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消耗品たちの八月十五日  作者: 河野靖征


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「ここで待っとれ」

 と、分隊員に命じて、寿は中隊事務室へ入った。

 編入先の事務室では、僧侶の頭よりも照り上がった年配の人事掛准尉は、両の手を組んで眼をつむっていたが、寿が眼の前に来ても気づかずにいた。爆睡しているのである。

「よう寝とりんさるわ」

 と、苦笑いを洩らした寿は、庶務掛の若い軍曹に准尉を起こさせ、寝ぼけ眼の准尉に形式どおりの着任の申告を済ませると、今度は准尉に導かれて、寿は隊長室に入った。

 隊長の中尉は、自分が現役ではないことをその顔の年輪が証明していて、既に中年の域に達している予備役出身の将校であった。

「休め」

 と、隊長は、申告を終えた寿の不動の姿勢を解くと、壁に貼られている地図の前に歩み寄った。

「さっそくだが軍曹。いまのお前の現在地はここだ」

 と、粗雑な地図の一点を指で示した。

「ここより南西三十キロ地点には遜河の街がある。ここだ。この(そん)()の大河から北へ進んだ約十キロ地点、ここには開拓団の居留区がある。ここだな。さらに、この開拓団から南東二キロ地点には、これは規模は小さいが満人の部落。さらにその部落から東南の約五キロ地点には、お前も既に承知していると思うが、いまや開拓民の脅威となっている匪賊の拠点がある。この山腹と思われるこの一帯だ。したがって、この満人部落及び匪賊の正面、つまり開拓団には、現在約一個分隊をもって開拓民の警護をしておる。そこでだ、着任早々ご苦労だが、お前の分隊をそこへ配備することになった」

 隊長は、寿に向き直って姿勢を正した。

「命令。本日只今をもって開拓団警備を命ずる」

 命令を下達された寿は、原隊の中隊事務室で阿部の言ったとおりに物事が進んでいることに、自分の勘が的中したと肚で嘲笑した。

阿部ン馬鹿が、厄介者がおらんごつなって、今頃は手ば叩いて歓んどるたい。

「早速だが軍曹」

 と、准尉が隊長の横から言った。

「到着した早々ご苦労だが、すぐに出発してくれ」

「わかりました。我が分隊はただちに出発いたしますが、その前に准尉殿、いえ隊長殿にお尋ねしますが、我々の任務は遜河対岸の向地監視との命令を受けとりますが、命令変更の理由はなんでありますか」

「変更ではない。これは部隊の作戦による方針だ。つまりだ、当中隊に編入されたお前らは、既に我が部隊の指揮下にある。したがって黙って命令に従えばいいのだ。文句は許されんぞ!」

 隊長の横で声を荒げたのは准尉である。

 隊長よりも隊長らしく振る舞っているのは、予備役の将校を見下しているのである。中尉の階級で予備役に編入されるということは、よほど無能だったにちがいない。軍隊で何十年もの飯を食って叩き上がったこの准尉は、そうきめつけているのである。

 准尉は、不服そうな顔を向けている寿に、一刹那古参兵特有の陰険な視線を放ったが、しかし、その表情をすぐに和らげた。寿の連隊での狂気的噂を、この准尉は耳にしているのである。

「まあそう尖るな」

 と、准尉は、禿げ上がった頭鉢をパチリと打って、にが笑いを浮かべた。

「いやこっちもな、連隊命令を一応受領したが、それよりも開拓民の保護が急務となってな。一刻を争う事態となって、これを早急に処理しなければならなくなったんだ。いまのところ、開拓民は日中に関しては比較的安全なのだが、これが夜間ともなると匪賊の行動が活発化してな、近くの満人部落に拠点を移して連夜開拓民を脅かしているんだ」

