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消耗品たちの八月十五日  作者: 河野靖征


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 寿たちが、開拓民の警備隊屯営に到着した頃には、警備兵は、開拓民警護の衛兵の一部を残して、あとは夜間警備に備えて休養していた。

 寿は、分隊を屯営前で待機させると、板張りで仕切られただけの狭い指揮官室に入って、指揮官の軍曹に形通りの申告を済ませた。

「中隊から連絡を受けたが、そうか、将校をぶちのめした玄界灘の荒武者とはあんただったのか。その英雄がお出ましになったとは、こりゃ心強いことだな」

 と、軍曹の第一声がこれであった。

 軍隊という組織は、肝腎な情報はひた匿しにするが、つまらぬものは敏速に伝わるものである。自分の不祥事が、こんな(へん)()な場所にまで伝搬しているのを、寿は、愕きとともに、胸の奥から衝き上がる不快感を隠せなかった。

 一方の軍曹は、国境の前線に長くいるせいか、相手の感情など意に介さなくなっているようである。憮然とした寿の顔色に、ヤニで汚れた歯をニタリと剝いた。

「気を悪くせんでくれ。悪気で言ったんじゃないよ。なにしろ、あんたの武勇伝はこっちでも有名なもんでな」

 と、軽く笑って、自分の使っている粗末な作りの椅子を引き出してそれを寿にすすめた。

「楽にしてくれ。俺は(どう)(げん)だ。口の悪いのがどうも欠点らしいが、これでも他意のない男でね、そのつもりで、あんたも気を(つか)わんでくれ」

 と、軍曹という同等の立場でそう言った。

「それにしても、まったく都合のいいところへ来てくれたもんだぞ」

 道元は、机の端に尻を乗せて、胸の隠しから小さく折りたたんだ紙を取出して机上に開いた。開くと、机の半分ほども広がった。開拓団周辺の地図である。

「到着した早々ご苦労だがな、これを見てくれ」

 開かれた地図は、隊長室で見たものと較べて、周辺の状況が詳細に記されてあった。

「これはこの周辺の地図だが、俺たちの現在地はここだ。ここが満人部落と、こっちが匪賊の拠点の山だ。これには記しておらんが、俺たちの中隊はこっちの方角だ。よく見て周辺の地理を把握しておいてくれ」

 寿は、地図に視線を這わせて呟いた。

「これを見ると、満人部落までは意外と近かかとやの」

「直線を引けばそうだが、見てのとおりだ。ここから二つ先の丘陵の先は重湿地帯だ。したがってこいつを迂回しなけりゃならんから、距離にすると二、三キロはある勘定だ。俺たちのこの正面一帯は、見てのとおり耕作地だが、それ以外の三方は波のようにうねった丘陵が幾重にも重なるようにつづいている。つまり、この畑以外の地形は守備する側にも攻撃する側にも厄介な地形となっているわけだが、そのお蔭で、潜伏斥候には都合のいい地形でもあってな、それが功を奏して、やっと奴らの動きを掴んだところだ。いままでは無駄な時間を費やしたが、これで兵力も充実したことだし、今度こそは、奴らの息の根を止められる」

 と、道元は手を揉んで意気込んだ。

「斥候の報告によるとだな、奴らは明日にも行動を起こすことが判明したんだ」

「あした?」

「そうだ」

 と、道元は力強くうなずいた。

「ちょっと待て。明日言うたら、おんしは、わしと交替して帰隊しとるんやなかとか?」

「命令はそうなっているがな、俺にはやる仕事がまだ残っている。急いで帰隊することもなかろうよ」

「無視ばすると、命令忌避で抗命ば受くるぞ」

 と、寿が警告すると、軍曹は白々しく笑った。

「あんたも知ってのとおりだ。前線勤務の交替の遅れは常のことだ。四五日遅れたところで、どうってことはない。理由はどうとでも言訳できるさ。それにだ、手柄の一つも立てりゃお前、中タだって文句は言えまいよ。ま、その心配はこれが終わったときに考えるとするさ」

 本来なら、長期勤務を解かれた者は、待ちかねたように歓んで帰隊するところである。それを、なぜかこの軍曹は拒んでいる。軍隊で上官の命令を忌避すればどういう結果になるか、下士官なら、その怖さを、骨の髄まで知り尽くしているはずである。

 寿は、この不可解な道元の言葉に首をかしげたが、出会ったばかりの寿には、道元の肚など見抜けるはずがない。それに、匪賊の活動も、どうやらここ一両日が山場のようである。到着したばかりで、現状をなにも把握していない寿には、このまま道元に帰隊されるより、むしろ残留してくれるほうが都合がよかった。

 寿はうなずいて、こう言った。

「わかった。おんしがその肚ならそれもよかたい。ここの現状をなんも知らんまま引き継ぐより、状況ば把握しとるおんしがいてくれるほうが、オイは心強かゆうもんたい。やけんがの、成功すればよかばってんが、失敗したときはおんし、懲罰どころじゃすまんぞ。それでんよかとや」

