六。閉じるボタン、長押し。
会議室に、課の人間が揃っていた。
「本番だ」
課長が、資料を配る。
「うちは、表に出せない案件を処理する部署だ。正規の警察では手が出せない現場、と言えば分かるか」
昨日、後々に回された仕事内容である。
危険手当の正体が、資料の写真だった。
港の倉庫。木箱。銃。
「今夜、暴力団がロシアのマフィアと、銃火器の取引をする」
「現場に入って、証拠を押さえて逮捕する。君も行く」
「俺も、ですか」
「初日で投げられた男を、置いていくわけにはいかないだろ」
『レスラー』が、腕を組んでうなずいた。
加藤さんは、心配そうな顔をしている。
『レディー』は、爪を見ている。
『ホラー』は、資料の端だけを見ていた。
俺は、平均的な元サラリーマンである。
銃の取引に、行く人間ではない。
正直、怖いが、断れない。仕事だ。
***
ロッカーで、防弾ベストを渡された。
重い。
「これも」
『レスラー』が、拳銃を渡してきた。
初めて触る。
冷たい。思ったより、重い。
「安全装置はここだ。撃てと言われたら撃て。それまでは、指を添えるな」
「触ったこと、ないです」
「今夜、覚える」
覚えることが、また増えた。
***
港は、夜でも明るい。
水銀灯が、倉庫の壁を白くしている。
なぜ、こういう取引は決まって港の倉庫なのか。
法律で決まってるのか。
ドラマでも、ゲームでも、倉庫である。
現場は、ドラマどおりだった。
腹が、冷える。
「『オザケン』、後ろだ。撃つなよ。まだだ」
『レスラー』の声が、低い。
木箱が、フォークリフトから降りる。
日本語と、よく分からない言葉が、交差する。
暴力団。ロシアのマフィア。
どちらも、拳銃を持っている。
証拠は、揃っている。
あとは、踏み込むだけだ。
「行くぞ」
***
扉が開く音と、声が重なった。
「動くな!警察だ!」
『レディー』の声である。
思ったより、大きい。
相手は、止まらなかった。
銃声が、倉庫に響く。
耳が、鳴る。
頭が、白い。
「『オザケン』!撃て!」
『レスラー』に、怒鳴られた。
安全装置。どこだ。
指が、滑る。
撃った。
弾は、天井に行った。
「違う!そっちは空だ!」
分かってる。触ったこともないんだよ。
もう一発。床に行った。
三発目は、もう自分がどこを撃ってるのか分からない。
相手の弾が、近くの鉄骨に当たった。
ヤバい。
刃物のときより、ヤバい。
魔法なら、当たる。
もう我慢の限界だ!
「むん!」
火の玉が、木箱の横で弾けた。
ドワッ!
マフィアの一人が、後ろへ転んだ。
炎は、イメージより大きい。いつものことだ。
銃声が、止まらない。
火だけでは、足りない。
雷なら、手が止まる。
「いくぞ!」
バチッ!
倉庫の明かりが、一度、落ちた。
相手の腕に雷が当たる。
拳銃が、床に落ちる。
自分の指も、しびれた。
山の再現である。
弾が、まだ来る。
壁だ。
「ストーンウォール!」
石壁が、目の前に立ち上がった。
弾が、壁で止まる。
詠唱は、恥ずかしい。
いまは、恥ずかしい場合ではない。
***
静かになった。
煙と、焦げた匂いと、土の匂いが混ざっている。
『レスラー』が、相手の腕をひねって押さえている。
『レディー』が、残りの人間に銃を向けている。
『ホラー』は、石壁を見ていた。
髪の隙間から、目が見える。
「……今の、何」
『レディー』である。
「気功です」
「気功」
「気功です」
三回言った。
不器用な人間が嘘をつくときは、回数で押すしかない。
「合気道で人を投げるのは知っているが、炎と雷と壁はどう言うことだ?」
『レスラー』が、不思議そうに俺を見た。
「じいちゃんが一子相伝で……その、気の応用です」
「ふーん」
『レディー』の「ふーん」は、二日で三種類目である。
『ホラー』は、何も言わなかった。
石壁から、俺へ、視線だけが移る。
背中が、また冷たい。
***
倉庫を出るころには、正規の警察が来ていた。
うちの課の名前は、出ていない。
存在しない部署である。当然だ。
車の中で、『レスラー』が言った。
「次は、撃つ練習もしろ。魔法……気功の前に」
「気功です」
「分かったよ」
分かってない。
分かってくれたふりだけは、してくれている。
***
地下に戻ると、すぐに呼ばれた。
課長の部屋は、会議室より狭い。
「座ってくれ」
座った。
「炎は、大臣から聞いていた。だから君を入れた」
うなずくしかない。
「雷と、壁は、聞いていない」
課長の顔が、頼りなさげなまま、困っている。
「気功です」
「加減が、まだ難しいですが」
倉庫を、少し焦がした。
石壁は、まだ残している。どかすのは、誰の仕事だ?
「君の技は、現場で暴れると後始末が大変だ。地下に訓練場を空ける。そこで練習してくれ」
「……はい」
アパートを燃やすよりは、ましだ。
山に行くよりは、近い。
「まあ、逮捕はできた。あとは訓練だ」
課長が、笑った。
頼りない笑いに見えて、少しだけ、仕事の顔だった。
***
アパートに帰った。
「どうじゃった。本番は」
メレオスが、ソファの背に座っている。
「銃撃戦だった。ロシアのマフィアと、暴力団だ」
「ほう。給料の元は取れたか」
「倉庫を焦がした」
「火を出したのぉ」
「雷も、壁も」
「人前で、か」
「たまらなかった」
「気功で通したか」
「通した」
「課の人間は、信じてない」
「妹御と同じじゃな」
「同じにするな」
「訓練場をもらった。地下だ」
「燃やし放題じゃ」
「燃やさないぞ!」
***
拳銃は、ロッカーに置いてきた。
触りたくない。
明日から、地下で特訓だ。
倉庫の石壁は、たぶん、まだ残っている。
憂鬱だ。