「先程隊長殿は約一個分隊とおっしゃられましたが、私が連隊で聞いた限りでは、開拓団警護は一個小隊とのことでしたが」

 隊長と准尉が顔を見合わせたが、答えたのは隊長のほうで、これは答えをぼかした。

「奴らは執拗にして且つ執念深い。王道楽土も五族共和も、そんなものにはまったく同調せん部族だからな」

「それはわかりますが、我々が現地へ転用されるいうことは、つまりは、我々はその部隊へ合流ばして、大々的に匪賊の討伐をするゆう解釈でよかですか」

 寿は、隊長と准尉の顔を交互に視た。

 二人は、また顔を見合わせたが、隊長の眼配せを受けた准尉が、

「よし、それについて話そう」

 と、手をうしろ手に組んで出て来た。

「ただし、一連の経緯(いきさつ)を話すと長くなるから要約して伝えるが、これはまだ屯営を設営する前のことだ。ある日、開拓民の集落が匪賊に手ひどい襲撃を受けて、そのうちの一家が惨殺された。民間の事件だから、最初は遜河駐在の満警が捜査に動いたのだが、これが火力劣勢であったがために、匪賊の逆襲を喰らって多大な損害を蒙った。満警は、劣勢な武力ではこれ以上は困難であるから、憲兵隊か戦闘部隊の協力がなければ捜査はできんと、まず憲兵隊へ泣きついた。憲兵隊は民事の問題には介入できんと、これを()()もなく突き返してしまった。それで我々の部隊に要請があったのだが、隊長殿はさすがに寛大でおられる。我々は民間人においては擁護する責任があると、それを受けて、すぐさま一個小隊の討伐隊を編成して出動させた。だが討伐隊が到着したときには、匪賊は既に拠点に潜んだあとだった。それで、その拠点を襲撃しようとしたのだが、なにしろあすこは内懐の深い山林藪沢でな、へたに深入りすると、逆に我が部隊に損害が出かねん。それで、やむなく開拓団の一角に監視哨を設営して匪賊を監視することにしたんだ。しかし、そこまでしたのはいいが、それでは我が部隊の現有兵力が不足する。それで隊長殿は連隊にこれを報告して増援を求められたのだ。だが連隊は増援を送る代わりとして、監視線の分哨配備の変更を伝えてきた。つまり、分哨の一つを向地監視班専任としてお前たちを置き、お前たちと交代した分隊を開拓団警護に廻して、任務に就いている小隊を引き揚げさせよというわけだ。だが隊長殿は、向地監視に熟達した哨兵を割いて開拓団へ廻すよりも、戦闘教練の練度の高いお前たちを開拓団警備へ廻すほうがより戦略的だと判断された。聞けば、お前たちは敵前向地監視の経験が乏しい。そういうことで、お前たちを開拓団へ廻すというわけだ。ここ数日来、国境線対岸の敵情が急激に活性化したことで、練達した分哨員を無闇に動かせなくなったことに加えてだな、我が二線部隊は、来る赤軍の侵攻に備えて、これを監視すべく兵力を強化せざるを得なくなった。したがって隊長殿はだ、この機会にお前たちの力を借りて、開拓民の安全を確保しつつ、来る敵の越境進撃を撃滅せんとする強いご決意でおられるんだ。お前たちを開拓団の警備へ廻すこれが理由だ。軍曹、すまんが行ってくれ」

 寿は姿勢を正した。

 兵隊に否応の選択権はない。編入された以上は所属部隊の命令に従わなければならない。上官の命令は、しいては天皇の命令である。命令は下達されたのだ。

「わかりました」

 中隊長は満足そうにうなずいた。

「准尉、出発の準備はできておるのか?」

 准尉はかかとを鳴らした。

「兵器受領に戻った、開拓団警備のトラックを待機させております」

「では軍曹、すぐに出発してくれ」

 寿は、十五度の規律ある室内礼をして隊長室を出た。


 待機させている分隊に戻った寿は、分隊員に命令変更の移動を伝えると、

「ここまで歩かせておいて、また移動ですか」

 と、有働が口を尖らせてぼやいた。

「まったく軍隊ってとこは、一体全体、俺たちをなんだと思っているんですかね」

「ここの隊長に言わすると、わしらは将棋ン駒やそうなけん、黙って行くしかなかぞ」

「お偉方の命令結構ですがね、こう休む間もなく動かされたんじゃたまりませんよ」

 有働は吐き捨てるように言った。

「さ、文句はそのくらいにして、あれに乗ろうたい」

 顎で指した先には、尻から墨のような黒煙を噴き出している凄まじい様相のトラックが停まっていた。

 運転台の前面と側面には、装甲車のように運転できる程度の視界が開けられた防弾用の鉄板が張られてあり、車体は弾痕まみれで、動いているのが不思議なほどの、それは見るからに傷ましい無残な姿であった。

 分隊員たちは、その凄まじさに、驚きを隠さずに眼を丸くしたようであった。

 そこへ運転台の扉が開いて、古参兵らしき髯面の上等兵が顔を出した。

 上等兵は、呆然と居並ぶ兵隊たちを一通り見廻すと、にやりと笑って訊いた。

「お前さんたち、開拓団の警備へ行く部隊だろ」

「そうだ」

 と、有働が答えると、

「だったら、早く乗りな。こっちは急いでいるんだ」

 と、閉めようとした扉をまた開いて、

「お前たち、こいつの凄さに愕いているようだがな、この程度のことで愕いていたんじゃきりがねえよ。いまのうちに褌の紐をしっかと締め直しておくんだな。こいつに乗ってからじゃ遅いぜ」

