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消耗品たちの八月十五日  作者: 河野靖征


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 安全と思われるところまで逃げ延びたころには、男たちの露出している部分は、生い茂った雑草や縦横に張り出していた枝で擦り傷だらけになっていて、被服は水を浴びたように濡れそぼって泥だらけになっていた。

 どの顔も、精神の平衡だけはどうにか取り戻してはいたが、死を潜り抜けた動揺はまだ収まらず、落ち着きのない視線を、せわしなく周辺の森に走らせていた。その姿を、青白く冴えた月が雲間から顔を覗かせて、寿たちの一行を冷たく見下ろしていた。

 女に欺かれた怒りを、胸の内から吐き出せずに歩いている有働は、目的を達成できなかった悔しさをじっと堪えて歩いていたが、それも堪えきれずに、とうとう口を開いた。

「女にね……まんまと謀られたんです」

 と、ボソリと呟いた。

「女に騙されたのもはじめてですがね、殺してやりたいほど女を憎んだのもはじめてです」

 満たされなかった欲求の不満よりも、女に騙されたのが余程こたえたようである。

「小屋ごと吹っ飛ばされたあの連中も、あとの連中も、たぶん、俺たちと同じように騙されたんですよ。一緒にすると、武力が纏まって危険だから、それで分散したんです」

 寿は、聞きながら、自分の考えの甘さを悔やんでいた。

 鉄道を辿れば、確かに進道を誤ることはないが、それだからこそ、寿たちと同じような考えを持つ敗残兵が、鉄道を頼って南下しているのも事実であり、それだからこそ、その周辺の村落には、某の自警団が確立されていても不思議ではないのである。そのことは充分予知はしてはいたが、その速度が、自分が考えているよりも数倍もの速度で推進されていることに、寿は身を凍らせずにはいられなかった。

 寿は、朧に浮かぶ山道を歩きながら呟いた。

「そげにしても、こげん早かごつ満人の自衛組織が確立されとるとはの……赤軍があげな出方をするということは、わしら敗残兵の行動は完全に読まれとる証拠たい……」

「そうです。手の内を読まれていたんです。危ないところでした。女も満服も失敗だし、高丸を殺しちまった。すみません」

 と、ペコリと頭を下げると、

「あの場合は仕方がなかったんだ。あの野郎が勝手なことをしなかったら、奴だって無駄に死ぬことはなかったんだ。誰の責任でもねえよ」

 と、珍しく曳田の援護があった。

 いつもなら、即座に噛みつくはずの有働も、今度ばかりは骨身に沁みたようである。

 寿にぼそりと呟いた。

「……あすこの女、日本語を話しましてね、孫呉の夕霧楼にいたって言ったんです。あの店は、孫呉の部隊の連中しか知らないことでしょ。俺も何度か行って知っていたし、それに、女は、やけに好意的な態度でしてね、それでうまく行ったと信用して、女が指定した小屋で待っていたんです。そしたら、いつまで経っても女どもが来ないもんだから、痺れを切らした俺たちは、女の家に様子を見に行こうとしたんです。そしたらロスケが来やがった。あのまま小屋にいたら、俺たちはロスケに殺られているところでした。くそったれ! もう二度と、満人の女なんか信じたりしねえぞ!」

「……」

 寿は、口を挿まずに黙って聞いていた。いまさら結果を論じてもはじまらない。計画は失敗し、仲間を失った事実だけが残ったのだ。それもこれも、自分の判断の誤りからである。

「いや、甘か考えばしたのはわしたい。わしらのほかに敗残兵は五万とおるゆうのに、民間人ば成り済ますごつ考えたわしの甘さが招いた結果たい。そげな考えを起こさなんだら、高丸をあげな死なせかたをさせんで済んだとじゃ」

 寿は、歩きながら重く歎息した。

 満服が手に入ろうと入るまいと、こうなっては八方塞がりである。人生の出発点が、幾らも進まないうちに終着となりそうなのである。

 これから先の現地民たちは、理由の如何を問わず、無差別に自分たちの前に武力で立ち塞がるであろう。そうなれば、生き抜くために、向けたくもない銃口を向けなければならない。双方に犠牲者が出るのは必至である。もう仲間の誰かが斃れるかではない。総員玉砕である。それらを回避して進むには、残された途は、あの地獄の樹海を、()(たび)歩くより生き延びる手段はなさそうである。

 ――糧秣はどげするか?

 高丸に預けた糧秣は、高丸の死によって置き去りである。あのまま誰かが引き継いでいたとしても、あの鬱蒼とした林ではそれが重荷となって、やはり棄てたであろう。いま持ち合わせているのは、寿が提げている雑嚢の精白米だけである。それとても、せいぜい五日が限度である。

 それならば、いっそのこと、武装を解いて捕虜になるか。そう考えもしたが、しかし、それだけはどうしても踏み切れなかった。生きて虜囚の辱めを受けるからではない。捕虜になってしまっては、折角得た自由も、内地帰還の望みも絶たれるからである。同じ死ぬ運命にあるのならば、自分の意思で、行けるところまで行って死にたかった。そのためなら、野良犬以下に成り下がってもいいとさえ思った。あと戻りは、もうできないのだ。ここまで来たからには、生きるための必要悪となって、行けるところまで歩き通すよりほかに、どうやら途はなくなったようである。

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