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消耗品たちの八月十五日  作者: 河野靖征


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 曠野の稜線には、とっくに陽が落ちているのに、消燈時限(一般の兵舎では午後八時三十分)が過ぎても、曠野の稜線からは太陽の光が拡散していて、いつまでも暗くならずに、まるで時間が止まっているようであった。

 これは、所謂(いわゆる)、満洲北部の夏の現象ともいえる小白夜であるが、天球の北端のように、沈まぬ太陽の薄明がつづくまったくの白夜ではなく、陽が沈むのが三時間程度遅いのと、夜明けがいつもより早いだけである。

 指揮官室で道元軍曹と匪賊討伐の作戦会議を終えて仮営舎に戻った寿は、空けられてある自分の場所に横になったものの、どうにも寝つけずにいた。兵舎でなら、少々の騒音でも気にもせずに寝入るのだが、妙に頭が冴えて寝つけないのである。

 窓もない狭い家屋に一個分隊十五名の大の男たちが雑魚寝をすれば、それだけで(ひと)(いき)れするのは当然のことだが、寝つけないのは、それだけの理由ではなかった。匪賊討伐という戦闘を目前にして、もしかすると、有働に言ったことが現実となって、この地が、自分の終焉の地となるかも知れない不安が脳裡を掠めて、気持ちが落ち着かず、なぜか無性に胸が騒ぐのである。

 無理もない。狩猟で鳥獣に銃先を向けた経験は数あるにせよ、人を殺す目的で引鉄に指をかけるのははじめてなのである。しかも、相手は、狩猟のように、獲物を探し求めて狩りをする暢気なものではない。相手は、獣よりも優れた知性を持つ武装した人間である。それだけに始末が悪い。相手を択ばず無差別に弾丸を射ちこんで来る。それも一秒の油断も許されない命を懸けての戦闘とくれば、どれほど冷静な人間でも、平然と構えてはいられないはずである。

 寿は、半身を起こして、開け放たれた入口の月明かりを頼りに部屋を見廻した。薄暗い部屋の其処此処で、軽い寝息が聞こえる。誰もが眠っているようであり、眠っていないようにも思われた。明日戦闘になれば、自分の号令一つで、自分を含むこのなかの誰かの運命が変わるのだ。

『明日には死ぬかも知れないんですよ。死んじまったら、俺たちの明日はないんですよ。班長殿は、それでも平気なんですか!』

 と、有働は、女恋しさにそう言ったが、それも弾丸の飛び交う戦闘を間近に控えての最後の希いだったにちがいないのだ。道元は、自信ありげに戦捷を豪語したが、たとえ武力劣勢の匪賊と雖も、戦闘経験のない寿にとっては未知の大敵なのである。その戦いが目前に迫っているいま、今生の訣れにと、女を抱きたいと希うのは有働だけではない。他の男たちも同じ思いのはずである。ましてや、明日の生命が約束されないとなれば、情欲の渇望が増幅するのは尚更である。

 そう。有働の(いい)(ぐさ)ではないが、死んでしまえばそれこそ明日はない。こんなつまらぬことで、みんなを死なせたくはなかったし、死にたくはなかった。今宵一夜の命と定められているならば、いっそのこと、軍規の一切を無視して、最後の一夜の自由を、分隊員たちに与えてやりたいとさえ思った。

 兵隊は、常に生と死を腹背に生きている。兵隊は、しかし、そのどちらも自分の意志で選択することは許されない。兵隊の生と死を握っているのは、神様と仏様だけである。

 薄暗い家のなかに有働を認めると、その有働は、土間の隅に携帯天幕を広げて背嚢を枕に寝息を立てていた。

 寿は、その寝姿に視線を送って、影のように外へ出た。

 外は、まだ茜色の残光に染まっていて、紅く鮮やかに縁取られた大小の雲が遠くに連なって浮かんでいた。陣地では、いつも見慣れた荘厳な黄昏の光景である。それなのに、なぜか不気味な感情が胸を衝き上げて来た。それは、たぶん、ゆっくりと変化しながら消えて行く雲の群々が、幽明界を歩いている自分と仲間たちの隊伍に見えたせいかも知れなかった。

 寿は、煙草を燻らせながら、流れ行く稜線の雲を眺めていた。傍から見れば、誰の眼にも、それは、大自然に向かって悠然と構えている姿に映ったはずである。

 そこへ、煙草を咥えた有働がのそりとやって来た。

「こう静かなのも、困ったものですね」

 と、寿の傍に腰を下ろした。

「眠れんのか?」

「……いやね、明日のことを考えると、どうにも落ち着かなくてね。なんだか十字架のはりつけにかけられているようで、薄気味悪いです」

「怖れを知らんきさんでも、死ぬのは怖かとや」

 寿は、厭味を含んだ笑いを有働の顔に被せた。

 いつもの有働なら、眼を剥いて反問するところだが、自分の考えを既に読まれていることを悟っている証拠に、これまで一度も見せなかった緊張感をその髯面に表していた。

「この静けさはね」

と、有働が言った。

「あれに似ていますよ。大出入りの前のね、どうにも落ち着かないあの昂奮した緊張の静けさですよ」

「それで出て来たとか」

「俺だって生身の人間ですからね、多少の恐怖心はありますよ。だって、娑婆とちがって、今度は飛び道具で喧嘩をするんです。今度ばかりは、好き勝手にドスを振り廻して暴れ廻る真似はできません。そんなことをしたら、それこそ、たったの一秒であの世行きですよ」

 有働は、短くなった煙草を指で弾いた。

「でもね班長殿、人間って奴はおかしなもんでね、出入りのときもそうだったですが、はじまるまでは、もしかして俺は死ぬんじゃねえかなと思って、無性に怖かったですがね、いざ喧嘩がはじまってしまうと、その恐怖心が嘘のように吹っ飛んじまうんですよ。飛び道具の戦は、俺はやったことがねえからわかりませんがね、今度も、たぶんそんなもんじゃねえかな」

「オイとて実戦の経験がなかけん答えようがなかばってんがの、ただ一つ言えることは、いまきさんが言うたとおり、戦闘がはじまったら、決して怖れちゃならんゆうことたい。怖れたり、怯んだりすると、それでお終いぞ。それに戦闘間では私情も禁物じゃ。頼れるのは自分の銃と、あとは冷静沈着な判断力と行動力だけぞ」

「仲間が負傷して、そいつが助けを求めていても、見捨てろてんですか?」

「そうたい」

「班長殿が負傷してもですか?」

「そうじゃ。戦場で生き残るためには、それしかなか。たとえきさんが負傷ばしても、オイはきさんを見捨てるかもしれんぞ」

「……でも、班長殿を見捨てるような、俺には、そんな冷酷な真似はできませんよ」

「でけんでもやるとじゃ。これはの、有働、自分が生きるための戦場での掟たい。明日はどげなるかわからんばってんが、とにかく、生きることだけを考えるとぞ。軽率な行動は、絶対に禁物ぞ」

「……」

 口を噤んだ有働の肩に手を置いて、寿はニタリと笑った。

「心配なか。オイが生きとる限り、きさんやみんなを見捨てることはなか。こげんくだらん戦争で、無駄に死ぬ必要はどこにもなかけんの。お前は勿論ンごつ、みんな揃うて生きて内地ば帰らにゃならんとじゃ」

 その言葉に、有働は心強く思ったか、あどけない笑みを湛えてうなずいた。

「まったくそのとおりですよ。ろくでもねえ野郎どもの起こした戦に、いちいち振り廻されたんじゃたまらねえや」

 寿がうなずきを返した。

「それにしても班長殿、あれですね、軍隊ってところは一見筋金が入っているようで、それでいて間抜けで、まったくいい加減なところですね」

「やけん、おまんの襟にも星ば増えるとたい」

「ちげえねえや」

 有働は声を上げて笑った。


 陽光が稜線の底に消えた。先程まで茜色に染まっていた天空は、灰色から闇に埋もれようとしている。月のない短い夜が訪れようとしているのである。

 二人は、仮営舎に入るでもなく、崩れた塀に腰をかけてぼんやりしていると、稜線の遠くで、なにかの呻り声らしきものが風に運ばれて聞こえた。断続的な(かす)かな音だか、それは曠野の向こうから伝わって来る。

 暫く耳を澄ましていると、小さな二つの光が揺れているのを有働が見つけて、寿の袖を引いた。

「自動車ですよ、あれは?」

 と、有働の指が示したその方角に、寿は眼を凝らした。

「そげなようたいの?」

 まだ遠いが、二つの光源が同時に見え隠れしているところから、あれは車の前照灯である。

「匪賊ですかね?」

「まさか?」

「でも、中隊からだとしても、こんな時間に変ですよ」

「部隊の移動に時間は関係なか。それにじゃ、あれが仮に匪賊やとしても、奴らの移動手段は馬か馬車のはずじゃ。それもこげな闇夜にぞ、わざわざ明かりばつけて敵陣に自分の姿を暴露させたりはせん。来る方角も、匪賊の方角とはちがう。やっぱし中隊からかもしれん」

