怠惰な火曜日・1
通学電車に揺られながら、葵は窓の外に視線を向けた。
見慣れた景色が見慣れた通りに流れていく。
(もう、この電車にも乗るつもりはなかったんだけどな)
ツキカサキボウと名乗る男との奇妙な出会いから一夜。
朝、目を覚まして真っ先に感じたのは落胆だった。
生きているという事実。
つまりは昨日、失敗したということ。
絶望なんて言葉を使うほど強い感情はなかった。
(別に、死ぬなんていつでもできる)
既望に言った言葉に嘘はない。
ただ、すぐに二度目を起こせないならば、それまで目立つ行動はさけなくてはならない。
これ以上引き止められるようなことは御免だ。
だから、仕方がない。
自分に言い聞かせてもなお、学校に行くのは乗り気がしなかった。
死に損なって改めて登校するというのも馬鹿馬鹿しい。
……それに。
駅からそれて通学路の並木道にさしかかり、葵は息をつめた。
校門が近づき生徒が増えるにつれそれは起こる。
葵がすれ違うと、ふっと周囲の声がやむのだ。
通りすぎ、しばらくして後ろから密やかなざわめきが耳に届く。
(ねぇ、あの子ってさ、)
(そうそう、事故で死んだあの、)
(え、あれが?)
(えー、なんか地味ー)
(でもあれって、フラれてたんでしょ?)
事故の後、数限りなく繰り返されたやりとり。
あいつが目立つ人間だったせいで、葵まで望まずして有名人だ。
しかも、目撃者がいなかったために車にひかれたという以外詳しいことは何もわからず、様々な憶測が飛び交っていた。
葵もまたそれらの声を否定する術を持たない。
何も知らないからだ。
教室のドアをあけるとまた一瞬、音が消える。
クラスメイトは今更噂をたてることもないが、それでも微妙な距離をとっていた。
要はハレモノ扱いだ。背中に少し視線を感じる。
昨日無断で休んだから、それもまた好奇の種になっているのかもしれない。
誰も声はかけない。葵も無言で窓際の席につく。
結局、あのまま既望は去ってしまった。明日も頼むよ、と言いながら何の約束もない。
もちろん連絡先など教えていない。
(どうするつもりなのだのだろう)
もっとも、このまま会わずにすむのならその方が面倒がない。
そう思いながらも葵は妙に気にかかって、一日外を眺めていた。
それとも既望のほうはあの喫茶店で待ち合わせのつもりでいるのだろうか。
授業が終わって帰りの準備をしていると、廊下からやたらと陽気な声が響いた。
「あーおいっ」
無遠慮に高い声と呼ばれた名前に何人かが反応する。
「……杏香」
うめくように葵はつぶやいた。
幼馴染の今井杏香だ。6時限目は体育だったらしくまだジャージを着ている。
クラスメイトの間をぬうように葵の席までやってきた。
教室に入ってくるならあんな大声で呼ばなくてもいいのに。
「何?」
身構えながら聞き返す。
葵は杏香が苦手だった。
人懐っこく、世話好きで顔も広い。おまけに勘も鋭い。
タイプが全く違うのに、何故か昔から葵のことをよくかまった。
あいつが死んで、二年生になってクラスが分かれていい加減離れていくかと思ったが、いまだにちょっかいをかけていく。
確かに人見知りな葵はこれまで杏香に助けられたことも少なくない。
だが、だからこそ今の葵にとっては煙たい人物だった。
杏香は悪戯っぽく笑って葵の耳元に口を寄せる。
「男の人が正門で葵のこと待ってたよ」
「男?」
葵は怪訝そうに首をかしげた。
「つばが広くて黒っぽい帽子に長いコートの若い人。そーさな、27、8くらいの」
(まさか)
顔が急に熱を持つ。それを見て杏香は見事に誤解した。
「やるじゃん。あたしけっこー好みかも」
「そういうのじゃない」
「そお? カオ赤いですよ、葵さん?」
興味津々、と言わんばかりの杏香の目。
葵は鞄をつかんで席を立った。
「……もういい。じゃあね」
無理やり話を打ち切って、杏香の横を足早にすり抜ける。
このまま話していたらどこまで詮索されるかわかったものではない。
「あ、ちょっと葵、ホームルームはー?」
呼び止めたときにはもう駆け出すように教室を出ていた。
「あーあーいいねぇ、モテる人は」
男友達はともかく彼氏のいない杏香は半ば本気でため息をついた。