 道元軍曹は、浅黒い笑いを浮かべた。

「あんたが物分かりのいい班長さんで俺は安心したよ。そのご懸念は無用だ。ま、俺にまかせろって。いま言ったように、俺たちが凱旋すればお前、中タだって鼻が高くなるんだ。文句は言わんさ」

「ま、それはともかくとしてたい」

 と、寿は言った。

「匪賊の現在の兵力はどげな?」

「ん。当初は百そこそこだったが、補充していなければ、この一連の騒動で二割程度は減っているはずだ」

「こっちの兵力は?」

「俺のところは現在十九」

「合わせて三十四か。仮に匪賊の兵力が二割ごつ減ったとしても、これだけの兵力でやれるね?」

 これを受けて、道元の眼窩の奥がギラリと光った。

「兵力の数では俺たちより勝っているが、奴らの火力は大したことはない。こっちには機関銃と擲弾筒、トラックにも機関銃を装備しとるし、照明弾と弾薬も増備したから装備は万全にととのっている。あんたと俺の兵力で奴らを挟撃すれば、短時間で勝負は決する」

「しかし、その小銃だけの匪賊に、満警と憲兵隊が潰されて、しかも夜戦じゃ奴らのほうが優勢やそうやなかね。夜中に二名ごつ動哨が殺られたゆう話も聞いたが?」

「それは最初の段階でのことで、いまは状況が……」

 言いかけて、道元の白い視線が寿に向けられた。

「それにしてもやけに詳しいが、あんた、それを誰から聞いた。准尉の葛原か? 輸送兵か?」

 寿は、美祢に厄災が及ぶのを懸念してごまかした。

「中隊じゃもっぱらの噂ぞ。それをちょっと耳にしただけたい」

「葛原か。ちッ、余計な口だけは廻りやがるな、あの禿げ坊主!」

 道元は勝手に解釈して口許を歪めた。

「そげんこつより、准尉の話だと、匪賊は満人部落へ拠点を移しつつあると、オイはそげに聞いたが、それはどげな状況かの?」

「それだよ」

 と、道元は、尻を上げて()(かん)に手を伸ばした。冷めた番茶を二つの湯呑に注いで、その一つを寿に渡して、ズルズルと音を立てて啜った。

「当初はな、俺もそう思って中タに報告したもんだが、それがとんでもない誤認だったことがわかったんだ。なにしろ、これまでは奴らの動きがまったく読めず、おまけに後手に廻った形で少々手こずっていたからな。だがな、それもこれでお(しま)いだ」

 道元が気負った眼を燃やした。

「誤認とはどげんこつな?」

「ん。斥候の報告を纏めてみるとな、こういう結論が出た。奴らの拠点は満人部落じゃなく、あくまでも元のこの山腹だということがな」

 と、地図の一点にゆびを突いた。

「奴らが満人部落に拠点を移しているというのは、それはこっちの勝手な解釈で、大きな誤りでな。本当の目的は別にあったんだ」

「と、言うと?」

「奴らは、俺たちに夜襲と思わせるゲリラ戦を仕掛けていたのは、じつはこれは俺たちの眼を欺く佯動だったんだ」

「ようどう?」

 道元軍曹は、深くうなずいて、

「話すと長くなるから、簡潔に言うとこうだ」

 と、尻を再び机に下ろした。

「入植当初のここの開拓民たちは、孫呉の第二十三師団隷下の部隊の保護下で、と言っても、いまは兵舎の欠片もないが、満人を使って農耕地の開墾をはじめた。開墾と言っても、元々土着の満人が開拓した地盤に手を加えて拡大させる計画だが、軍は、その開拓民に満人の農夫を労働下に置いて穀物増産を命じた。そこまでは、まァよかったんだが、そのあとがいけなかった。ある日、司令部は開拓民が完全に落ち着いたものと判断して、駐屯部隊を遜河東北沿岸へ転出させた。それを境にして、満人農夫たちの挙動が徐々におかしくなって、やがて姿を消した」

 道元は、番茶を啜って寿に顔を向けた。

「どうしてだと思う?」

 寿が黙っていると、

「ん。去年に、(つう)()()(もん)()(とう)(すい)(ふん)()、つまり、南満一帯にかけて、関東軍と満軍の連合で匪賊討伐が大々的に行われたのは知っているだろ?」

 寿は小首をかしげた。

「いや行われたんだ。つまり、その討伐を逃れた一部の連中が、この北満の遜河一帯に根づいた、と言うことだ。都合がいいことに、ほんの五キロの地点には満人の部落もあって、連中にとっては、地の利のいい潜伏拠点と考えたんだな。しかし、奴らはそこで誤算をした。その先一キロ地点に、さっき言った孫呉の一個中隊が駐屯していることを知らなかった。最初は警戒して暫く身を潜めていたが、そんなものはいつまでもつづくはずがない。人間の食い物など殆どない山のなかだ。当然食糧は底をつく。食い物がなければ、手近な畑に眼を向けるのは当然の道理だが、ところが、これらは日本の軍隊と開拓団が管理しているときた。近づけば監視に発見される。小競り合いになるな。つまり、満人労働者が開拓団から姿をくらましたは、この辺りからだ」