 寿は望楼に眼をやった。

「あれも確認しとるはずやろけんが、それにしても、妙に静かたい? とにかく、オイは指揮所へ行ってみる。おまん、万一に備えて、みんなを起こしておけ」

 有働は、巨体を転がすように駈けて行って、

「非常! 非常だ! みんな起きろ! 非常呼集だ!」

 と、いきなり大声で叫んだから、寝ていた分隊員たちが飛び出して来たのと、各戸から怯えた女たちが出て来たのとで、集落が騒然となった。

「騒ぐな!」

 有働がそれに向かって大声を上げた。

「静かにしろ。お前らおんな子供は、そのまま家に引っこんでじっとしていろ。騒ぐんじゃねえぞ。いいな!」

 言い残して、有働は勝手に寿のあとを追った。

 その背に、木津が白眼を剥いた。

「なんでえあの野郎、分隊長面しやがって!」

 と、歯を剥くと、曳田が鼻で嘲った。

「放っておけよ。やっこさんは親分の片腕のつもりでいるんだ。どこまで行っても、ヤクザはヤクザさ」

 その有働が指揮所に駈けつけると、指揮官室では、二人の軍曹が机を挟んで顔をつき合わしていた。

 有働の姿を認めた寿が、指揮官室から出て来て、道元軍曹から手渡された懐中電灯を有働の顔に照らした。

「心配なか、あれは中隊からのトラックたい」

「やっぱりそうですか」

 有働は眩しそうに答えた。

「だったら、来るなら来ると、連絡の一つぐらいしろてんだ。脅かしやがって!」

「なんだと、貴様!」

 道元軍曹が机から立ち上がって呶鳴りつけた。

「一等兵の分際で貴様、なんだその態度は!」

 有働は、相手が寿だからつい何気なく口走ったつもりだったが、下級者の言葉を耳にした軍曹は、立場上そうは受け取らなかった。上官に対する礼式も弁えぬ兵隊に下士官が侮辱されたと思い、有働は有働で、こちらは赤の他人の軍曹に言いがかりをつけられたと誤解した。

 俄かに逆上した有働は、眼玉を剥き上げて上官に噛みついた。

「うるせえ! 一等兵だろうと下士官だろうと、てめえと同じ人間だ! てめえがなんにも喋らねえから、みんな驚いて騒いでいるんじゃねえか!」

「なんだと! もう一度言ってみろ!」

 と、白眼を剝いた軍曹は腰の軍刀を起こした。

「待て有働。きさん誰に口ば利いとるとや、口ば慎まんか、ばかもん!」

 寿は、有働の肩を突いて恫喝した。

「中隊からトラックが来ることは、警備隊長もさっき無電で知ったとじゃ。いまのはきさんが悪かぞ。警備隊長への暴言を取り消せ。謝るんじゃ!」

 有働の背を突いて、道元の前に突き出した。

「謝らんか!」

 有働は、飼い慣らされた犬のように、素直にペコリと頭を下げた。

「ごめんなさい」

「アホ、そげな謝り方があるか! もうよか。もうすぐ足元も見えん闇ば来るけん、きさんはこれを持って、騒いどるみんなを鎮めろ。早う行け!」

 と、有働に懐中電灯を突き出すようにして渡すと、道元に頭を下げた。

「すまん。あれの頭は少々いかれちょってくさ。あれで、まァなんとか正常なんじゃ。如何せん気短で単細胞の性格はどげもならん奴じゃが悪気はなかとじゃ。勘弁しちゃりない」

「まったく、近頃は程度の悪い兵隊ばかり増えやがる!」

 道元の尖った白い視線が、揺れながら去って行く懐中電灯を憎々しげに刺していた。

 寿は、道元の腹の内を察して、苦り切った顔をした。

「まァそげに尖らんと、眼ばつむっちゃりない。あいつのことはオイが責任ば持つけん」

「あんたの部下だからな。そうしてくれんと困る」

 寿の平身低頭に、道元はどうにか気分を和らげた。

「……それより、おかしいとは思わんか? 中隊への無電封止は好都合だが、この分哨を閉鎖しろとはいったいどういうことだ? こっちの問題が、まだ片づいちゃいないんだぞ?」

「それはオイにもわからんばってんがの、もしかして、中隊に異常が発生したんとちがうか?」

「そうかな?」

 道元は首をかしげた。

「しかし、仮にそうだとしてもだぞ、おかしな指示だとは思わんか? 中隊の非常事態なら、この開拓民にも避難勧告を出すはずだろ? それもしないで、俺たちの屯営だけを閉鎖しろとは、どうにも腑に落ちんな? 開拓民を見捨てろっていうのか? そもそもこの屯営はだな、この開拓民のおんな子供を匪賊から護るために、わざわざ特設したんだからな。そうだろ?」

 寿は、これを冷ややかに受け流した。

「そうかもしれんが、しかし、オイは所詮軍隊の一下士に過ぎん存在やけん、オイに言うても無駄たい。意見具申ばするとなら、中隊長にするとやの」

 それができたら苦労はない。道元は口をへの字に歪めて黙ってしまった。

 トラックが到着した。

 意気揚々と降りて来た連絡兵は災難であった。二人の下士官に敬礼した途端に、いきなり道元に噛みつかれた。

「おい、たったいま中隊から無電があったが、理由もなくここを閉鎖しろとは、いったいどういうことだ!」

「はい。開拓民警護は本日をもって打ち切られました。これより、この方面の無電は全面封止されます。道元・川尻両分隊は直ちに屯営を閉鎖し、速やかに帰隊せよとの中隊長殿の命令であります」

「馬鹿な!」

 白蝋のように血の気を失した道元は、やり場のない感情を連絡兵にぶっつけた。

「ここを閉鎖して、あとはどうするんだ!」

 連絡兵は蒼くなった。そう噛みつかれても、それ以上のことは聞かされていないし、ただの伝令に過ぎない連絡兵には答えようがないのである。

「貴様、連絡兵のくせに、なにも聞かなかったのか!」

 連絡兵は、恐れおののいてひどく吃った。

「じじ自分は、それ以上のことは、きき、聞かされておりません。とと、とにかく、ちち、中隊長殿の命令ですので、すす、すぐに帰隊してください」

 道元は唇を一文字に結んで、連絡兵を睨みつけた。

 その道元の肩に、寿の手がかかった。

「道元班長、この兵隊に噛みついてもはじまらん。これ以上の命令忌避は許されんぞ。命令どおり引揚げようたい」

「しかし、おんな子供をこのままにして、俺たちだけ戻るわけには……無電で、そこんとこの真意を確かめる」

 無電室へ入ろうとした道元を寿が制めた。

「待て。無電は全面封止されとるとぞ。違反ばすると、きさん、中隊の失態だけでん済まんごつなるばい」

「……」

 連絡兵が、どうしていいものかと、困惑した顔を寿に向けた。

「ご苦労じゃった。きさんは車で待機しとれ」

 連絡兵は、規律どおりの挙手をして転がるように走り去った。

 それを見届けて、寿が言った。

「道元班長。おんしにどげな個人的事情があるのか、オイにはわからんばってんが、ここは命令どおり、いったん引揚げようたい。ここの連中の処置は、帰隊してから考えて貰えばよか。冷たかばってんが、この際の一切の私情は捨てて、おとなしか帰隊ばするほうがおんしのためぞ。オイは、二度目の営倉行きは御免やけんの」

 言い捨てて仮営舎に戻ると、開拓民の女たちが集まっていて、分隊員と雑談していた。匪賊の襲撃でないことを有働から告げられて、女たちは安堵した様子であった。

 寿が分隊員を集合させて帰隊準備を命じると、有働が割って出て、これも道元軍曹と同じことを訊いた。

「閉鎖するって、なんで俺たちだけ戻るんです? ここの連中はどうするんです?」

 と、女たちに顎を指した。

「詳しかごつはわからんばってんが、国境線の雲行きが怪しかごつなったらしかぞ。とにかく、中隊の緊急命令たい。すぐに帰隊準備ばせい」

 これを聞いた開拓民の女たちが一斉にどよめいた。そのなかの一人が、俄に血相を変えて、群衆を掻き分けるように飛び出して屯営へ駈けて行った。

 女は、雪のように白くなった顔で指揮官室に駈けこむと、道元の袖をいきなり掴んで縋るように問い質した。

「閉鎖するって、どういうことなの?」

「大至急帰隊せよとの部隊命令だ。俺たちはすぐに帰らねばならん」

 道元は重苦しく答えた。

「みんな行ってしまうの?」

「……命令だからな」

「あんたたち兵隊さんが行ってしまったら、あたしたちの安全は、いったい誰が護ってくれるのよ」

 女の眸に、動揺と、怒りの混じった涙が、同時に滲んだ。

「……どうにかしてやりたいが、いまの俺にはどうにもできん。軍隊の命令は、絶対服従だからな」

 そう答えたものの、動揺しているのは、むしろ道元であった。定める場所を失った視線は、狭い部屋の虚空を泳いでいた。

 女が、か細く顔を振った。

「やっぱり行ってしまうのね。民ちゃんの言うことは正しかったわ。兵隊さんは、女と一緒のときは、甘い言葉で釣っておいて、いざとなると、命令だとか任務だとかの都合をつけて逃げてしまうから、本気で信じちゃ駄目だって。でもね、あたしは、民ちゃんの言葉より、あんたを信じたわ。そんな人とはちがうんだって……」

 道元は、息苦しいその場を逃れようとして動きかけたが、思い詰めた女の顔に動きを封じられた。

「俺は、でたらめを言ったんじゃない。俺だって、正直お前と離れるのは辛いんだ。この任務が終われば、俺は、お前を街に連れて行くつもりだった。しかしな、事情が変わったんだ。あっちが落ち着いたら、必ずお前を迎えに来るよ。どこか街外れに、家なんか準備して、な。それまで辛抱して待っていてくれ。食糧は全部残して行く。心配ない、すぐ迎えに来る」

