追憶の水曜日
黒ずんだレンガの壁にはさまれた重い扉を押しながら、葵はためいきをついた。
昨日の学校での待ち伏せに耐えかねた葵は「明日も迎えに行くよ?」という既望の言葉を全力で拒否した。
からかいまじりの押し問答の末、結局件の喫茶店で待ち合わせることに落ち着いたのだ。
一応は自分の要求が通ったはずなのに何故だか丸め込まれているような気がぬぐえない。
先についていた既望は、葵が席に着くなり尋ねる。
「どんな人だったんだい、佐野さんの彼って」
憮然とした顔の葵を気にすることもない。
……どんな。
記憶の中の少年の面影を探る。
ただ空の特徴をあげるだけなら何も難しくはない。
だってあいつは。
「目立つ奴だった」
葵が迷惑がるくらいに。よくも悪くも噂になった。
「綺麗な顔をしてた。色が白くて。髪も目も茶色くて日本人離れしてた」
整った顔立ちと人懐っこい笑顔で一部の女子には熱狂的な人気があった。
「体が弱かった。色素欠乏ってわけじゃないけど日光に弱いみたいだった。線がほそくて、貧血で倒れたりして」
休みも多く、外の体育はほとんどサボりで一部の男子からは反感を買っていた。
「でも性格は図太かった。調子がよくていつもへらへら笑ってた。人を煙に巻くのがうまかった。腹が立つくらい」
からかう奴らを逆手に取って笑いのネタにしたりして。聞いている葵がひやりとすることも少なくなかった。
たぶん、敵も味方もどちらも多かったんだろう。
それだけ人の目も気も強く引く奴だった。
既望はただ黙って聞いている。
相手の反応がないまま言葉を連ねていくと、だんだん独り言めいてきて葵は口をつぐんだ。
空の特徴をあげるだけなら簡単だ。
きれいで病弱でお調子者。
それは確かにあいつを説明する言葉に違いない。
だけど。
きれいで病弱でお調子者。
たぶんそういう人は他にいくらでもいるんだろう。
だからそれは空そのものを表す言葉にはならない。
違う。そうじゃない。それだけじゃない。
うまく説明できない。
そもそも葵は説明できるほど空のことを知っていると言えるのか。
その本心がわからなくて自分をも投げやろうとしているのに?
「……彼は果報者だな」
静かなつぶやきに葵は顔を上げた。
からかうなら絶好の機会だろうに、いつもの人を食った笑みはそこにない。
妙にやわらかい眼差しに葵は苛立った。
「嫌いなやつに色々言われて何が果報なの」
簡単に言うな。まるで安い慰めみたいな。
「ああ、そういうことになってたんだったか」
「そういうことって」
「嫌いだって、本人に言われたのかい?」
葵は虚を突かれて既望を見た。
「わかっているのは、さけられたってことだけだろう。どうしてさけたのかはわからない。確かに嫌われたとするのが順当な考えだけど、実際のところは不明だ。彼が死んでそれを確かめる術がない」
だから、確かめられないからその順当な考えを飲み込もうとしているんじゃないか。
葵の反論を制して既望は続ける。
「彼は死んで、とりあえず君は生きてる。事実はわからないなら、自分の望むように考えてもいいんじゃないかな」
真顔で葵の目を見る。
「佐野さんは、彼に嫌われていたんだと思いたい?」
思いたいのかと聞かれれば、思うより他がないから。
なのに、既望の言葉は葵の思考にたやすく風穴をあける。
どう考えようともどう解釈しようとも自由だと?
だがそれは、あまりにも。
「都合が、よすぎる」
「駄目?」
笑い含みに聞かれても葵には答えようがない。
「小説なんか、全部都合のいいもしもの組み合わせだよ」
既望は当たり前のように確証のないもしもを肯定する。
事実でなければ信じられない。
本当かどうか確かめられないと納得できない。
だけど、真相など望むべくもないのに欲しがるのは葵のわがままだというのだろうか。
それぐらいなら都合のいいように解釈して自分自身をなだめすかすべきだと?
「まあだけど、佐野さんがそういう風に片付けられないっていうことこそが彼にとって果報なんだろうな」
考えに沈んだ葵を既望はどこかうらやむように眺めて言った。




