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消耗品たちの八月十五日  作者: 河野靖征


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 寿は、日中は森の奥深く潜伏して一行を休養させて、夜になると、夜行性動物のように夜道を択んだ。夜間は警戒も緩むだろうし、人と接触する危険率も低いと判断してのことである。

 一晩じゅう森の隘路を歩いて、夏の短い夜が白々と明けようとしたころには道は長い下り道となって、山の谷間に(ひろ)がる耕地に出たところで夜は開け放たれ、そこは薄い(もや)がかかっていた。

 肉眼で視認する範囲には、様々な作物が栽培されているようであった。人の背丈まで青々と生い茂っているところは、あれはトウモロコシ畑である。ずっと向うの朧に見えるところは、たぶん菜園であろう。その中間には作付を待っているのか、それとも収穫を終えたのか、寿の場所からは判然としないが、黒々とした大地が横たわっていた。

畑に沿ってつづいているこの道は、反対の山裾から延びているもう一本の道と黒い大地の辺りで合流している。

 周辺に人家が見当たらないのは、村落は、たぶんその先の山裾辺りにあって、まだ眠りの最中なのであろう。周辺は鎮まり返っている。これらの状況から察して、村落の規模は小さくはないようである。だとすると危険である。早めに食糧を調達して、森を抜けなければならない。

 寿は周辺の状況を素早く窺って、思い切って道の合流地点まで行くことにした。万一武装した農民に発見されても、反対の道を駈け抜ければ、山中へは容易に逃げ(おお)せられると踏んでのことである。

 そこまで行き着いて、寿の足がまた停まった。道の合流したその先には、またも夥しい軍靴の鉄鋲で道が抉られているのである。軍靴の足跡は、向かいの山裾から来たもので、寿たちが確認している黒い大地を荒らして抜けていた。

 その行手を睨みながら、有働が言った。

「芋畑を荒らして行ったんですね」

 ジャガ芋畑のそこは、あの満人部落のそれ以上の、それこそ一欠けらのジャガ芋も残さないほど、()(こそ)ぎ掘り起こされていた。まぎれもなく、関東軍の敗残部隊の仕業であった。

「こげな様子じゃと、この村も、あのときの村ンごつばなっとるかもしれんの。芋は掘っても出らん。諦めるよりほかなか。こうなったらついでやけん、もう少し行って様子ば見よう」

 寿は、あの満人部落の惨事を思い起こしながら、用心深く軍靴の軌跡を辿った。

 少し進んだところで、道が分岐していた。一方は山中に入りこんでいて、もう一方の道は行く手の山裾までつづいていた。鉄鋲の軌跡は、迷わずその山裾に向かっている。寿も、躊躇なくその軌跡を踏んだ。

 寿は、歩きながら首をかしげた。不思議なことに、あるはずの人家が一軒も見当たらないのである。

「視界がこれほど開いているってのに、家が一軒もありませんよ」

 有働がぼそりと言った。

「だとすると、部落は、さっきの道を上がったところですかね……」

「さっきの道は山の奥だぜ。そんな奥に村があるとは思えねえな。だってよ、友軍の足跡がまっすぐ向うにつづいているのが証拠じゃねえか? つまり、村への道はこれってことだと思うぜ」

 と、赤羽が受けた。

「どうします?」

 と、有働が訊いた。

「もう少し行ってみよう」

 寿は歩を進めた。

 その村落は、少し歩いた丘の上に()った。

 そこは、しかし、かつての住居であったという土塀だけがかろうじて残されていて、家屋はすべて焼き払われていて瓦礫と化していた。家畜小屋らしき焼け跡もあったが家畜の死骸はなく、死者は一人も見当たらなかった。

「殺したにしては、ここの連中の死体がありませんね。証拠隠滅に埋めたんですかね?」

 焼け跡を見つめながら有働が言った。

「そげな手間ばかける軍隊やなか。死骸は、おそらくこの瓦礫の下たい。そげにしても、なにもこげェまでせんでもよかろうもんがの」

 と、寿は、哀れみと嘆きを織り交ぜて、焼け跡の灰を軍靴で(はら)った。

「だから、俺たちは、満人に徹底的に睨まれるんですよ」

 と、有働が憎々しげに言った。

「俺たちはおとなしく歩いているってのに、行く先々でこんなことをされたんじゃたまらねえや」

「日本人に生まれた、おのれば恨むとやの」

「でも、俺たちは、こんなこと、いっぺんもしなかったじゃありませんか」

 有働は口を尖らせた。

「それは、わしらの勝手な言い分たい。ここの連中には善悪は関係なか、憎かとは日本人やけんの」

 寿は、呪いに似た視線を天空に向けた。

「長居は無用じゃ。陽が顔ば出す前に離れよう。万一ロスケが来たら、今度こそ逃げきれんばい」

 一行は、足早にその場を離れた。

 適当な塒を探しながら山道を歩いているうちに、一夜が完全に明けた。

 寿は、朝日に急かされるように森へ入った。

 道を外さない程度のところまで入って、塒を求めて暫く進んでいると、野下が急に立ち停まって、前方の森の斜面に指をさした。世俗から逃れるようにぽつねんと建っている山小屋が、野下の眼に止まったのだ