 女は、溢れ出る涙を拭おうともせずに顔を振った。

 戦争の渦中に結ばれた兵隊と女は、どんなに絆が深かろうと、一度離れると再会はまず不可能である。無知な女でも、そのくらいはわかるのである。女は、それでも男の言葉を信じようとして、淡く儚い夢に(すが)ったのだ。その夢が、現実が、いま、まさに消え去ろうとしている。女は哀しさに耐えきれず、顔を横に振りつづけた。

 この女、晴恵は、亭主が軍隊に取られてからは、自分を妹のように接してくれている、二つ年上の気丈な民子に支えられて、今日まで生きて来た。匪賊の襲撃を受けたときも、民子の擁護の下に難を逃れた。そこへ開拓民警護の軍隊が来て、晴恵はこの道元と出逢ったのである。

 そのときのことを、晴恵は想い起こしていた。

 そう。あれは、軍隊の屯営が設営されて、匪賊の脅威が薄れた暫く経った、ある夕刻のことであった。晴恵が夕飯の支度に、土間のかまどに火を入れようとしているところへ民子が顔を出して、

「さっきのあんたの相談のことだけどさ」

 と、前置きして、

「あたしは偉そうなことを言えた柄じゃないけど、あんたのことを考えると、じっとしていられなくてさ、こうして来ちゃったんだけど、晴ちゃん、これだけは大事なことだと思うから、はっきり言わせて貰うわ。いいわね。怒らないで聞いてね」

 と、晴恵の横に腰を下ろした。

「あんたが考えていることはね、あんたにとっては、実際は夢のなかの出来事でしかないとあたしは思うのよ。そんな夢を見つづけたところで、決して本物にはならないし、実現は不可能なのよ。だってそうでしょ。相手は下士官さんでも、営外居住権のない兵隊さんなのよ。命令一つで、いつかはどこかへ行ってしまう人なのよ。あんたがどんなに望んだところで、いまの生活は所詮は夢のなかだけの作り話でしかないのよ。あんたがさ、あの人とのいまの生活を、ここだけのものと割り切って考えているんなら、あたしなんかがでしゃばって心配する必要はないけれど、でも、そうじゃないでしょ。いまのあんたは、あの人の言葉を鵜呑みに信じて、それを頼りに独り合点しているだけよ。いい? 何度も言うけど、あの人は兵隊さんなのよ。そんな人と夢みたいな生活を望んだって、決して実現なんかしやしないのよ。あの人が将校さんなら官舎とかがあって、今日からでもあんたと一緒に暮らすことができるんだろうけど、あの人はそれが叶わない立場の兵隊さんなのよ。下士官さんはね、特務曹長(准尉)さん以上でなけりゃ営外居住は許されていないのよ」

「でも、あの人は言ったわ、この任務が無事終わったら、俺は曹長に昇進するんだって。そうなれば、営外居住も可能だから一緒に暮らせる。移動があっても一緒に行けると、はっきりそう言ったのよ」

 眸をキッと見開いてそう反論した晴恵に、民子が突き放すように言った。

「おめでたい立派なお話だわね。あんた、それを本気で信じてるの?」

「でも、ほかの兵隊さんも、あの人は近々曹長に昇進するって、そう言ってるのよ」

「兵隊さんのでまかせよ、それは。いつかも言ったけど、軍隊なんてものはね、その場限りで、中身はみんないい加減にできているのよ」

 言葉を吐き捨てるように言った民子は、少し考えるように間を置いて、こう言い直した。

「いいわ、仮にそうだとしましょうよ。でもね、軍人官舎の婦人さんにも階級があるのよ。少尉婦人は、どこまで行っても、中尉婦人には頭が上がらない仕組みのなかで暮らしているの。そのなかでよ、あんたが営外居住者に加わったとしてよ、曹長さんは、下士官のなかでは最上級なんだろうけれど、その下士官さんの婦人がよ、自分の意志で、将校婦人さんと生活を共有できると考えたら大間違いよ。あんたは、その婦人さんたちのいい小間使いにされるのが落ちよ。それに将校婦人さんなら、だんなの権限でどこへでも一緒に行けて、それこそ安全な後方のどこかで安穏と暮らせるんだろうけど、下士官さんは、はたしてどうかしらね。見てご覧なさい、あんたは置き去りにされるわよ。いつかはわからないけど、あんたやあたしの亭主のように、命令一つであの人はどこかに持って行かれて、必ずあんたとの仲は壊れるにきまっているわ。そのときに残るのはなに? そうよ、結局は辛い絶望だけなのよ。そのときになってその人を憎んだって、もう遅いの。眼を醒ましなさいな。いいこと、晴ちゃん。はっきり言っとくけどね、あんたに残されるのは倖せじゃなくて、深い傷痕と地獄の生活だけなのよ。あたしが言っていること、わかるわね?」

 晴恵は、俯いて、小さくかぶりを振った。

「ん。焦れったいわね。しゃきっとしなさいってば!」

 と、民子は、晴恵の膝を軽く揺すって、その顔を窺い見ながら言った。

「ね。悪いことは言わないわ、お互い気紛れのここだけの遊びにして、本気になっちゃ駄目。情に溺れてしまったら、あんたはいま以上の苦しみを味わうわよ。陥ちるのよ、地獄に!」

 民子は、自分にも言い聞かせるようにうなずいた。

「この戦争だって、そうはいつまでもつづかないはずよ。日本が勝つかどうかはわからないけれど、いつかは終わるのよ。そうなったら、匪賊だっておとなしくなるだろうし、兵隊さんだって戦地から帰って来るはずだわ。そのときによ、もしもあんたの亭主が生きて帰って来たらどうするの? あんたは戦死したと思っていても、実際はそうじゃないかも知れないでしょ。亭主の戦死したことがはっきりしているんなら、そりゃ一切の問題は残らないだろうけどさ、あたしたちには、まだ亭主の戦死公報が届いていないのよ。それを考えずに、勝手な判断で事を起こしたんじゃ、それこそ出征したあんたの亭主の立場がなくなるじゃない。仮にあの軍曹さんがあんたに本気だったとして、あの軍曹さんが生きて帰って、あんたに逢いたい一心であんたのところへ一直線に向かって帰って来たとしなさいよ、そのときに、無事に帰還しているあんたの亭主と鉢合わせしたら、あんたどうするの? 地獄の騒ぎどころじゃなくなるのよ。いいこと、ここを出てあの人と暮らすなんて、そんな甘い夢なんか綺麗さっぱり捨てちゃいなさい。いいわね、同じ地獄の苦労をするんだったら、戦争が終わるまで、そりゃ辛いだろうけどさ、それまで、あたしたちとここで暮らしながら、亭主の安否を確認するのよ。あの人とのことは、それからでも遅くはないはずよ」

民子は、晴恵の反応を窺うつもりで言葉を切ったが、しかし、晴恵はかまどの火をじっと見つめたまま黙っていた。

 民子はつづけた。

「……でもさ、そうは言っても、あたしたちだって本当のところどうなるかわからないわね。でも、それでもあたしは亭主の帰りを待つのよ。帰って来ても、いまのあたしたちがやっていることを馬鹿正直に打ち明ける必要はないけどさ、あんたやあたしの亭主がこのことがわかったとしても、そりゃ薄汚く罵られるだろうけどさ、食べるための必要手段だったとありのままを話せば、事情が事情だから、あたしは許して貰えそうな気がするのね」

「許してくれなかったら?」

 言下に、晴恵の顔が掬い上がった。

「そうね、そうなったら仕方がないわね。離縁されて、独りで生きて行くしかないわね。あんたには好都合な人がいるんだろうけど……」

 民子の厭味を含んだ笑いが洩れた。

「でもね、晴ちゃん、これはあたしの憶測でしかないけれど、あたしはこう思うの。戦争だからね、お互い清潔な体でいましょうなんて、それで丸く収まる御時世じゃないってことぐらい、いくら頑固な亭主でも話せば理解してくれるでしょうよ。亭主だって、あっちで、なにをしているかわかったもんじゃないわ。軍隊の行くところには女ありだからね。それこそお互いさまよ。あたしを汚れた女となじる資格なんてどこにもないはずよ。もし四の五の問い詰められたら、逆に言い返して、こっちから離縁状を叩きつけてやるつもりよ」

 燃えつきの悪い焚木に苛立ったように、民子の手が横から出て、かまどの火をいじった。

「駄目よ、そんなに掻き混ぜちゃ、火が消えちゃうわ」

 晴恵がやんわり戒めて、焚木を入れ替えながら呟いた。

「民ちゃんはいいわね、あたしとちがって気丈だから、羨ましいわ」

 と、か細く笑った。

「そんなことはないわ。いまはそうでもしないと、自分が支えきれなくなるからね、無理に背伸びしているに過ぎないんだわ。この戦争が終わるまでと思ってね。だから、どんなことがあっても辛抱するつもりで頑張っているの。そうよ。いまのあたしが兵隊さんたちに縋るのは、それはあたしが健全に生きるための、その時々の方便。そう割り切っているの。だから、あんたもそうするべきなのよ」

 晴恵の返事を待たずに、民子が膝を叩いて立ち上がった。

「さァて、と、あたしも(ゆう)()の支度をしなくっちゃ。と言っても、相変わらず粟の芋粥だけどね」

 晴恵も立ち上がると、

「ちょっと待って」

 と、居間の茶箪笥を開いて、兵隊の携帯糧秣一食分と羊羹一本を差し出した。

「あの人が自分の分を割いてくれたの。持って帰って」

 民子の顔から満面の笑みが浮かんだ。

「いいの?」

「いいのよ。あたしの分はまだあるから」

「あんたのお蔭で、栄養だけは偏らずに済むわね。いつもありがと」

 民子は、手にしたものを大事そうに胸に抱いて、軽やかな足取りで出て行った。

 晴恵は、見送るでもなく見送りながら、薄暗い土間にそのまま佇んでいた。

 親身になって、切々と説いてくれた民子の言うことは、いちいちもっともである。だが、不憫なことに、頭では民子の言うことを理解していても、晴恵の女の性が強力な反撥の磁場を放っていて、男を離さずにいるのである。

