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いつか見た空の色・8

回想です。


 その場所に向かうのはいったいどれくらいぶりになるだろう。


 薄暗い階段を上りながら葵はぼんやりと記憶をたどる。

 最後に来たのはたしか、冬休みに入る前。

 三か月ぐらいたつのだろうか。

 もう、というべきか。

 まだ、というべきか。


 久しぶりだという緊張を覚えながら、日々の習慣だったころと同じように体は迷いなくその場所に向かう。


 かつて毎日のように通い詰めていた場所。

 一年のころの教室の真上。

 晴れた日でも日当たりの悪い、だがだからこそあいつが憩うことを許された、あの屋上。


 段を上がる音が嫌に大きく響く。

 葵のほかに人影はなく、生徒たちのざわめきはひどく遠い。


 もともとここにはめったに人が来ない。

 それでなくても今日は二年になって最初の登校日だ。授業のない始業式の日に好き好んで居残る生徒もいないだろう。


 階段を上りきった踊り場の突き当り、屋上へと続く鉄の扉に触れる。


 古い金属の匂い。

 剥げかけた塗装。

 ざらりと指を刺す質感。

 わずらわしいと思っていた感触が奇妙な懐かしさで葵の記憶を揺り起こす。


 いつも。

 指を引っ掻くささくれに顔をしかめながら扉を押し開ければ、あいつは必ず先に来て寝そべって空を見上げていた。

 そして、金属のこすれる音に気付いて体を起こし……、


(あおい、)


 脳裏に響く声に招かれるようにドアノブを回した。

 まるで向こう側で誰かが待っているかのように鉄の扉に体重をかける。


(あおい、)


 だが、わずかに開いた隙間から溢れた雨音が甘い錯覚を掻き消した。


 誰もいない。

 屋上の半分を占める給水タンクが我が物顔で居座っているだけ。

 残された空間はたいして広くもないのに、何故か中身がない箱のようにうつろに見えた。

 がらんどうの空間を埋めるように雨が降る。


 葵は上履きのまま濡れた屋上へ足を踏み出した。

 絶え間なく降る雨を浴びて、制服が色を変えていく。前髪をつたう雫が目に入る。

 だがそんなことはどうでもよかった。



(どうして、いないんだろう。)


 本当はあいつがここにいないことなど知っていた。

 正しくはここに、ではなくどこにも、であるということもだ。


(どうして、いないんだろう。)


 だってついさっき担任が言っていたじゃないか。

 始業式が終わって、新しい教室で。ホームルームの最後に、滑稽なまで神妙な顔をして。


(どうして、いないんだろう。)


『後藤空君が春休みに交通事故で亡くなりました』 と。


(どうして、いないんだろう?)




 疑問は答えを拒絶して溢れていく。


 知っているのだ。

 知っているのに。

 知っていてもなお、


 呼吸が苦しい。

 溢れた疑問に溺れそうだ。


 いっそこの雨がひたすらに強い酸性雨ならいいのに。

 この身体をどろどろに溶かしてしまえばいい。

 意識も記憶も感情も、跡形もなく洗い流してくれたなら。


 だが、水気を含んだ制服は張り付いて、体の在処を葵にまざまざと突きつける。

 頭も体も重かった。


 葵は薄く水の張った地面に腰を下ろした。

 そのまま後ろに体を倒し、仰向けに横になる。

 いつもあいつがそうしていたように。


 上を見れば目に飛び込んでくる灰色の空。

 雨粒が目に入って視界を揺らす。


 全部、あの灰色に溶けてしまえばいい。

 逃避にもならない願いを抱えて葵は瞼を閉じた。



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