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消耗品たちの八月十五日  作者: 河野靖征


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 適当な場所を見つけて、そこで一夜を過ごした一行は、東の空が明けると同時に、森から抜け出て軍靴の軌跡を追った。

 その軌跡を半日ほど追ったところで森が開かれ、茫漠とした曠野が眼前に飛びこんだ。

 軍靴の軌跡は、どういう理由からか、そこからは進路を外して曠野へと入っていて、その足跡は東南とおぼしき方角へ、蛇がうねった跡のように長い尾を曳いていた。

 寿は、その無謀とも思える跡を見つめて言った。

「あっちへ進路ば向けたゆうことは、連中は南満へ向うたとたいの」

「あっちは、南満ですか?」

 有働が訊いた。

「指揮官がどげな判断をしたかわからんばってんが、この道を進むよりは、南満へ行くほうが安全と踏んだとやろ」

「でも、こっちにはあれだけの敵の大部隊がいて、それがいっぺんに押し寄せて来たんですよ。あっちだって危ないと思いますがね」

「そげなことは、わしらの知ったことやなか。わしらは、わしらの道を行くだけたい」

 そう言って、寿も同じように道を外して曠野に足を踏み入れたが、これは部隊に追従したのではなく、意識的に森の裾野を択んだのである。

 理由は単純である。荷車が通れるほどの道なら、この先には危険が潜んでいるにちがいないと判断したのと、行手の道が森の奥へ迂回しており、これがどの方角に向かっているのかわからないからである。

 あのときのように、ソ連軍の直中に出るようなことにでもなれば、一行は再び密林の彷徨を余儀なく選択しなければならなくなる。先に通過した部隊も、ここで進路を変更したのは、おそらくそれを考慮したのかもしれないのだ。

 もう一つは、横に拡がる曠野は、森と並行してまるで涯てがないかのように延びているが、今朝方太陽の昇った位置から大体の方位を推定すると、進路の(へん)()は多少あるとしても、この裾野は南西に延びていると読んでのことであった。これなら直接現地民やソ連軍と接触することはまずないであろうし、万一曠野の向うに異状が発生しても、林のなかに容易に姿を隠すことができる。つまり、これを素直に辿れば、必ず北黒沿線上のどこかに行き着くはずであろうと、そう判断してのことであった。

 昨夜は、胸焼けがするほどジャガ芋を飽食した。充分な休養も取った。そのお蔭で、寿の思考力と体力は完全に(かい)(ふく)している。この分なら、これまでの歩幅を取り戻せそうであった。

 重い籠を交代で背負っている男たちも、それを苦ともせず、むしろ軽い冗談が飛び交うほどになって、足取りは軽そうであった。

 寿につづく男たちは、朝飯にと焼いていたジャガ芋を頬張りながら、過去の女たちとの()()に花を咲かせていた。野下は、その猥褻な会話を聞かぬ振りをして歩いていたが、籠を担いでいる高丸は興味津々に眼を輝かせて、ニヤケた顔で歩いていた。

 先頭を歩く寿は、彼らの会話を咎めるでもなく聞き捨てていたが、こちらは、胸の内に次第に圧し被さって来る暗い気持ちを払いきれずに歩を進めていた。

 当座の食糧は幸運にして難なく調達できたものの、友軍の手で惨殺された満人部落の()()の人々を思うと、心は重く、足取りは地球を引きずる思いであった。

 彼らは、戦争とはまったく無関係の、それも戦闘の埒外に置かれた無力な非戦闘員である。それを、軍人の恣意に発した権限により、呵責なく、無慈悲に略奪や強姦を犯した(あげ)()に殺戮する。あの満人部落のような、そんな惨劇が行く先々で展開されているとしたら……。