 これが、ほんの行きずりであったならば、晴恵は、民子の忠告どおり、道元との関係を、生きる方便として割り切ったであろうし、そのようなことに身を溺れさせることもなかったであろう。

 晴恵にとっては不幸なことに、その気持ちを変えたのは、百余日という道元との(しとね)にあった。道元と過ごす夜毎の甘美な契りは、晴恵の情熱を(いや)が上にも掻き立てるに充分すぎるほどの時間があったし、膝を抱えての独り寝の侘びしさがどれほど耐え難いものであるか、いまの晴恵には、その情欲の熱波が、古びた家の壁に張りつく蔓のように、体の芯まで絡みついているのである。

 出征した夫は、太平洋遙か彼方の南海の孤島と聞かされている。その海域の島々は、鬼畜米軍によって悉く玉砕しているとのもっぱらの噂である。それが、たとえ噂であるにせよ、悪い噂ほど信じようとする気持ちが働くのは人の世の常である。火のない所に煙は立たぬの諺どおり、その火元には、少なからず何某の根拠が含まれているからである。だとすれば、出征した夫の生還の望みは殆ど不可能に近いものと考えねばならない。それだからこそ、晴恵は、道元を必要としたのも事実であった。

 頼りとする夫を軍隊に取られた他の女たちも、蔭では口々にぼやいている。

 亭主の安否は皆目わからない。自分の許に帰って来るのかどうかもわからない。そんな当てにならない亭主を待つよりも、誰でもいい、自分を、この生地獄から救い出してくれるなら、どこへでも着いて行きたい。けれどもが、瘤つきの体脂肪の干涸らびた女を誰が拾ってくれるのだ、と。

 外のざわめきで晴恵は我に返った。

 その声を意識しながら、

「一緒に連れて行っては貰えないの?」

 と、か細く言った。

「主人は南方でしょ。あっちの日本軍のいる島は悉く玉砕しているって、みんなそう言っているわ。だから、主人はもう帰らないって、あたしは諦めているのよ。だから、あたし独り住むくらいはどうにでもなると思うの。どこかの女中さんかなにか働くところを見つけて、あんたが迎えに来るのを待つわ。ね、あんたの足手纏いにはならないつもりよ。だから、ね、いいでしょ?」

 道元は返事に窮して黙っていた。

 入口の蔭で聞き耳を立てていた女が、眼をつり上げて割って入った。晴恵を誰よりも気にかけている民子である。

 その民子が、いきなり道元に噛みついた。

「道元さん、あたしたちだけを残して帰隊するって、どういうことなの! 命令だかなんだか知らないけどさ、軍隊って、そんな無責任なところなの。ご立派だわね。あたしたちの大事な柱を兵隊に取り上げておいて、ただ匪賊の食い物にされるだけの弱い女と子供と年寄りだけの所帯を残してさ、これで、あたしたちにどうしろてんですか! あんた、この晴ちゃんのこと、いったいどう思っているの。いい加減な遊びだったの!」

 民子の唇は、烈しい怒りで慄えていた。

「残されたあたしたちは、また匪賊に体を玩具のように弄ばれてしまうんですよ! 雑巾のようにボロボロにされた挙句に、野末に捨てられるんですよ! それであたしたちを護ったことになるんですか、道元さん、どうなの!」

「民ちゃん」

 と、晴恵は民子の腕を引いて退かせようとしたが、民子は晴恵の手を振り払って、頑として退こうとはしなかった。

「いいの、言わせてよ晴ちゃん。この期に及んで、遠慮なんか要らないわよ。そりゃあたしたちは生活の上でも兵隊さんに随分援(たす)けられてるわよ。でもね、その代償はちゃんと払っているつもりよ。だから、最後まで護って貰う権利だってあるんだわ。そうでしょ道元さん。あたしたちを護るのが俺たちの任務だって、あんたは、あたしたちにそう約束したはずだわね。討伐が終わっても、危険な状態がつづくようなら、みんなを安全な場所に連れて行ってやるって、そうも約束したはずだわ。どうなの、あれは全部でまかせだったんですか!」

 道元は、返す言葉もなく佇立していた。

 民子が喚くように詰め寄った。

「黙っていないでさ、なんとか言ってよ。軍曹さん!」

 その声に重ねて、晴恵が声を搾るように哀願した。

「あたしたちを、あんたの部隊に保護してとまでは言わないわ。あたしたちを、日本人のいる街まで運んでくれさえすれば、それでいいんです。その先は……そのあとは、自分たちで考えるわ。ねェ民ちゃん」

 晴恵は、縋るように傍の民子に同意を求めた。

「そうよ。安全な場所だったらどこだっていいんだわ。芋やマメ作ったって、どうせ体ごとだわ、匪賊にみんな捲き上げられちまうんだから」

 道元が漸く重い口を開いた。

「……待ってくれ。こういう結果になるとは、俺も思ってはいなかったんだ。なんとかしてやりたいが、いまの俺にはどうにもならんのだ。な、わかってくれ」

 道元の苦り切った声を、民子が言下に弾き返した。

「ふざけないでよ! どうにもならないあんたが、どうにもならない約束をしたってことは、あたしたちを適当にあしらったって、遊んだってことじゃないか!」

 道元は困り果てた。

 そこへ帰隊の準備を終えた寿が顔を出したから、民子は馴染みのない下士官に矛先を向けて、眼尻を吊り上げた。

「軍曹さん。あんたはどう思っているんですか!」

 と、いきなり噛みつかれた寿は、驚いて眼を丸くした。

「どういうことかの?」

「しらばっくれないでよ。あたしたちを見捨てて、置き去りにすることですよ」

「誰がそげんごつば言うたとや?」

 晴恵が、道元の横顔をチラリと視て、眼を伏せた。

 寿の視線は、三人のあいだを素早く往復して、その間には、晴恵と道元の顔色の反応を素早く読み取っていた。

 ――そげゆうこつかい、こンおなごが、道元の(けつ)ば引張っとるイロね。

 と、晴恵に眼を細めて口許を微かに歪めた。

「なんのことか、オイにはさっぱりわからんが」

 と、寿は、揉め事の察しはついていたが、敢えてとぼけた。

「お前たちを見捨てるとは、誰も言うとりゃせんはずやがの」

「それじゃ、あたしたちも一緒に連れて行ってくれるんですね!」

 民子が返した。

「まァそげ尖らんと、落ち着いて、まずわしの話を聞け」

 寿は、片手で民子を抑えた。

「お前たちのことは、この班長もわしも見捨てたりはせん。ただ、わしらは部隊の緊急命令で、いったん中隊へ帰隊せにゃならん。一緒に連れて行って保護ばしちゃりたいが、いまはその余裕がない。じゃが必ずお前たちを迎えに来る。ただし、誰がお前たちを迎えに来るか、それはわからん。その判断は隊長がするとやけん、わしらの一存で勝手にきめるわけにはゆかんのじゃ。わしらは、命令で動く兵隊に過ぎんけんの」

「それじゃ、見捨てるのと同じじゃないですか! みんないなくなったら、残されたあたしたちは匪賊の玩具にされるんですよ。ひどい目に遭わされるんですよ! それでも平気なんですか!」

 民子の声は、怒りで泣き声になった。

「このまま置き去りにされたら、あたしたち、みんな匪賊になぶり殺されてしまうわ。お願いです軍曹さん。後生だから、あたしたちを、約束どおり安全な場所へ連れてってください」

「約束? 安全な場所とはどこか?」

「この人が、晴ちゃんやあたしたちに約束した安全な場所ですよ!」

 道元の顔へ、民子の鋭い視線が刺された。

 これで、道元が慌てた意図が読めた。道元は、女との寝物語に、できもしない約束を交わしているにちがいない。

「ちょっと待ってくれ。この狭かとこで、そげにがなり立てられたんじゃ耳が痛か。道元班長、いまの話はどげこつか、説明ばしてくれんね」

 外で、開拓民の女たちの黄色い罵声と喚き声が起こった。

 寿は、懐中電灯を外の女たちに向けて、一通り見定めて言った。

「みんな静かにせい。お前たちの辛か事情はようわかっとる。わかっとるが、この班長もわしも、お前たちをこのまま見捨てようなどとは考えとらん。しかし、わしらは、命令と服従で縛られとる兵隊じゃ。兵隊である限り、部隊の命令には従わにゃ……」

 突然、女たちの金切り声が沸き上がって、寿の声が掻き消された。

 それに癇を立てた寿が大喝した。

「やかましか! 静かにせんか! 銘々が勝手に喚いても、どげにもならんのぞ。おとなしかごつ、わしン話ば聞け。わしは、言うたことの責任は果たす。さっきも言うたが、中隊へ帰ったら、お前たちの苦境を真っ先に隊長に報告する。わしらがここを退(さが)っても、匪賊はすぐにゃ動かん。わしらの一部が残って、厳重な警戒をしとると思いこんどる。そやけん、お前たちは普段どおりやっとればそれでよか。無闇に動かん限り、乱暴ばさるることもなか。それまでには救援が来る。それまでの、ほんのいっときの辛抱じゃと言うとるんじゃ」

