落下する土曜日・5
既望はふっと息を吐くように笑った。
何故だか穏やかな、奇妙に満ち足りた笑み。
状況に似あわない表情に葵は眉をひそめる。
「何が、」
おかしいの、と言いかけた言葉はしかし声にならなかった。
既望がいきなり葵の体をくるりと反転させ、今度は後ろから肩を抱いたからだ。
そのまましゃがみこもうとするから、つられて葵も倒れるように腰を下ろすことになる。
「ちょっと」
抗議の声もお構いなしに、既望は葵の体を易々と抱えこんで足の間に座らせた。
また逃げ出すといけないからね、とからかいまじりにささやかれて葵は内心で舌打ちする。まるで犬猫扱いだ。
既望はわずかに身じろぎして体勢を落ちつけると、さて、とあらためて切り出した。
「佐野さんは、彼に嫌われていたと思っているんだったね?」
確かに以前そんな話もした。
それがいったい今何の関係があるのだろう。
訝しく思いながらも葵は頷いた。
「それなら、彼が佐野さんについてどう思っていたのかは明らかなんじゃないのかい」
あっさりと言ってのけた既望に葵は目を見開いた。
きわめて単純かつ真っ当な結論。
葵もだから、これまでそうだと思おうとしてきた。
だが、既望の口からそれを聞くとは思っていなかった。
(だってこの人は、)
葵の考えを覆すためにここに来たのではなかったのか?
黙ったままの葵に、後ろから新たな質問が降る。
「嫌われていたと思う、その根拠は?」
おそらく葵が答えやすいように問いかけを変えたのだろう。
どこかで安堵する一方で、うまく乗せられた気になるのが忌々しい。
「さけられてたから」
そっけなく葵は返した。
これも前に言ったはずだ。電話もメールも音沙汰なし。
クラスメイトの手前、無視こそしなかったが徹底的に距離を置かれた。
他には、と問われて葵は口をつぐむ。
まだ足りないというのか。
「名前を、呼ばなくなった」
別れて以降、呼ぶのは必ず苗字になった。
それすらも使うことのないよう巧く状況を避けていたように思う。
「じゃあ、嫌われてたと思いきれない理由は?」
続く質問に葵はまた不意を突かれた。
(思いきれない理由……?)
そんなこと、考えたこともなかった
別れてからずっと、嫌われているのだと思い込んでいたのだから。
もっとも、確かに違和感は常にあった。
接点がなくなった後もなんとなく身近に感じてしまう錯覚。
だが、それを自覚するたびに自分の中の執着をつきつけられるようで気が滅入った。
だってそれは単に都合のいい自惚れだろう。
あくまで虫のいい願望に過ぎない。
(だから理由なんか何も、)
ない、と言いかけて、葵はふと顔を上げた。
「……ネックレス」
一つだけあった。
嫌われていたと、思いきれない理由。
明らかな、違和感の原因。
「ずっとつけてた」
そう、ずっと。
葵の知る限り毎日だ。
襟元からのぞく、白い首筋と銀の鎖。
たとえ鎖の先の十字架が見えなくても。
そのコントラストだけで葵を揺さぶるには十分だった……。