「つまり、満人部落の連中は危険を感じて匪賊に帰属した。そういうことか?」

 道元が、(あい)(まい)なうなずきを返した。

「それもあるが、連中が姿を見せなくなった理由は、他にあったんだ」

「どげな理由ね?」

 道元は、「ん」と、軽く一つうなずいて番茶を啜ると、まるで自分の眼で見届けたかのように語りはじめた。

「満人が姿をくらませてから数日後のことだ。満人数名が突然開拓民の居留地へ来て、日本人とはもうこれ以上一緒に働けないと伝えた。労働がきつい上に、ろくな賃銀も貰えない。食えんと言うんだな。開拓民の男たちは激怒した。仕事は半人前のくせして、賃銀だけは人一倍要求しやがって生意気な口を叩くなと、満人たちをその場で足腰が立たんほどの制裁を加えたそうだ。当然だな。主人が使用人になめられたんだからな。だがそのあとが拙かった。満人をそのまま放っておけばよかったものを、開拓民の一部の連中はそれでも腹の虫が承知しなかったんだな、いきり立った五名が徒党を組んで、白昼堂々満人部落へ乗りこんだ。だが、出向いた日が悪かったか、運が悪かったか、満人部落へ乗りこんだ男たちは、慌ててその場を逃げ去った。なぜだかわかるか」

 寿は、美祢からこのことは聞いていたが、素知らぬ振りをして首を捻ってぼけた。

「これだよ」

 と、道元は、拳を握って拇指と人差し指を立てて、拇指を口許に当てた。

「阿片だよ。満人は、食うための手段に、匪賊の片棒を担いで、村ぐるみで阿片の精製をはじめていやがったんだ。阿片は、軍や官憲によって厳重に監視されて、個人での栽培は禁じられているが、作るには便利なやつでな、どんな土地でも簡単に栽培できるし、(さく)()を搾って精製すれば、ぼろい儲けになるからな。開拓民の男たちは、不幸にも、納屋に収められたそいつを見てしまった。それで開拓民の男たちは、満人が匪賊と手を結んだことを直感して、身の危険を感じて逃げたんだが、ところがそうはゆかなかった。逃げ帰る途中に、待ち伏せていた匪賊に急襲された。五人のうち四人がその場で射殺されたが、難を逃れた一人は沼の茂みに潜んで、(ひる)に生血を吸われながら夜中まで沼に潜んでいたらしい。連中が寝静まるまで待って、這々の体で逃げ帰った。尾行が張りついているのも気づかずにな」

「それで、どげなったとや?」

「匪賊の報復を怖れた男は、夜陰にまぎれて一家を連れて逃げようとしたんだが、この先の向うの丘の窪みで一家は頸と胴を切り離されて棄てられていた」

 寿は尾を引くように唸った。美祢の話とは少し異なるが、ほぼ完全に符合するのである。

「まるで鬼畜ンごつ連中ばい」

「まさにそれさ。奴らは、それ以来、開拓民を監視するようになって、俺たちの姿を眼にした途端に取引の方法を変えた。つまり、白昼だと、俺たちと全面衝突する危険性が生じるから、俺たちの動きが鈍る深夜に切り替えたんだ」

「つまり、夜襲はそのための偽装ゆうわけか……」

 道元は、忌々しげにうなずいた。

「まったく、(うま)く欺かれたよ。俺たちは、阿片を密造していることなどちっとも考えなかったから、てっきり奴らの夜襲とばかり思いこんでいてな、夜中は殆ど動けずして、ここに釘づけだったんだ」

「それにしても、満人に暴行ば働いた開拓民にも問題はあるが、事実として開拓民が殺害されとるとぞ、そのとき、なんで満人部落を徹底的に捜索ばせなんだとや」

 道元は、今度は首を横に振った。

「やったさ。だがな、そのときは、奴らは既に姿を消していて、そこは蛻の殻だった。奴ら、どこで阿片の栽培や精製をしているのか、附近を徹底的に捜索したが、周辺のどこにもそんな痕跡はなかった。俺はな、部落をこのままにしておくと危険だから、いっそ焼き払おうって隊長に具申したんだが、隊長は首を縦に振らなかった。連隊本部から正式な命令を受けていれば別だが、それがない以上は一般の満人に対しては越権行為になるというわけだ。それで暫く匪賊と連中の関係を見ようってことになってな、そのときは、俺は仕方なく退き下がったんだが、ところがその晩に夜襲だ。いきなりだったからな、小隊の半数が戦死して、隊長もあっけなく死んだよ」

「それで、そのあとは?」

「いや、斥候の報告だと、日中は死んだようにあすこは蛻の殻らしいが、阿片取引の夜に限って連中は村に舞戻っているらしい。つまり夜襲のある晩だ。それに、村の周辺には()()畑がどこにもないところからして、原料はどうやら匪賊が持ちこんでいるようだ。つまり、奴らの拠点で芥子を栽培して、満人の連中は、それの精製だけを引き受けているようなのだが、日中は近隣の地下に潜っているらしくて、所在を掴もうにも、如何せんうねった丘がわんさとある地形だろ。残念ながら、まだ精製窟の所在は判明してはおらん。それで、あの村落を焼き払わずに残して、連中を泳がせているんだ。へたに焼失させると、奴らを永久に始末できんからな」