「でたらめ言うんじゃないよ!」

 と、闇の奥から、割れるような女の声が返って来た。

「あんたたちは綺麗ごとだけ言って澄ました顔で逃げられるけどさ、ふん、結局はあたしたちを見捨てるんじゃないか! 匪賊に汚された卑しい日本の女だからね、あたしたちは。なんだい! あたしたちと寝るときゃうまいこと言っといて、いい思いをしたあとはハイさよならだ。冗談じゃないよ! いまだってそうじゃないか! あたしたちを適当に丸めこむつもりだろうけどね、そのテはもう食わないからね。誰が信じるもんか!」

 寿は、懐中電灯を声の方へ向けた。もし顔が合っていたら、寿は駈け寄って、その女の頬を強かに張っていたにちがいない。その先で、慌てて人の群れに隠れる影が見えただけで、その女は難を逃れた。

 寿は、その影に尖った声を飛ばした。

「よし。きさんがそげん肚なら、きさんは誰も信じらんでんよか。きさんが匪賊に辱められようと、腹ば裂かれて木の枝に吊されようと、それはわしの知るところやなかけんの、あとで泣言ば言わんことぞ。それだけの覚悟が、きさんにゃありそうなけんの」

 民子が、すかさず女の群れに黄色い声を飛ばした。

「サキちゃん。ひどい目に遭ったのはあんた一人だけじゃないんだからね、口を慎みなさいな」

「そうよ。いま兵隊さんを怒らせたら、あたしたちが迷惑だわ!」

 と、女の群れから別の声が相槌を打った。

 それに答えて、別の女の声が罵った。

「あんたはさ、いつだってわがままを言い過ぎるのよ。なにさ、ろくに作業を手伝わないくせに、おまんまだけは一人前なんだから」

 罵られたサキという女も、負けてはいなかった。闇を裂くような金切声を上げた。

「あんたこそなによ! あたしは言われた作業はちゃんとやってるじゃないか。ふん、体が危ないときは、なんのかのと愚痴ってあたしの蔭にコソコソ隠れるくせに。いい気なもんだ」

「なんだって! もう一度言ってごらんよ。もう一度言ったら、あんたが寝ているときに、その首を鎌で掻き切ってやるからね!」

「やかましか!」

 寿が呶鳴った。

「つまらんことでギャーギャー喚くんやなか! 内輪揉めばするほど元気があるとなら、お前たちンごつは、お前たちで勝手にやれ!」

 女たちは、水を打ったように鎮まり返った。

 民子が、寿の気迫に圧されて、呟くように言った。

「軍曹さんの言うとおりにしますよ。そのかわり、きっと約束を守ってくださいよ」

 と、晴恵に寄り添った。

 その晴恵は、道元の顔を哀しげな眸で見つめていた。

 寿は、懐中電灯の明かりを、女たちの群れに差しながら言った。

「わしは、約束したことは必ず守る。中隊へ戻ったら、このことを真っ先に具申して、すぐに救援ば要請する。ただしぞ、さっきも言うたが、部隊の事情もあるばってん、救援がすぐに動くかどうかはわからんが、必ず来る。それまでは辛かやろ思うが、辛抱して待つんじゃ。よかの」

 すると、道元が寿の袖を曳いた。

「そんな約束をして守れるんか?」

 と、まるで他人事のように呟いた。

「守れるか、とは、どげんこつな?」

「いや、それは……」

 口籠もった道元に、寿は、その顔に懐中電灯を向けた。

「道元班長、中隊へ戻ったら、実行報告はあと廻しにして、こンごつを真っ先に報告するとぞ。きさんにゃそれをやる責任と、ここの連中に約束ばした義務があるけんの」

 寿は、居並ぶ二人の女と、闇のなかにおぼろに浮かんでいる開拓民の女たちを交互に見定めながら言った。

 道元は、女たちの視線が一斉に自分に集中しているのを意識しているらしく、

「いや、それはいいが、しかし、難しいぞ」

 と、気拙そうに呟いて、

「もし駄目な場合はどうする?」

 と、困惑した眼をしょぼつかせた。

 それに眼を据えている寿は、冷淡な笑いを浮かべた。

「簡単なこつやなかね。中隊が動かなんだら、きさんがこのおなごたちとの約束ば果たしゃよか」

 すると、道元が慌てて寿の袖を引いた。

「ち、ちょっと来てくれ」

 顔色を変えた道元は、営舎の舎後へ抜ける扉を開いて、寿を舎後へ導いた。

「無茶を言うな。そんなことができるかよ。お前の言いたい肚はわかるがな、そこまで考える必要はない。俺たちはだな、ただ……」

 言い終らぬうちに寿の手が伸びて、道元の襟元を掴んで引き寄せた。

「おい、道元、きさんが、あのおなごどもにどげな約束ばしたかしらんばってんが、きさんみたいな身勝手な奴を見ると、オイは(むし)()が走るとじゃ。きさんも、あのおなご連中の誰かが言うた、よか思いばした日を過ごしたはずぞ。ちがうか。それぐらいの借りはの、きさん、喜んで返えすもんぞ」

 道元は、バツの悪さから顔をしかめた。

「オイは同じことをなんべんも言わん性分やが、道元班長、もいっぺん言うとくが、中隊へ戻ったら、実行報告はあと廻しばして、このことを優先して報告ばするとぞ。さもないときさん、中隊で息ばでけんごつなるぞ」

「き、貴様、俺を脅迫するのか!」

「この外道されが。人間の約束を平気で破る姑息な奴に、脅迫もへったくれもあるかい!」

 と、襟元を強く絞め上げた。

「おい道元、オイの噂は、きさんも耳ばして知っとろうがくさ。オイを甘かごつ見らんことぞ。このまま中隊に帰れば、オイときさんは赤の他人たい。それをよか案配と、適当に報告ばしてオイをごまかしても無駄ぞ。さっきのオイの部下ば見たばい。ゴリラんごつ体格ばしたあの男たい。あれはの、人ば殺すのは豚肉を捌くごつ程度にしか思わんやくざもんたい。オイの命令一つで、どげんこつでん平気でやる可愛か子分たい。あいつに、薄暗か場所で始末されてもよかね? それとも、いつかのおなごんごつ、丘の木に吊るして、きさんの腹ば匪賊に引き裂いて貰うね。どげな。下士官のきさんなら、あの男も匪賊も、喜んで引き受けるばい。ぬしの言う脅迫とはの、こンごつば言うとじゃ。わかったか」

 首を捩り上げられた道元は、搾るような声を上げた。

「……わかった。わかったから、手を、放してくれ」

 寿の手が道元の襟から離れた。

「よし、ここではきさんは本務の先任指揮官たい。いまオイと約束ばしたごつ、はっきりとおなごンどもに公約ばして、こうつけ加えろ。もし三日以内に迎えが来なんだ場合は、荷物ば整理して、四家屯の中隊へ避難しろとな」

 狼狽した道元の眼が、懐中電灯の明かりに揺らめいた。

「そんな無茶な。そんなことまで約束はできん。俺が処罰される」

「寝惚けたことをぬかすな! きさんは、既に命令忌避ば犯しとるとぞ。この期に及んで、なにが処罰たい。ばかたれが!」

 言下に言い捨てて、

「この問題は、道元、きさんが()いた種ぞ。おのれが蒔いた種はの、おのれで世話するのが責任ゆうもんたい。それに言うとくがの、きさんがどげな処罰ば受けようと、それはオイの知ったことやなかぞ!」

 と、突き放したそこへ、

「班長殿」

 と、先程から営舎の蔭で聞いていた有働が割って入った。

「こんな無責任野郎なんか、いくら説得しても無駄ですよ。いっそのことバラして、どこかの野っ原か底なし沼にでも沈めたほうが、よっぽど女たちのためになりますよ」

「そうたいの。そげしたかとこやが、いまは駄目じゃ。いまのこいつには、まだ後始末ば残っとうけんの」

 寿は、道元の肩を押した。

「そら、おなごンとこば行って、みんなが納得するごつ、ケジメばつけて()ない」

 肩を押された道元は、渋々女たちの群れに戻った。

「へ、あれで軍曹なんだから立派なもんだ、ばかったれが! てめえはさんざいい思いをしやがったくせに、肝腎なときには、からっきし意気地のねえ野郎ときやがった」

 有働が鼻で嘲った。

「それより班長殿。あの女たち、このまま放っておいて大丈夫ですかね。俺たちがいなくなったと知ったら、匪賊の奴ら、また襲って来て、女にひどいことしませんか」

「心配はそれやが、ばってん、いまのわしらにはどげにもでけん。無事を祈るしかなか」

 有働の鼻息が俄に荒くなった。こんなときは、女が欲しくなったか、それともなにかが気に入らなくて、腹を立てているのを我慢しているかである。

「あの連中、なんとかして、安全な場所まで連れて行ってやることはできませんかね」

「なんとかしてやりたかとこやが、あの連中を受ける先がない限りは、どげもでけんの」

「あるじゃないですか、トラックが二台も。あれを使って女たちを運ぶんです」

「どこへ? 行くにもしても、受け容れ先がなかとぞ」

「大丈夫ですよ。安全な場所へ送り届けたら、そのあとは自分たちでやりますよ」

「そげな無責任なことはでけん。そげなこつすりゃお前、あのおなごや子供たちを、野っ原へ置き去りにするのと同じことぞ。その先がどげなこつなるか、きさん、考えて言うとるんか?」

