第九章 公安0課
朝七時。ネクタイが、一度で決まらない。
公安0課の、初出勤である。
降りる駅も、駅からの道順も、昨日の夜にメールが来ていた。
親切すぎて、少し怖い。
***
どこにでもあるオフィス街を、道順のとおりに十分歩く。
看板のない、灰色のビル。
先日、アイマスクで連れてこられた場所だ。
「小沢健司です。九時に伺うように言われて」
受付で、部署の名前は言わなかった。
すぐに黒服が出てきた。俺を車に放り込んだ側の人間である。
「おはようございます。小沢さん」
「……おはようございます」
今日も、やっぱり丁寧だ。
***
エレベーターに乗った。黒服が、パネルの前に立つ。
ポン、ポン、ポン、ポン。
階数のボタンを、四つ。決まった順番で押している。
「あの、何をしてます?」
「地下へ行く操作です。この順番で押さないと、地下には降りません」
すげぇ、隠し通路のパスワードだ。
現実で見ると、ボタンを押しているだけである。
「番号を覚えてください。明日から、ご自分で操作していただきます」
「メモは」
「駄目です」
即答された。俺の記憶力を、政府が信用している。
「六、三、一、六です。そのあと、閉じるボタンを長押し」
「長押し」
覚えることが、増えた。
エレベーターが下がりはじめる。階数の表示は、動かない。
***
天井の低い、コンクリートの廊下だった。
つきあたりの扉に、プレートが貼ってある。
『公安0課』
「私はここまでです」
黒服はドアをノックし頭を下げて、戻っていった。
入れかわりに扉が開いて、普通のスーツの中年男が出てきた。
そこらの課長みたいな顔である。
「やあ、来たね。待ってたよ」
***
通されたのは、長机とパイプ椅子の会議室。
先日の部屋より、ずっと狭くて、ずっと普通だ。
「はじめまして、健司くん。私は公安0課の課長、岩田健吾と言う」
やはり課長だった。
「小沢健司です」
なんか頼りなさげなおっさんである。言わないが。
「大臣から話は聞いている。ようこそ、公安0課へ」
課長は、パイプ椅子を引いて腰を下ろした。
「この部署は、もともと存在しないこととなっている。君も口外しないように頼む」
「他人に仕事を聞かれたら、警察関係と名乗ってくれ」
「公安とか言うと、その、対外的にね」
対外的に。言葉が、途中で濁った。
そこで、メレオスの言ったことを思い出した。
「あのぉ、その、給料はお幾らでしょうか」
「はは、給料ときたか。まあ、危険手当を含めて、前の会社の手取りの2倍ぐらいかな」
2倍。え、2倍?
危険手当?何それ怖い。
「命の危険とかあるんですか」
「まあ、その、公安だからね。それなりには」
なんかうまくごまかされた気がする。
「仕事内容は後々話すとして、まずは部署のメンバーに紹介しよう」
「おっと、その前に君にコードネームを付けよう」
「コードネームですか?007的な」
「そう、存在しない部署だからね。本名ではまずいだろ」
「うーん、そうだね小沢健司だから、『オザケン』なんてどう?歌手にもいただろう」
安直だ。同姓同名と言えど安直だ。もう何でもいい。
「分かりました、それでいいです」
「課長はコードネームはあるんですか?」
「私のコードネームは『課長』だ」
まんまである。
***
課長に連れられて、職場へ行く。
机が島になって並んでいる。書類。パソコン。誰かのマグカップ。
普通の役所みたいだ。問題は、座っている人間である。
うーん、なんか特殊な人が多いような気がする。
奥の席に、めちゃくちゃ暗そうな人。髪で目が半分隠れている。
手前に、ケバケバしい化粧をした女性と、ムキムキマッチョの男性。
壁際に、ほっこりとした普通の女性もいる。ちょっと安心した。
「みんな注目。新人の小沢健司くん、コードネームは『オザケン』だ」
「小沢健司こと『オザケン』です。皆さんよろしくお願いいたします」
「ふーん、なんか冴えない男ね」
「私は九条裕子、コードネームは『レディー』よ」
レディーには、とても見えない。言わないけど。
「俺は岩尾武史、コードネームは『レスラー』だ」
ムキムキマッチョだ。これは、しっくりくる。
「よろしくね、小沢さん。私は加藤智子、現場にでないからコードネームは無いわ」
ほっこり女性が言った。癒される。
暗そうな人は、一瞥しただけ。目をそらされる。
代わりに『レスラー』が紹介してくれる。
「こいつは平沼義男、コードネームは『ホラー』だ」
なかなか、合ってる気がする。
「それにしても、見るからにひ弱そうだな」
『レスラー』が言う。
否定はしない。平均だから。
「なあ、課長。こいつ、体のほうはどうなんだ。大臣の紹介なんだろ」