「つまり、連中が村落に集結したところを根刮ぎ叩く、それしかテはなかゆうわけたいの」

 道元の眼が光った。

「それだよ俺の狙いは。いままでは連中の雑魚に振り廻されて、どうにも手の打ちようがなかったが、しかしな、これで奴らを討伐する準備がととのった。あんたらが来てくれたし、こっちは、奴らの手の内を完全に把握しているからな。これを機会に、奴らの頭目以下が満人部落に集結したところを、部落ともに根刮ぎ叩き潰せる」

 道元は、開かれている窓の外を窺い視た。天空を気にしたらしいのだ。

 ここの気候は気紛れなのである。いまは晴れていても、次にはそれが嘘だったかのように急変するから先が読めない。それも、降りはじめると、二三日はやまない。長いときは、雨期のように一週間もつづくことがある。そうなれば、計画が頓挫する虞が出て来るのである。

「雨に(たた)られなければいいがな。昨夜の斥候の報告によれば、連中が動くのは明日の夜だからな」

 呟いて、机上に広げた地図を、寿と共用するために壁に貼った。

 それを見つめながら、寿が訊いた。

「明日の夜とは、斥候は、それをどげして掴んだとや?」

「信号弾だよ」

 と、道元は、机に尻を乗せて答えた。

「あれが上がり出したのは、この屯営を設営してから暫くしてのことだ。俺は、満人と匪賊間の通信にちがいないと睨んで、長期潜伏斥候を出して信号弾を観察させた。睨んだとおりだったよ。奴らの動きを探っているうちに、その意味が解けた。奴らは、その信号弾によって動いていることがな。普段は滅多に信号弾は上がらんが、上がり出すと、これが頻繁に上がる。まず匪賊の拠点から白色信号弾が一つ上がるんだ。これに答えて、南西方面から青色の信号弾が一つ返される。これは、位置を悟られないために場所が変動する。満人の阿片窟からの返事だが、阿片精製の状況を報告しているんだ。つまり、返される青色信号弾は、順調に作業が運ばれているということを意味している。阿片精製が完了すると、今度は満人から青色の信号弾が二つ上がる。これに答えて、匪賊の拠点から白色の返事が上がる。昨夜のは二つだったから、受取りは二日後に行うという指令だ。つまり明日ということだな。もうわかったと思うが、匪賊から白の上がる数が奴らの決行日を指している、と、まァこういうわけだ。三つ連続して上がれば三日後、それ以外は中止の危険信号の赤玉だが、いまのところは、十日前の大雨の日に一度上がったが、それからは赤の確認は報告されておらん。だから、明日の奴らの動きに変更はないと考えていい」

 寿はうなずいたが、その眼は、まだ懸念の色を残していた。

「それは了解したばってんが、しかし、わしらが合流したことで、連中はその裏をかいてぞ、今夜にでも赤玉が上がるゆうことはなかね?」

 そう訊き(ただ)すと、道元は、両腕を組んだまま、少し考えるようにしてうなずいた。

「それも充分考えられる線だがな、しかし、これまでの奴らの一連の行動から判断するとだな、奴らは、雨以外の不都合が生じない限り決行している。雨は奴らにとっては大敵だからな。だから、奴らの取引は予定通りと判断していいだろう。もし奴らが今夜動くとしたら、それは俺たちがどこまで兵力を充実させたか、その確認のための揺さ振り程度だ、と、俺はそう見ている。なァに、来ても雑魚だよ、どうってことはない」

 道元は番茶を呑み干した。

「いままでは、不覚にもこっちは()(へい)だったし、連中を潰そうにも、兵力を分散して打って出るほどの手駒がなかった。奴らはそれを知っているから、これまでは夜襲の佯動で事足りたがな、それも昨日までだ。今夜からは、そんな姑息な手段は通じない。へたに動けば、お前、俺たちに挟撃されて、大事なブツも、てめえの命も棒に振る結果となるからな。奴らだって命は惜しかろうじゃないか」

「それでも、用心に越したことはなかぞ」

「なァに、仕掛けて来たとしても、今夜も大したことはないさ。こっちは()(ぐす)()引いて待っているんだ。それに、既に大量の阿片が流れている。この機会に奴らを徹底的に潰しておかんと、奴らは阿片を(さば)いたかねで、ますます武力を充実させることになる。そうなると、討伐は困難な状況に陥るばかりだ。俺たちの装備が充実しているいまのうちに、奴らの根を狩り取らなきゃ、それこそ、俺たちがここへ来ている意味がない」

 道元の視線が、壁の地図の一点を焦がすように睨んだ。

 その視線の先に、寿は水を差すように言った。

「万一ぞ。万一赤の信号弾が上がったときは、おんしはどげするとや?」

「待とうじゃねえか」

 と、道元は言下に言い放って、ニッと歯を剥いた。

 その道元に、寿は、怪訝な顔を向けた。

「時間を伸ばすと、それだけおんしの立場は拙かごつならんね?」

「懲罰を怖れん班長さんのお言葉とは思えんな」

 道元は軽く言い返して、

「尖るな、冗談だよ」

 と、笑って片手を振った。

「俺を気遣ってくれるのは有難いが、さっきも言ったように、その心配は無用だ。なァに、遅くとも三日もあればこいつは片づく。言訳はそれからでも遅くはない。無電があるが、これは匪賊の襲撃で破壊されたことにして、ぶっ壊せばいいさ」