 そう思うと、腰の軍刀さえも重く感じて、いっそ、なにもかも投げ捨てて、満人なら誰でもいい、その者たちに両手を挙げればどれほど気が楽かと考えたりもした。

 思い詰めた顔で先頭を歩いている寿の横に、有働の巨体が並んだ。

「……さっきから黙りこんでいますけど、どうかしたんですか?」

「いや、ちょっと考えごとを、の……」

「どんなことです?」

 寿は、一呼吸置いて答えた。

「罪のなか百姓のことたい」

「あァ、あの村のことですか」

 と、有働はうなずいた。

「確かにありゃひどすぎます。なにもあすこまでしなくても、方法はあったはずですがね。……喫いませんか? 気が落ち着きますよ」

 と、喫っている自分の煙草を差し出した。

 寿は、それを受け取って、淡い煙を背に曳いた。

「戦争ですよ、班長殿」

 と、有働は言った。

「悪いのは戦争なんです。それを起こした連中が、俺たち人間を人殺しにしちまったんです。そう割り切って歩くんです」

「この大陸の連中が、それを理解してくれると、わしらはもっと楽に歩けるとやがの、それを割り切れるきさんは、倖せたい」

「割り切らなきゃ、何事もやってられませんよ。だってそうでしょ。俺たちは、たったの一銭五厘でこんなところに引っ張られて、人殺しの教育をされた挙句がこの有様なんですよ。お上品に澄ましてろと言うほうが無理ですよ。班長殿も言ってたじゃないですか。俺たちは偽りの国家に飼われている番犬なんだ。主がいなくなれば、それで終わりだ。仮に生き延びたって、そいつは野良犬になって誰も助けてはくれない。腹を空かせて食い物をねだっても、貰えるのは鉛の弾だって、そう言ったでしょ」

 有働が寿の横顔を見ると、寿は、前を真っ直ぐ見ながら黙ってうなずいていた。

「俺たちは、その野良犬になったんです。そんな野良犬がです。見ず知らずの人間に、しおらしく尻尾を振って食い物をねだっても駄目にきまっています。だから、盗人(ぬすっと)か強盗をやるしか方法がないんですよ。生きるためには、やらなくていいものでも、やらなきゃならないときだってあるんです。そうでしょ。日本の軍隊は、俺たちを(むし)(けら)のように扱って襤褸切れのように棄てたんです。もしかしたら、あの開拓民の女たちだって、いまごろはチャンコロやロスケに、あすこの村と同じ目に遭っているかもしれないんですよ。そう考えれば、お相子じゃないですか。この戦で、満人の連中は俺たちに勝った勝ったと意気捲いているでしょうがね、俺は、満人なんかに負けたとは思っちゃいませんよ」

 有働は、急に静かになった仲間をチラとかえり見て、飯盒から黒く焼け焦げたジャガ芋を手にすると、それをしげしげと見つめて呟くように言った。

「あそこを襲った部隊は、どこの部隊だか知りませんがね、境遇は俺たちと同じなんです。原隊から虫螻のように棄てられて、こいつ一つのために気が狂ってしまったんです」

 うなずきを返した寿は、敗残兵が安全に歩ける途を教えて欲しかった。赤軍にも、満人にも、誰にも手を挙げずに、お互いが危害を蒙らずに歩き通す方法を……。

「俺はね、班長殿」

 と、有働は言った。

「俺は、これから先も盗みはやりますよ。あの村みたいな、あんなひどいやり方は誓ってやりませんがね。せいぜい畑のものを盗み食いする程度はやるつもりです。班長殿も俺も、みんな生きて内地へ帰るための手段としてね。でもね、それでも俺たちに刃物を向けるてんなら、そのときは、目には目をってやつです。そうでしょ。先は長いんです。やったことをいちいち悩んでいたら、それこそ、まともに生きて内地には帰れませんよ」

「そうかもしれん。そうかもしれんがの有働、食糧をかっぱらうのは仕方がなかとしても、満人たちには無闇に危害ば加えちゃならんぞ」

 有働は、寿を見てニタリと笑った。

「女には手を出すな、そう言いたいんでしょ。わかっていますよ。班長殿の許しがあるまで、女には一切手は出しません。約束します」

 手にしているジャガ芋を差し出した。

「朝飯、まだでしょ? 食いませんか」

 寿は、既に冷めて硬くなっているジャガ芋を受け取ると、その先の、涯のない広漠とした曠野へ視線を巡らせて、あの松月の珠代を思い浮かべた。たった一夜の、文字どおりの一期一会あったが、その安否が、ふと脳裏を掠めたのである。

「……そりゃそうと、有働、あの松月のおなごたち、無事やろかの……」

 と、呟くと、有働は、

「あの連中は、普通の女とは出来がちがってしたたかです。心配しなくても、あいつたちは、適当にうまく渡り歩いていますよ」

 と、さらりと言ってのけた。有働には、そのことに関しては、もう過去の出来事と割り切っているようである。寿にはそのように見えた。

 有働が別の芋を差し出した。

「これ、うまく焼けています。これ食ってください」

 寿は、こんがりと焼けた芋の肌を見つめて、内心でうなずいた。有働の言うとおりかもしれない。あの二人は、開拓団の女の誰よりも世の中を冷ややかに見つめて生きて来たのだ。いまさら心配したところで、どうにもなるものではない。

 有働が、交換したジャガ芋を飯盒に戻しながらぼそりと言った。

「それより班長殿、あの女たちより、俺が気になるのは、あの開拓団の女たちですよ。あの連中、ほんとに孫呉の連隊に保護されたんですかね。あのまま放りっぱなしにされて、連中、野垂れ死にしてなきゃいいんですがね」

 これも、今更ながら、である。寿はなにも答えずに、ジャガ芋を頬張った。

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