13.婚約者の嘘と暗躍
「毎度ご贔屓にありがとうございます!」
夏休みも残りわずかとなり、王都に戻ったアランのもとをユールが訪ねてきた。
「…ユール、その挨拶何とかならないのかい?」
「いやぁ、アラン様は大口のスポンサー様ですからね。」
ユールはニコニコと笑いながら向かいの椅子に腰を下ろすと、ぐいっと身を乗り出した。
「…で、上手くいったのかい?」
「ああ、おかげさまでね」
「いやぁ、よかったよ。サンドラに婚約解消を告げられた直後の君は、見ていられなかったからね」
ユールは、可笑しそうに笑いながら、うっすらと涙ぐんだ目じりを撫でた。
「うるさい…」
アランは不貞腐れた子どものような表情を浮かべると、気恥ずかしさを誤魔化すようにコーヒーを一口飲んだ。
そんな姿を見られるのも、幼馴染の特権だろう。ユールは満足げに頷くと、再び口を開いた。
「今回提供した、血が噴き出る袋はどうだった?」
「ああ、完璧だったよ。いいタイミングで血が滲んでくれた」
「それはよかった」
——実は、湖に行った日、襲撃事件が起こることは事前に把握していた。そのため、アランはその事件を利用して、サンドラを繋ぎとめる計画を立てた。その計画に必要なものが“血が噴き出る袋”だったのだ。
「サンドラを庇って怪我をしたフリをして、罪悪感から婚約を続けてもらおう作戦…。うん!ダサい!初めて聞いたときは腹がよじれるほど笑わせてもらったよ。
婚約解消のショックでおかしくなったアラン。思い出すたび一生笑えるよ」
ユールは、ニヤニヤ笑いながら、まだ不貞腐れた表情をしているアランを揶揄った。
「…お前に言われた通り、その作戦は失敗したよ。だから、ちゃんと告白した」
「そっか。サンドラも喜んだだろ?」
「ああ。すごく可愛かった」
その時のサンドラを思い出したのか、アランは満ち足りた表情を浮かべる。
そんな親友の姿を見て、ユールも自然と頬を緩めた。
「じゃあ、残りは“あの家”だね。実は今日会いに来たのは、その件なんだ」
すると、アランの表情が一気に引き締まった。ユールは、一口コーヒーを飲むと、足を組みなおした。
「ご要望の通り、流通網を確保しましたよ」
「そうか…」
「兄貴が、アランによろしくだってさ」
カイティクス伯爵令嬢が、サンドラに嫌がらせをしていることは、以前から把握していた。
しかし、シャンヴェール伯爵家の物流を担っているのはカイティクス伯爵家だった。
そのため、父は表立って動くことを許さず、アランは歯痒い思いをしていた。
そこで、ユールの実家が営むノルシア商会に、新たな流通網の開拓を依頼した。
アランも、そのための支援を惜しまなかった。
そしてついに、ノルシア商会が物流網を掌握したのだ。
「これで、やっとカイティクス伯爵家と縁が切れる」
「まぁ、彼らは黒い噂が絶えなかったからね。おかげで取引先には困らないよ」
——ようやく、サンドラを害そうとする者を学園から排除できる。
アランは静かに目を細めると、残りのコーヒーを飲み干した。
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——夏休みが明け、学園は“ある噂”に皆の関心が集中していた。
それは、アランが賊に襲われ、負傷したというものだった。また、その黒幕がシャンノール男爵であり、彼は既に貴族籍を失ったという話も広まっていた。
サンドラも登校した途端、クラスメイトに質問攻めにあったが、詳細については口止めされていたため、「話せないの」の一点張りで何とか切り抜けた。
すると、そこにカイティクス伯爵令嬢が、友人を引き連れてやって来た。そして、クラスメイトたちに聞こえるように、わざと声を張り上げる。
「アグリヴェール男爵令嬢、聞きましてよ。アラン様のお怪我は、アナタを庇ったせいだそうではありませんか」
それを聞いた伯爵令嬢の友人たちも、すかさず追従した。
「まぁ!それなのに、まだ婚約者として居座っているの?」
「図々しい」
「私でしたら、申し訳なくて、とてもお側にはいられませんわ」
しばらく彼女たちの言葉を黙って聞いていたサンドラは、強い意志を宿した眼差しで、静かに立ち上がった。
——私は、アランと生きていくと決めた。もう、金髪縦ロール伯爵令嬢に言われっぱなしの自分は卒業しなければ。
そして、背筋をぴんと伸ばし、カイティクス伯爵令嬢の目を真っすぐ見据えて答えた。
「ご心配ありがとうございます。ですが、これは、私たち当事者の問題ですので、今後は、このようなご助言はお控えいただけませんでしょうか」
今までとは違うサンドラの態度に、カイティクス伯爵令嬢は一瞬目を見開いた。
しかし、その落ち着いた返答がかえって癇に障ったのか、彼女はすさまじい形相でサンドラに詰め寄る。
「アナタ…!何様のつもり?いい加減、立場を弁えなさい!」