 道元は涼しげな顔でそう言って、空になった自分の湯呑に番茶を()れた。

「ところで、あんたたち、朝飯は食ったのか?」

 寿が携帯口糧を使ったことを告げると、道元は、番茶を一口啜ってうなずいた。

「糧秣は心配ない、充分にある。炊事場を使うなら、この集落の門を入った井戸の横に、俺たちの炊事場が設けてある。ご苦労だが、飯上げはあんたたちでやってくれ。糧秣庫はあの屯営の横で、これがその鍵たい。終わったら、この鍵箱に戻してくれ。それから宿舎は、そうだな、衛舎はごった返しているから、これが片づくまで、狭くて窮屈だが、一個分隊なら宿営できる空き家が炊事場の向かいにある。それを使って仮の衛舎にしてくれ。今夜はたぶん大した騒動は起こるまいが、あんたが言ったように、用心に越したことはない。装備は解かずに、いつでも動けるようにして、いまのうちに充分な休養をとっておいてくれ。明日は眠れんほど忙しくなるからな」

 空にした湯呑を置くと、両手で膝を叩いた。

「さてと、ぼつぼつ受領した兵器の点検でもするか」

 と、戸口まで行って振り向いた。

「あとでこの周辺の警戒区域を案内するよ。一息ついたら来てくれ。ただし言っとくがな、兵隊たちに妙な色気を起こさせんでくれよ。なにしろ男の殆どが召集されて、ここは女の花園だからな。眼の保養程度に眺める分には問題ないが、へたに手を出して揉めると、あとが厄介なことになるぞ。じゃ、あとで」

 道元は軽い冗談を飛ばして出て行ったが、その眼は、まんざら冗談とも思えなかった。

 手配された仮宿舎の前に分隊員を集合させて、寿は、道元軍曹から聞いた現状を説明した。

「いま伝えたように、わしら分隊は現在地に於いて道元部隊と共同して匪賊討伐にあたる。いまから分隊を三班に分ける。一班は、有働、野下、有村、高丸。二班は、赤羽、木津、長谷部、増岡、川原。三班は、曳田、鬼島、釜本、梅原、戸川。二班は赤羽上等兵、三班は曳田上等兵を長とし、わしは一班に属して分隊の総指揮を執る。野下、各自の飯盒を集めて、初年兵を引率して、糧秣庫で十五名分の糧秣を受領して昼飯の準備をさせろ。炊事場はあれたい。糧秣庫は哨舎の隣にある。これが糧秣庫の鍵じゃ。受領後はオイに返納しろ。赤羽と曳田は、それまで全員に兵器の点検をさせておけ。肝腎なときに使えんでは、洒落にならんけんの。そのあとは、別命あるまで各自随時休養。ただし非常態勢やけん、必要以外の装具は解いちゃならん。それから、もう一つ言っておくが、民家には近づいちゃならんぞ。オイは、これから警備隊長と警戒区域ば巡視するが、オイが戻るまで妄りに出歩いちゃならんぞ。よし、解散」

 男たちは、ゾロゾロと家のなかへ散ったが、有働だけがその場に残って、

「来た早々大手入りとは、まいっちゃったな」

 と、ぼそりと言った。

「仕方なかろうがくさ、わしらはこれが仕事やけんの」

「相手が引っこんじまってるんだから、なにも、こっちから出向かなくてもよさそうなもんですがね」

「それはどげかの。このまま匪賊を野放しばすると、ここは、ますますひどか状態になる」

「やるのはいつです」

「今夜の斥候の報告を受けてからたい」

「今夜? ……そうですか」

 と、なにやら含みをこめてぼそりと呟いた。

「どげしたとや?」

 と、訊くと、有働は、モゾモゾと口を開いた。

「あの……女がね、向うの畑にわんさといるんですよ。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、塀のそこから見るだけでも駄目ですか」

 寿は、有働を睨むように眼を据えて、声こそ抑えているが、その声の響きは尖っていた。

「いかん。命令たい!」

「でも、明日には死ぬかも知れないんですよ。死んじまったら、俺たちの明日はないんですよ。班長殿は、それでも平気なんですか」

「わしらが死ぬとか生きるとかは、そのときの結果が教えてくれる。いまは、それよりもあの連中を護ることが急務たい」

「班長殿は、女が恋しくないんですか!」

 言い捨てて、ふて腐れた有働は、軍靴のかかとで土間の土を蹴り払った。

 この男は、牝の姿を見ると、見境なく発情するから困ったものである。交尾期に牝の匂いを片っ端から嗅ぎ廻る獣よりも始末が悪かった。

 眉間に険を立てた寿は、

「きさんの好色も程々にするとぞ。わしらが置かれとるいまの立場を、きさんは、どげ心得よっとか。来るときに、トラックで聞いた、あの上等兵の話を忘れたとか!」

 と、有働の胸を小突いた。

 このやり取りを、先程から入口で片方の耳を欹てて聞いてた曳田が、ノソリと間抜け面を出した。

「ねえ班長殿、遠くから拝むだけでもいいからさ、ちょっとだけ覗かせてくださいよ、後生だからさ」

 と、出さなくてもいい口を出したから、寿の眉間にますます険が立った。

「揃いも揃うて、きさんら、盛りのついたエロ犬ンごつ涎ば垂らしさってくさ、大概にせんか。これは部隊命令じゃ! おなごが欲しいのは、なにもきさんらだけやなかぞ。ここの部隊は、何ヶ月も外出なしで我慢しとるとじゃ。それを考えてみよ。勝手な行動は許さん!」