 上等兵は、ヤニで汚れた歯をニッと剥いた。

「そんなにひでえ道中かよ」

 と、返したのは曳田である。

「ま、乗ってみりゃわかるさ」

 そこへ助手席に乗りこんで来た兵長が、運転席の上等兵の頭を小突いた。

「阿呆ったれが! 無駄口を叩かずに黙っとれ。ほれ、出ッ発だよ」

 兵長が、扉を開けた助手席から身を乗り出して、荷台を見上げて言った。

「軍曹殿、出しますが、いいですか?」

「お!」

 と、寿は、全員が乗車していることを確認して片手を上げた。

 トラックは、変速機の噛み合う耳障りな音を上げると、蛸が威嚇で墨を吐くような黒煙を一つ噴いて、ガクリと動きはじめた。

 有働が、黒煙の向こうに(とお)(ざか)る兵舎を睨みつけるようにして、寿に口髯を歪ませた。

「班長殿、俺たちは、どうやら、とんでもない貧乏くじを引かされたようですね」 

「どのみち、わしら兵隊は消耗品たい。くそっ腹ば立つけんが、人間扱いしては貰えんとじゃ。それより有働、今度こそ、酒もおなごも諦めにゃならんぞ」

 流れる景色を眺めるでもなく、荷台の揺れに身をまかせながら、寿は観念的に唇を歪めた。

「それはわかっていますがね、そんなことより、班長殿、帰れますかね、俺たち」

「帰るって、原隊へか?」

「冗談じゃありませんよ。あんなところへ帰りたい奴は誰一人いやしませんよ。俺が言うのは、娑婆ですよ」

「内地か……。そうたいの、オイもお前も、みんな無事に帰りたかもんたい」

 と、返して、すぐに言い足した。

「いや、どげんこつでんしてでも、わしらはみんな生きて()()へ帰らにゃならん。こげん馬鹿ごつ戦で、命ン棒ば振っちゃつまらんけんの」

 男たちを乗せたトラックは、どこまでもつづく黒い地肌の大地を、いつ停まってもおかしくない咳きこみをしながら走りつづけた。

 この時季の北満の大地は乾いている。褐色の砂塵を後方へ捲き上げて走るトラックは、平坦な曠野を暫く走ると、やがて大海の波のように幾重にも隆起した丘陵に差しかかり、トラックは、その重なり合ううねりの底を、身を隠すように進んだ。

 運転台の屋根に据えられた機関銃の傍に立って、唖のように黙っていた一見インテリ風の上等兵が、

「軍曹殿、ぼつぼつ身を低くしてください」

と、突然、呶鳴るように口を開いた。

「そっちのお前たちもだぞ! でれーっと首を伸ばして暢気に景色なんか眺めてると、向こうの丘から銃弾で頭をぶっ飛ばされるぞ!」

 上等兵の声に愕いた荷台の男たちは、一斉に亀のように首をすぼめた。

 寿は、機関銃を握っている上等兵の傍に寄って訊いた。

「どげしたとや?」

 訊かれた上等兵は、寿の真新しい襟章に、寿を幹部候補の座金の取れたばかりの乙幹と早とちりしたようであった。幹候ならば、年次はせいぜい二年である。

 上等兵は、少しぞんざいな口調で顎をしゃくった。

「あれですよ。満人のゲリラがね、俺たちの行動を監視してやがるんです」

 その方角を視ると、遠くの小高い丘に、細い煙が立っていて、一キロほどの先には、それに答えるように煙が上がっていた。野火や野焼きにしては、おかしかった。眺める限りでは、この一帯には、そのようなものを発生させる雑草の類いは見当たらないのである。煙の間隔も、一定の距離を保っている。だとすると、それは一つしかない。

「ありゃのろしか?」

 と、寿が訊いた。

「そうです。原始的伝達法ですがね、あれほど正確なものはありませんよ」

「赤とか、青とかの信号弾やなかとか?」

 上等兵は、片手を振って笑った。

「昼間は、そんなもの使いません」

「なしてじゃ?」

「白昼だと、色の識別が困難なんです。信号弾が上がるのは、夜間だけです」

「それなら、あの煙ば辿りゃ、連中を簡単に捕捉できるんやなかね?」

「駄目ですよ。煙はあれっきり、あの場所で終わりです。次に上がるときは、まったく別の方角から上がります。それに、あれが上がったときには、奴らは、もうそこにはいません。蛻の殻です」

 上等兵は、寿を経験の浅い男と読んだらしい。寿は、上等兵の嘲たような口調でそう感じたが、それには敢えてこだわらずに無視した。年次だけは重ねているが、前線勤務の経験が乏しいのは事実だからである。

「軍曹殿、頭を低くしてください。奴ら、必中限界を超えた遠くからでも、平気で射ってきます。中っても、よもや死ぬようなことはありませんがね、ケチ臭い流れ弾に中って怪我をしてはつまらない」

 上等兵が、機関銃の遊底を引くと、寿も銃嚢から拳銃を抜いて安全子を外した。

 それを上等兵が冷ややかに笑った。

「応戦しても無駄ですよ、軍曹殿。無駄弾になるだけです。それより身を跼めてください。そのほうが安全です」

 この辺りの地形は、高い山は殆どなく、草木さえ生えない、波のうねりのような丘が連なる丘陵地帯である。その幾つかの丘陵を抜けようとしたとき、上等兵の言ったとおり、小銃の必中限界を超えた丘の向うから銃撃を受けた。