「ちょっと遠いですけど、あれ、家ですよね?」

 男たちは眼を細めた。

「確かに小屋ごつあるばい」

「見るところ、人の気配もないようですよ」

 野下が言った。

「あんな山のなかに一軒だけ小屋があるって、どういうことです?」

 有働が首を伸ばして言った。

「もしかして、ありゃ森の番小屋かもしれんの」

「なんです、それ?」

 有働が訊いた。

「山ば守する(きこり)か猟師の小屋たい」

 あァ、と、有働はうなずいた。

「行ってみますか?」

「そうじゃの。山の連中じゃと武器ば持っとる虞があるばってん、近所まで行って様子を探ろう」

 用心深く行き着いてみると、小屋は樵夫のものでも猟師のものでもなく、そこで炭を焼いて暮らしていた住人が棄てた廃屋であった。生活の息吹が絶えて久しいらしく、炭窯は朽ちかけていて、家の前の小さな広場は落葉で覆われていて、広場の先の斜面には、有難いことに、雑草に混じって青々と葉を茂らせた隠元豆とジャガ芋畑があった。作付をしたものの、それらの発芽を待たずに家を棄てた理由は想像するしかないが、山中での暮らしに疲れ果てたか、それともここよりもいい場所を求めて去ったかであろう。いずれにせよ、この家の住人は、日本軍に追われて出て行ったのではないということだけは確かであった。

「お誂えの場所がありましたね」

 と、有働の声が弾んだ。

「この場所なら、誰にも見つかる心配はありませんよ」

「そげにあって欲しかところやが……」

 呟いた寿は、念のために、広場から谷の裾野へ下っている細い道を調べてみた。

 分厚い落葉の絨毯でふわふわした道には、獣らしきものが通った足跡はあったが、それ以外の痕跡は認められなかった。

 寿は、さらに渓流の縁まで下りて周辺を一通り調べてから踵を返した。

「この下には渓流がある。道はそれに沿うてつづいとるようたい」

「誰も通った様子はありませんかね?」

 と、曳田が不安気に訊いた。

「長いこつ人間の足跡のなか、いまは獣の専用道路たい」

「それじゃビクつくこたァねえな」

 と、赤羽が気を緩めた。

 有働が家からノソリと出て来て、

「この裏の炭窯の横に、うまい具合に湧水が引っ張られていて、窯のなかにはまだ炭が残っています」

 と、報告すると、赤羽が、

「家のなかはガランとしてなにも残されちゃいませんがね、うまい具合に、多少錆びちゃいるが鍋もかまども完全に残されていますぜ。かまどの横の壺にはご丁寧なことに、石みてえに固まった岩塩が半分ほど用意してある。米は残っているし、ジャガ芋も豆だってある。かまどの鍋を綺麗にして、雑炊を炊こうじゃねえですか」

 と、髯面を緩ませた。満人の使うかまどは、日本式とちがって、かまどに鍋を据えつけたままである。

「雑炊は有難えが、火を焚いたりして大丈夫かよ。正面ががら空きだし、煙が見つかると拙いんじゃねえか?」

 と、曳田が心配そうに言うと、赤羽が得意げに答えた。

「さっきの村とは一山も離れたここは深い山の懐だ。正面も同様だ。窯の炭を使えば煙は差程も立たねえ。誰も気づく者ァはいねえよ。それに、見られたって、ここの住人が舞い戻って炭を焼いているぐらいにしか思わねえさ」

「どうします?」

 と、有働が寿の顔を窺い視た。気持は赤羽と同じであることはその顔が訴えている。

 寿も、周辺の安全を確認した際に、先程の村落とは完全に隔絶されていて、道も獣以外は通っていないことを見届けている。水煙の一つ上がっても問題はなさそうであった。

「よし炊こう。赤羽、鍋を洗っておけ。曳田と野下は炊事当番じゃ」

 そう言って有働を促した。

「わしらはあの畑の豆と芋ば収穫たい」

 二人は、家の軒に幾つかぶら下げられている蔓で編んだ古びた背負い籠と笊を手に、畑に入って土を掘り起こした。

 大小様々な芋と豆を籠に入れて戻ったときには、かまどには火が熾っていた。

「野下、飯上げは豪勢にやろう。この具材ば入れて、雑炊ば作ろうたい」

 と、有働がジャガ芋の詰まった籠を置くと、野下がニンマリと笑って、軍衣の胸の隠しからなにやら差し出した。

「班長殿、土間の隅でこんなものを見つけました」

 錆びた髯剃り用の小刀である。

「住人が髯剃りに使っていたんですね。ちょっと錆びが出ていますが、研げば使えますよ。砥石も揃っています」

「そりゃ有難か。さっそく研ぎば入れて、飯の前にこざっぱりと人間らしか顔にしようたい」

 と、野下からそれを受け取ると、伸びるにまかせた無精髯を撫でて笑った。

「きさんらも、そげなうさん臭か獣ンごつ毛ば剃り落せ」

 裏の湧水を使って砥石で研ぐと、小刀はすぐに鋭利な刃を蘇らせた。男たちは、それを廻して髯を剃り落した。

 どの男も、見間違うほどの清々しい顔に変身したころ、大鍋で煮こまれた雑炊が出来上がっていた。

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