 二人を睨みつけて、次には部屋の奥に向かって壁が振動するほどの声を張り上げた。

「みんな聞け! もいっぺん言うとくばってんが、きさんら、妄りにおなごに近づいちゃならんぞ。身勝手な真似ばしくさったら、オイが許さんからそげ思え! おい、曳田に有働、わかったの!」

「……はい」

 二人は渋々返事を揃えた。寿の兇暴な性格は、原隊で厭というほど骨髄に染みこまされている。これ以上怒らせでもしたら、それこそ、女どころではなくなりそうである。

 曳田は、そそくさに自分の場所へ戻った。

 それを見届けた寿は、道元の許へ行こうとしたが、まだ時間があるので、板間の上がり(かまち)に腰を下ろして煙草を咥えた。

 赤羽の号令で分隊員たちが兵器の点検をはじめると、曳田の横で作業をはじめた浅黒い顔の男が、曳田の膨れ面を見てせせら笑った。

「よ、あの班長さん、いまどき珍しい清節を重んじるお人らしいぜ。ま、あのお方は班長さんだからな、お清く振舞うのは結構だが、俺ァそうは行かねえよ。あのお方のように清廉潔白でも品行方正でもねえ、身も心もすれっからした苔の生えた古兵さんだ」

「へ、軍曹にまでなってやっこさん、古参兵がどんなものかがまだわかっちゃいねえらしいぜ。命令は結構だがよ、こればっかりは受領できねえ相談だぞ。多寡が知れた軍曹の階級で俺たちを(おさ)さえようたって、そりゃどだい無理な注文ってもんだ。あの班長さん、どうやらまだ俺たちのことを知らねえらしいが、お生憎様だ、俺たちァあの班長さんのように身持ちはよくねえからな。いくら命令でも、俺のおちんちん様は聞く耳を持たねえってもんだ」

 受けた男が、肘で軽く隣の浅黒い顔の男の脇腹を小突いて、クスクスと笑った。

 この二人、浅黒い顔の鬼島と三白眼の木津は、後方の部隊を転々と盥廻しされて北の涯まで来たものの、著しい素行の悪さから、三日と経たぬ間に近隣の所属部隊を追い出された札付き万年一等兵である。当然のことながら、寿や有働がどれほどの性格の持主であるかは知る由もない。