 銃弾の幾つかが、トラックの車体にコツコツと撥ねた。車体にある夥しい弾痕は、このためのものであった。

「敵さんのお出迎えだ。たまには応えてやるか」

 機関銃が(ごう)(ぜん)と火を噴いた。射程距離においては小銃の比ではない。遠くの目標物に機銃弾の烈しい土柱が上がると、銃声はピタリと()んだ。

「もう安全ですよ、班長殿」

 と、寿に声をかけて、それから荷台を見廻して言った。

「負傷をした者はおらんか!」

 と、まるで指揮官のような口調で叫んだ上等兵に、男たち全員が顔を振った。

 機関銃の安全子を閉じた上等兵は、

「この程度のことはね、まだ子供の火遊び程度ですよ」

 と、歯並びのいい白い歯を見せた。

 この上等兵の落ち着いた態度に、どことなく年次の風貌が色濃く滲み出ているのは、それだけ軍隊の飯を長く食っている証拠でもあった。

「まァ坐らんね」

 と、寿は席を空けて、隠しから煙草を取出して上等兵にもすすめた。

 上等兵は、軽い会釈をして、寿の横に腰を下ろした。

「オイは川尻ゆうもんやが、おまんの名は?」

「私は美祢です」

「ここァ長かとか?」

「関東軍を六年も盥廻しされていましてね、長いと言えば、ま、ここがいちばん長いです」

 美祢と名乗った上等兵は、流れ行く見慣れた景色に視線を巡らせて、寿に顔を向けた。

「中隊ではお眼にかかった記憶がありませんが、いつこちらへ?」

「今朝たい」

「て、ことは、軍曹殿は幹候ですか?」

 と、そう念を入れたのは、もし幹候でなければ、これは年次の古い叩き上げの兵隊だから、迂闊な態度は禁物と考え直したのである。

「いや、予備たい」

 それを聞いて、美祢は、急に態度を改めた。

「そうでありましたか。失礼しました。……て、ことは、遜河の分哨から交代要員が来ることは聞いていましたが、軍曹殿の分隊がこっちへ廻されたってわけですね」

 うなずいた寿は、まず気になっていることを訊いた。

「准尉が言うとったばってんが、開拓民にかなりの被害が出とるそうなが、状況はどげな? 悪かとな?」

「悪いのなんのって……」

 美祢は、どうしようもないと言う風に、こうべを横に振った。

「ひどいもんですよ」

「どげん状況ね?」

「現地で、ご自分の眼で確かめればわかることですがね、奴らは野蛮人以上の鬼畜ですよ。なまじ半端な智力を備えているだけに、始末が悪い」

 美祢は、重苦しい吐息を吐いた。

「最初のうちはね。奴ら、食糧調達に、警備の手薄な畑を荒らし廻る程度だったんですが、開拓民の壮齢男子が根刮ぎ徴兵されて開拓民が無防備になったことから、集落への侵入が容易になったのと、軍隊や官憲の姿が遠退いたことから、今度は大っぴらに民家を襲うようになりましてね、開拓民の家を片っ端から襲って、金品掠奪や強姦を働きはじめたんです」

「卑劣な連中じゃの!」

 寿の顔が険しくなった。

「そげな状態になるまで、なんで開拓民の保護ばせなんだとや? 四家屯の中隊で駄目なら、遜河近郊には、第二十三師団隷下の大隊が駐留しとるはずたい。その応援を乞えばよかろうもんがくさ」

「遜河の部隊が、開拓団のことなんかで動くもんですか。開拓団の訴えで、満警と憲兵隊が渋々動いたんです」

「それで?」

「出動したその日に、まず満警が潰され、次には憲兵隊がやられました」

「……満警や憲兵隊でも歯が立たねえんじゃ、こりゃかなり()(ごわ)そうだな」

 と、匪賊の実態をなにも知らない有働がボソリと言った。

 美祢は、一等兵の襟章に眼を細めたが、相手がふてぶてしい面構えだけに、これも相手の年次を誤認したようである。四年も五年も経っていながら、一度も進級対象とならない兵隊もいるからである。

「それだけじゃないよ」

 と、美祢は返した。

「俺たち戦闘部隊が動いたことでな、奴らはますます過激になりやがった。それで警備隊の屯営を設営したんだが、さっぱり、いかん」

 美祢は、重い頭を横に振った。

「だったらよ、奴らの根城がわかってるんだったら、そこを()(こそ)ぎ叩き潰せば事は簡単じゃねえのか。ねえ班長殿」

「駄目だよ」

 と、美祢は言下に否定した。

「高々一個小隊程度の兵力でだぞ、何百人もの匪賊と山中で渡り合ってみろ、泣きを見るのは俺たちだ。懐の深い山中ではお前、奴らのゲリラ戦法が俺たちより数段優っているんだ。(がん)(くび)揃えてゾロゾロ繰り出せば、ここまでおいでをやられて、奴らはさらに奥地へ潜む。そうして、奥地へ進んでいるうちに、一人づつ片づけられて最後には全滅だ。奴らを一網打尽にするには、奴らの拠点周辺を空からの焼夷作戦で掃討するしかテがない」

「しょうい作戦って、なんですか?」

 と、有働が寿の顔を覗きこんで、眼をパチパチと瞬いた。

「空からガソリン弾をばら撒いて、山全体を焼き払うゆうことたい」

 寿がそう答えると、有働は、あァ、と、呟いて眼をパチパチさせた。

「でも、空からって言うけどさ班長殿、飛行機はあるんですかね? 俺ァ長えこと軍隊にいるが、飛行機なんてものが空を飛んでるのをいっぺんも見た憶えがありませんよ」

 と、首をかしげると、嘲笑した美祢が、

「友軍の飛行機なんてものはな、この北の涯てのどこを探しても見つかりはせんよ。仮にあるとしてもだ、そんなことに使う余裕があるもんか!」

 吐き捨てるように言って寿に暗い顔を向けた。

「これはあとで知ったことですがね、つまり、いまの屯営が設営される前の話です」

 と、前置きして、

「真夜中に、開拓民の父親と、その娘が襲われましてね。その親子というのは、妻に先立たれた(ろう)()と、老父の娘夫婦の三人暮らしだったんですが、娘の亭主が軍隊に取られてからは二人暮らしで、娘は、老いた父を養うために、開拓団では勤労したそうです。その父と娘が匪賊に襲われたんです。父親は、匪賊に犯されそうになった娘を護ろうとして、逆に蛮刀で頸を刎ねられ、複数の匪賊に陵辱された娘は、素っ裸にされて、腹部を幾重にも切り刻まれて、屯営正面の、そうですね、屯営から百四五十メートルばかり南に丘があるんですが、その丘の白樺の木に頸を吊らされて、その娘の額には、犯行声明文らしきビラが釘で打ちこまれていたそうです」