 そう諭しても、有働は聞く耳を持たなかった。

「無責任なのは班長殿ですよ。匪賊に女が()られるのがわかっていて、このまま知らぬ顔で中隊へ帰るんですか。俺にはそんなことできない。なにも脱走してまでとは言いませんよ。女たちを、日本人がいる孫呉の街まで送り届けたら、そのあとで俺たちは中隊に帰ればいいんです。そうでしょ。いいことをして、中タや准尉から締め上げられるのは不公平ですよ」

「きさんの気持ちはわかるがの、軍隊ではその道理が通らんとじゃ。駄目じゃ」

「どうして駄目なんです。簡単な理屈じゃないですか。部下を庇って七日間も重営倉に入るほどの糞度胸を持っている人が、いつからそんな弱腰になったんです」

「阿呆。余計なことは言わんでよか!」

「すみません」

 寿は、有働の肩にそっと片手を置いた。

「こげなことはの、有働、平時でも難しかことやけん、わしら兵隊が、独断で解決できるもんやなかとじゃ。ましてや緊急事態が発令されとるなかで、わしらが無断で行動ばしたらどげんごつなるか、きさん、それぐらいはわかろうがくさ。営倉程度の懲罰じゃ済まんぞ。わしらは敵前党与逃亡と()()されて銃殺。おなごたちは、保護されるどころか、追い払われて、それこそ荒野で野垂れ死にするか満人になぶり殺しさるる結果となる。そげな羽目になったら、なんのためにわしらが動いたのか意味のなかごつなる。ただでさえ、ひ弱か連中ぞ。その者たちを、いま以上の苦境に立たすることになる。それだけは絶対に避けにゃならん。そげな身に追いこむより、おなごたちをこのままにしておくほうが、まだ生きる望みが残さるるゆうもんたい」

 営舎から、女たちの甲高い声が起こった。道元は、女たちを説得するのに、苦心しているようであった。

 そのざわめきを耳にしながら、寿は言った。

「おなごたちを思うきさんの気持ちは、わしにも痛いほど伝わって身に沁みるばってんが、如何せん、いまのわしらは、黙って眼をつむるしか方法はなかとじゃ……」

 言いながら寿は、胸の内に息苦しさを覚えた。これが、もし自分の家族や身内がこのなかに混じっていたならば、はたして、こう割りきって言えるかどうか、と。

 寿は、このときほど、自分が将校でないことを悔やんだ。将校であったならば、このおんな子供たちを、将校の権限で保護できそうだからである。実際には、将校であってもできない相談であった。その断を下せるのは、満州国全軍を支配下に置く、関東軍総司令官だけである。

「……なんもしてやれんのは口惜しかが、いまのわしらの力じゃ、どげすることもでけん……」

 動けないもどかしさを唇に滲ませた。

「班長殿が駄目なら」

と、有働が、また鼻息を荒くした。

「俺が命を張って単独でやりますよ。それなら文句はないでしょ。班長殿、俺にトラックを貸してください」

 これが有働ではなく道元であったならば、寿はすぐに同意したかもしれない。道元が本気で女を愛しているならば、女と一緒に逃がしてやってもいいとさえ、考えていたからである。

 だが、その道元自身が、自分の保身を優先して逃げたのだ。その腹立たしさが、反動となって語気を尖らせた。

「聞き分けのなか奴たいの、きさんは。これほど言うてもまだわからんとか! いまのわしらは、一個人の意思で一歩も動けんのぞ。あのトラックとてそうたい。物資も、わしらの自由も、全部軍隊の権力下に圧さえられとるとぞ!」

「二言目には軍隊ですか。面白くありませんや」

 有働は、足下の土を思いきり蹴り払った。一度駄々をこね出すと、まるで幼子のように聞く耳を持たなくなる。その上に、抑制を失ってなにをしでかすかわからない。まったく手数のかかる男である。

 寿は、それでも、そんな男を刺戟せずに、やんわりと言葉を被せた。

「わしらはの、有働。よう聞けよ。さっきも言うたばってんが、こげんこつには私情を絡めちゃならんのじゃ。わしらが軍隊に拘束されとる限り、軍律を破ることは許されんのじゃ」

「だったら、兵隊をやめればいいんでしょ!」

 と、どこにも持って行き場のない有働の気持ちが、投げ遣りとなって口から衝いて出た。

「兵隊をやめりゃ、なにをやっても軍隊から文句を言われる筋合いはないわけだ。そうでしょ!」

「きさん、どこまで阿呆にできとるとか! つまらん駄々ばこねるのも大概にせんかい!」

「だって、ほかにやりようがないじゃないですか!」

「きさんの気持ちはようわかると、オイは最前からなんべんも言うとるのがわからんとか。できるこつなら、わしもそげしてやりたかとじゃ。やけんがの、兵隊のわしらは、なんもでけんし、どげすることもでけんとじゃ。もう諦めろ。どげしてもやりたかとなら、オイはもうなにも言わん。きさん勝手にやればよか。ただし言うとくばってんが、軍隊からは逃げられても、憲兵からは絶対に逃げられんぞ。きさんは捕まり、敵前逃亡罪で即時銃殺たい。そげなこつなったら、きさん、好きな酒も、永久におなごも抱けんごつなるばってんが、それは覚悟できとるとやの」

 これは効いた。有働の肉体に、強烈な電流が走ったほどの衝撃が貫いたようである。

「いや、それは(まず)かです。死んだら、俺の人生が台無しになっちゃいます。だけど……」

 と、言いかけた有働に、寿は、すかさずとどめを刺した。

「きさんいつか言うたばい。おなごは観音様ンごつ、抱いとると身も心も洗われる。確かそげ言うたばい。その観音様ば、きさん、もいっぺん拝みとうはなかね?」

「拝みたかです」

 と、急に(しお)れて素直になった。

「それなら、オイの言うこつば聞いて、いまはおとなしかしとれ」

「はい」

「松月にゃ冬美が待っとるばい。きさんのその立派なナニを、冬美の観音様でしこたま研いて貰うとよか」

「そうします」

 有働の鼻息が、漸く落ち着きを取り戻したようであった。

 その肩を軽く叩いて、

「よし、それを(たの)しみばして、みんなのところへ戻って待機しとれ」

 と、寿が女たちの群れへ歩みかけたそのとき、

「敵襲!」

 と、望楼から破れ上がった声が飛んで、けたたましい機関銃音が轟いた。

 その音に騒然となった女たちは、割れるような悲鳴を上げた。

「慌ててはならん! 落ち着け! みんな家に入って身を伏せていろ!」

 道元の叫びが聞こえた。

 咄嗟に身を伏せていた有働が、

「匪賊の殴りこみですか!」

 と、地面から眼玉を大きく剝き上げた。

「阿呆、そげんとこでなんばしよっとか。早よ起きんか。非常呼集じゃ! 全員営舎の前に集合ばかけろ!」

 寿は有働の足を蹴り上げた。

「早う行けい!」

 言い捨てて、道元の許に走った。

 道元軍曹は、屯営の前に積まれた()(のう)から、見えぬ闇の向うを窺っていた。

「やっぱし、来よったの」

 と、寿は懐中電灯で時計を確認して、

「深夜じゃなく、早いお出ましとはの」

 と、呟いて、拳銃の(えん)(とう)を引いて激発状態にした。

「近いぞ」

 と、道元が、敵の銃声音の距離を測って言った。

「これまでよりも人数が纏まっているようだ。あんたの勘が的中したな。おい美祢、照明弾を上げろ!」

 すぐさま照明弾が上がった。

 上空高く炸裂した照明弾は、真昼のように輝いて、闇に(うごめ)く匪賊の一群を鮮やかに浮かび上がらせた。その距離およそ二〇〇、数は、目測で二個小隊である。

「夏の火取り虫が飛びこんで来やがった。馬鹿めが!」

 道元は素早く数を読むと、その一群にほくそ笑んだ。

 敵は、兵力を総動員して屯営の撃滅に討って出たようである。だが、匪賊にとっては不幸なことに、侵入した場所が悪かった。そこは、開墾されたまま放置された平地なのである。夜陰にまぎれて()(ふく)前進するには好都合な地の利だが、その代償として、遮蔽物らしきものはなにもない。致命的な侵入を(おか)しているのである。

「昨日までのようなわけにはいかんのだ。装備も兵力も、格段に充実しているんだからな!」

 道元の合図に、望楼の機関銃が猛り狂い、擲弾筒の榴弾が人間の肉を散り散りに引き裂いて炸裂した。

 群集は、忽ち()(ぶん)()(れつ)となった。

 道元軍曹は、先程とは打って変わって、殺戮の鬼人と化していた。

「道元班長、わしらは奴らの右翼側面ば抜けて、奴らの後方を叩く。トラックの機銃を貰うぞ」

 と、道元の返事を待たずに、寿は有働の襟首を引いた。

「おまん、トラックの機関銃を持って来い。赤羽、増岡と川原を連れて、雑嚢に入るだけの手榴弾を集めてこい。わしらは集落の右翼の塀で待つ」

 寿は、分隊を集落右翼の塀まで導いて命じた。

「かまわん、土塀をぶち破れ!」

 土を練り重ねただけの脆い土塀は、足や小銃の銃床で簡単に崩れた。

 軽機関銃を提げた有働と赤羽たちが合流した。

「野下、きさんはオイの指揮下から離れて、初年兵二名を指揮してこの場所を守備しろ。オイは分隊を指揮して、匪賊の後方を遮断する」

 この初年兵たちを残したのは、小銃の射ち方だけはどうにか習っているが、実弾訓練も戦闘訓練も習熟していないからである。

 寿は、赤羽たちが抱えて来た手榴弾の詰まった雑嚢の一つを置いて、

「野下、手榴弾はふんだんにあるけんの、これで接近して来る敵を阻止しろ。あとの者はわしにつづけ!」

 寿は、野下と初年兵をその場に残すと、土塀を抜けて、照明弾の光源を頼りに、側面の敵を警戒しながら向かいの丘まで一気に疾走した。打ち合わせていた作戦とは、まったく異なった展開となった。