「しかしな」

 と、鬼島が言った。

「あんな堅えこと言ったが、野郎だって生身の人間だ。俺たちを圧さえておいて、てめえ一人、こっそりオソソの臨検をやるってテがあるからな」

 すると三白眼が声を殺して言った。

「せいぜいお高く澄ましていればいいさ。そういうことはおめえ、場数を踏んでる俺っちにおまかせあれだ。明日になりゃおめえ、大股広げて、ねえあんた、さ」

 二人がクスクスと笑い合ったのを、横で作業をしている曳田が小声で制めた。土間の入口にいる有働の視線とぶつかったのだ。

「おい、もうそのくらいにしておけ。おめえらどこから転属して来たか知らんが、あの二人を知らねえようだから注意しておくがな、あいつらには用心したほうがいいぜ」

「あいつらって、誰と誰だ?」

 と、ろくに銃の点検もしないで煙草を咥えた木津が、曳田に尖った白眼を向けた。

「班長とあのゴリラのような野郎だよ」

 答えたのは、鬼島に劣らぬ体型の赤羽である。

 赤羽は、二人のやり取りを耳にしながら銃の点検をしていたが、先程からこの二人の悪態を不快に思っていたから、鬼島に向けた眼は兇暴に尖っていた。

「ちょいと訊くがな」

 と、赤羽の据わった眼が鬼島を捉えた。

「おめえたち、連隊の陣地じゃ見かけねえ面だが、どこの部隊からだ?」

「それを聞いてどうするよ」

 と、作業の手を止めた鬼島の眼が辷り上がって来て、挑戦的な視線を赤羽に刺した。

「そう言うおめえは何年兵だ?」

「関特演だよ」

 赤羽が凄んでそう返すと、

「なんだ同じ口か」

 と、鬼島は憮然とした表情で口許を歪めた。

 相手が上等兵でも年次が低ければ、有無を言わさず殴り飛ばしているところだが、その相手が自分と同年兵であることで、鬼島はあっさりと退き下がった。

「ところで、関特演の上等兵さんよ」

 と、三白眼が言った。

「あの野郎、図体も態度もでかいが、何年兵だ?」

「関特演じゃねえことだけは確かだよ」

 と、赤羽が嘲るように答えると、曳田がすかさず言葉を繋いだ。

「ありァ補充の二年兵だがな、侮るとひでえ目に遭うぜ」

「二年兵だと!」

「おい、声がでかいぞ」

 と、曳田が慌てて抑えた。

「気をつけろよ。奴ァ二年兵だがな、ちょっとばかり面倒な野郎だぜ」

 と、赤羽と顔を見合わせて声を(しぼ)ませた。

 補充の二年兵に関特演の四年兵が圧さえられていることに、鬼島はますます癇を立てて歯を剥いた。

「気をつけろとはどういうことだ。え、奴ァたかが補充の二年兵だろうが。俺たち五年兵が、なんで補充の二年兵を怖れなきゃならねえんだい!」

 狭い部屋である。このやり取りは、先程から有働の耳にも届いていたが、傍の寿に抑えられてじっと堪えていた。

 だが有働は、あきらかに自分をなじっている男たちに、忍耐の限度を超えたようであった。

 堪忍袋の緒を切って逆上した有働は、寿の制止を振り切って、男たちの群れに巨体を揺らして歩み寄ると、いきなり鬼島の襟首を掴んで引き起こした。

「いま言ったのは、てめえだな。てめえ、班長殿の命令が聞けねえってのか!」

 と、出し抜けに、岩のような拳を鬼島の顔面に浴びせた。

 この強烈な一撃は、さすがの五年兵も耐えきれなかった。鬼島は、土間まで飛ばされて簡単に伸びてしまった。

 それを見て、三白眼の屈強な肉体が揺れ動いた。

「貴様ァ!」

 と、白眼を剝いた木津が、立ち上がりざまに有働の横面へ拳を放った。

 大抵の男なら、この五年兵の一撃で瞬時に萎縮して怖気づくところだが、ゴリラのような有働の巨体は、岩のようにびくともしなかった。有働は、赤い舌で唇をなめただけである。

「補充の二年兵のくせしやがって、貴様、いつから古参兵にそんな口が聞けるようになった。関東軍の五年兵をなめるか!」

 返す拳が奮い上がった。

 その拳は、しかし、次の一瞬間には、有働の手にがっしりと握り()められていた。

「やってみろよ」

 と、木津の手首に万力のような握力を加えて、獰猛な眼玉をギロリと光らせた。

「もう一度やってみろてんだ!」

 木津は、有働の強烈な握力に耐えきれず、悲痛な呻き声を上げた。

「やめろ。やめてくれ。俺が悪かった。謝るから、手を放してくれ!」

 血走った有働は聞く耳を持たなかった。(どう)(もう)と化した野獣の牙が、木津の鼻先まで迫った。

「てめえ関特演だとぬかしたな。上等じゃねえか。てめえが五年兵だろうと六年兵だろうと、俺はてめえより長く娑婆の飯を食っているんだ。てめえら、なにかにつけ飯の数を鼻にかけやがるが、それがどれほどの値打があるってんだ! ふざけやがってこの野郎。てめえは五年兵だ。俺は補充の二年兵だよ。だがな、俺とてめえは、同じ一銭五厘なんだぞ! 飯の数だけで、でけえ面するんじゃねえ。喧嘩なら、てめえなんぞにゃ負けやしねえんだ!」

 有働は、さらに握力を搾った。

「野郎、二度とマスがかけねえように、この指、全部へし折ってやる」

 木津の悲鳴が部屋じゅうに響いた。

 その悲痛な声に、先程から見ぬ振りをして黙っていた寿が、重い腰を漸く上げた。

「もうよか、有働。そのくらいにしておけ」

 寿の制止に、眼玉を剝き上げた有働は、勢い木津の体を突き飛ばした。

 木津は、手首を押えて、崩れるようにうずくまった。

 その背を、有働の軍靴が蹴り飛ばした。

「馬鹿ったれが、口先だけの達磨野郎のくせしやがって。唐変木たァてめえのことを言うんだ! てめえがどれほどの古参兵だろうと、俺と同じ一等兵なんだぞ。今度つまらねえ真似しやがると、この程度じゃ済まねえぞ。次には女を抱けねえ体にしてやるから、そのつもりでいろ!」