「犯した上に腹ば引き裂いて、その上に、頭に釘までも打ちこんだとや!」

「それぐらいは平気でやる連中なんです」

 寿は、鞭で背中を打たれたような衝撃を覚えた。

「で、それには、なんて書いてあったとや?」

「私は、そのときは、糧秣受領で兵站部へ行っていてその場にいませんでしたし、兵隊仲間から聞いた話ですから詳しい内容までは知りませんが、簡単に説明すると、小隊長は全員を集めて、ビラを一度だけ読み上げたあと、こう訓示したそうです。()()たる開拓民の婦女子を襲うこれら(ばん)(ぞく)は、我々優越民族である日本人、すなわち、関東軍七十万の軍隊を()(ろう)する敵性分子である。このような抗日分子は断じて許すことはできない。我が同胞民族に刃を向ける族は、我が関東軍の武力をもって思い知らせ、徹底的に処断、(せん)(めつ)させるまでである。したがってこのような蛮族は、たとえおんな子供と雖も、我が満州国領土に一秒たりともとどめ置くことを許さない。これは同胞民族が蒙った無念の泪の報復である。抗日分子とおぼしき満人はすべて撃滅せよ。そう言って、その場で、火縄式のライターでビラを焼き棄てたそうです。目的が反満抗日分子の討伐だから、日本人開拓民の父親と娘がなぜ惨殺されたかという理由など、兵に説いて聞かせる必要はなかったんです。単に満人を憎む意識さえ兵隊に植えつければ、それで充分と考えたんですね。だから、ビラそのものの内容に関しては、誰も関心を持ちません」

 美祢のこの話には、多少とも個人的感情が含まれているようであったが、これを聞いているうちに、寿は、動員で到着した際に、鉄路の路肩で待機していた一等兵が匪賊の話をしたことを想い出していた。

 その一等兵はこう言ったのだ。

 討伐を繰り返しても、あとにつづく匪賊は絶えることなく、「イタチごっこだった」と言い、「匪賊、抗日ゲリラ、ロスケのスパイに爆弾テロ、なんでもござれだ」と、そうも言って、「女も子供も容赦なしに手当たり次第に強姦されて、あとは蛮刀で斬首された」と、そう言って唇を歪めたのだ。

 その現実が、いま自分の身辺に及ぼうとしていることに、寿は、陰湿な因縁に導かれているという、言い知れぬ不気味な戦慄を覚えざるを得なかった。

 匪賊の被害が、こんな辺鄙な国境線にまで拡大して、それも残忍性を極めている。その鬼畜ともいえる残虐な行為は、寿の想像を遙かに超えるものであった。同じことが、いや、それ以上の残虐な殺戮行為が、陸つづきの新京郊外で、それも関東軍の特殊部隊の手によって秘密裏に実行されていることなどは、寿には知る由もないことであった。

「甘かったんですよ、すべての判断が」

 と、美祢は言った。

「我々戦闘部隊が動けば、匪賊なんか簡単に討伐できると踏んだのが誤りでした。我々が動いたことで、奴らの反日感情を逆に煽ったのは事実ですからね。そのときはね、まだ我々の屯営がなかったから、隊長は、兵隊が集落の女へ関心を持つのを怖れて、集落の塀の外へ天幕を張るよう命じたんです。それがそもそもの過ちでした。入口正面に立哨二名、集落内に動哨二名の四名が一時間交代で監視していたんですが、それが、深夜動哨中の二名が声を出す暇もなく匪賊に首を掻かれました。女の悲鳴が聞こえて駈けつけたときには、既に娘の姿は消えていて、父親は蛮刀で首を刎ねられていたんです。隊長は附近をくまなく捜索させたらしいんですが、その晩は娘は見つからずじまいで、翌朝、動哨が発見したときの状況は、さっき話したとおりです」

「それほどひどか状況やのに、中隊は、なんで開拓民の避難を考えんかったんかの」

「それなんですよ、問題は……」

 言いかけて、美祢は、急に声を曇らせた。喋りたいことは山ほどあるが、しかし、これ以上喋るのは危険であった。この軍曹は、一見話のわかりそうな男に見えるが、こういう手合いは、いつ掌を返すかわからない。美祢は、その辛酸を厭というほどなめている。

 急に口を噤んだ美祢に、寿の怪訝な顔が向けられた。

「どげした?」

 美祢は顔を上げた。

「なにを言っても構いませんか、軍曹殿」

「あァよかたい。なにを言おうとおんしの自由たい」

 と、答えると、背嚢を背凭れにして足を伸ばしていた有働が気安く口を入れた。

「遠慮なんか要らねえよ。なにを喋っても、眼ン玉を尖らせるような班長殿じゃねえよ、この班長殿はな。そこらの下士官連中とは質がちがうんだ、俺が保証するよ」

 これで美祢の気持ちが柔らいだ。部下が気軽に振舞うくらいだから、この軍曹は、存外物分かりのいい下士官なのかも知れない。

 美祢は、流れる景色に眼を配ってから、語りはじめた。

「これはね、軍曹殿、討伐が開始された当初のことです。自分はね、時間をかければ、それだけ犠牲が増えるだけだから、開拓民の避難をいまのうちに考慮したほうがいいのではないかと、これは私とは同年兵で、前の部隊でも一緒だった伍長ですが、その彼に言ったんです。そいつはね、俺も同感だから、これは上等兵のお前の意見としてではなく、下士官の俺一個人の意見として、まず准尉に具申してみようと快諾してくれたんです。そのときは、同年兵の下士官がいてくれてよかったとそう思いました。でもね、私も軽率だったですよ。同年兵だからと、下士官なんかに気を許した自分の考えそのものが甘かった……」

