表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/27

いつか見た空の色・7

回想です。



 保健室のベッドで目を覚ました空は、驚愕の表情のまま葵を見つめていた。


「空?」


 濡れた指をスカートでぬぐいながら葵は首をかしげた。

 何をそんなに驚いているのだろう。やっぱり寝ている間に来てはいけなかったのだろうか。


「……あ、」


 うめくような声を出して、空は両手で顔を覆った。


「あ、あ、あ、あ、あ、」


 荒い呼吸で吐き出された声は明らかに苦しげで。

 何かの発作だろうか。葵は慌てて立ち上がる。


「先生、」


 とっさに保健医を呼びかけたが、強く腕を掴まれてベッドを振り返った。

 制服に指が食い込むほどの力で引き留めた空は、もう片方の手で顔を隠したまま首を横に振った。


「……いい。ごめん、いいんだ」


 無理やり息を落ち着けるように深呼吸を繰り返す。

 葵を捕らえていた指から力が抜けて、その腕がぱたりとベッドの上に落ちた。


「大丈夫、なの?」


 ためらいながら声をかければ、空はようやく顔を覆っていた手を外してゆっくりと体を起こした。


「あおい」


 静かに、名前を呼ぶ。

 向けられた表情は落ち着いていたが、それでも何かをこらえているのがわかって、その内側にある痛みを感じさせた。


「別れて、くれないかな」


 まっすぐに葵を見て空は言った。

 言葉の意味を飲み込めずに葵も空を見つめ返す。

 彼は今、何て言った? 

 目を見開いたまま固まった葵に苦笑する。


「こんな体じゃもう、葵にもかまえないから」


 別れよう、と空は言った。

 病気の体では、まともに相手ができないから、と。

 葵は頭に血が上るのを感じた。

 ふざけるな。

 そんな他人行儀な気遣いで切り捨てるな。

 葵の感情を何もかも無視したままで。

 葵は空をにらみつける。


「別に、病気なんかどうでもいい」


 怒りをはらんだ葵の言葉に空は困ったように目を細めた。


「ごめん。一緒にいるの、きつい」


 口調は柔らかいが、答えあくまで否定だった。

 病気だという原因は変わらない。だが、言葉の内容は葵にとって大きな違いがあった。

 それは葵への遠慮ではなく、空の希望だということ。


 つまり、『別れてほしい』ということ。




 うまく動かない頭を強引に働かせる。


 ここで葵が嫌だと言ったら、結果をくつがえすことはできるのか。

 くつがえしたところで、空の気持ちはそこにあるのか。

 葵が隣にいることが苦痛にしかならないなら。

 笑わない空の隣にいて、自分は満たされるのか。


 理解はできるのに思考が追いつかない。

 ふと、視線を落とした葵の目に銀色の光が映った。


「……じゃあ、それ、返して」


 ゆっくりと顔を上げて葵は言った。


「ネックレス」


 今も空の襟元からのぞく鎖。

 そこに連なる銀の十字架。 

 空が初めて葵に手を伸ばして引き寄せた、あの夜の象徴。

 もし空がそれを迷いなく手放すなら、きっともう望みはないのだろう。

 だけどもしまだ、少しでもためらうそぶりを見せるなら、あるいは。


 空の表情が凍りつく。

 葵は見ていられなくてうつむいた。

 やはり、もう駄目なのか。





 しばらくして、はっと荒く息を吐く音が聞こえた。


「佐野さんは、人にあげたものすら取り返さないと気が済まないの?」


 呼ばれたのはもう、名前ではなかった。

 はじかれたように顔を上げた葵が見たもの。

 それは葵が見たことのない空の表情。

 明らかな、軽蔑だった。


 葵は二度とその声で名前を呼ばれる権利を失ったのだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