 川尻分隊が丘の上段に辿り着くまで、匪賊の抵抗は殆どなかった。匪賊は、道元部隊の正面に気を集中させているのである。

 照明弾がつづけざまに上がって、一帯が真昼のようになった。

 曳田が、眼下のその状況に唸った。

「こいつはすげえや、わんさといやがる!」

「曳田と有働、きさんらはここで奴らを叩け。わしらは奴らの後方へ廻って挟撃する」

 曳田の班を残して、寿は滑るように反対側の斜面を駈け下った。

 四五十メートルほども駈け下りた辺りで、曳田の班の小銃が唸りを上げた。それに合わせて、有働が狂ったように機関銃を乱射した。

 集落の右翼を衝こうとしていた匪賊は、曳田の側面からの突然の急襲を受けて、照明弾の下で将棋倒しのようにバラバラと崩れた。

 寿は、拳銃で何名かを斃して赤羽に命じた。

「赤羽、手榴弾で左翼を遮断しろ!」

 赤羽は、さすがに砲兵出身だけあって、強肩な投擲能力を発揮した。(ほう)(ぶつ)線を描いて飛んだ手榴弾は、集落の左翼側面へ廻ろうとしている匪賊の先端で炸裂した。

 両翼の進撃路を遮断された匪賊の一群は、転がるように反転して後退をはじめた。

 その群れに、今度は望楼の機関銃弾が追い打ちをかけた。榴弾が逃げ惑う群に炸裂して、土もろとも肉片を虚空に散らした。

 日本軍に包囲された匪賊は、進路も退路も断たれて完全に孤立した形となった。

「うまいぞ!」

 道元が歓声を上げた。

「美祢、照明弾をあるだけ上げろ」

 耕地一帯がまた真昼のようになった。その直下を、望楼の機関銃と擲弾筒が、匪賊の脅威となって炸裂しまくった。

 トラックが屯営を飛び出したのが寿の眼に入った。

 寿は、道元が進撃したのは、機動力を活かして一気に匪賊殲滅に出たものと判断した。

 短時間で四面楚歌となった匪賊は、包囲された円陣のなかで逃げ惑った。

 寿の咄嗟の判断と行動は、道元部隊の進撃に絶大な戦果をもたらした。

 寿は、野下たちが果敢に手榴弾を投げて匪賊の侵攻を阻止しているのを確認して、兵の一人を呼んだ。

「曳田の班をこっちに廻して、奴らの退路を遮断させろ。わしらは屯営の守備に廻る。きさんは、そのまま曳田の指揮下に入れ。行け!」

 少しの間を置いて、曳田が合流した。

「有働、弾はまだあるか?」

「ありますよ、弾倉三本」

「よし、奴らの動きをよく見て射て、弾を無駄に遣うなよ。赤羽、屯営まで早駈けじゃ、つづけ!」

 寿は、有働を曳田の班に残して屯営まで駈けた。道元部隊が抜けたあとの、集落の警備が手薄になるのを怖れたのである。屍を踏みつけ、跳び越えして、屯営に帰ってかえり視ると、照明弾の下では、残忍な地獄絵図が展開されていた。

 照明弾が燃え尽きると、一帯は、暗幕を張ったような闇に覆われた。ほんの数秒のことだが、その闇は、先程までは感じなかった不気味な戦慄を呼び起こすに充分であった。

 照明弾がつづけざまに上がった。

 戦闘訓練などやったことはないのであろう匪賊の終焉は、無残なほどあっけなかった。

 道元部隊は、情けも容赦もしない殺戮集団と化して、匪賊に襲いかかっていた。

 武器を捨てて逃げまどう者には、至近から銃弾が肉体を貫いた。合掌して命乞いをする者には、無慈悲の銃口が額に当てられて頭蓋骨を粉砕した。手や足を飛ばされて大地に踠く者には、その肉体が挽肉になるほど銃剣が突き刺さった。

 匪賊の抵抗が完全に消滅するまでの道元は、兇人のように荒れ狂った。軍刀で匪賊の頚を刎ね飛ばし、西瓜を割るように頭鉢を叩き割った。既に息絶えている者であろうとなかろうと、道元は、念入りに軍刀を突き刺して息の根を止めた。一人も生きては帰さない残虐な報復であった。

 曳田の班が戻って来た。

「ありゃ鬼だ!」

 と、戻るなり、残忍な血の修羅場を目の当たりにした曳田が、道元部隊のあまりの残忍さに、胃の腑を搾って嘔きまくった。

 照明弾の下では、残虐な殺戮行為が念入りに行われた。生命を絶たれる断末の呻き声が起こるところには、必ずとどめの銃声が響いた。

「生き残りが潜伏しとるかもしれん。赤羽、周辺を警戒させておけ!」

 そう命じて、寿は二人の名を呼んだ。集落の塀に配備している野下以下の安否が気になったのである。

「きさんたちは野下を確認して来い。わしが知る限りじゃと、匪賊はそっちへ廻った形跡はなかはずやが、無事ば確認したら、そのまま警戒を継続させろ。きさんらは、そのあと、集落の安全ば把握せい。よかの、周辺の安全が確認できるまで、住民は家から一歩も出しちゃならんぞ。異常の際は、銃を二発鳴らせ。よし行け!」

 木津と増岡の二人を野下のところへ走らせた寿は、拳銃の弾倉を改めて弾倉に実包を補充しようとしたが、なぜか手が小刻みに震えて、実包が弾倉口に絡んでカチカチと音を立てた。

 寿は情けなく笑った。自分では落ち着いているつもりでも、神経が異常に昂ぶっているのである。無理もないことである。狩猟で鳥獣に銃口を向けることには慣れていても、意識して人間を殺したのである。

 闇のなかで、ボソボソと声がした。

「俺ァ神武屯の部隊にいるとき、満人の捕虜を刺殺したことがあるがよ、いくら敵でも、人を殺すってなァいい気持ちじゃねえな」

「そうかな、俺ァどうってことはねえがな」

 と、相手は、平然とした声で返した。

「お前、人を殺すことに、罪悪感は感じないのか?」

「そんなこといちいち考えていたらお前、ドンパチで人殺しはできねえ道理だぞ」

「そりゃそうだけどよ。あのときゃ、奴は目隠しされて柱に縛られていて、それも兵隊に突かれてミンチみてえに潰されて死んでいたから、反撃される心配もなかったからやったがよ、今夜ばかりは、俺ァ体がブルッたぜ。なにしろ相手は生きている人間だろ、どこから弾が飛んで来るかわかったもんじゃねえし、それにチャンコロの蛮人と言ってもよ、俺たちと同じ人間だ。奴らだって、可愛い女房や子供もいるだろうしよ、そう思うと、俺ァ引鉄を絞る指が(ふる)えちまったぜ」

 すると、相手は鼻でせせら笑った。

「そんな感情を持っていると、お前、命を幾つ抱えていても足りねえことになるぜ。ま、そんなに気に病むことァねえさ。相手を人間と思わなきゃいいんだよ。獣の類に置き換えりゃなんでもねえことだ。つまりだな、何事も慣れなんだよ、慣れ。慣れたらどうってこたァねえさな。それに較べりゃお前、鳥や獣のほうが人間より厄介だぞ。こいつが簡単に仕留められそうで、じつはそう簡単にはいかん。素早くて、よっぽど手強いぞ」

 この声の主は、地方では狩猟の経験があるのだろう。寿にはまだ馴染みのない声だが、言うことは的を射ていた。

 そう。慣れれば、なんのことはない。標的が鳥獣から人間に取って代わるだけである。そう割り切って、人間を殺すことの罪悪感をなくせば、狩猟よりもずっと楽かもしれないのである。つまり、どうってことはなくなるのである。

 兵隊は、こうして着実に殺人者へと変貌し、遂には良心の呵責も罪悪感も消失して、なんのためらいもなく人間を殺すことの快感を覚える殺人鬼と化すのである。

 寿は、照明弾の下に繰り広げられている残虐な殺戮行為を、土嚢の隙間から見つめていた。もうなにをする気も失せていた。その反面、眼を血走らせて、拳銃を構えて鶏の首のようにせわしなく顔を振っていた。敵とおぼしき者を一人でも認めれば、躊躇なく射殺する肚なのである。そうしなければ、自分が冥途へ直行する結果となるからである。

 照明弾が消えて闇が来た。

 それと同時に、闇の向うから道元軍曹の号令が聞こえた。方々から、それに答える男たちの声が飛び交った。残虐な殺戮が終わったらしいのだ。

 暫くして、軍刀も被服も血粘でべっとりと濡らした道元軍曹が、肩で息をしながら戻って来た。

 寿が負傷者の有無を質すと、幸運なことに、死傷者は一名も出ていなかった。

「よくやってくれた。ここの奴らは、頭目以外根刮ぎ潰した。生きている者がいるとすれば畑の虫螻だけだ」

 声を出さずに笑ったその顔は返り血で染め、まさに殺戮を(もてあそ)ぶ鬼神そのもののゾッとする形相であった。

「俺たちはこれから満人部落を一気にぶっ潰して来る。あんた、すまんがここを頼む」

 道元は、防火用水を頭から浴びて口を(すす)ぐと、血まみれの軍刀を用水に突っこんでジャブジャブと洗った。

「おい、早くしろ!」

 と、部下に装備を急がせて、トラックの扉の把手に手をかけた。

 その道元に、寿が言った。

「斥候の報告がまだやなかとか?」

 道元は、すぐには答えず、にやりと笑った。

「それにしても、あんたの作戦行動は素早いな。奴ら、俺たちの裏をかいたつもりなんだろうが、どっこいとんだ返り討ちだ。斥候の報告は、さっきあっちで受けた。頭目は満人部落だ。見てろよ、今度こそ息の根を止めてやる」