その時だった。
「…いい加減にするのは、アナタの方だ」
静かだが、怒りを含んだ声が教室に響いた。驚いた生徒たちが一斉に振り返る。
そこには、いつの間にか教室の入り口に立つアランの姿があった。
「ア、アラン様…。私は…」
カイティクス伯爵令嬢が、アランの腕にすがろうとした。しかし、アランはそれを無視すると、まっすぐサンドラのもとへ向かった。
「サンドラ、大丈夫かい?」
「ええ。アラン。その…これは…」
「君のクラスメイトが俺を呼びに来てくれたんだ。怖かっただろう。遅くなってごめんね」
サンドラを安心させるように優しく微笑むと、アランは彼女を庇うように一歩前へ出た。
そして、冷ややかな眼差しをカイティクス伯爵令嬢へ向けた。
「ご令嬢は、何の権限があって我が家の婚約に口を出されているのですか?」
そして、彼女と一緒にサンドラを罵っていた友人たちにも、視線を向けた。
「皆さんのご家庭では、他家の婚約に口出しをするよう教育されているのですか?」
「それによって何かご実家に利益でもあるのでしょうか」
アランは穏やかな笑みを浮かべ、さらに言葉を重ねた。
「ぜひ、ご教授願いたいものですね」
遠回しに、実家に迷惑が及びかねないことを告げられ、友人たちはみるみる顔色を青くした。
しかし、カイティクス伯爵令嬢だけは、まだ諦めていなかった。
「“ご実家の利益”というお話であれば、我が家からの申し出を受けるべきでは?少なくとも、そちらの男爵令嬢より、私の方がアラン様にとって利になるかと」
自分が選ばれると信じて疑わない伯爵令嬢は、自信満々の笑みを浮かべアランを見つめた。しかし、その期待を打ち砕くように、アランははっきりと言い切る。
「サンドラとの婚約は、俺が望んだことだ。俺は彼女を愛している。だから生涯を共にしたいと思った」
その言葉にサンドラの胸がじんわりと温かくなった。
「しかし、実家の利益か…。ご令嬢がそれを望むのであれば、教えて差し上げよう。王都の我が家が運営するスイーツ店をご存知でしょうか?」
「ええ、もちろんですわ。昨年オープンした、王家御用達のスイーツ店ですよね?一級品の果実のみを使用した新鮮なスイーツが評判で、たしか隣国の大使からも大変ご好評だったとか」
「ええ。そうです。そして、そこで使われている果実は、すべてサンドラが品種改良したものなのです」
昨年オープンしたシャンヴェール伯爵家のスイーツ店といえば、瑞々しく甘いだけでなく、宝石のように美しい色合いの果実をふんだんに使ったスイーツで有名だった。
その味は王家にも認められており、特に王妃様のお気に入りとして知られている。
今年の王家主催のパーティーでも、その一級品の果実が提供され、大きな話題となっていた。
そして——その果実のすべてを生み出したのが、サンドラだったという事実に、クラスメイトたちは一斉にどよめいた。
「これでご理解いただけましたよね?この婚約は我が家にとっても、俺自身にとっても、得しかないということが」
アランは人目も憚らず、サンドラの髪の毛を一束優しく掴むと、その毛先に優しくキスをした。
クラスメイトたちは、その甘い様子に「キャー」と興奮気味だった。
サンドラは、クラスメイトに見られている恥ずかしさから「アラン‥ここではちょっと‥」と、顔を真っ赤にさせた。
その反応に気分を良くしたアランは、サンドラの髪の毛を優しく耳にかけ、そのまま耳元で甘く囁く。
「じゃあ、続きは二人きりになってからね」
サンドラは、頬が熱くなり、ふわふわと熱に浮かされたようになった。そして‥キャパオーバーを迎えたようにそこからはもう何も考えられなくなった。
アランはそんなサンドラを愛しそうに眺めていたが、突然真逆の冷え切った瞳で、カイティクス伯爵令嬢を一瞥した。
「ところで、ご令嬢は、今、ご実家がどういう状況かご存じないのですか?」
「どういうことですの?」
「ご自慢の物流網が、もう使い物にならないということですよ。今まで独占状態だったからか、色々と好き勝手されていたようですね。王国からの輸出禁止品を隣国に横流しまで…。今頃ご実家は大変なことになっているのではないでしょうか」
「え……?」
カイティクス伯爵令嬢の顔から血の気が引いた。
「ま、まさか…。そんなはず…」
「今すぐご実家にお戻りになることをおすすめしますよ」
それを聞いた伯爵令嬢は何も言わず、教室から飛び出していった。
——その後、カイティクス伯爵家は爵位を剥奪された。
ユールの実家であるノルシア商会が新たな流通網を確立していたこともあり、王家は迷うことなくその決断を下した。
そして、没落した彼らがその後どこで何をしているのか。
それを気にかける者も、また誰一人いなかった。
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