 そこまで言って、言い過ぎたと気づいた美祢が、慌てて言い足した。

「あ、気を悪くなさらないでください。これは特定人物を指してのことですから」

「かまわんよ……それで?」

 と、促したそこへ、突然、大きな音を立てて荷台が跳ねた。タイヤが窪みに落ちたか、石かなにかを踏んだのだ。

「な、なんだ。また匪賊の襲撃か!」

 と、有働が、愕いて大きな眼玉を剝いた。

「道が悪いんだよ。そんな暢気な格好で寝ていると、首の骨を痛めるぜ」

 美祢が注意して、つづけた。

「あれは中隊へ弾薬補給に帰ったときでした。その折、班長殿ももうご存じの、あの(くず)(はら)准尉に事務室へ呼ばれましてね。准尉は、それから私を隊長室に連れて行って、そこで開拓民の避難のことを訊かれました。私は、班長の意見具申が通って、てっきり中隊が動くものと解釈したんです。ところがね、それはとんでもない間違いでしたよ。喋りはじめた途端に、隊長の面前でいきなり准尉にブン殴られました……」

 美祢は、そのときの状況を蘇らせて唇を噛んだ。准尉は、開拓民よりも、兵隊が下士官を煽って中隊を動かそうとしたことを重視し、激怒してこう罵倒したのである。

「開拓民を中隊で保護しろだと! 兵隊の分際で貴様、自惚れも大概にしろ、馬鹿者が! それでなくとも、こっちは兵力を縮小させて迷惑を蒙っておるのだ。その上、我が部隊の貴重な物資を()いてまで、開拓民を保護する義務がどこにあるというのか! 我々の任務はどういうものかは、お前も重々承知のはずだ! それを勝手な思いつきで下士官を使()(そう)するとは言語道断だ。貴様、いつからそんな権限を持った!」

 准尉は、板のような平手を何十発も与えたあとで、息を弾ませて、なおもこう言った。

「吉田とお前は確かに同期だ。前の部隊でも(じつ)(こん)だったことも聞いておる。だがな、だからと言って、兵隊が下士官を動かす権限がどこにある。お前は前の部隊でも問題を起こしている。そんな奴の言葉など誰が聞くか。吉田も言っておる。お前の判断は往々として独善的思考を含んでいるから問題を起こすのだとな。ま、個人的な感情はどうでもいい。お前が思慮深くて、実直な兵隊であることは俺も隊長殿も知っている。だが俺が問題にしているのはそんなことではない。問題なのは、兵隊が上官を揺動して部隊の秩序を攪乱しようとしたことだ」

「私は揺動した憶えも、部隊の秩序を攪乱しようとした考えも持ちません。吉田班長がどのようなことを言ったかは知りませんが、もしそう言ったのであれば、私は吉田班長に撤回を要求します」

 美祢は歪になった唇を慄わせて反駁した。

「撤回を要求するだと?」

 准尉の片頬がヒクリと攣った。

「このぼけなすが! その考えが間違っておるのだ!」

 と、美祢の腫れ上がった頬に強烈な打撃を浴びせた。

 美祢は、壁に手をついてかろうじて転倒を防いだが、准尉には、それが気に入らなかったようである。凄味を帯びた眼を血走らせて、美祢の襟を鷲掴んで、今度は平手の往復ビンタを張った。

 二十発ほども放ったあたりで手を止めた。

「前の部隊でなら、なるほど吉田もお前の同僚として同じ立場で聞いたかもしれん。だがいまはそうではないぞ」

「それは充分承知しております。ですが、開拓民の保護は重大な優先事項と考えましたから、敢えて吉田に相談したのであります」

「軍の方針を兵隊のお前が考える必要はない。お前は黙って命令に従っておればそれでいいのだ」

「そうでありますか。私は軍の方針云(うん)々(ぬん)を批判した覚えはありませんが、准尉殿の耳にそう聞こえたとすれば、それは准尉殿の曲解であります」

「曲解だと!」

 歯を剝いた准尉は、美祢の襟を引いて突き飛ばした。

「お前は、開拓民のために部隊の営舎を開放するよう隊長殿に具申しろと、吉田に強要したそうだな」

「強要ではありません、准尉殿、意見の提案であります。開拓民を保護するには、いま空いている兵舎の一棟を避難所として使用すれば事は足りる。それをした上で、安全な後方へ移送するなり、元の開拓団へ戻すなりすれば、少なくとも被害は最小限度にとどめることができる。それを具申してみてはどうかと相談しただけです」