「帰隊命令はどげするんか?」

「非常の緊急無電を打たした。匪賊の夜襲、われ交戦中なり、とな」

「返事は?」

「そんなもの、あるもんか!」

 道元は、吐き捨てるように言った。

「そんなことより、奴らの兵力の大部分がこっちへ集中したんだ。部落には頭目以下の少数にあとは満人の雑魚百姓だ。あの村を灰にして、二度と日本人に手が出せねえようにぶっ潰してやる」

 女の問題では、有働に鼻で嘲られるほど尻込みをしていた男と同一人物だとは、とても思えない気勢である。

 道元は、慌ただしくトラックに乗って、顔を出した。

「なァに、すぐに片づけて戻って来るよ」

 と、寿に軽い挙手をして、道元はトラックを発進させた。そのあとには、気味が悪いほどの静寂が残った。

 寿は、部下たちに集落の警戒をするよう命じて、

「煙草ば吸いたかもんはやってもよかぞ。ただし、火を見せちゃならんぞ」

 襲われる危険性は殆ど薄れているが、万一に備えての注意を与えて、自分は指揮官室に入った。

 闇のなかに、蛍のような点滅が土嚢に列を成した。

 暫く経ってから、遠くで銃声や爆発音が風に流されて聞こえた。道元部隊の逆襲がはじまったのだ。

「……はじめましたね。……あの軍曹、女に骨抜きにされた腑抜け野郎だと思いましたが、なかなかどうして、やるもんですね。まるで死神に取り()かれたみたいに、ゾッとした眼をしていやがった……」

 と、有働は、遠くの闇の空が、不気味に赤く染まりはじめた辺りを見つめて呟いた。 満人部落の家屋が、道元部隊の手によって焼き払われているのである。

 その道元は、払暁近くなって戻って来た。左の脇腹を異常にどす黒く汚していた。

 二人の兵隊に身体を支えられて、トラックから降りて来た道元を出迎えた寿は、それに気づいて、

「負傷ばしたとか。程度はどげな?」

 と、()くと、

「大したことはない。弾は脇腹を抜けた。まったくふてえしくじりだぜ。百姓の女と思って油断したのが誤りよ。いきなりモーゼルでこれだ」

 と、咳きこむように笑った。

「頭目一味も満人も皆殺しにしてやったが、お蔭でこっちは三名を失った。家という家は全部焼き払って灰にしてやったよ。それで帰りが遅れたんだ」

 この男が、満人部落でどれほどの働きをしたか、昨夜の残虐的な行為で容易に想像できた。

「話はあとたい。まずその傷の止血が先じゃ」

 寿は野下を呼んだ。

「ちょっと診てやってくれ」

 そう言われても、治療の心得などない野下はたじろいだ。

「おやじさんがいつもやっとる治療ばすりゃよかとじゃ」

「お前、医者か?」

「父はそうですが、私には医者の心得はありません」

野下が顔を振ると、血に染まった道元の歯がニッと剥かれた。

「そいつは好都合だ。医者でなくても門前の小僧なんとかだ。どんな処置でもいいからやってくれ。俺はまだ死ぬわけにはいかんのだ。頼む」

「野下、すぐに診てやれ。おいそこのお前たち、班長を指揮所へ運べ」

 二三の兵隊が駈けて来て、道元は指揮官室に運ばれた。

 寿は、残った道元部隊の兵隊に集合をかけた。

「いまからオイがお前たちの指揮を執る。戦死者は、官等級氏名を記録し、小指を遺骨にしてあとは埋葬。夜明けまでに戦場処理、そのあとは武器弾薬をトラックに積んで帰隊準備、急げ」

 三名の戦死者は、小指を切り取られて骨にされ、中隊へ持ち帰られた。遺体は、屯所正面の丘に埋葬され、匪賊の残骸は近くの沼沢に遺棄された。これが終わるころには、太陽は東の稜線上高く昇っていた。

 遠巻きに眺めていた女たちは、あとの報復を怖れて、口々に囁き合ったが、その心配のないことを寿に告げられて、どうにか落ち着きを取り戻した。

 中隊に引き揚げる際、民子と晴恵が指揮所へ姿を見せて、心配そうに道元を見舞った。

 道元は、その顔に淡い笑みを浮かべた。

「俺はこんなになっちまって来られなくなったが、もう心配する必要はない。匪賊も満人も全滅だ。部隊へ帰ったら、すぐに別の部隊を救助によこすから、それまでは辛抱して待っているんだぞ。いいな」

 そう言って女と別れた道元軍曹は、中隊へ帰隊する途次に絶命した。

 息を引きとる直前、道元は、付き添っていた寿の袖を掴んで、か細く言った。

「……あんた、なかなかの軍師だな。連隊に復帰すれば、押しも押されもせぬ一級参謀だ」

「相手が戦の素人やけん、それが功を奏したとよ」

 寿は、道元の顔に笑みを湛えた。

「あれ、な……」

 と、道元は言い澱んだが、気持ちを抑えきれずに、こう言った。

「見送りに出た細面の女がいただろ。あいつは晴恵って名だが、所帯を持った途端に亭主が南方へ引っ張られてな、それであいつ、亭主は南方で既に戦死していると思いこんでいるんだ。南方じゃお前、あっちこっちで玉砕がつづいているだろ。だから、亭主はもう戻っては来ないものと諦めたんだな。それで俺を頼ったんだ。帰る見込みのない亭主を待ちつづけるより……」

 そう言いかけて、言葉を変えた。

「いや、淋しかったんだな、きっと……俺もそうだったからな……それから、今日まで夫婦同然に過ごしたんだ」

 道元は二三度咳きこんだ。

「……でも、妙なもんだな、長いこと一つ屋根に暮らすとアバタもえくぼだ。可愛くなってきてな……」

「それが人間の情ゆうもんたい」

「そうだな」

 道元は咳きこみながら笑った。

「あすこはもう大丈夫だと思うが、しかし、こうして離れてみると、なんだか無性に気になるもんだな……」

 道元の眸が幽かに潤んだ。

「……あんた、所帯持ちか?」

 寿は静かにうなずいた。

「子供が四人おるたい」

「そいつは優秀だな。俺ァこの齢になるまでチョンガーだ。子供はいいよな、我が子は自分の分身だって言うからな。さぞ可愛いんだろうなァ」

 咳きこんで、弱々しい笑みを浮かべた。

 道元の息が、次第に荒くなりはじめた。

 寿は、そっと顔を近づけて、声を落とした。

「傷ば障るけん、もう喋るんやなか。中隊はもうすぐじゃけの。余計なことは考えんと、おんしゃ休んどりんさい」

 小さくうなずいた道元は、一度瞼を閉じたものの、すぐに開いて、今度は寿の袖を強く引き寄せた。

「な、俺が迎えに行くまで、あの女、待っていてくれるかな? ……な、また逢えるよな……」

 お互いが生きていれば、それも叶えられるというものである。

 寿は、道元の肩にそっと手を置いた。

「そげな心配はの、取り越し苦労ゆうもんぞ。女という生きもんは男よりも逞しか根性を持っとるけん。必ず待っとるよ。おんしが迎えに来る日を、指ば折って、の」

「……あんた、噂に似合わず、意外と人情の篤い男だな。噂とは大違いだった……」

 これが、道元の最後の言葉であった。

 道元は、大きく一度だけ息を吸ってから、その息を搾るように静かに吐いて、眠るように息を引き取った。

 寿は、自分の袖を掴んでいる道元の手をそっと外して、その手を胸に合掌させると、運転台の屋根を叩いて、荷台から身を乗り出して兵長に言った。

「どこぞ適当な場所で停めてくれ」

 トラックは停まった。

 兵長が降りて来て、荷台を覗いた。

「……駄目だったですか」

 寿はうなずいた。

 その顔に、機銃の銃座から美祢が膝を折って、冷たく言い放った。

「どうしますか? このまま中隊へ連れて帰っても、あの准尉も隊長も弔意なんか示しませんよ。死んだのは、命令を忌避した結果だとして、満足な弔いもせずに野末に捨て置かれますよ」

 部隊を平気で見捨てる連中である。美祢は、准尉と隊長の肚を見抜いて、そう言った。

「それなら仕方なか。これの(むくろ)は、わしらで懇ろに葬ってやるまでたい」 

 道元の亡骸は、小高い丘に運ばれて埋葬され、小指はガソリンで焼かれて骨にされた。

 それを見つめながら、美祢が呟くように言った。

「……この班長殿はね、そりゃ随分と好き勝手をやらかしたもんですが、でもよくやりましたよ。あの開拓民たちを、約束どおり自分の命を懸けて護ったんだから……」

 美祢は、焼けた骨を拾って、

「この班長殿の夢はね、軍曹殿。仲間の誰よりも早く昇進して、女と営外居住することだったんですよ。死んでしまったんじゃ、もうどうしようもありませんがね……」

 そう言って、自分のハンカチに遺骨を包んで胸の隠しに仕舞った。

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