立ち上がった『レスラー』は、でかい。横にも、でかい。
課長が、俺を見た。助け船は、来ない。
「合気道を、少し」
言ってしまった。正直は、不器用の副作用である。
「よし、やろう。組手だ。奥に道場がある」
「道場、あるんですか」
「地下だぞ。場所はいくらでもある」
「課長」
止めてほしくて、呼んだ。
「うーん、まあ、親睦になるかな」
その一言で、場が決まった。
止めるでもなく、進めるでもなく、流された。
この人が、俺の上司である。
面倒くさい。でも、断って得することも、ない。
「……やります」
お気楽な承諾である。毎回これで、あとが大変になる。
***
道場には、本当に畳が敷いてあった。
政府の予算の使い方を、俺は知らない。
袖をまくった『レスラー』の腕は、俺の太ももより太い。
「安心しろ。怪我はさせん。たぶんな」
たぶん。
『レディー』は腕を組み、加藤さんは心配そうだ。
課長は壁にもたれて、なぜか腕時計を見ている。
『ホラー』は、いちばん後ろで床を見ていた。
さて。
火を出せば、一発で終わる。風でもいい。
指先に、気を巡らせるだけだ。
『魔法を隠さんでよい職場かもしれんぞ』
守護神の声が、頭の中で再生された。
余計なことを思い出させるな。
初日で「実は異世界の神様が」は、駄目だ。
手のひらが、少し熱い。気を、戻す。
代わりに、じいちゃんの声が出てきた。
『力で勝つな。もらって流せ』
何百回も聞いた。
***
「行くぞ」
『レスラー』が腰を落として、まっすぐ来た。
でかいものがまっすぐ来ると、速く見える。
胸元を取りに来る手を、待つ。
じいちゃんの道場で、何百回もやった型である。
繁華街のチンピラにも、同じことをした。
つかまれた瞬間に、力の向きを見る。
重心が、前に来ている。
だから、前に流す。半歩、横へ引く。
相手の肘を、相手が進む先に置くだけだ。
『レスラー』の体が、自分の勢いで浮いた。
ドン、と畳が鳴る。
投げた、というより、流しただけだ。
じいちゃんの技に、俺は一つも足していない。
「……もう一回だ」
二回目も、同じだった。
三回目は、来なかった。
***
「参った」
『レスラー』が、畳にあぐらをかいて頭をかいた。
「すまん。ひ弱そうだと言ったな。取り消す。お前、強いな」
それから、自分の手のひらを見た。
「力を入れてないのに、なんで飛ぶんだ」
「自分の力で飛んでます」
「意味が分からん」
「……ふーん」
『レディー』の「ふーん」は、さっきと音が同じで、中身が違う。
「小沢さん、どこか打ってない?湿布あるわよ」
加藤さんが駆け寄ってきた。
投げられたのは、俺じゃない。
床を見ていた『ホラー』が、顔を上げていた。
髪の隙間から、目が見えた。
まっすぐ、俺を見ている。初めて、目が合った。
何も言わないまま、また床を見た。
背中が、少し冷たくなった。
「うん、うん、これでうちの課の戦力も上がる」
課長が、手をたたいた。
「親睦、深まったね」
深まったのは、俺の疑問である。仕事内容も聞いてない。
***
初日の仕事は、書類だった。存在しない部署にも、判子はある。
「今日はもう上がってくれ。明日から、本番だ」
帰りのエレベーターで、番号を押した。
六、三、一、六。閉じるボタン、長押し。
一回で、動いた。
不器用な人間には、こういうのが、うれしい。
***
商店街で降りると、肉屋がまだ開いていた。
「コロッケ、六つください」
買いそびれた、あのコロッケである。
これを買いに出て、俺は拉致されたのだった。
***
「おかえりじゃ。初日はどうじゃった」
リビングのテーブルの上で、メレオスがあぐらをかいている。
「給料が、2倍だった」
「給料は上がったのぉ!」
守護神が喜ぶのは、そこである。
「危険手当が入ってるらしい。命の危険が、それなりにあるんだと」
「命がなくなったら、給料は出るのか」
「出ないよ!」
「同僚と組手をした。ムキムキのマッチョだ。投げた」
「魔法は使ったか」
「使ってない」
言ってから、少し胸を張った。出したかったが出さなかった。
「魔法を使わんで勝ったのは、まあ合格じゃ」
「一人、変なのがいた。組手のあと、あの人だけが俺を見た」
「見られておったのぉ」
その言い方は、やめてくれ。
「何か知ってるのか。守護神だろ」
「知らん。知らんものは知らん」
前に、俺が妹に使った台詞である。
使われる側になると、腹が立つ。
***
給料は2倍。
湿布を出してくれる人がいる。
マッチョな『レスラー』は、いい人だった。
悪くない職場かもしれない。
明日から、やっと本番だ。
少し、楽しみだ。
布団に入って、目を閉じた。
髪の隙間の、あの目が浮かんだ。
憂鬱だ。