 美祢が声を震わせて返答すると、准尉が眼を尖らせて歯を剥いた。

「ですとはなんだ、ですとは! 隊長殿の前だから手加減して聞いておれば貴様、増長しおって。それが上官に対する態度か! 六年兵と雖も容赦はせんぞ!」

 と、鉄拳を美祢の頬桁に放って、

「よく聞けよ、美祢。我が部隊には一兵一物たりとも余剰などありはせんのだ。それを貴様、上官をたぶらかして部隊の指揮系統を撹乱するとはふてえ野郎だ! この大馬鹿者めが!」

 と、怒声とともに意味不明の言語を連発して、准尉は、まったく疲れを知らないかのような機械的な往復ビンタを放った。

 美祢の顔は一打ごとに顔が歪み、瞼が切れ、鼻から血が噴き出した。

 隊長は、それを制めもせずに、含み笑いを浮かべながら傍観していた。

 准尉は、ビンタを張りながら怒声を浴びせつづけた。

「六年兵の古参兵であろうと下士官であろうと、隊長殿は貴様らの意志では動かんのだ! このぼけなすめが!」

 と、最後に美祢を軽々と背負い投げて、強烈なとどめを刺した。

 床に叩きつけられた美祢は、低い呻き声を洩らして意識を失ってしまった。

 初対面の下士官を前に、美祢は、顔が歪むほど殴りつけた准尉の顔と、それをうすら笑って傍観した隊長と、自分の点数しか考えない吉田伍長と、もう一人、これだけはどうしても忘れられない別の下士官を想い起こして、憎悪の炎を燃やしていた。

「……軍隊ってとこは、なにごとも将校の身勝手な言動で動く組織だってことを、私は忘れていましたよ……」

 これは寿も同感であった。将校の()()にまかせた暴力行為に、自分も苦い経験をしているからである。

 うなずいた寿に、美祢はつづけた。

「これがね、軍曹殿、隊内で上官に対する誹謗や中傷が暴露されたのなら、これは准尉の言うことはもっともですよ。そいつはいかなる処罰を受けても文句は言えません。でもね、軍曹殿、事は民間人の、それも非戦闘員のおんな子供の生命のかかわる重大事なんです。貴重な兵力を割いてまで監視哨を設営する資材と時間があるのなら、おんな子供をより安全な兵舎に避難させるほうが、中隊としてもずっと合理的なはずです。そうすれば、匪賊だって手の出しようがないし、こっちも兵力を無駄に損耗する必要もないんです。単純な算術ですよ。そうでしょ。そう思いませんか、軍曹殿」

 寿は幾つもうなずいていた。

 美祢は、そのうなずきに言葉が調子づいた。

「そりゃ中隊の任務は重要ですよ。でもね、それ以上に重要なのは、危険な場所であることが判明した以上は、非戦闘員は速やかに安全な場所へ避難させることなんです。それをやったあとで事実関係を調査するなり、匪賊討伐を大々的にやるなりすればいいんです。いまの現状だと、それこそ、無意味な犠牲者を増やすだけです。いまならまだ間に合う。我々の中隊に開拓民を保護する能力がないのなら、連隊か後方の司令部へ強引に移送して保護させればいいんです。それでも駄目なら、孫呉の行政機関に命じて内地送還をやればいい。それで解決するんです。それなのに、そんな重大なことなどまるで他人事だ。中隊長も准尉も、その典型ですよ。自分たちの点数ばかり気にして、開拓民のおんな子供の生命や安全なんか、蟻の脳味噌ほども考えちゃいないんですからね」

 流れる景色に眼を移して、美祢は、口惜しさのなかで顔を横に振った。

「まったく、くだらんですよ」

 美祢は、殆ど喫わずに短くなった煙草を、軍靴のかかとで揉み消して、

「これは、どの程度まで事実かわかりませんがね。つまりさっきの話の補足です」

 と、つづけた。

「開拓団の女の一人がね、ある日、我々の中隊に救助を求めて駈けこんで来たんです。隊長は、理由もろくに聞かずに、准尉に命じて、その女を無慈悲に追い返したそうです。女は、その足で遜河の部隊へ走ったそうですが、その部隊では、衛兵がね、女を満人の乞食と間違えて、まるで野良犬を追い立てるようにして門前払いしたそうです。女は最後の恃みと、孫呉の師団司令部に足を向けた。根性のある女ですよ。国境線の部隊や連隊では話にならんと、それこそ命懸けで、藁をも掴む思いで師団司令部の門をくぐったんでしょうね。師団司令部では、さすがに女を追い返えすことを憚って話を聞いてやったそうです。女が、そこでどんな話をしたか実際のところは不明ですが、結局、司令部は師団長の体面を汚されるのを恐れたかして、女の要求を呑んで、それで、いまの屯営を設営するように、麾下の連隊に下令した、と、まァこういうことらしいです」

 寿は、美祢の話に、口を挿まず黙って聞いていた。

「お蔭で私はね、殴られたあの日以後、中隊と屯営間の輸送兵の護衛役として、それも下番なしの連続上番、この荷台で飯を食い、雨以外はこの荷台が私の寝床になりましたよ。つまり、二十四時間トラックの御守役ってわけです」