 それで済ますかと思うと、素知らぬ顔で煙草を吹かしている別の二人の背中に有働の強烈な軍靴が襲った。

「てめえも、てめえもだ!」

 と、蹴り飛ばしておいて、

「このぼけなす野郎ども、うすらとぼけやがって。てめえら鼻で笑って相槌を打っていたのを、俺が気がつかねえとでも思っていやがったのか!」

 と、家の土塀が崩れんばかりに()えた。

「いいかてめえら、班長殿の命令に従わねえ野郎は、この俺がぶっ殺すぞ。覚えてろ!」

 と、息巻いた。

 寿が有働の肩を引いた。

「もうやめんか! 大事な任務を前に、つまらん揉め事を起こすんやなか」

 すると、有働が挑むように噛みついた。

「揉め事の原因は、そもそもこの野郎どもですよ。班長殿も聞いたでしょ。それを黙って放っとくんですか!」

 と、詰め寄った。

 寿は、入口に顎をしゃくった。

「きさん、ちょっと外で頭ば冷やさんか」

 そう言って、沈殿した部屋の空気に大喝を入れた。

「きさんら、なにボケーッとしよっとか! さっさと各自の作業ばやらんか!」

有働を建屋の蔭に連れ出した寿は、

「あの屑どもに、いちいち角ば立てるんやなか」

 と、昂奮して、眼玉を剝いている有働を、やんわりと(いさ)めた。

「きさんの苛立つ気持ちはわからんでんなかけんが、ここは我慢するとじゃ。ここには確かにおなごはおるばってんが、街のP屋のようなわけにはいかんとじゃ。この任務を無事努め終えたら、またあすこへ、あの料亭松月へ連れて行っちゃる。一晩じゅう冬美を抱かせて、反吐ン出るほど将校用の酒も呑ませちゃる。やけん、それまで辛抱せい」

 そう諭しても、有働の昂奮は冷めないらしく、荒い鼻息を吐いていた。

「しかし、あの野郎どもはやりますよ、夜中に、きっと」

 有働は不服そうに呟いた。

「放っとけ。出向いたところで、どうせなんも出来ゃせんたい」

「なぜです」

「この屯営に来る途中、匪賊の襲撃でおなごが腹ば裂かれて木に吊らされた話は、きさんも聞いたばい?」

「聞きました」

「警備隊長が言うとったけんが、あれ以来、家には錠前ばかけての、夜は住民仲間すら寄せつけんそうたい」

「仲間も、ですか?」

 と、眼玉をギョロリと剥いて以外な顔をした。

「そこまで警戒されているんじゃ、こりゃどうしようもねえな……」

 と、意味ありげに呟いたその顔に、寿の訝った眼が向けられた。

「もしかして、きさん、わしの眼を盗んで、夜這いをやらかすつもりやなかやろの」

「夜這い、ですか」

 有働は、寿の尖りはじめている眼を警戒して、鼻を擽るように笑うと、

「俺は、そんなケチな真似はしません。……やるときは堂々と声をかけてやります」

 と、あとは独言になった。

 ――こやつ、やっぱしなんぞ企んどるばい。

 そう直感した寿は、敢えて有働を刺戟しないように静かに言った。

「オイは同じことはなんべんも言わん主義じゃが、有働、いま、きさんの置かれとる立場がどげな状況かをよう考えるとぞ。あの古兵連中に言うたごつ、まさかきさん自身が破りはすまいと思うが、少しはここの女たちの苦労を考えることぞ。わしらには、ここのおなごたちを匪賊から護る重要な任務をまかせられとる。それを忘れちゃならんし、ここのおなごたちを、これ以上惨めな思いをさせちゃならん。いまのきさんの相手は、開拓民の女やなか、匪賊じゃけんの」

「……わかりました」

 有働は、頸の力が急激に抜けたように、ガクリとこうべを垂らした。相手のことなど考えずにやろうとしている行為の愚かさに、漸く気づいたようである。バツの悪そうな顔をして、頭をペコリと下げた。

「ごめんなさい」

「わかってくれたか」

 有働は、今度は、幼子のように素直にうなずいた。

「わかりゃそいでよか。さっきも言うたばってんが、この任務を無事終えたら、きさんを松月ば連れて行って、一晩じゅう冬美を抱かせちゃる。それまでの辛抱ぞ」

「それ、ほんとですね?」

「あァ本当たい。底なしのきさんがヘドば嘔くまで、灘の酒ば呑ませちゃる。それまでは、オイの言うことに黙って従うとぞ。よかの」

「わかりました。なんでも言いつけてください、班長殿の言うことならなんでも従います。やりますよ。俺が、その殺された女の仇を取ってやります。その代わり班長殿、これが終わったら、必ずあすこへ連れて行ってくださいよ」

 有働は赤い舌で唇をなめると、だらしなく鼻の下を伸ばして寿の顔を覗きこんだ。

「約束ですよ」

 寿は、悲哀に似た笑みを洩らしてうなずいた。

「約束は守る。ただし、言うとくけんがの、これは、わしらが無事に生きとったらの話ぞ」

「それはわかりますが、でも、冗談はそれくらいにしてくださいよ。班長殿が死んじまったら、俺だって生きちゃいられない。本当に死ぬ気なんですか?」

 有働の不安気な顔に、寿は一笑に付した。

「ばかを言え、誰が好んで死ぬ奴がおるか。万一ンこつば言うたまでたい。心配せんでんよか。オイはまだ死にゃせんたい。きさんを松月ば連れて行くまではの。それまでは有働、おなごのことは一切考えちゃならんぞ」

「男の約束をしたからには、俺も守りますよ。銃の点検をしてきます」

 有働は上機嫌で仮営舎へ戻った。

「……まっこと、単細胞ば頭ンなかを支配しとる、あれの腐れ欲情ば治す薬はなかもんかの。困った奴たい」

 と、有働の後姿に冷笑を送って、寿は、道元軍曹の待つ指揮官室へ脚を向けた。

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