「ひでえ仕打ちをしやがるもんだな」

 と、有働の眼玉が、ギョロリと美祢に向けられた。

「まるで一寸試しの五分試しってやつだ」

 言葉を吐いて、有働は煙草を投げ捨てた。

「どういう意味だ、それは?」

 と、美祢が訊き返した。

「俺たちの娑婆の世界じゃそいつがくたばるまで、じわじわとなぶり殺しにするってことだよ」

 美祢は有働に怪訝な顔を向けた。

「お前、地方じゃなにやっていたんだ?」

「俺かい? ……俺は……つまり……その、外廻りの商売さ。祭りがあると、大人も子供も屋台に集まって喜んでくれたもんだ。いい稼ぎになったぜ。一度やったらやめられねえ商売さ」

「そりゃお前、早い話がテキ屋ってことだろ?」

 有働は眼尻を弛めた。

「ま、そうとも言うがね」

 と、声を上げて笑ってから真顔になった。

「そんなことよりよ、その司令部に行った女だけど、大した度胸じゃねえか。つまり、その女の命懸けの努力が、結局は実を結んだってわけだろ。その女、さぞかしいい女なんだろうな。早く顔が見てえや」

 だらしなく笑って唇をなめた。

 それを視て、美祢は冷たく笑った。

「そうだとおめでたい話だがな。その女の努力はな、残念ながら不幸な結果に終わったよ。女は腹を引き裂かれて、無残な姿を木に吊されたからな」

「ゲッ、殺られたのは、その女だったってことか?」

 有働が驚愕の声を発したのと、トラックがまた跳ねたのとが同時であった。

「まったく、ひでえ道だな」

 と、尻をさすりながら有働がぼやいたのを横眼に、寿が不可思議な顔をして言った。

「それにしても腑に落ちんばい。おなごをやるにしてもぞ、奴らはおなごの存在も行動も知らんはずやろね? それが、なんで殺されたとや?」

「詳しくは知りませんが、殺される理由が別にあったようなんです。どうやら阿片に関係があったようでね」

「おなごが、か?」

「いえ女じゃありません。阿片に関係したのは、開拓民の男たちです。つまり、その男たちは阿片に直接かかわったわけじゃなく災難だったわけですが、かいつまんで話すと、こうです。ある日、五人の開拓民の男たちが満人部落に出向いた際のことです。部落に出向いたのは、雇っている満人の男たちが二日経ってもやって来ないのを訝って、事情を確かめるために出向いたそうなんですが、そこで、偶然、入口の納屋にケシの種子が(マー)(タイ)(日本で言うドンゴロスで織った粗布袋)に詰められて荷車に積まれているのを一人が見つけて、なかを検めているところを匪賊に発見されましてね、慌てて逃げる途中に四人が射殺されて、一人はどうにか逃げ帰ったものの、顔を知られているから、見つかるのも時間の問題でした。逃げ帰った男の家は、その夜に襲われ、男は、その場の命乞いに、司令部に注進した女の話をしたんです」

 有働が唸った。

「……それで、()られちまったのか」

「いや、そのときは運がよかった。殺られたのは男の一家のほうで、女の悲鳴で立哨兵が動いたから、奴らは、女をそのままにして慌てて逃げたんだ。父親と娘が殺されたのは、二日後の夜中ってことだ」

「話がややこしくなってきた」

 有働が頭鉢を振って呟いた。

「それで、そのあとはどげなったとや?」

 と、寿が訊いた。

「連隊から兵器の補充がありましてね、今日も積んでいますが、軍曹殿と私が腰をかけているこの箱です。照明弾ですよ。お蔭でね、我々の装備が充実したことと、夜間警備に重点を置いたことで、奴らは夜陰にまぎれて遠くから嫌がらせ程度に仕掛けて来ますが、機関銃の必中限界以内には近づきません。そんなわけで、前よりはおとなしくなって日中は比較的安全です。と、そうは言っても、少しでも気を緩めようものならすぐに出て来るんで、まったく気が抜けません。我々を遠眼で監視しているんです」

 寿は、肚の底から唸った。准尉の言ったことは、まるきりでたらめではなかったが、これほどまでとは思ってはいなかったのだ。

「ところで、その屯営の指揮官は?」

「最初は座金の見習士官が隊長だったんですがね、いまは軍曹殿が引き継いでいます」

「下士官が小隊ば指揮しとるとか?」

「そうです。いまの隊長も気合いの入った軍曹殿ですが、前任の指揮官は、これがそれ以上に気合いのかかった見習士官でしてね。少尉任官までに手柄の一つでも挙げたかったんでしょうが、意気込んだのが命取りになりました。奴らを百姓の成れの果てとなめたのがいけなかったんです。気勢を上げて出て行ったはいいが、真っ先に頭蓋骨をぶっ飛ばされて、小隊の三分の二を失いました」

「兵力の補充……」

 と、言いかけたが、いまの自分の立場に気づいて、慌てて言い直した。

「中隊には、ほかにも将校がおるのに、動かんのか?」

「あんなとこ、あの軍曹殿以外好んで行きたがる奴なんていませんよ、軍曹殿みずから、指揮を買って出たんです」

「昇進でも狙うたとか?」

「それもあるんでしょうが、中隊へ戻りたくない理由でもあるんじゃないですかね……」

 美祢はとぼけて、話をぼかした。

「でもね、それも今日までですよ。後任の軍曹殿が来てくれたお蔭で、我々の任務もこれで解任となりますからね」

 美祢上等兵が起ち上がった。

「班長殿、ぼつぼつです。次の白樺の疎林を抜けた丘の向うが、我々開拓団の屯営です」

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